おくびょうな俺と、戦えと叫ぶこの体 作:リザードン大好きマン
指が土に沈むたびに、乾いた音がした。森の地面は思ったより硬くて、最初はただ引っかくことしかできない。爪の間に土が入り込んで、黒く汚れていく。
それでも手は止めなかった。止めたら、そこで全部が終わる気がした。
土を掘るたびに、あの光景が浮かぶ。倒れていた体。もう動かない目。最後に残っていた声。それが、今掘っている土の重さに混ざっていく。
……あの時、何もできなかった。
爪が、少しだけ強く地面を抉る。
それでも、手は止めない。動かしていれば、考えずに済む。逆に、静かになるのが怖かった。
巣穴に戻ると、まだピカチュウの痕跡が残っていた。少し崩れた寝床。鼻の奥を刺す鉄の匂い。
それを見た瞬間、ピチューが小さく鳴いた。理解じゃない。拒絶だった。
俺はピカチュウの体を抱えようとする。軽いはずなのに、やけに重い。持ち上げた瞬間、ピチューが飛びついてきた。
「ぴちゅっ!」
必死に腕にしがみついて離れない。小さいのに、異様に強い力だった。何度振り払おうとしても離れない。ただ“やめろ”と全身で言っている。
そのまま、しばらく動けない。
視線がぶつかる。震えているのに、目だけは逸らさない。
……分かっている。
それでも、置いておくことはできない。
やがて、ピチューの力が抜けた。諦めたわけじゃない。ただ、理解してしまった顔だった。俺の腕の中の体を、じっと見ている。
震えながら、それでも目は逸らさない。
穴の前に戻る。ゆっくりと体を下ろす。落とすんじゃない、置く。
土の上に横たえた瞬間、空気が変わる。
その時、ピチューが一歩前に出た。
さっきまで必死に止めていたのに、今は確かめるように近づいてくる。小さな手が土に触れる。少しだけ迷って、それから土をかけ始めた。
最初は遅い。明らかに嫌がっている。それでも止めない。止めたら壊れるとでも思っているみたいに、黙って手を動かす。
俺も土をかける。
同じ動きでも、意味は違う。
土が積もるほど、音が減っていく。最後に残るのは、自分たちの呼吸だけだ。ピチューは泣きながら、それでも手を止めない。俺も、ただ埋めることだけを続ける。
黄色の陰が、土に消えていく。
全部が覆われた時、森は元の静けさに戻っていた。でも何かだけが、確かに欠けている。
ピチューはその場から動かない。俺も動けない。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
もう戻れない場所に来たということだけが、そこに残っていた。
ーーーーー
埋め終えた土は、見ていても何も変わらなかった。
当たり前だ。戻るわけがない。
それでも、視線を切るまでに少し時間がかかる。土の色と、手に残る湿り気と、さっきまで確かに“そこにあったもの”の気配だけが、妙に現実的で、他の全部がぼやけている。
息を吐く。喉の奥が引っかかる。
……腹が減っている。
そう認識しているのに、空腹の実感は薄い。欲求じゃなくて、ただの条件みたいな感覚だ。動かなければ弱る。それだけ分かっているから、体を動かす。
森に入る。
ピチューは、やっぱり後ろにいる。一定の距離を保ったまま、離れない。近づきもしない。俺が止まれば止まり、動けば遅れてついてくる。その距離が、今の関係そのものみたいに固定されている。
あの戦いのことが、頭から離れない。
……進化。
ヒトカゲじゃない。リザードだ。
体が違う。地面の踏み込みで分かる。爪のかかり、重心の乗り方、全部が一段階上にある。無理やり引き上げられたみたいな強さじゃない。最初からこうだったみたいに馴染んでいる。
それが逆に気持ち悪い。
それに――あの技。
りゅうのいかり。
ドラゴンタイプの技だ。
思い出すと、尾の炎とは別のところがざわつく。
あれは“炎”じゃなかった。燃えている感覚はあるのに、燃焼じゃない。熱いのに、焼いている手応えが違う。もっと深い場所、体の奥の奥から、押し出されるみたいに出てきた何か。
炎は体だとしたら、あれは別だ。
言葉にできない、別の“力”。
(……なんなんだよ、あれ)
考えても分からない。ただ一つ、あれが今の俺の中にあるという事実だけが残る。
足が止まる。
視界の端、緑色の影。
トランセル。
木の幹に貼り付くようにして、じっとしている。風に揺れることもなく、ただそこにあるだけの存在。
……前に戦った。
あの時は、普通に時間がかかった。硬くて、攻撃が通らなくて、無理やり押し切り、ようやく倒した。
今はどうだ。
一歩踏み込む。
間合いに入る。
反応はない。
腕を振る。
ひっかく
――バキッ
乾いた音。
それだけで、終わった。
外殻が割れて、そのまま崩れる。抵抗も、反撃もない。ただ壊れた。
一瞬、時間が止まる。
(……軽すぎる)
前と同じ相手だ。
なのに、手応えが違いすぎる。
俺はその場で、崩れたトランセルを見下ろす。
理解は早かった。
違うのは、相手じゃない。
俺だ。
……強くなりすぎている。
その事実が、驚きより先に“納得”として落ちるのが、少しだけ気持ち悪い。
ピチューが近づいてくる。倒れたそれを見て、足を止める。ほんの一瞬だけ、体が強張る。でも何も言わない。ただ視線を逸らして、それから俺を見る。
何かを確かめるみたいに。
俺は何も言わず、トランセルを持ち上げる。
少し開けた場所まで運んで、枝を集める。尾で火を起こす動きは、考えなくてもできる。体が覚えている。
火がつく。
炎が立ち上がる。
トランセルをくべると、じわりと音がして、匂いが広がる。
ピチューは少し離れた場所で見ている。近づこうとして、止まる。出て、引いて、また出る。その繰り返し。さっきよりは近いが、まだ迷っている距離だ。
俺が半分を差し出すと、すぐには取らない。
前足が伸びて、止まる。引っ込めて、また伸びる数回それを繰り返して、ようやく受け取る。
食べる。
最初は小さい。喉を通すための一口。
でも、一度口をつけると止まらない。止める理由がないみたいに、淡々と食べ続ける。
俺も、自分の分を口に入れる。
……満たされない。
食べているのに、空腹が消えない。
入れても、入れても、底に落ちていく感じだ。
(……足りねぇ)
量の問題じゃなく、質。
前ならこれで十分だった。
でも今は違う。
体の“要求”が増えている。
食べ終わっても、腹の奥に空洞が残る。
火だけが、ぱちぱちと鳴っている。
その時、気配を感じた。
顔を上げる。
少し離れた木陰に、小さなポケモンがいる。コラッタか、ビードルか、はっきりとは見えない。でも、確かにこっちを見ている。
目が合う。
一瞬。
次の瞬間には、逃げていた。
音を立てて、森の奥へ消える。
……それだけじゃない。
周囲にも、いくつか気配がある。どれも近づいてこない。むしろ、距離を保っている。
視線を向けるだけで、散る。
(……まさか、そういうことか)
さっきの一撃。
この体。
この強さ。
もう、この森の中で“同じ側”じゃない。
明確に、異物として見られている。
ピチューが少しだけ近づく。さっきより距離が縮まっている。でも、まだ触れない位置で止まる。
逃げない。
でも、寄りきれない。
その中途半端な距離が、妙に現実的だった。
火を踏み消す。
立ち上がる。
頭の中で、別のことが浮かぶ。
……あの場所。
倒したままの人間。
そのまま放置している。
時間が経てば、誰かが来る。匂いも、痕跡も、隠していない。
見つかる。
そうなれば、面倒どころじゃ済まない。
ここにいる理由は、もうない。
ピカチュウはいない。
食べ物も足りない。
森の連中は、俺を避ける。
全部、繋がる。
答えは一つだった。
(……出るか)
小さく息を吐く。
後ろを見る。
ピチューと目が合う。
一瞬だけ。
すぐに逸らされる。
それでも、離れない。
……ついてくるつもりか。
止める理由も、置いていく理由も、どっちも浮かばない。
なら――そのままでいい。
俺は前を向く。
森の奥じゃない。
出口の方へ、足を向けた。
ーーーーー
森の縁を越えた瞬間、空気が変わった。
湿り気が抜けている。重たくまとわりついていた匂いが消えて、代わりに乾いた風が肌を撫でた。
視界が開ける。背の高い木々は途切れ、低い草とむき出しの土が続いている。踏みしめる地面も違う。
柔らかく沈む腐葉土じゃない。固く締まった道。誰かが何度も通った跡が、そのまま残っている。
立ち止まる。
後ろを振り返ると、森がある。あの濃い影の塊が、境界みたいにそこにあった。少し入れば、また同じ匂いと湿気に包まれるんだろう。だが、足は動かなかった。
(……戻らねぇ)
理由はいくつもある。腹は満たされない。弱い獲物ばかりで、あの中じゃもう足りない。それに、あの場所はもう“狭い”。さっきまでいたはずなのに、妙に遠く感じる。
前を見る。
道は一本、まっすぐ伸びている。左右には草地が広がって、その向こうにまばらな木。隠れる場所は少ない。代わりに、遠くまで見える。風が抜けるたび、草が揺れて、音が遅れて耳に届く。
森とは、全部が違う。
足を出す。
一歩踏み込むだけで、感覚が変わる。地面が硬い。音が出る。隠れて動くっていうより、見られて動く場所だ。
「……ぴ、ちゅ」
後ろで、小さな声がした。
振り返ると、ピチューが森の縁に立ったまま動けずにいる。こっちを見て、また森を見て、視線が揺れている。体も小刻みに震えていた。
当然だ。
あいつにとっては、あそこが全部だ。
巣があって、匂いがあって、母親がいて――
一歩も外に出たことなんて、ないはずだ。
(……来るか)
声には出さない。
ただ、少しだけ待つ。
風が吹く。草が揺れる。開けた空間の音に、ピチューの耳がびくりと反応する。怖いのは分かる。それでも、ここに残していく選択はない。
「……ぴ……」
小さく鳴いて、足が出る。
一歩。
止まる。
また一歩。
地面の感触が違うのか、何度も足元を見ている。それでも、戻らない。森の方を振り返る回数が減っていく。
やがて、俺の隣まで来た。
距離は少し空いたまま。それでも、同じ方向を見ている。
「……ぴちゅ」
さっきより、ほんの少しだけ強い声。
不安は消えてない。それでも、決めた音だ。
(……いい)
俺は前を向く。
道は続いている。先に何があるかは分からない。匂いも、音も、森とは違うものばかりだ。
それでも、足は止まらない。
踏み出す。
その後ろを、軽い足音が追ってくる。
振り返らない。
もう、戻らない。
森は背中に残るだけで、前には何もない。
――ただ、道だけが伸びている。
リザード
レベル???
特性:もうか
技:ひっかく えんまく なきごえ りゅうのいかり? ひのこ?