ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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鏡のなかの見知らぬ誰か

深夜のジムリーダー室。

あらゆる照明が落とされ、電子機器の主電源から漏れる微かな待機光だけが、部屋の輪郭を幽霊のように浮かび上がらせている。

私は、ドレッサーの前に座り、死んだ魚のような瞳で鏡を見つめていた。

 

「――お疲れ様。今夜の緊急ライブ、同接30万超えだって。サーバーが悲鳴を上げてたよ」

 

背後の暗闇から、足音もなくミサキが現れる。彼女の手には、いつものタブレットではなく、キンキンに冷えた炭酸水のボトルが握られていた。

 

「……あー、そう。よかったね。ハッコウシティの皆さんに、最高の夜更かしを提供できて光栄だよ」

 

私の声は、自分でも驚くほど乾燥していた。

鏡の中には、極彩色の衣装を纏い、髪にコイルを浮かべた「ナンジャモ」が座っている。けれど、その衣装の隙間から覗く肌の質感や、重たい瞼の裏側にある熱量は、明らかにその記号から剥離していた。

 

「……ねえ、ミサキ。ちょっと、これ見てよ」

 

私は震える指先で、自分の頬を強く抓った。

鏡の中の完璧な美少女の顔が、無残に歪む。

 

「……抓れば痛いし、腹も減る。三日も寝なければ隈ができるし、嫌なコメントを読めば動悸がする。……なのに、なんで鏡の中のボクは、こんなに『他人』みたいな顔をして笑ってるの?」

 

「……それが君の望んだ姿でしょ。君が何年もかけて、血を吐くような努力で作り上げた『最強の自分』。今さら、自分と仲違いでもしたの?」

 

ミサキはボトルのキャップを開け、弾ける炭酸の音と共に私の隣に立った。

 

「……仲違いなんて、そんな生易しいもんじゃない。……ボク、さっきライブ中に一瞬、頭の中が真っ白になったんだ。……『おはこんハロチャオ』って言った直後、自分の声が、遠い宇宙から届くノイズみたいに聞こえてさ。……あ、こいつ、ボクじゃない。ボクの皮を被った、得体の知れないバグだって」

 

私はドレッサーに並んだ高級な化粧品を、乱暴に薙ぎ払った。

ガラス瓶が床に落ちて割れる鋭い音が、静寂を切り裂く。

 

「……ボクがボクを騙しすぎて、本物の『私』がどっかに行っちゃった。……ミサキ、教えてよ。鏡の中にいる、この綺麗な化け物は誰? ボクが殺して、その死体の上に立ってるはずの『私』は、今どこで泣いてるの?」

 

ミサキは割れた瓶を気にする様子もなく、私の肩を掴んで、鏡の中の私を真っ直ぐに見据えさせた。

 

「……見て。そこにいるのは、君だよ。君が、ハッコウシティという光の粒の中で、たった一人で戦い抜くために選んだ姿。……見知らぬ誰かに見えるのは、君がそれだけ遠い場所まで来ちゃったから。……引き返せないほど、高くて、眩しくて、寂しい場所にね」

 

「……引き返せない。……ボクは、一生この化け物と一緒に、嘘をつき続けて死ぬの?」

 

私の目から、熱い雫がこぼれ落ちた。

それは、完璧に塗り固められたファンデーションを溶かし、鏡の中の「偶像」の顔を、泥のように汚していく。

 

「……泣くなよ。化粧が落ちたら、本当に『ただの子供』に戻っちゃうよ」

 

「……戻りたい。……もう、電気なんていらない。……光なんて、大嫌いだ」

 

私は鏡を殴りつけた。

拳に伝わる硬質な感触と、鈍い痛み。

鏡の中のナンジャモの顔が、無数の亀裂に分断され、屈折する光の中で崩壊していく。

破片に映る自分の瞳は、どれも絶望に濡れていて、けれど確かに「私」を見つめていた。

 

窓の外でハッコウシティの全電力が一瞬、明滅した。

嵐の前の静寂。

私は、粉々になった「自分」の破片を前にして、初めて、偽りのない嗚咽を漏らした。

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