ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「――はい! というわけで今回の『ドンナモンジャTV』、挑戦者は残念ながら、ボクの電磁波に痺れちゃいました! みんな、アーカイブの高評価ボタン連打してね! おはこんハロチャオ~!」
空中に浮遊するロトカメラが、配信終了を告げる電子音を鳴らしてレンズを閉じる。
それと同時に、ハッコウジムのスタジアムを埋め尽くしていた極彩色の照明が、ふっと体温を失うように落とされた。
数秒前まで鼓膜を震わせていた数千人の大歓声が、まるで魔法が解けたみたいに消え去る。
残ったのは、空調の微かな稼働音と、私の激しい呼吸の音だけ。
「……はぁ。……疲れた」
私は、手に持っていたモンスターボールを、誰もいなくなったバトルコートに放り出しそうになるのを堪え、ゆっくりと腰を下ろした。
「ム、ムイ……?」
相棒のハラバリーが、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。その腹部の目(に見える模様)が、妙に情けなく見えて、私は少しだけ笑った。
「大丈夫だよ、ハラバリー。ちょっと、バッテリーが切れかかってるだけ」
そこへ、スタジアムの影から一人の男が歩み寄ってきた。ジムの運営スタッフであり、私の「配信」を技術的に支える裏方の男――通称、サトウさん(仮名)だ。
「ナンジャモさん、お疲れ様です。同接、過去最高を更新しましたよ。スパチャの額もエグいことになってます」
「……あー、そう。よかったね。ハッコウシティの経済回したってことで、市長にボーナス請求しといて」
「冗談はさておき、今日の最後の立ち回り、少し『あざとすぎ』ませんでした? コメント欄で一部のコア層が『計算高い』って騒いでましたけど」
「はぁ? 何言ってんの。あざとくないナンジャモなんて、炭酸の抜けたソーダ水以下でしょ。ボクはボクの市場価値を正確にトレースしてるだけ。文句があるなら、自分でコイルの髪飾り付けてハッコウシティ歩いてから言ってよね」
私は立ち上がり、更衣室へと向かう。
サトウさんは苦笑しながら、タブレットを操作して後を追ってきた。
「はいはい。で、次のバトルのスケジュールですが――」
「パス。今日はもう、一秒も喋りたくない。ボクの喉は今、オーバーヒートして液体窒素を求めてるの」
「そう言わずに。明日の朝一で、雑誌の独占インタビューが入ってます。テーマは『若きジムリーダーの孤独と栄光』だそうで」
「……何それ、胃もたれしそうなタイトル。孤独も栄光も、全部ピクセルデータにして売っ払っちゃえばいいのに」
更衣室の重厚なドアが閉まると、ようやくサトウさんの声も届かなくなった。
ここは、このスタジアムで唯一、カメラのレンズが存在しない聖域だ。
私は鏡の前に座る。
照明に照らされた自分の顔は、まだアドレナリンの影響で赤みを帯びている。
「……っ」
不意に、胸の奥がドクンと大きく波打った。
さっきまでのバトル。
テラスタルの輝き。雷鳴。
挑戦者の、あの「本気でボクを潰してやろう」としていた剥き出しの瞳。
「……ムイ」
ハラバリーが、私の膝にその重たい体を預けてくる。
私は無意識に、その湿り気を帯びた皮膚に指を沈めた。
「ねえ、ハラバリー。さっきの十万ボルト、ボクの心臓にも少し当たった気がする」
「ムイ?」
「……なんてね。ただのスタティック(静電気)だよ」
私は、更衣室のベンチに仰向けにひっくり返った。
天井の蛍光灯が、チカチカと不規則に瞬いている。
配信中の喧騒が嘘のように、ここには何もない。
歓声も、投げ銭の通知音も、称賛も、罵倒も。
ただ、バトルの余熱で熱くなった筋肉が、じりじりと痛むだけ。
その痛みだけが、今の私が「ナンジャモ」というデジタルな記号ではなく、血の通った一人の生き物であることを証明していた。
「……静かだなぁ」
私は目を閉じる。
瞼の裏には、まだ雷光の残像が焼き付いている。
外に出れば、また「おはこんハロチャオ」と言わなければならない。
誰も、この静寂の中の私なんて求めていないのだから。
私は大きく息を吐き出し、二度と戻らない「今この瞬間」の静寂を、骨の髄まで吸い込んだ。