ポケットモンスター 窓際警部の逆転劇。あなぬけのヒモ一本で、悪の組織を全滅させて、壊れた世界を繋ぎ直す話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
トバリシティ。この街を濡らす雨は、いつだって鉛のような重みと、嫌な鉄の味がする。
路地裏の湿ったコンクリートに背を預け、俺は壁のシミになりきっていた。国際警察特捜官。それが俺に与えられた肩書きだが、実態は見ての通りだ。薄汚れたコートに身を包み、ゴミ箱の陰で息を潜める。
「……俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ」
独り言が口をついて出た。雨音にかき消される程度の小さな声。相棒のグレッグルが、俺の足元で喉を鳴らす。こいつの乾いた鳴き声だけが、この孤独な捜査における唯一の慰めだった。
「おい、グレッグル。あまり鳴くな。標的に気づかれるぞ」
グレッグルは突き出した頬を膨らませ、不敵な笑みを浮かべた。まるでお前の変装のほうがよっぽど目立っていると言いたげな、皮肉な視線だ。実際、壁と同化しようと試みている俺の姿は、客観的に見れば不審者以外の何者でもない。だが、これが俺のスタイルだ。
ギンガ団。シンオウ地方を影から蝕む巨大な毒。そのアジトがこの街にある。
「いたぞ」
俺は息を止めた。アジトの重厚な扉から、宇宙服のような奇妙な制服に身を包んだ下っぱたちが現れる。彼らは周囲を警戒することもなく、何か重い荷物を運び出していた。
「あいつらの狙いは資金源の確保、そしてこの街の倉庫に眠る物資の強奪だ。……法を無視して、自分たちの身勝手な理想を押し通そうとする。反吐が出るな」
俺はグレッグルに合図を送り、影から影へと移動した。トバリシティは高低差の激しい街だ。階段を駆け上がり、入り組んだ路地の隙間から奴らを追う。だが、曲がり角を抜けた先で、俺は予期せぬ光景を目にした。
「待て! それは僕たちの荷物だ!」
一人の少年が、ギンガ団の団員たちの前に立ちはだかっていた。背負ったリュックサックには、ポケモン図鑑が見える。どこにでもいる、純粋な目をした駆け出しのトレーナーだ。
「どけよ、ガキ。これはギンガ団が有効活用してやるんだ」
「嫌だ! 返せ!」
団員が少年の胸元を突き飛ばす。少年は無残に尻餅をついたが、その瞳はまだ死んでいない。
「……やれやれ。正義感の強いガキは嫌いじゃないが、死に急ぐのは感心しないな」
俺はコートの襟を立て、路地の闇から踏み出した。
「そこまでだ、ギンガ団の諸君」
団員たちが一斉にこちらを向く。俺は指先でピッと自分の髪を整え、最も「ハンサム」に見える角度で立ち止まった。
「誰だ、お前は?」
「通りすがりの、ただの国際警察だ」
俺の言葉に、団員たちが顔を見合わせ、直後に下品な笑い声を上げた。
「国際警察? こんな怪しい格好の奴がか?」
「黙って見ていればいいものを。おい、やっちまえ!」
団員たちがモンスターボールを構える。デルビルとズバットが飛び出してきた。
「グレッグル、出番だ。大人の喧嘩ってやつを教えてやれ」
俺の指示を待たず、グレッグルは既に戦闘態勢に入っていた。雨を切り裂くような鋭い動き。グレッグルのどくづきが、デルビルの懐に突き刺さる。
「なんだ、このカエル! 速すぎる!」
「無駄だ。俺の相棒は、お前たちのような『ごっこ遊び』に付き合うほど暇じゃないんだ」
戦闘は数分もかからなかった。統率の取れていない団員たちは、グレッグルの圧倒的な経験値の前に崩れ落ち、逃げるようにアジトの中へと消えていった。
「……ふぅ。一丁上がりだ」
俺は息を整え、地面に座り込んだままの少年に手を貸した。
「怪我はないか、少年」
「あ……ありがとうございます。おじさん、本当に国際警察の人なの?」
少年は不思議そうに俺を見上げた。無理もない。こんな路地裏でゴミ箱のふりをしていた男が、組織の人間だとは信じがたいだろう。
「信じるか信じないかは君の自由だ。だが、これだけは覚えておけ。勇気と無謀は違う。君のような未来ある若者が、こんな場所で傷つく必要はないんだ」
俺は少年のリュックに付いた泥を払い、アジトの方向を指差した。
「さあ、行きなさい。ここは俺が引き受ける。君には君の、成すべき冒険があるはずだ」
少年は何度も頭を下げながら、街の明かりの方へと走っていった。その後ろ姿を見送る俺の胸に、少しだけ熱いものが宿る。
「……正義、か」
グレッグルが、俺の足元で短く鳴いた。相変わらず、その目は冷ややかに俺を見ている。
「わかっている。今の俺は、ただの自己満足に浸っているだけだ。だが、あんな風に笑って帰れる世界を守るのが、俺たち大人の、いや、国際警察の仕事だろう?」
雨はまだ止まない。ギンガ団の闇は、このアジトの奥深くまで続いている。
「行くぞ、グレッグル。夜はまだ始まったばかりだ」
俺は再び、壁のシミへと戻るために歩き出した。トバリシティの雨。その鉛の味を噛み締めながら、俺は次の任務へと身を投じる。
これが俺の人生。名前だけは立派な、誇り高き潜入者の日常だ。