おくびょうな俺と、戦えと叫ぶこの体 作:リザードン大好きマン
足は森の奥へ向いていた。
休むつもりだった。体を落ち着かせて、さっきの敗北を整理してから動くはずだった。そう決めていたのに、気づけば戻っている。
「……行くしかねぇか」
小さく呟く。
理由ははっきりしていた。
負けたことじゃない。何もできなかったことでもない。
“分かったのに、試していないまま終わる”ことが、一番気持ち悪かった。
足を止める。
森の空気が変わる。
静かなのに、どこか張り詰めている。音があるはずなのに、奥に沈んでいるような重さがある。
「……いるな」
視線を細める。
探すまでもない。あの速さも、あの圧も、一度身体に刻まれたものは消えない。
少しずつ距離を詰める。踏み込まない。急がない。ただ、確実に近づく。
そして――見えた。
黄色の体。大きな耳。ジグザグの尻尾。
ピカチュウ。
木の根元、わずかに開けた場所で、低く構えている。
巣穴の近くから、まだ離れていない。
「俺をまだ探してんのか」
返事はない。
だが、尻尾が一度だけ地面を叩いた。乾いた音が、短く響く。
「……ピィ」
低く抑えた鳴き声。
威嚇じゃない。ただ、“そこから動かない”という意思だけが乗っている。
視線が合う。
逸れない。
その瞬間――足が、ほんのわずかに止まる。
この感覚を、知っている。
――やめておけばいい。
頭の奥で、そんな声がする。
昔もそうだった。
人間だった頃。
やればできるかもしれないのに、やらなかったことがいくつもある。
失敗するのが嫌で、負けるのが嫌で、結果が出ないのが怖くて――
挑戦する前に、理由をつけて逃げていた。
「今じゃない」とか、「準備が足りない」とか。
どうでもいい言葉で、自分を納得させて。
結局、何も変わらなかった。
何も残らなかった。
ただ、“やらなかった”っていう事実だけが、ずっと残ってる。
「……同じかよ」
小さく呟く。
今も、やろうと思えば引ける。
体はまだ重いし、勝てる保証もない。理由なんて、いくらでも作れる。
でも――
一歩、踏み出す。
「……もういいだろ」
逃げる理由より、やる理由の方がはっきりしていた。
視線をピカチュウに戻す。
今度は、逸らさない。
「来いよ!」
小さく吐く。
構える。
整えない。
えんまくも、なきごえも、まだ出さない。
“準備してから動く”んじゃない。
来る瞬間に、合わせる。
ピカチュウの体が沈む。
――来る。
そう思った瞬間、視界から消える。
だが――
「……そこだ」
考えるより先に、体が動いた。
えんまく
ーーぼぉっ!!
黒いえんまくが、森に沈むように広がる。
視界を奪うためじゃない。
逃げ道を消すためでもない。
「……ここだ」
ピカチュウの位置は、完全には見えない。
だが、分かる。
えんまくの“濃い部分”を避けて、わずかに薄い場所へ逃げている。
黒を嫌い、空白へ寄る動き。
(やっぱり見えてる)
でも、それでいい。
こいつは“見える場所”しか選べない。
なら――
「……動かす」
俺はえんまくを広げない。
黒い塊を“森に置く”。
道を塞ぐように。
視界じゃなく、“選択肢”を削るように。
結果、森の中に一本だけ、空白の通路ができる。
そこ以外に逃げられない。
誘導されているとも知らずに、ピカチュウはそこへ入る。
(来た)
距離が縮まる。
黒い壁と黒い壁の間。
狭い。
逃げられない。
でんこうせっかの加速するには助走が足りない。
止まるしかない空間。
その中で、ピカチュウの体が止まる。
――嫌がっている。
次の瞬間、頬が光る。
でんきショック。
「……やっぱり遠距離攻撃だよな」
電気は“ためる”技だ。
一瞬止まる。
集中する。
だから、その瞬間だけ“隙”が生まれる。
俺はあえて一歩踏み込む。
距離を詰める。
走りながら、呼吸を合わせる。
待つ。
光が最大まで膨らむ瞬間を。
(今だ)
なきごえ!
ーーがァッ!!
腹の底から叩き上げた叫びが、空気を破裂させる。
衝撃が“音”じゃなく“圧”としてぶつかる。
でんきショックの起こりが、崩れる。
光が歪む。
発射の瞬間がズレる。
「っ……!」
ピカチュウの体が一瞬固まる。
一瞬だけ生まれた“空白”。
(ここしかない)
踏み込む。
黒いえんまくの隙間を蹴り抜くように、一気に距離を詰める。
遅れた反応。
いや、違う。
“間に合っていない”。
でんきショックの構えが崩れた中心へ――
「もらう…!」
正拳突きのように。
踏み込み、捻り、尾の勢いを一つにまとめる。
腕じゃない。
体ごと撃ち込む。
ひっかく!!
――ガリッ!!
今度は弾かれない。
押し込む。
削る。
通る。
「ピィッ……!!」
初めて、明確な痛みの声。
ピカチュウの体が吹き飛び、地面を転がる。
だが――
その瞬間。
「ぐっ……!?」
痺れが走る。
腕が言うことを聞かない。
遅れて入ってくる違和感。
(なんだこれ……)
特性:せいでんき
ピカチュウがゆっくり起き上がる。
まだ終わっていない。
そして、そこでようやく理解する。
あれはただの攻撃じゃない。
触れた時点で“返ってくる”攻撃だ。
「ピカァァァッ!!」
怒りが、形になる。
さっきまでの戦いとは違う。
“本気の拒絶”。
空気が変わる。
圧が上がる。
黒いえんまくの中でも関係ない。
壁を無視する速度。
(まずい……)
ピカチュウの体が沈む。
次の一撃は、さっきの比じゃない。
ピカチュウの呼吸が変わる。
怒りじゃない。
執念だ。
「ピカァァァァッ!!」
次の瞬間、消えた。
――速い。
いや、違う。
“消えている”。
でんこうせっか!!!
視界が追いつかない。
えんまくは意味を失っていた。
黒の壁の中を、迷いなく突き抜けてくる。
なきごえも間に合わない。
発声するより早く、距離が詰まる。
「っ――!」
衝撃。
――ドンッ!!
体が吹き飛ぶ。
地面が跳ねる。
呼吸が一度、途切れる。
「がっ……!」
立ち上がる前に、もう来ている。
――ドンッ!!
横から。
背後から。
上から。
ーードンッ!!
一撃じゃない。
連続する“点”。
考える間がない。
整える間がない。
全部が“ぶつかってから気づく”。
ーードンッ!!
腕を上げる。
ひっかくを振る。
空。
届かない。
というより――当たる前に、そこにいない。
――ドンッ!!
木に叩きつけられる。
視界が揺れる。
音が遅れて入ってくる。
世界がズレていく。
(まずい……これは……)
意識が、途切れる。
また来る。
そう分かっているのに、体が動かない。
――ドンッ!!
最後の一撃。
視界が反転する。
空が地面になって、地面が空になる。
呼吸が止まる。
そのまま――
静かになる。
音が、消える。
痛みも、衝撃も、全部消える。
「…………」
真っ暗。
何も感じない。
体の感覚がない。
自分が倒れているのかすら分からない。
(……終わったか)
思考すら沈む。
沈んでいく。
底のない暗闇。
何もない。
………
(……?)
その中で。
ほんのわずかに。
“何か”が揺れる。
音じゃない。
光でもない。
ただ、“そこにある何か”。
暗闇の奥で、小さく点が灯る。
……光?
いや、違う。
でもそれしか形容できない。
ぼんやりとした一点。
その一点が――
“動いている”。
(……見える)
ゆっくりと、世界が戻る。
音じゃない。
感覚でもない。
“方向”。
来る。
そう理解するより前に、体が動く。
起き上がる。
腕を引く。
尾が勝手に揺れる。
全部が揃う。
一点に向かって。
ピカチュウがそこにいる。
いや、正確には“来る”。
最後の一撃。殺意の塊。
全てを終わらせる速度。
(……ここだ)
時間が伸びる。
遅くなる。
いや、違う。
“見えている”。
でんこうせっか。
そこに重なる形。
踏み込み。
捻り。
全部が一つに繋がる。
腕を引くーー
「――ここだッ!!」
でんこうせっか!!!
ひっかく!!!
――ガキィンッ!!
金属を削るような音。
次の瞬間。
ピカチュウの体が止まる。
空中で、崩れる。
力が抜ける。
地面に落ちる。
静かになる。
森が戻る。
風の音が戻る。
「……っ、はぁ……っ……」
膝が折れる。
呼吸が戻る。
さっきまでの“無”が嘘みたいに消えていく。
視界が戻る。
世界が戻る。
その中心に、倒れているピカチュウがいる。
もう動かない。
「……今のは」
小さく呟く。
勝った。
でも、違う。
技じゃない。
反応でもない。
ただ――
見えた。
それだけだった。
ーーーーー
ピカチュウは動かない。
風が森に戻ってくる。さっきまでの戦いが嘘みたいに、静けさだけが残っていた。
「……はぁ……っ」
息を吐く。勝った。その事実だけは分かる。けれど体はまだ戦っていて、手は震え、呼吸は浅いまま止まらない。さっきの一撃の感触だけが、妙に残っていた。
(……見えた)
そう呟きかけて視線を落とす。
ピカチュウは倒れている。さっきまでの執念も怒りもそこにはなく、ただ静かな体だけが残っていた。
そのとき、小さく、途切れた鳴き声が漏れる。
「………ピ…カ…」
戦う声じゃない。叫びでもない。ただ何かを探すような、弱く、切れ切れの音だった。
視線が止まる。
泣いている。
そして尻尾の形が違う。よく見ると先がわずかに丸く、柔らかく湾曲していて、どこかハートのようにも見えた。
(……メスだったのか)
ピカチュウはまた小さく鳴く。そこにあるのは怒りではなく、失ったものを呼び続けるような空白だけだった。
その声を聞いた瞬間、頭の奥に何かが引っかかる。人間だった頃の記憶が、ぼやけたまま浮かび上がる。
母が迷子の俺を探していた。涙目になって必死に名前を叫んでいた。
「…………」
喉の奥が少し詰まる。
しばらく動けなかった。勝ったはずなのに、勝った実感がどこにもない。
ゆっくりとしゃがむ。
ピカチュウを見下ろす。
まだ息はある。ただ、このままでは長くはもたない。
頭の中でいくつかの選択が浮かんでは消える。置いていくか、終わらせるか、そのままにするか。
頭をよぎるのは、小さな影が消えていったあの瞬間。
最後に残ったのは一つだけだった。
「……なんでだよ」
誰にでもなく呟く。
それでも体はもう動いている。
ゆっくりと腕を差し出し、倒れた体を抱え上げる。思ったより軽い。その軽さが、逆に現実を強くする。
そのまま森の中を歩き出す。巣穴へ向かって。
足は重い。それでも止まらない。
ピカチュウは時折、小さく声を漏らす。途切れ途切れのその音は、誰かを呼ぶでもなく、ただ空気に溶けていくように消えていく。
歩きながら、その声を聞いていると、また記憶がよぎる。呼んでも返事のない場所、探しても何もない空白。
「……そっか」
これは敵じゃない。ただ、失ったまま動いているだけだ。
足を止めずに歩き続ける。森の奥へ、自分の巣穴へ。
戦いの続きの中にいるはずなのに、その中にだけ、少し違う空気が流れていた。
ヒトカゲ
レベル???
特性:もうか
技 ひっかく えんまく なきごえ ひのこ?