見ても見なくてもどちらでも構いません。
世界は、均衡の上にあった。
空は澄み、海は満ち、森は呼吸し、色は意味を持ち、
人は物語を語り、時は穏やかに流れていた。
国家は存在していたが、それは争うための枠ではなく、
文化と祈りを分かち合うための境界に過ぎなかった。
この世界には、六つの「見えざる視線」があった。
音を整えるもの。
星を選び取るもの。
命を巡らせるもの。
色を与えるもの。
幻想を形にするもの。
時を編むもの。
人はそれらを神と呼び、名を与え、歌にした。
夜には子守唄が歌われた。
朝には祈りが捧げられた。
祭りでは物語が演じられた。
それらはすべて、「観測」を世界へ繋ぎ止める行為だった。
観測者たちは応えたわけではない。
だが、確かに受け取っていた。
その結果、世界は安定していた。
◆◆◆◆◆◆
観測者たちは各々のすべき事を行なっていた。
音の観測者は、世界の音を優しく重ね、
不協和を静かにほどいていた。
宇宙の観測者は、無数の可能性の中から、
人々が歩める現実を選び続けていた。
生命の観測者は、大地に芽吹きをもたらし、
命の終わりを次の始まりへと繋げていた。
色の観測者は、色に意味を与え、
世界の輪郭を鮮やかに保っていた。
幻想の観測者は、幻想を現実へと引き寄せ、
人に「まだ知らない可能性」を見せていた。
時間の観測者は、時間の流れを整え、
過去と未来が矛盾なく続くよう支えていた。
観測者たちは互いに干渉しすぎることなく、
ただ観測し続けることで、均衡を保っていた。
それだけで十分だった。
◆◆◆◆◆◆
変化は、緩やかに始まった。
人は祈らなくなった。
歌は忘れられ、物語は記録へと変わった。
神は「いないもの」とされ、
観測者の名は意味を失った。
その代わりに、人は自ら世界を決め始めた。
資源を奪い、領土を広げ、思想を押し付ける。
「選ぶ」という行為が、「奪う」ことへと変質した。
観測は、偏り始める。
一部だけが強く観測され、他は無視される。
均衡は崩れ、世界の定義は歪む。
その歪みは、やがて臨界に達した。
――最初の大戦が起きた。
それは終わりではなく、始まりだった。
勝敗は意味を持たず、終結したらすぐに次が来る。
勝者は次の戦場へ向かい、敗者は復讐を誓う。
世界は「対立」という形で固定された。
都市は再建されるたびに破壊され、
森は焼かれ、海は濁り、空は重く沈む。
人はなおも戦う。
それが唯一、世界に影響を与えられる方法だから。
観測は、今や人間の手によって歪められている。
だがそれは制御されていない。
偏った観測は、現実をねじ曲げる。
結果、この世界は「壊れきらないまま壊れ続ける」状態となった。
◆◆◆◆◆◆
観測者たちは、変質した。
それは罰でも堕落でもない。
ただ、観測の歪みを受けた結果だった。
音の観測者は、すべての音を受け取り続けている。
戦場の轟音、悲鳴、祈り、沈黙。
それらは分離できず、重なり続ける。
彼女の姿は揺らぎ、声は重なり、
涙だけが止まらない。
調律は不可能になった。
それでも彼女は聴くことをやめない。
宇宙の観測者は、変わらない。
宇宙は侵されていない。
可能性は今も無数に存在している。
だが人間は、それを選ばない。
彼女は示し続ける。
より良い未来を、より穏やかな分岐を。
それでも世界は、戦争へ収束する。
彼女だけが、完全なまま孤立している。
生命の観測者は、動けない。
生命は過剰に増え、歪み、暴走した。
それを抑えるため、世界は彼女を固定した。
蔦と根は彼女を包み、
その場から離れることを許さない。
それでも命は芽吹く。
血を吸い、灰を糧にして。
色の観測者は、定義を失った。
色は意味を持たなくなり、
ただの識別へと落ちた。
彼女の色は変わり続ける。
足元から溶け出し、消えていく。
世界の色はある。
だがそれは「何を意味するか」を失っている。
幻想の観測者は、境界を見失った。
現実と幻想の区別は消え、
すべてが同時に存在する。
彼は演じ続ける。
誰も見ていなくても。
戦争もまた、彼の中では一つの舞台だ。
終わりのない演目。
時間の観測者は、時間の外側にいる。
彼女の身体は進まない。
ただ存在し続ける。
すべての時間を観測しながら、
すべての結末が同じであることを知っている。
干渉は意味を失った。
それでも彼女は見続ける。
終わらない繰り返しを。
◆◆◆◆◆◆
昔、この世界は観測によって守られていた。
今、この世界は観測によってかろうじて保たれている。
誰も知らない。
六人が今も存在していることを。
誰も気づかない。
この世界が、まだ壊れきっていない理由を。
ただ、ごく稀に。
風の中に歌が混じる夜や、
星が異様に鮮明な日、
枯れたはずの場所に花が咲く朝、
色が一瞬だけ鮮やかになる瞬間、
現実とは思えない光景、
時間が止まったような感覚。
そのときだけ、人は思い出す。
名前のないはずの存在を。
――それでも、戦争は続く。
人間が愚かにも戦争を続けて、それでも神が見放さずにどうにかしようとしてる。
そういう構図が意外と好きです。