ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ハッコウジムのスタジアム裏、資材置き場を兼ねたバックヤード。
そこには、かつて「無敵のナンジャモ」を演出するために買い揃えられた、今は使われなくなった小道具の山が積まれていた。
私はその埃っぽい空間で、一足の、かつては宝物だった「15センチの魔法」を手に取っていた。
「……ねえ、ミサキ。これ、覚えてる? ボクが初めてジムリーダーとしてコートに立った時に履いてた、初期型(プロトタイプ)の厚底靴」
「覚えてるよ。君がその靴の重みに耐えきれずに、本番直前の廊下で生まれたての小鹿みたいにプルプル震えてたこともセットでね」
ミサキは、古い機材ケースに腰掛け、相変わらず無慈悲な速度でタブレットに指を滑らせている。
「……プルプルは余計。ボクはあの時、重力に逆らうための精神統一をしてただけだよ。……でも、今のボクには、これ、もう重すぎるみたい。物理的にも、情緒的にもさ」
私はその靴を、不用品回収のボックスへと静かに置いた。
それは、自分を守るために作り続けてきた「壁」の、最初の一片を剥がす作業だった。
「……変な感じ。今までボクは、ナンジャモっていう完璧なパッケージを死守するために、自分の本音とか、不器用な部分とか、そういう『ノイズ』を全部この裏側に捨ててきたんだよね。……でも、こうして壁を壊してみるとさ、捨ててきたはずのガラクタの方が、今のボクには馴染んで見えるんだ」
「……デコレーションを剥がせば、ただのスポンジケーキが残る。当たり前の話だよ。……でも、そのスポンジがボロボロに崩れてないのは、君がその内側で、必死に自分を支え続けてきたからでしょ」
ミサキはタブレットを閉じ、私を真っ直ぐに見据えた。
「……偽物を作るのも、立派な技術だよ。でも、技術は使い終われば返却しなきゃいけない。……君は今、ようやくその『借り物の言葉』を返して、自分の声を取り戻そうとしてる。……事務員としては、在庫管理が楽になって助かるよ」
「……あはは。ミサキって本当に、感動的なシーンを数字(データ)で処理する天才だよね。……でも、ありがと。ボク、怖くないよ。……壁を全部壊して、剥き出しのボクになった時、そこに何が残ってるのか……。それを確かめるのが、今はちょっとだけ楽しみなんだ」
私は、資材置き場の壁に貼られていた、色褪せた「完璧な笑顔のボク」のポスターを指先でなぞった。
そして、それを躊躇(ちゅうちょ)なく、ゆっくりと引き剥がした。
ベリベリ、と。
自分の皮膚の一部を剥がすような鈍い音。
けれど、その跡に残ったのは、冷たいコンクリートの壁ではなく、窓から差し込む、ハッコウシティのありのままの朝日だった。
「……さよなら。ボクの、大好きだった偽物のボク。……君のことは忘れないよ。君がいてくれたから、ボクはここまで歩いてこれたんだから」
私は、軽くなった自分の足元を見た。
スニーカーが踏みしめる床の感触。
それはもう、何者にも擬態していない、ただの「私」の重さだった。
「……行くよ、ミサキ。……最後の、最高のライブのために。……ボクという『真実』を、世界中に放電してやるんだ」
「……了解。配信の帯域、最大まで確保しておいたよ。……君がどれだけ暴れても、システムが焼き切れない程度にはね」
ボクは前を向いた。
背後には、崩れ落ちた壁の残骸。
けれど、その前には、遮るもののない、眩しすぎるほどの未来が広がっていた。