ポケットモンスター 配信画面の境界線。100万人の「ナンジャモ様」ではなく、目の前の「君」だけに狂わされたいボクの末路 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
スマートフォンが、ナイトモードの静寂を切り裂いて震えた。
画面に浮かび上がったのは、連絡先リストの深い地層に埋もれていたはずの名前。かつて、私が「ナンジャモ」でも「ジムリーダー」でもなく、ただの、何者でもなかった頃に隣にいた少女の名前だ。
「……何。今さら、なんの用だよ」
指先が微かに震える。
メッセージのプレビューには、『久しぶり。配信、いつも見てるよ。今度ハッコウシティに行くから、会えないかな?』という、無邪気で、だからこそ暴力的な言葉が並んでいた。
「――お。ナンジャモがスマホ相手にフリーズしてる。珍しいね。新手のウイルス? それとも、またポケカの相場でも暴落した?」
背後から、デリバリーのピザ箱を抱えたミサキが、私の顔を覗き込んできた。
私は反射的に画面を伏せ、膝の上のハラバリーをぎゅっと抱きしめた。
「……別に。ただのスパム。最近のAIは、昔の知り合いのふりまでしてくるから、質が悪くて困るよね」
「AIにしては、君の顔色がブルーを通り越して真っ白だけど。……あー、なるほど。地元の友達、とか?」
ミサキは察しが良すぎる。彼女は自分の分のピザを口に放り込み、咀嚼しながらソファの端に座った。
「会えばいいじゃん。たまには『昔の自分』を知ってる人間と話すのも、デトックスになるよ」
「……バカ言わないで。今のボクは、この街の象徴なの。完璧な『ナンジャモ』なの。……昔の、根暗で、声が小さくて、いつも誰かの後ろに隠れてた私を知ってる人間なんて、今のボクにとってはバグ以外の何物でもないよ」
私は、伏せたスマートフォンの冷たい背面を指でなぞった。
画面の向こう側にいる彼女は、きっとまだ、私のことを「あの子」として呼ぼうとするだろう。
私がどれだけのコストを払い、どれだけの嘘を積み上げて、この高い靴の上に立っているかも知らずに。
「彼女の記憶の中にいる私は、今のボクを否定する刃物なんだよ。……会ったら最後。ボクが必死で作ってきたこの魔法が、一瞬で解けちゃう気がするんだ」
「魔法ね。……でもさ、ナンジャモ。君がそうやって拒絶すればするほど、君の中にいる『昔の自分』が、惨めに泣き叫んでるように見えるけど」
「……五月蝿い。ピザの脂が脳に回ったんじゃないの? ボクは、今のボクを愛してる。……過去なんて、ゴミ箱に捨てて、上書き保存しちゃったんだから」
私は、震える指先で通知をスワイプし、返信せずに画面を閉じた。
返さないことが、唯一の防御だった。
画面が暗転し、そこには無機質な黒い鏡に映る、自分の歪んだ顔があった。
「ねえ、ミサキ。……ボクは、冷たいかな」
「……さあね。でも、少なくとも、その震えてる指先は、君がまだ『人間』だってことを証明してるよ。……今の君には、ピザより、温かいミルクの方が似合ってるかもね」
ミサキは皮肉げに笑い、私の分の一切れを皿に乗せて差し出した。
私はそれを受け取らず、ただ、膝の上のハラバリーの体温に指を沈める。
「……ハロー、マイ・フレンド。……さよなら、私の友達」
暗い部屋の中で、私は誰にも聞こえない声で呟いた。
スマートフォンのLEDが、返信のないまま、最後の一欠片の光を放って消えた。
ハッコウシティの夜は、今日も電気の粒で満たされている。
過去を切り捨て、未来を買い叩き、私は明日もまた、完璧な「ボク」としてカメラの前に立つ。
そうしなければ、私は、自分が自分であることさえ、維持できなくなってしまうから。