ポケットモンスター 窓際警部の逆転劇。あなぬけのヒモ一本で、悪の組織を全滅させて、壊れた世界を繋ぎ直す話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ミアレシティの夜を切り裂くように、警報音が鳴り響いていた。プリズムタワーの光が届かない路地裏。そこに、漆黒のスーツに身を包んだ異形の影が踊る。
「……俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ」
ハンサムハウスのデスクで、俺は拳を強く握りしめた。手元のコーヒーはとうに冷め、表面には街のネオンが歪んで映っている。
数日前からマチエールの様子がおかしかった。仕事を手伝うと言って事務所を出たきり、深夜に疲れ果てた顔で戻ってくる。そして今夜、彼女はついに姿を消した。
「グレッグル、行くぞ。胸騒ぎが止まらないんだ」
相棒のグレッグルが、鋭い眼光で俺を見上げた。こいつは気づいている。この街の影で、何かが決定的に壊れようとしていることに。
俺たちはフラダリラボの跡地へと向かった。最新鋭のセキュリティが破られ、内部には異様な熱気が漂っている。その中心に、彼女はいた。
紫色のバイザーで顔を隠し、機械仕掛けのスーツを纏った怪盗「エスプリ」。
「そこまでだ、怪盗エスプリ。……いや、マチエール」
俺の声に、その影がピクリと反応した。だが、返ってきたのは聞き慣れた少女の声ではなく、電子的に加工された無機質な音声だった。
「ターゲット確認。排除シーケンスを開始します」
「マチエール! 俺だ、ハンサムだ! 目を覚ますんだ!」
叫びも虚しく、エスプリは超人的な跳躍で間合いを詰めてくる。その動きは人間のそれではない。スーツに組み込まれた外部拡張脳が、彼女の意志を上書きしているのだ。
「ゲコッ!」
グレッグルのどくづきがエスプリの装甲を弾く。だが、彼女は痛みを感じていないかのように即座に体勢を立て直し、不可視の斬撃を繰り出した。
「無駄ですよ、ハンサムさん。彼女は最高傑作だ」
ラボの奥から、肥満体の男が姿を現した。赤いスーツに身を包んだ科学者、クセロシキ。
「クセロシキ……! 貴様、マチエールに何をさせた!」
「人体実験ですよ。彼女の脳と拡張スーツを直結させ、究極の兵士を作り上げる。身寄りのない少女なら、消えても誰も困らないでしょう?」
「ふざけるなッ!」
俺の怒りが爆発した。組織を捨て、一人の人間として生きることを選んだ俺が、最も守りたかった小さな命。それを、自らの知的好奇心と歪んだ正義のために利用するなど、断じて許されることではない。
「彼女は……マチエールは、俺の大切な助手だ! 家族なんだ!」
俺は懐から「あなぬけのヒモ」を取り出した。逃げるためではなく、迷宮に囚われた彼女を引き戻すための道標として。
「マチエール、聞こえるか! 君は怪盗なんかじゃない! 事務所の掃除をサボって、ニャスパーと笑い合っているのが君なんだ!」
エスプリの動きが、一瞬だけ止まった。バイザーの奥で、マチエールの瞳が揺れたような気がした。
「システム……エラー……。おじ、さん……?」
「マチエール!」
「いけませんね。出力を100%に上げなさい!」
クセロシキが端末を操作するマチエールの身体が激しく痙攣し、再び無機質な殺意が彼女を支配した。
「うああああっ!」
悲鳴に近い咆哮を上げ、エスプリが俺に突進してくる。俺は逃げなかった。避けることもせず、その衝撃を真正面から受け止めた。
「ぐっ……!」
胸を貫くような衝撃。だが、俺はそのまま彼女の機械仕掛けの身体を強く抱きしめた。
「マチエール……もういい。もう頑張らなくていいんだ。……帰ろう、ハンサムハウスへ」
「ハンサム……さん……」
バシッ、という火花と共に、バイザーが砕け散った。露わになったのは、涙に濡れたマチエールの素顔だった。
「ごめんなさい……。私、おじさんの役に立ちたくて……お金が必要で……」
「わかっている。全部わかっている。……だから、もう自分を責めるな」
俺は彼女を床に横たえ、ゆっくりと立ち上がった。背後のグレッグルが、今まで見たこともないほど深く、不気味な咆哮を上げた。
「クセロシキ。……科学の進歩という言葉で、子供の心を蹂躙した罪。国際警察としてではなく、一人の刑事として、貴様を地獄へ送ってやる」
俺の影が、ラボの壁に長く、鋭く伸びた。
その手には、もはや迷いはない。俺が守るべき正義は、巨大な組織の中にはない。今、この腕の中にいる少女の未来を守ること。それこそが、俺という男に唯一許された「ハンサム」な生き様なのだから。
「覚悟しろ、クセロシキ。……俺の怒りは、カロス中の雷を集めても足りないぞ」
ミアレの灯が遠くで揺れている。
だが、この地下室に灯った怒りの炎は、どんな科学の光よりも熱く、激しく燃え上がっていた。