ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウシティの舗装は、他の街よりも少しだけ硬い気がする。
それはこの街が、膨大な電力と人々の野心を支えるために、コンクリートの深層まで電子回路のような冷徹さを孕んでいるからかもしれない。そんな無機質な地面を、私はお気に入りの靴底で叩きながら歩く。
コツ、コツ、という硬質な音が、高層ビルの壁面に反射して私の耳に戻ってくる。
この靴は、先月の「頑張った報酬」として手に入れた、海外ブランドの特注品だ。私のパーソナルカラーをベースに、雷エネルギーをイメージしたイエローのラインが走っている。底はかなり厚く、履くだけで視界が数センチメートルほど上昇する。その数センチメートルが、私にとっては防波堤だった。
「……よし。今日も、高いね」
誰に聞かせるでもなく呟き、私はオーバーサイズの袖に隠れた指先で、自身の「装備」を確認する。
ハッコウシティの住人たちは、誰もが何かのプロフェッショナルだ。金融の鬼、物流の王、あるいはそれらを裏で操るプログラムの支配者。そんな強者たちがひしめく中で、ただの「女の子」がジムリーダーという椅子に座り続けるには、それ相応の鎧が必要になる。
私にとって、この厚底の靴や、わざとらしく跳ねさせた髪、そして頭上で磁力を放つコイルたちは、単なるファッションではない。それらは私の矜持を物理的な形に変換した「コイン」だ。
「あ、ナンジャモだ!」
「おはこんハロチャオって言って!」
街角のカフェから、観光客らしき若者たちが声を上げてくる。
私は瞬時に、脳内の「ナンジャモ・スイッチ」を最大出力まで引き上げた。
「おはこんハロチャオ! 良い1日を過ごさないと、ボクが電磁波投げちゃうぞー!」
指でピストルの形を作り、ウィンクを添える。
完璧な挙動。完璧なトーン。
彼らが満足げにスマートフォンを構え、その光景をデジタルデータとして「消費」していくのを見届けながら、私は足を止めずに歩き続けた。
内心では、冷や汗が背中を伝っている。
今の私は、彼らが望む「ナンジャモ」という虚像を、この高い靴の上に辛うじて積み上げているに過ぎない。
もし、この靴のヒールが折れてしまったら。
もし、この厚底を脱いで、冷たいコンクリートに素足で立たなければならなくなったら。
その瞬間、私は、ハッコウシティの巨大な歯車に飲み込まれて、跡形もなく消えてしまうのではないか。そんな薄ら寒い恐怖が、常に踵のすぐ後ろを追いかけてくる。
「……プライドを維持するのも、コストがかかるって話」
不意に、ショーウィンドウに映った自分の姿と目が合った。
そこには、最新のトレンドを全身に纏い、自信に満ち溢れた「電気街の歌姫」が立っている。けれど、その瞳の奥には、自分を支える靴音の高さだけを必死に数えている、臆病な投資家のような私が潜んでいた。
私はわざと強く、地面を蹴った。
コツッ、と一段と高い音が鳴る。
「大丈夫。ボクは、ボクが信じたボクを演じきれる」
この靴を履いている限り、私は無敵だ。
この靴が鳴らすリズムが続く限り、私はこの街の女王でいられる。
一歩歩くごとに、私は自分自身の価値を、自分自身にプレゼンし続ける。
それが、この光り輝く檻の中で、私が私を見失わないための、唯一の生存戦略だった。
ハッコウシティの風は、今日も電子の匂いがして、少しだけ苦い。
私はその苦さを、お気に入りの靴が奏でるメロディで塗り潰しながら、さらに人混みの奥へと進んでいった。