ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウシティの夜景を独り占めできるジムリーダー専用のバルコニー。
眼下に広がる光の絨毯は、数万人の営みが発する熱の残骸だ。私はそこに、お気に入りの高い靴ではなく、最近ようやく馴染んできたスニーカーの踵を預けていた。
「――で、結局、何分待たせるつもり? ボクの個人的な感傷の賞味期限は、あと三口分のアイスティーしか残ってないんだけど」
「お待たせ。君の言う『三口』が、通常の人間にとっての何リットルに相当するか計算してたら遅くなったよ」
背後から、タブレットのバックライトに照らされた無表情なミサキが現れる。彼女は私の隣に来ると、手すりに肘を突き、夜風に乱される前髪を鬱陶しそうに払った。
「それで? 事務員をこんな場所に呼び出して、どんな重大なスキャンダルを告白してくれるの。隠し子? それとも、実は電気タイプじゃなくてノーマルタイプでした、っていうタイプ詐称?」
「……冗談でも最悪。……ねえ、ミサキ。ボク、約束したんだ」
「誰と。新しいスポンサー? それとも、またあの不器用な挑戦者の男の子?」
「違うよ。……ボク自身と、さ」
私は、手元にあるスマートフォンの画面を消した。真っ暗な画面には、ネオンの光を反射して、少しだけ前を向いた自分の顔が映っていた。
「……ボク、今までずっと自分に嘘をつくことで、自分を守ってるつもりだった。ナンジャモっていう無敵の鎧を着て、完璧な笑顔を配信して……。でも、それは守ってるんじゃなくて、ただの監禁だったんだよね」
「……気づくのに20話もかかったね。アニメなら最終回間際だよ」
「うるさい。……だから、約束したの。もう、自分を監禁するのはやめるって。……たとえフォロワーが激減しても、バトルの評価が下がっても、ボクはボクの心の声を、編集(エディット)せずにそのまま世界に放電する。……それが、ボクがボクに捧げる、唯一の誠実さだって」
私は空を見上げた。ハッコウシティの空は、地上の光が強すぎて星があまり見えない。けれど、その白んだ闇の中に、自分の意志という名の小さな火花が見える気がした。
「……これは誰にも言わない、ボクだけの秘密の約束。……ミサキに教えちゃったから、もう秘密じゃないかもしれないけど」
「……いいよ。私の仕事は君の嘘をパッケージングすることじゃなくて、君というシステムが破綻しないようにメンテナンスすることなんだから。……君が自分と交わしたその不合理で、非科学的で、ひどく熱っぽい誓いを、運用コストの一部として計上しておいてあげる」
ミサキはそう言うと、私の手首を軽く叩いた。
「……ただし。約束を破ったら、違約金として君の秘蔵のアイスコレクション、全部没収するからね」
「……っ、君、本当に悪魔!? ……でも、いいよ。……ボクはもう、自分を裏切らない。……世界中で一番眩しい場所で、世界中で一番正直な挨拶をするためにさ」
夜風が、ボクたちの間を吹き抜けていく。
秘密の約束。
それは、重くて、痛くて、けれどこれ以上ないほどに、ボクの背中を強く押してくれる「光」だった。
「……決まりだね。……じゃあ、帰ろ。……明日から、ボクの第2クールの最終決戦が始まるんだから」
ボクは、等身大の歩幅で一歩を踏み出した。
約束は、胸の奥で静かに、けれど確かに、100万ボルトの輝きを放ち始めていた。