ポケットモンスター 窓際警部の逆転劇。あなぬけのヒモ一本で、悪の組織を全滅させて、壊れた世界を繋ぎ直す話   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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10年前の落日

今から10年前。俺の記憶の底に澱のように沈んでいるのは、抜けるような青空ではなく、すべてを吸い込むかのような禍々しい亀裂の色彩だ。

 

「……俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ」

 

まだ若く、組織の掲げる正義を微塵も疑っていなかったあの頃、俺はアローラ地方の海を見下ろす断崖に立っていた。当時は特捜官としての地位も、守るべき矜持も、今よりずっと尖っていたように思う。

 

「ハンサム特捜官、準備はいいか」

 

背後から声をかけてきたのは、当時の先輩であり、この極秘任務の指揮官でもあったリラだ。彼女は今よりもずっと冷徹で、その瞳は常に効率と任務の完遂だけを見つめていた。

 

「準備なら、とっくに済んでいます。……ですがリラ、本当にこれでいいんですか。この方法は、あまりに……」

 

「問答は無用だと言ったはずだ。これは国際警察が下した最終決定だ」

 

リラは俺の言葉を遮り、鋭い視線を水平線に向けた。彼女の隣には、高い能力を持つがゆえに「フォール・ガイ」としての役割を強制された協力者が、無機質な表情で立っている。

 

ウルトラビースト掃討作戦。異次元から迷い込み、この世界の生態系を破壊しかねない異形を、元の次元へ追い返す、あるいは排除するための作戦だ。だが、その手法は非道そのものだった。

 

異次元のエネルギーを身に纏った人間、通称「フォール」を餌にして、獲物を誘き寄せる。釣り糸の先に生きた人間をぶら下げるような真似を、俺たちは「世界の平和のため」という名目で行っていた。

 

「……グレッグル、お前もそう思うだろ」

 

俺は足元にいる相棒に声をかけた。10年前のグレッグルは、今よりも少しだけ毛並みが良く、その動きには一分の無駄もなかった。こいつは俺の迷いを見透かしたように、低く喉を鳴らした。

 

「ターゲット接近。……来るぞ」

 

リラの静かな宣言と共に、空が鳴いた。ガラスが割れるような不快な音が響き、空間に巨大な亀裂が走る。

 

そこから現れたのは、これまでの人生で見てきたどんなポケモンとも違う、幾何学的で冷酷な美しさを備えた異形だった。白く細い手足が、空気を切り裂きながらフォールの人間へと伸びる。

 

「作戦開始! 各員、ターゲットを包囲せよ!」

 

リラの号令で、隠れていた隊員たちが一斉に飛び出す。だが、異次元の怪物の力は、俺たちの想定を遥かに超えていた。

 

「な、なんだ、この威力は……! 攻撃が、まるで通用しない!」

 

「怯むな! フォールを守りつつ、包囲網を狭めろ!」

 

戦場は一瞬で混沌と化した。叫び声、爆音、そして異形が放つ超常的な光。俺はグレッグルと共に、飛び交う光線の中を潜り抜け、必死にターゲットの足止めを試みた。

 

「グレッグル、どくづきだ! 動きを止めろ!」

 

グレッグルの放った一撃が、異形の外殻を弾く。だが、相手は痛みを感じている様子すらなかった。逆に、その触手が鞭のようにしなり、俺たちの視界を遮る。

 

「うあああ!」

 

悲鳴が聞こえた。フォールとして立っていた協力者が、異形の放った波動に飲み込まれそうになる。

 

「リラ! このままじゃあの子が死ぬ! 作戦の中止を!」

 

「できない! 今ここで逃がせば、アローラ全土に被害が広がる!」

 

「上層部の論理なんて、俺には関係ない! 目の前の命を見捨てて、何の国際警察だ!」

 

俺はリラの静止を振り切り、フォールの元へ駆け出した。だが、異形はその隙を逃さなかった。空中に開いたウルトラホールの引力が急激に高まり、周囲の瓦礫と共に、中心にいたフォールを吸い込み始める。

 

「行かせない!」

 

俺は手を伸ばした。だが、指先が届くよりも早く、一筋の影が俺を追い越していった。

 

「グレッグル!?」

 

俺の相棒は、主人の無謀な突進を止めるためか、あるいは自らが盾になるためか、俺の目の前で高く跳躍した。グレッグルの小さな背中が、禍々しいウルトラホールの闇に重なる。

 

「待て! グレッグル、戻れ!」

 

俺の声は、次元の裂け目が放つ轟音にかき消された。

 

異形の腕が、フォールではなく、飛び込んできたグレッグルを捉える。次元のエネルギーが逆流し、目も眩むような閃光が断崖を包み込んだ。

 

「……っ!」

 

爆風に吹き飛ばされ、俺の意識は一瞬だけ遠のいた。

 

静寂が戻った時、そこにはもう、空の亀裂も、異形の怪物も、そして……。

 

「グレッグル……」

 

俺は這いつくばるようにして、地面を削るような爆心地へと向かった。だが、そこには何も残っていなかった。かつての相棒が好んでいた、あの湿ったインクのような匂いすら、熱線で焼き尽くされている。

 

「……ハンサム」

 

リラの震える声が聞こえた。彼女の顔には、先ほどまでの冷徹な指揮官の面影はない。ただ、一人の人間としての深い絶望が刻まれていた。

 

「俺は……俺は、何をしていたんだ」

 

俺は、自分の震える掌を見つめた。正義を気取り、組織の命令に従い、その果てに守るべき相棒を、名前も知らない異次元の果てへと突き落としてしまった。

 

俺たちの背負っていた「正義」という旗印は、こんなにも血塗られ、重く、薄汚れたものだったのか。

 

「……ハンサム特捜官。グレッグルの殉職は、名誉あるものとして処理される」

 

「……名誉だと?」

 

俺は立ち上がり、リラを、そして遠く離れた場所から俺たちを見ている「組織」の影を睨みつけた。

 

「あいつは、名誉のために戦ったんじゃない。俺を……馬鹿な主人の命を守るために、あそこに飛び込んだんだ。それを、紙切れ一枚の言葉で汚すな」

 

俺はポケットから、警察官の証であるバッジを取り出した。夕陽に照らされたそれは、今はもう、ただの忌まわしい金属の破片にしか見えなかった。

 

10年前。俺はあの場所で、一度死んだのだと思う。

 

グレッグルという相棒を、そして汚れなき「正義」への信頼を失ったその日から、俺は抜け殻のような特捜官になった。今、俺の隣にいるグレッグルは、後にこの過ちを償うために出会った「二代目の相棒」だ。

 

「……すまなかったな」

 

今のグレッグルに向かって、俺は小さく呟いた。こいつは何も言わず、ただ静かに俺の影を踏んでいる。

 

10年前の落日。あの地平線に消えていったのは、異次元の怪物だけではない。俺の若さと、誇りと、そして相棒の命だ。

 

俺はハンサム。世界で一番、不釣り合いな名前の男だ。

 

この不似合いな名前を名乗るたび、俺は思い出す。自分は一度、正義を盾にして命を切り捨てた罪人なのだと。その呪いにも似た記憶を、俺は死ぬまで背負い続けなければならない。

 

空は、あの日と同じように紅く染まり始めていた。俺はコートの襟を立て、過去の亡霊を振り切るように、ゆっくりと歩き出した。

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