ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウジムのスタジアム。バトルの喧騒が引いた後の空気は、過剰な電力が放電された直後のように、妙に重たく、粘りついたような静電気を帯びている。
「――はい、カット。ナンジャモさん、今のコメント、少し『トゲ』が強すぎませんでした? 『ボクの時間を無駄にする挑戦者は、ハッコウシティの電力代にもならないぞ』って、冗談にしては笑えないというか……」
収録機材を片付けながら、サトウさん(仮名)が恐る恐る口を開く。
私は、重いコイルの髪飾りを乱暴に外してベンチに放り投げた。金属同士がぶつかる、可愛げのない音が響く。
「……別に。事実でしょ。あんな準備不足のバトル、エンタメとしても三流以下。撮れ高ゼロの時間を過ごさせられたボクの精神的摩耗、誰が補填してくれるの?」
「いや、まあ、そうですけど……。最近、少しピリついてませんか?」
「ピリついてるのはボクの周りの磁場でしょ。……もういい、今日は解散。サトウさんも、その心配そうな顔を配信に載せられたくないなら、さっさと帰って」
追い払うように手を振り、私は更衣室へ向かう。
廊下の鏡に映った自分の顔は、ファンが見れば悲鳴を上げるほど、表情筋が死んでいた。
「――お疲れ様、嵐を呼ぶインフルエンサー様。今日の機嫌の悪さは、ハッコウシティの平均湿度より高いね」
更衣室の前で腕を組んでいたのは、もはや私の「精神の不法投棄場所」と化しているミサキだ。
「……ミサキ。今、ボクに話しかけるなら、最低でも100万ボルトの絶縁体を用意してからにしてよ。じゃないと、ボクが君を黒焦げにしちゃうかもしれないから」
「あいにく、私は全身が冷徹な事務作業でコーティングされてるから大丈夫。で、何が溜まってるの? 投げ銭の額? スケジュールの過密さ? それとも、ただの生理的なモヤモヤ?」
ミサキは私の隣を歩きながら、淡々と選択肢を提示する。
私は足を止め、壁に背中を預けた。コンクリートの冷たさが、オーバーサイズの服を突き抜けて皮膚に刺さる。
「……全部だよ。全部。……なんかさ、胸の奥で変な音がするんだ。パチパチ、って。放電しきれない電気が、外に出たがって暴れてるみたいにさ。何を見てもイライラするし、誰の言葉も、鼓膜の表面で滑って中に入ってこない」
「……飽和状態だね。君が『ナンジャモ』という器に注ぎ込み続けた、嘘と、努力と、期待。それが、もう表面張力の限界を超えようとしてる」
「……限界。……ボクは、最強のジムリーダーで、最高の配信者なんだよ? 限界なんて言葉、辞書から削除したはずなのに」
「辞書を編集してるのは君の理性でしょ。でも、その辞書を抱えてる体は、ただの十代の女の子なんだよ。……ねえ、ナンジャモ。次に雷が落ちる時、君は自分の形を保ってられる?」
ミサキの問いかけに、私は答えられなかった。
ただ、窓の外で、ハッコウシティを覆い始めた巨大な雨雲が、低く、重く唸り声を上げているのが聞こえた。
「……ボクにもわからないよ。……でも、一つだけ確かなのは、この嵐が過ぎ去るまで、ボクはボクを、騙しきれそうにないってこと」
私は、震える自分の指先を、もう片方の手で強く抑え込んだ。
嵐の予感。
それは、完璧に塗り固められた私の日常が、根底から崩れ去るための合図のようだった。
遠くで、最初の稲光が、ハッコウシティの夜を白く、残酷に引き裂いた。