衝撃のその先へ…   作:アグD

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ソブリンに問題が?


第17話:ダイエット?

 

日高に戻ってから、あっという間に一ヶ月が過ぎた。1月、2月――冬の真ん中。雪は深く、風は鋭く、空気は張りつめている。

 

けれど、その厳しさがむしろ俺にとっては心地よかった。

 

『……ここで過ごす冬は、やっぱり特別だな』

 

朝は白い息を吐きながら、母親のところに忍び込んで他愛もない話をする。母さんは相変わらず優しくて、俺の顔を見ると嬉しそうに鼻を鳴らす。その時間が、なんだか心を落ち着かせてくれた。昼はサムと走り込み。夜は馬着に包まれて、静かに眠る。

 

そんな日々が続いていた。

 

毎日寒い中体を動かしているせいか、とにかく腹が減る。寒さで体力を使うし、鍛錬も増えたからだ。そのおかげか身体がここに来る前より一回り大きくなっている気がする…

 

だから――

 

「ソブリン、今日もよく食うなぁ……」

 

飼育員さんが呆れるほど、俺は食べた。

 

『うみゃい!! うみゃい!! うみゃい!!!』

 

乾草も、配合飼料も、ニンジンも、リンゴも、牧草も。食べても食べても、身体がもっと欲しがる。

 

サムが横で笑っていた。

 

「お前、どんだけ食うんだよ!そのうち丸くなるぞ!」

『ならない!! 食べた分は走る!!』

「言ったな!? じゃあ走るぞ!!」

『まぁ、どんな身体でもお前には負けないけどな…』

「あんだと !!!ほら!いくぞ!!!」

『はいはい…』

 

 

そんな日々が続いたある日だった。冬の冷たい空気の中、俺は相変わらず――いや、前にも増して食べていた。

 

『うみゃい!! うみゃい!! うみゃい!!!』

「ソブリン、今日もよく食うなぁ……可愛いやつめ!」

『く、くすぐったい…よ…』

 

飼育員さんが俺を撫でながら困った様子でつぶやいた。それに対して言い訳をする形で俺は反論した。

 

『太ってるって言うけど、走るにはエネルギーがいるんだよ!』

 

そこへ、サムがずかずかと近づいてきた。

 

「なぁソブリン……お前さ」

『ん?』

「……ちょっと太ったろ?」

『はぁ……はぁ!?』

 

思わず声が裏返った。

 

「いや、マジで。腹回り、前より立派になってね?うちの飼育員さんも言ってたぞ。“あいつ、食わせすぎじゃねぇか?”って」

 

近くにいた飼育員さんも、苦笑いしながら俺の腹を撫でる。

 

「いやぁ……確かにちょっと“ふっくら”してきたかもなぁ」

『これは筋肉だ!!』

 

即答した…即答したけど――胸の奥が、ちくっとした。サムはケラケラ笑いながら言う。

 

「まぁ、太ってても速けりゃいいけどな!……じゃ、そろそろ俺、栗東戻るらしいわ。またな、スターさん!」

『お、おう……またな!』

 

サムはそのまま、栗東へ戻っていった。残されたのは、「太った?」という一言と、胸の奥に残る、妙なざらつきだった。

 

その日からだった。

 

『……ちょっと、減らそうかな』

 

目の前に置かれた飼い葉桶。いつもなら迷わず顔を突っ込んでいたのに、その日は、少しだけ躊躇した。

 

「ソブリン? どうした、食わねぇのか?」

『……ううん、ちょっとだけでいいや』

 

そう言って、いつもの半分くらいでやめた。次の日も、その次の日も。俺は少しずつ、食べる量を減らしていった。もちろん放牧中の牧草もセーブしている…

 

『太ったって言われたし……走る馬ってアスリートみたいなもんなのに、太ってたらダメだよな……』

 

頭では「これは筋肉だ」と言い張ったくせに、心のどこかで、その言葉を信じきれていなかった。数日もすると、牧場の人たちの様子が変わってきた。

 

「なぁ、ソブリン、最近あんまり食べてなくないか?」

「前は“うみゃい!!”って顔して食ってたのに……」

『……別に、平気だよ』

 

そう答えながらも、飼い葉桶の前で足が止まる。

 

「これ、もしかして……どっか悪いんじゃないか?」

「だよな。あのソブリンが食わないなんて、おかしいよな」

 

ついに、牧場の人たちは獣医さんを呼んだ。診察台代わりのスペースで、尻に体温計を突っ込まれ、心音を聞かれ、身体を隅々まで触られる。(セクハラだろ…)獣医さんは、しばらく考え込んだあと、首をかしげた。

 

「……身体的には、どこも悪くないですね。

 むしろ、筋肉の付き方もいいし、毛ヅヤもいい。健康そのものですよ」

「じゃあ、なんで食わないんだ……?」

「精神的なものかもしれませんね。環境の変化か、何か気にしていることがあるのか……」

 

その一言で、牧場は一気に慌ただしくなった。

 

「馬主さんに連絡だ!」

「岡戸さんにも、不二沢さんにも伝えないと!」

 

 

数日後。見慣れた顔が、日高の空の下に揃っていた。

 

馬主の松田さん。騎手の岡戸さん。そして、調教師の不二沢さん。

 

「ソブリン……」

 

岡戸さんが、心配そうに俺の首を撫でる。

 

「お前、どうしたんだよ。前は“うみゃい!!”って食ってたじゃねぇか」

『……別に、平気だよ』

 

そう言いながらも、目の前の飼い葉桶には、手をつけられない。不二沢さんが、静かに言った。

 

「獣医さんの話だと、身体はどこも悪くない。ってことは――お前、自分で食べるのを我慢してるんだな?」

『…………』

 

馬主さんが、少しだけ苦笑しながら言った。

 

「ソブリン。お前、もしかして“太った”って言ったの気にしてるのか?」

 

図星だった。

 

『……だって……走る馬なのに、太ってたらダメだろ……?』

 

岡戸さんが、思わず吹き出した。

 

「図星かよ!バカだなぁ、お前は」

『バカってなにさ!!』

「いいか、ソブリン。走る馬が一番ダメなのは、“太ること”じゃねぇ。“食わないこと”だ。

 

不二沢さんも、ゆっくりと言葉を重ねる。

 

「そうだ。お前の身体は、食った分だけ強くなる。お前の走りは、飯の上に成り立ってるんだ」

 

馬主の松田さんが、優しく笑った。

 

「それにさ――お前のことを“太った”って笑ったやつがいたとしてもな。お前がレースでぶっちぎれば、誰も文句なんて言えなくなるんだよ。

『……でも……』

「でも、じゃねぇ」

 

岡戸さんが、俺の額にコツンと自分の額を当てた。

 

「お前は走る馬だろ?だったら、走るために食え。“太るかどうか”なんて、人間に任せときゃいいんだよ」

 

不二沢さんが、最後に一言だけ付け足した。

 

「弥生賞に行くんだろ?だったら――今、食わない理由なんて、どこにもない。あと、体重管理は俺たち調教師の役目だ。しかも、お前が放牧中に太ることは計算済みだ。」

 

その言葉が、胸の奥に深く刺さった。

 

『……弥生賞……』

 

ロブロイさんの顔が浮かぶ。

サムの顔が浮かぶ。

日高の空が浮かぶ。

 

『……俺、走りたい。もっと強くなりたい。ロブロイさんにも、サムにも、胸張って会いたい』

 

気づけば、目の前の飼い葉桶に顔を突っ込んでいた。

 

『……うみゃい……!!』

 

3人だけじゃなく、周りの人間達も、ほっとしたように笑った。

 

 

 

その後、3人の相談の結果――

俺は一度、美浦に戻ることになった。

 

「環境を少し変えてやった方がいいだろう」

「弥生賞も近いしな」

 

日高の人たちは名残惜しそうにしながらも、「行ってこいよ、ソブリン!」と背中を押してくれた。サムは、その少し前に栗東へ戻っていた。「太った?」と笑ったあと、何も知らずに、いつも通りの調子で。

 

『……あいつの一言で、ここまで大事になるとはな……』

 

でも――悪くない。

 

『ちゃんと食べて、ちゃんと走る。それが、俺の仕事だ』

 

馬運車に乗り込むとき、日高の空は、少しだけ春の色を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

Side 松田さん

 

 

ソブリンが飯を食べた後、日高の空気が少しだけ静かになった。その静けさの中で、牧場の事務所に三人が集まった。

 

馬主の松田さん。

調教師の不二沢さん。

厩務員の岡戸さん。

 

テーブルには、ソブリンの最新の馬体重と写真が並んでいる。

 

最初に口を開いたのは岡戸さんだった。

 

「いや、予想はしていたが……ソブリン、デカくなりすぎだろこれ。」

 

写真には、日高の雪景色の中で立つソブリン。胸前は厚く、腹回りも立派で、まるで“完成した古馬”のような迫力があった。

 

不二沢さんも腕を組み、苦笑する。

 

「筋肉のつき方は悪くない。むしろ理想的だ。ただ……この時期に560kgまで増えるとはな…」

 

松田さんは、写真を見て目を丸くした。

 

「え、えぇ……?これ……本当にうちの子ですか……?」

「本物ですよ」

 

岡戸さんが即答する。

 

「日高の冬で鍛えられて、メイショウサムソンと毎日走り回って、食って、寝て、また走って……もしかして、美浦の調教より走ってるぞ…そりゃこうなるわな」

 

不二沢さんが、資料を指で叩きながら言った。

 

「ただ、今回の件でわかった。ソブリンは“食べる量を減らす”と、逆に調子を崩す。だから――」

「量は変えずに、練習量を増やす。それしかねぇな」

 

岡戸さんが続ける。

 

「食わせて、動かして、また食わせる。あいつはそのサイクルで強くなるタイプだ」

 

松田さんは不安そうに眉を寄せた。

 

「で、でも……そんなに食べて、そんなに走って……身体、大丈夫なんですか?」

「大丈夫です。むしろ、あいつは“食わない方が危ない”。」

 

不二沢さんが断言した。

 

「ソブリンは、ものすごく賢い。そのせいで、こちらの懸念も見破ってしまう。だから、量は減らさない。その代わり、負荷を少しずつ上げていく。そうすれば、こちらを信頼してくれて自分の体形について不安には思わないはずです」

 

松田さんは、まだ不安げだったが、二人の表情を見て、少しだけ安心したようだった。

 

そうすると、話題は自然と次のレースへ移った。

 

「で、次走はどうしますか?」

 

岡戸さんが切り出す。

 

「予定通り、弥生賞だな」

 

不二沢さんが答える。

 

「皐月賞の前哨戦としては最適だ。中山の坂も経験させたい」

 

松田さんは、そこで小さく息を呑んだ。

 

「……あの、先生。本当に……クラシック三冠、行くんですか?」

 

その声は震えていた。期待と不安が入り混じった、馬主としての本音。不二沢さんは、少しだけ考えてから答えた。

 

「行くよ」

「……っ」

「ソブリンは、その器だ。皐月賞も、ダービーも、菊花賞も――もしかしたら凱旋門も…全部、狙える馬だ」

 

岡戸さんも頷く。

 

「もちろん簡単じゃない。でも、あいつならやれる。日高での走りを見ればわかる」

 

松田さんは、胸に手を当てて深呼吸した。

 

「……怖いんです。期待しすぎて、壊れてしまわないかって。しかも、あの仔はあんなに不器用なんです…私たちの知らない内に大きことをやらかしそうで…」

 

不二沢さんは、穏やかな声で言った。

 

「大丈夫だ。俺たちがついてる。ソブリンは一人じゃない」

 

岡戸さんも笑う。

 

「それに、あいつは“壊れる”タイプじゃない。むしろ、常識を壊す側だ」

 

松田さんは、思わず吹き出した。

 

「……そうですね。あの子は、強い子ですから」

 

三人は顔を見合わせ、静かに頷き合った。

 





ダイエットってムズカシイよね…
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