ポケットモンスター 窓際警部の逆転劇。あなぬけのヒモ一本で、悪の組織を全滅させて、壊れた世界を繋ぎ直す話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
シンオウ地方の最北東、火山の熱気が肌を焼くハードマウンテン。かつて槍の柱で宇宙の崩壊を目撃した俺にとって、この場所で起きていることは、どこか酷く世俗的で、それゆえに救いようのない人間の強欲を感じさせるものだった。
火口付近の岩陰。俺は周囲の溶岩石と同じ色に染まった特製のカモフラージュ布を被り、息を殺していた。国際警察特捜官。その肩書きが、熱せられた空気の中でじりじりとしなびていくのがわかる。
「……俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ」
口の中で転がした独白は、乾いた喉に張り付いて消えた。隣で身を低くしているグレッグルが、不快そうに喉を鳴らす。この熱気だ。湿り気を好むこいつにとって、ここは地獄の底だろう。
「もう少しの辛抱だ、グレッグル。……見ろ、現れたぞ」
岩場の先に、数人の男たちが現れた。ギンガ団の制服。だが、かつてのアカギが持っていた「狂気の理想」はそこにはない。彼らを率いるのは、醜く歪んだ笑みを浮かべる老人、プルートだった。
「ひっひっひ! アカギがいなくなれば、この組織も私のものだ。伝説のポケモン、ヒードランを呼び覚まし、その力でシンオウを……いや、世界を脅して金を毟り取ってくれるわ!」
プルートが掲げた不気味な石――「かざんのおきいし」が、火山のエネルギーに共鳴して鈍く光る。その光景を見ながら、俺の胃の奥に不快な塊が広がった。宇宙を創り変えようとしたアカギは狂っていたが、この男はただ、薄汚い。
「正義、正義と叫んでいた俺たちが相手にしているのは、結局こういう手合いなんだな」
俺は布を跳ね除け、岩場から飛び出した。
「そこまでだ、プルート! 国際警察特捜官、ハンサムが貴様を拘束する!」
プルートが驚きに目を見開く。だが、その驚きはすぐに卑屈な嘲笑に変わった。
「国際警察だと? お前のようなマヌケ面に何ができる! やれ、お前たち!」
団員たちが一斉にモンスターボールを投じる。繰り出されるのはゴルバットやドクロッグ。数では圧倒的に不利だ。
「グレッグル、やってくれ!」
俺の叫びに合わせ、グレッグルが毒袋を激しく膨らませて飛び出した。熱気の中を潜り抜け、電光石火の勢いでドクロッグの鳩尾にどくづきを叩き込む。だが、多勢に無勢だ。一匹を退けても、次から次へと囲まれる。
「ひっひっひ、終わりだ! そのカエルと一緒に、溶岩の藻屑となるがいい!」
絶体絶命。その時、火口の入り口から鋭い声が響いた。
「させるかよ! じいさん、そんな小汚い真似はやめな!」
一人の赤髪の少年が、相棒のネンドールと共に駆け込んできた。熱気に負けない、生命力に溢れた視線。
「……君は! なぜここに!」
「俺はバク。伝説のポケモンが悪い奴に狙われてるって聞いて、黙ってられなくてさ! 行くぜ、ネンドール! サイコキネシス!」
バクの放った念動力が、火口の岩場を揺らす。ギンガ団員たちが足を取られ、その隙にバクは俺の隣まで駆け寄った。
「大丈夫か、おじさん」
「……ああ。だが、ここは危険だ。大人しく引き下がれと言いたいところだが……」
俺はバクの、まっすぐな瞳を見た。そこには恐怖を上回る、強い意志があった。俺は苦笑し、乱れた髪をかき上げた。
「……情けないな。若者に助けられるとは。だが、バク君。ここからは共同捜査だ。いいな?」
「ああ、任せとけって!」
会話はそれだけで十分だった。バクが前線で華麗にネンドールを操り、団員たちを圧倒していく。その背中は、この過酷な火山に挑む誰よりも逞しく見えた。俺は、バクが撃ち漏らした敵をグレッグルと共に抑え、プルートの逃げ道を塞ぐ。
「ええい、忌々しい子供め! 私の計画が……私の金が!」
プルートが逃げ出そうとしたその時、俺は全力で駆け出し、老人の襟首を掴み上げた。
「金だと? 貴様が弄ぼうとしたのは、この星の鼓動そのものだぞ! その罪、金で購えると思うな!」
「離せ、離さんか! 暴力反対! 老人を敬わんか!」
「黙れ! 貴様のような身勝手な欲望が、どれだけの命を危機に晒したと思っている!」
俺はプルートの腕を捻り上げ、特製の手錠をかけた。カチリ、という冷徹な金属音が火山の咆哮の中に響く。
「プルート。貴様をギンガ団残党の首謀者として、正式に逮捕する。……今度は逃がさんぞ」
騒ぎが収まり、ギンガ団員たちが散り散りになって逃げていく中、俺とバクは火口の縁に立っていた。足元では、ヒードランを封印していた「かざんのおきいし」が、バクの手によって元の場所へと戻されていた。
「……終わったな、おじさん」
バクが額の汗を拭いながら、不敵な笑顔を見せる。
「ああ。ギンガ団という組織は、これで事実上、完全に解体された。……君のおかげだ、バク君」
俺はポケットからハンカチを取り出し、バクの泥だらけの顔を拭いてやった。
「いいか、少年。君が今日見せたのは、単なる力じゃない。守るべきもののために一歩を踏み出す、本当の勇気だ。……大人として、礼を言わせてもらいたい。ありがとう」
「おじさん……。へへ、俺はただ、一番強いポケモンをこの目で見たかっただけさ。でも、守れてよかったよ」
「それが一番大事なことなんだ。俺たち国際警察は、君のような若者が、こんな危険に飛び込まなくていいような、平和な世界を作らなきゃいけないんだ。……今の俺には、まだそれができていないがね」
俺はグレッグルを呼び寄せ、プルートを連行する準備を始めた。ヘリのローター音が遠くから聞こえてくる。
「バク君。君はこれからどうするんだ?」
「俺はもっと強くなって、バトルタワーに挑戦するんだ。おじさんも、いつか見に来いよな!」
「そうか。いい目標だ。……次に会うときは、君はもっと逞しいトレーナーになっているんだろうな。俺も、君に負けないように『ハンサム』な仕事をしてみせるよ」
俺はバクに背を向け、連行用のロープを引いた。一歩ずつ、ハードマウンテンの熱気から遠ざかる。背後でバクが手を振る気配がした。
「……大人としての責任、か」
独り言がこぼれる。正義を語るのは簡単だ。だが、その正義を守り続けるための泥臭い苦労を、あの若者にはまだ知ってほしくない。汚れ仕事は俺たちの役目だ。
「グレッグル。報告書には書いておけ。……今回の殊勲者は、国際警察でも、特捜官でもない。一人の、勇敢な若者だったとな」
グレッグルは、相変わらず皮肉な笑みを浮かべて俺を見た。だがその瞳は、少しだけ優しく見えた気がした。
俺はハンサム。名前だけの男かもしれないが、彼が見せた勇気に恥じない背中を見せ続ける。それが、俺に残された最後の義務だ。
噴煙を上げるハードマウンテンを背に、俺は新しい一歩を踏み出した。シンオウの冒険はここで終わるが、俺の、そしてあの少年の長い旅は、これからも続いていくのだから。