岡戸さんの続きです!
どうぞ!
日高から戻った翌日、私は友である不二沢の厩舎を訪ねた。
「不二沢さん。相談がある」
彼は驚いた顔で振り返った。
「岡戸さんがそんな顔で来るなんて……どうしたんです?」
「テイオーの仔を見つけた…」
「おお!良かったですね!!ってことはうちの厩舎に―」
「売れ残っている。」
不二沢は言葉を失った。
「……売れ残り、ですか?」
「そうだ。売れ残ってるのは、デカいからだ。今で500kg近い。将来は550kgを超えると言われている。だが、テイオーの柔軟性や、ルドルフの様な賢さを持ってる。あれは……走る馬だ」
「そうでしたか… 聞く感じは良さそうですが、やはりネックは馬体重ですね。怪我の危険性を考えると不安が付きまといますね…」
不二沢はしばらく考え、静かに頷いた。
「ですが、そういう障害を乗り越えてこその一流調教師でしょう。……一緒に、その仔を救いましょう」
その言葉に、胸の奥が少し軽くなった。
「ありがとう。恩に着る。」
次に私は、長年の騎手仲間に声をかけた。
「頼む。テイオーの仔がいる。買ってくれとは言わん。ただ……あの馬を救いたいんだ」
仲間たちは皆、真剣に耳を傾けてくれた。
「岡戸さんがそこまで言うなら協力します!」
「馬主に話を通すくらいなら任せてください。」
「もちろん、紹介ならいくらでもしますよ!」
その温かさに、胸が熱くなった。
だが――ここからが本当の苦労だった。
自分の持つ伝手を最大限に活用して、その上で仲間たちが紹介してくれた馬主に、私は一人ひとり頭を下げて回った。
「一度でいい。あの馬を見てほしい」
しかし返ってくるのは、どれも同じ言葉だった。
「大型馬は怪我が怖い」
「テイオーの仔は……ちょっと」
「悪いが、今回は見送らせてくれ」
何十人に頼んでも、すべて断られた。
(……やはり、ダメか)
胸の奥が重く沈んだ。
(あの馬は……このまま埋もれてしまうのか)
そんな不安が頭を離れなかった。
そんな不安に駆られながら過ごした数日後の夕方、牧場の知り合いが電話を掛けてきた。
「岡戸さん! ソブリン……売れました!」
「……誰に?」
「松田さんという、新しい馬主さんです。競馬を始めたばかりの方で……“テイオーの血”に惹かれたらしくて」
胸の奥が熱くなった。
(……救われたのか)
だが同時に、不安もよぎった。
(どんな人だ?どんな厩舎に入れるつもりだ?あの馬を……ちゃんと育ててくれるのか?)
傲慢な考えだと思いつつも、私はすぐに松田さんに会いに行った。
指定された喫茶店に入ると、
スーツ姿の青年が丁寧に立ち上がり、深く頭を下げた。
「初めまして。
その礼儀正しさに、私は思わず背筋を伸ばした。
「こちらこそ、お会いできて光栄です。岡戸和夫と申します」
席に着くと、大輝は落ち着いた声で話し始めた。
「私は貿易関係の会社を経営しておりまして……メイショウ冠の松本さんとは、長年お取引をさせていただいています。そのご縁で競馬に興味を持ちまして…」
(松本さんからの紹介なら、筋は確かだな)
松田さんは続けた。
「ソブリンの話を聞いた時、正直に言えば迷いました。大きすぎる馬体、テイオーの血……リスクがあることは承知しています」
そこで一度言葉を切り、
真っ直ぐな目で私を見た。
「ですが、あの馬を見た瞬間……“この馬を救いたい”と、心から思ったんです。それだけじゃない。この馬にはロマンがある。そう思い、引き取りました。」
その言葉に、私は静かに息を吸った。
(この人は……本気だ)
「松田社長。もし差し支えなければ、私から一つ提案がございます」
「はい。ぜひお聞かせください」
「ダークソブリンを預ける厩舎はもうお決まりですか?
「いえ。まだ決めておりません。競馬業界は新人でして、大した伝手もなく途方に暮れていたところでした…」
「そうでしたか… もしよろしければ不二沢厩舎に預けてみませんか? 彼は大型馬の扱いに長けており、馬を大切にする男です。ソブリンを伸ばせるのは、彼だと私は思っています」
大輝は驚いたように目を見開いた。
「あの不二沢調教師に……?そんな方にお願いできるのでしょうか」
「私が責任を持って話を通します。ご安心ください」
そして私は、胸に手を当てて言った。
「それから……もしお許しいただけるのであれば、騎手は、私に任せていただけないでしょうか」
大輝は深く頭を下げた。
「……むしろこちらこそ、お願いしたいくらいです。あの芝の名手と呼ばれている、岡戸さんに乗っていただけるなら、これ以上の幸運はありません。ソブリンを……どうか、よろしくお願いいたします」
その瞬間、胸の奥で何かが静かに灯った。
(あの馬は、もう“売れ残り”じゃない。ここからが始まりだ)
こうして、
ダークソブリンは不二沢厩舎に入り、
私が鞍上として走ることが決まった。
そして時は戻り、函館第4R、新馬戦。大外12番ゲートにソブリンが収まる。
私は手綱を握りながら、静かに息を吐いた。
(……ここまで来たな、ソブリン)
売れ残りだった馬。
誰にも選ばれなかった馬。
だが、誰よりも賢く、柔軟性があり、強い馬。
ゲートの中で、ソブリンは落ち着いていた。
耳をこちらに向け、私の呼吸を感じ取っている。
(松田さんが信じてくれた。
不二沢も、仲間たちも動いてくれた。
あとは……私が応えるだけだ)
ソブリンの首筋を軽く叩く。
ソブリンは、驚くほどスムーズに飛び出した。
(いい反応だ……!)
大外からスッと前へ。
巨体とは思えない軽さで、馬群の外を進む。
(やはり柔らかい……!この馬体で、このバネ……常識じゃ測れん)
だが次の瞬間、ソブリンが突然ハミを噛み、前へ突っ込んだ。
「おい……!」
完全に“暴走”だった。手綱を引いても、まるで効かない。
(行きたがっている……!この場合は抑えるより、走らせた方がいい)
ソブリンは1コーナー、2コーナーをとんでもないペースで駆け抜け、気づけば大逃げの形になっていた。
スタンドがざわつく。
「飛ばしすぎだ!」
「新馬であのペースは無理だろ!」
「止まるぞ、絶対!」
(普通なら止まる。だが……こいつは普通じゃない)
しかし――3コーナーに差し掛かったところで、ソブリンの脚が一瞬だけ鈍った。
(来たか……)
巨体を支える脚が、初めて“重さ”を感じたように沈む。4コーナーで、後続が一気に迫り、ついには数頭に並ばれ、抜かれた。
「ほら見ろ、止まった!」
「やっぱり飛ばしすぎだ!」
「もう終わりだな!」
(いや……終わりじゃない)
私はまだ追っていなかった。
(ソブリン。ここからが、お前の“本当の勝負”だ)
直線に向いた時、
ソブリンは完全に飲み込まれた形になっていた。
だが――
残り200m。
ソブリンが、自分からハミを取り直した。
(……来たな)
巨体が沈む。
そこから、もう一段階。
「うわっ、また伸びた!」
「なんだあの脚は!?」
「化け物かよ!!」
ソブリンは、前を行く馬たちを一頭、また一頭と飲み込み、まるで"逃げて差す"かの様な加速した。
(これが……お前の本当の脚か)
そう思ったのも束の間、ソブリンはもう一段階加速した。
(まさか、これほどとは…)
これには流石の岡戸も驚きを隠せなかった。
そして、残り100mで先頭に立ち、そのまま差を広げていく。ゴール板を駆け抜けた時、その差は3馬身。
完勝だった。
引き上げてくる途中、
スタンドの声が耳に入る。
「3コーナーで止まったのに、なんでまた伸びるんだよ……」
「最後のあの伸びは、ディープの新馬戦を思い出したわ」
「いや、あの馬体であの脚は反則だろ……」
「ディープに匹敵するんじゃないか?」
(……ディープに、か)
私は思わず苦笑した。
(比べるのはまだ早い。だが、そう言いたくなる気持ちは分かる)
ソブリンはケロッとした顔で、まだ走れると言わんばかりに耳を立てていた。
(課題は山ほどある。折り合い、息の入れ方、ペース配分……だが――“土台”は、とんでもない)
その後、ウィナーズサークルでマイクを向けられ、私は落ち着いて口を開いた。
「まずは、ソブリンがよく頑張ってくれました。スタートしてすぐ行きたがってしまい、今日は抑えきれませんでした」
記者が続けて尋ねる。
「3コーナーで失速したように見えましたが?」
「ええ。あれだけ飛ばせば、普通は止まります。ですが、この馬はそこからもう一度、脚を使った。“底力”という言葉では足りないほどです」
「今後の期待は?」
「もちろんあります。ただ、焦らず、馬の成長に合わせて進めていきたい。この馬は……大きく育つ馬ですから」
最後に、私は少しだけ笑った。
「そして――松田大輝オーナー。あの馬を信じてくださったことに、心から感謝しています」
マイクを返し、私はソブリンの首をもう一度撫でた。
(お前はお前だ、ソブリン。ここから一緒に、もっと先へ行こう)
そこまで新馬のためにするか普通…?
あと、今回の走りは、どちらかと言えばディープよりサイレンススズカっぽいと思う。