「ブルゥ…」
まただ。俺の意思とは関係なく、喉が震えて、馬みたいな声が出る。
いや、馬みたいじゃなくて
――馬そのものなんだけど。
そんな独り言は置いておいて、
…で?俺はどうしたらいいんだ?
まずは体を起こそうとする。
だが、四本の脚がバラバラに動いて、俺はその場でズルッと滑った。
「ブルルッ!?」
情けない声が勝手に出る。
いや、これ俺の声帯どうなってんだ。
前脚を動かすと、硬い地面に蹄が当たってカツッと音がする。
後ろ脚は……なんか思ったより後ろにある。
重心の位置も違う。
体が長い。
首が重い。
人間の体じゃない。
完全に“馬の体”だ。
「よしよし、立てるかな?」
スタッフの男が優しく声をかけてくる。
その手が俺の体を支え、前へ押し出す。
いやいや、そんな簡単に――
と思った瞬間、俺の体はふらつきながらも前脚を突っ張り、後ろ脚がぐっと地面を押した。
視界が一気に高くなる。
『……立った?』
自分でも驚くほど自然に、四本の脚が体を支えていた。
バランスは不安定だが、倒れはしない。
馬の体って、こんなに強いのか。
いや、違う。
この体が勝手にバランスを取ってくれている。
人間の頃の感覚とはまるで違う。
筋肉の動き方も、重心の置き方も、全部が“馬仕様”だ。
俺はただ、流れに身を任せているだけ。
「ブルル……」
今度の声は、さっきより落ち着いていた。
少しだけ、この体に馴染んできた気がする。
周りではスタッフが笑っている。
「おぉー! さすがはテイオーの仔。立つのがはやいな~」
テイオー。
またその名前だ。
スタッフのこの口ぶりだと、俺の親はすごい"馬”らしい。
正直、馬についてはほとんど知らないんだが……どうしよう。
「こんなに立ち上がるのが早いなら、良い競走馬になりそうですね!!」
『競走馬!?』
今、競走馬って言った!?
って、ことは俺、毎週土日に走らされるの!?
うわぁ…俺、終わったかも。
こんなことになるなら、毎週競馬中継見てた親父にもっと聞いておくんだった……
驚きの連続で、もう頭が追いつかない。
でも、ふと落ち着いたら――お腹がすいてきた。
……俺、赤ん坊だよな?
母ちゃんの母乳飲めばいいのかな?
けど、ちょっと抵抗あるな……
いや、でも俺は男だろ! 覚悟決めろ!
いくぞ!
ええい!
「ぷひっ!」
「おー 良い食いつきだな!」
「今後に、期待できそうですね!」
母乳を飲み終えると、体の奥からじんわりと温かさが広がった。
さっきまでの混乱が嘘みたいに、少しだけ落ち着く。
「よしよし、元気だな。この元気の良さは、アストレアの仔だな。」
『アストレア?また聞いたことのない名前だな』
スタッフが俺の首元を優しく撫でる。
その手つきは慣れていて、妙に安心感があった。
……いや、安心してる場合じゃないんだけど。
そんな不安もさておいて、とりあえず、周りを見渡してみる。
視界が広い。
人間の頃よりもずっと広い。
左右がよく見える。
これが馬の視野ってやつか。
そして、すぐ近くに――大きな影。
母馬だ。
黒くて艶のある馬体。
俺と同じ色の馬体。
その目は優しく、俺が動くたびにそっと鼻先を寄せてくる。
「ブル……」
自然と声が漏れた。
さっきまでの戸惑いとは違う、落ち着いた声。
母馬はその声に応えるように、俺の頭を軽く舐めた。
……なんだこれ。
めちゃくちゃ安心する。
人間の頃、こんなふうに誰かに守られてる感覚なんてあっただろうか。
少なくとも、就活で疲れ切って、一人暮らしをしている時にはなかった。
気づけば俺は、母馬の体に寄りかかっていた。
「お、甘えてるなぁ。可愛いもんだ。」
「テイオーの子は気が強いって聞くけど、ここは母親譲りですね。」
しばらくすると、スタッフが俺の前に回り込んだ。
「よし、少し歩いてみようか」
歩く?
いやいや、まだ立つのもギリギリなんだけど。
そう思った瞬間、母馬が俺の背中を軽く押した。
「ブルッ!?」
前に出た。
蹄が地面を叩く。
体が揺れる。
でも――倒れない。
一歩。また一歩。
歩けてる。
歩けてるぞ、俺。
「おー、いいぞいいぞ! これは将来有望だ!」
スタッフの声が弾む。
俺もなんだか嬉しくなって、もう一歩踏み出した。
蹄が土を踏むたび、胸の奥が熱くなる。
走りたい。
もっと動きたい。
この体は、動くことを求めている。
――もしかして俺、馬としての才能あるんじゃないか?
そんなことを思った瞬間、母馬が優しく鼻を鳴らした。
まるで「焦らなくていいよ」と言っているみたいだ。
こうして俺は、馬としての最初の一歩を踏み出した。
まだ戸惑いだらけだけど――
この世界で生きていくしかない。
次は、牧場と馬主についてまで書きたいな~
今回みたいに伸びないように気を付けないと…