ポケットモンスター 窓際警部の逆転劇。あなぬけのヒモ一本で、悪の組織を全滅させて、壊れた世界を繋ぎ直す話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
アローラの夜空に穿たれた歪な穴から、眩暈を覚えるような異界の光が降り注いでいた。目の前に広がるのは、白銀の甲殻を持つ怪物たちの群れ。10年前、俺の相棒を、そしてリラの心を奪い去った地獄が、今まさに再現されようとしていた。
「……俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ」
トレンチコートのポケットの中で、あなぬけのヒモを握りしめた。手汗で湿った感触が、俺の焦燥をあざ笑うかのように伝わってくる。
「各員、退避してください! 奴らの狙いは私……フォールである私です!」
リラの叫びが、潮騒を切り裂く。彼女の傍らでフーディンが必死に念動力を振るっているが、次元の彼方から現れる異形たちには、この世界の物理法則すら決定打にはならない。
「リラさん、馬鹿なことを言うな! 組織の命令なんて、今は関係ない!」
「ハンサム! あなたこそ、早く逃げなさい! 私は……私は、こうなるために生かされてきたんです。UBを惹きつける餌として、誰かを守るための犠牲として!」
リラの瞳に宿るのは、覚悟という名のあきらめだった。自分の命を、誰かを救うためのコストとして差し出そうとしている。10年前の俺が、当時の相棒に見せてしまったあの最悪の選択と同じだ。
「ゲコォッ!」
グレッグルのどくづきが、迫りくるUBの触手を弾き飛ばす。だが、穴の奥からはさらに巨大な「影」が這い出そうとしていた。
「いいか、リラさん。あんたは餌じゃない。一人の、血の通った人間だ。……そして俺は、あんたを守るためにここにいる」
俺は覚悟を決め、彼女の前に立ち塞がった。
「何をするつもりですか、ハンサム!?」
「……自分でも、笑っちまうような作戦だよ」
俺はポケットからあなぬけのヒモを取り出し、リラの手にその端を押し付けた。
「これは、俺をこの世界に繋ぎ止めてくれた絆だ。……リラさん、これを持って、フーディンのテレポートで安全な場所まで下がれ。あとのことは、俺が引き受ける」
「何を……! あなたに何ができるというのです!」
俺は静かに、自分の身体から「毒」が漏れ出していくのを感じていた。10年前、次元の裂け目を彷徨った時に浴びた異界のエネルギー。俺もまた、彼女と同じフォールなのだ。
「奴らが欲しいのはフォールのオーラだろう? ……なら、俺がもっと強力なやつをバラ撒いてやる」
俺はあえて自分の精神を弛緩させ、深淵に触れるような感覚に身を委ねた。俺の内側に眠っていた「毒」が活性化し、UBたちの視線が一斉に俺へと向けられる。
「ハンサム……まさか、自分を囮に!? やめなさい、今のあなたでは耐えきれない!」
「リラさん、あんたは言ったな。刑事にはセンチメンタルが必要だって。……これは、俺の人生で最高のセンチメンタリズムだ」
俺は一度だけ振り返り、彼女に不器用な笑みを見せた。
「マチエールに……ミアレの英雄に伝えてくれ。コーヒーの修行は、少し時間がかかりそうだとな」
「ハンサム! 待ちなさい! ハンサム!」
リラの叫びを背に、俺はフーディンに目配せをした。フーディンの瞳が青く輝き、彼女の身体が空間に溶けていく。リラの手から零れ落ちそうになったあなぬけのヒモが、彼女の腕にしっかりと絡みついているのが見えた。
「ゲコッ……」
隣に立つ相棒が、俺を見上げる。
「悪いな、グレッグル。また、無茶に付き合わせちまう」
グレッグルは喉を鳴らし、拳を突き出した。俺も、その拳に自分の拳を合わせる。
「……行くぞ。俺たちが誰かを救うために戦う男だってことを、異世界の連中にも教えてやろうじゃないか」
白銀の怪物が、牙を剥いて飛びかかってくる。俺は視界が真っ白に染まっていく中で、ただ一つの「正義」だけを胸に抱きしめた。
俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ。
だが、この命を賭して誰かの明日を守れるのなら、この名前もそう悪くない。
意識が、次元の彼方へと吸い込まれていく。
だが、あのヒモを託した彼女の手の温もりだけは、最後まで俺の心に消えない火を灯していた。