ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウシティのメインストリートを歩く時、ボクはいつも「15センチ」高い世界を見ていた。
特注の、重くて高いヒール。それがボクの武装であり、ジムリーダーという偶像へ繋がる唯一の階段だったから。
けれど今日、ボクの足元にあるのは、安売り店で買った何の変哲もないスニーカーだ。
「……ねえ、ミサキ。地面って、こんなに近かったっけ。アスファルトの凹凸が、ダイレクトに脳まで響いてくるんだけど」
「それは君が今まで、軟弱な高層建築物みたいな歩き方をしてたからでしょ。重力に感謝しなよ。君が今、ちゃんと地球の上に存在してる証拠なんだから」
隣を歩くミサキは、相変わらず事務的な歩調を崩さない。でも、視線の高さが揃ったせいか、彼女の横顔がいつもより少しだけ幼く見えた。
「……感謝ね。重力なんて、配信の同接を維持する時くらいしか意識したことなかったよ。……でも、不思議だね。視点が少し下がっただけで、街の見え方が全然違う。……あそこの看板、あんなに剥げかかってたんだ。あっちの自販機の裏には、誰が捨てたのかわからない空き缶が転がってるし」
「見なくていいものが見えるようになった、ってこと? 事務効率的には、情報のノイズが増えるのはマイナスだけど」
「違うよ。ノイズじゃない。……情報が『生きてる』感じがするんだ。……今までのボクはさ、一番綺麗な光の部分だけを繋ぎ合わせて、この街をフォトショップで加工したみたいに見てたんだと思う。……でも、今のこの、少し汚くて、不器用な景色の方が、なんだか落ち着くんだよね」
ボクはわざと、点字ブロックの黄色いラインに沿って一歩ずつ踏みしめるように歩いた。
背伸びをやめる。それは、ボクがボクのままで世界と対峙するということだ。
「……今までさ、ボクはハッコウシティを『支配』してるつもりだったんだ。ボクの配信、ボクのバトル、ボクの光。……でも、違うんだね。ボクも、この街を構成する無数の粒の中のひとつに過ぎない。……それが、なんだかすごく、自由な気がするんだ」
「……へえ。傲慢なジムリーダー様が、ついに市民権を獲得したわけだ。……おめでとう。これで君も、ただの『歩行者A』になれたね」
「歩行者Aって。……せめて『名前ありのモブ』くらいにはしてよ。ボクの自尊心が泣いちゃうでしょ」
ボクは立ち止まり、大きく背伸びをした。ヒールを履いていないから、いくら背を伸ばしても空は遠い。けれど、踏みしめている地面は、かつてないほど固く、信頼できる感触を返してくれる。
「……ねえ、ミサキ。ボク、この歩幅で行くよ。……誰かに見せるための大股でも、自分を誤魔化すための高足でもなく。……ボクの足が、一番疲れない、等身大の歩幅でさ」
「勝手にすれば。……ただし、歩幅が狭くなった分、移動時間は増えるんだから。明日のスケジュール、5分ずつ前倒しにしとくからね」
「……鬼。ミサキは本当に、エモーショナルな空気を台無しにする天才だね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。……さあ、行くよ。歩行者Aさん。……君の等身大の人生は、まだ始まったばかりなんだから」
ボクは小さく笑って、隣のミサキに合わせて一歩を踏み出した。
ハッコウシティの景色は、相変わらず眩しくて、少しだけ騒がしい。
けれど、もう視界が揺れることはない。
ボクは今、自分の足で、自分の重さを噛みしめながら、この街を歩いている。
その歩幅はきっと、世界で一番、正しいリズムを刻んでいるはずだから。