紅茶が冷めるまで(魔法少女まどか☆マギカ IF) 作:LongLong
第12話「使い魔は魔女になるまで」
夜、マミさんと二人で魔女を倒した。
いつもの流れだった。結界を見つけて入り、使い魔を蹴散らして、奥の魔女を仕留めて、グリーフシードを回収する。マミさんが銃を構え、さやかが剣で切り込む。連携は悪くなかった。
結界が消えて、普通の夜の街に戻る頃、さやかは汗を拭きながら笑った。
「今日も完璧でしたね、マミさん」
マミさんは少し微笑んだ。
「美樹さん、上達したわね」
「もっと頑張りますよ」
さやかは胸を叩いた。
最近、もっと強くなりたかった。あの先輩のことを考えるたびに、「まだ足りない」という焦りが内側で鳴っていた。
でも、それはマミさんに話すことじゃなかった。
帰り道。街の裏通りを、二人で並んで歩いていた。夜風が生暖かかった。
さやかが、ふと足を止めた。
「……マミさん、今、なんか」
「ええ。感じたわね」
使い魔の気配。魔女ほどではない。結界を張っているけれど、小さい。逃げている。
さやかが路地の奥を見た。
「行きましょう!」
「美樹さん、今日はもう帰ってもいいのよ。私が向かうわ」
「いや、ここまで来たら。近いし。先に行ってますね」
さやかは駆け出した。背後でマミさんが何か言いかけた気がしたけれど、さやかはもう路地の角を曲がっていた。
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路地を抜けた先に、歪みがあった。
小さな結界だった。ただの、使い魔一体分の結界。
さやかは迷わず突入した。
中は、古い映画館のロビーのような空間だった。赤い絨毯が敷き詰められ、壁にはポスターの残骸のようなものが貼られている。天井が低い。
使い魔が一体、柱の陰で這っていた。頭が大きく、身体が小さい、虫のような姿。
さやかは剣を構えた。
一歩で間合いを詰めた。斬った。使い魔が弾けて消えた。
手応えは、軽かった。簡単な相手だった。
結界が、音もなく歪んだ。
色彩が褪せて、映画館のロビーが透けて、夜の裏通りが戻ってきた。さやかは剣を下ろした。
「あっけなさすぎ」
呟いた。
そして、振り向いた。
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振り向いた先に、誰かが立っていた。
裏通りの、街灯の下。
赤い外套。長い赤髪。
さやかが知らない顔だった。
「誰?」
さやかは反射的に言った。剣の柄を握る手に力が入る。その赤い外套の少女は、さやかを見ていた。値踏みするような目で。
「あんた、それ、使い魔」
少女が言った。
「は?」
「殺ったよね、今」
「……そうだけど」
「あーあ」
少女は、ため息のような声を出した。
「あたしの獲物だったのにさ」
さやかの眉が寄った。
「あたしの?」
「追ってたんだよ、こっちまで」
「知らないし」
「だろうね」
少女は肩をすくめた。
「ま、結果、殺っちゃったんだから仕方ないけど。でもさ、もうちょっと待ってくれりゃ良かったのに」
「待つ? 何を?」
「魔女になるの」
さやかが固まった。
「……は?」
「そいつ、あと少しで魔女になるとこだったよ。人間食わせれば魔女になる。魔女になれば、グリーフシードが手に入る」
さやかの中で、何かが凍った。
「……あんた、何言ってんの」
「だから、使い魔が魔女になるのを待ってたんだよ。グリーフシード欲しいでしょ?」
「使い魔が魔女になったら、人が死ぬじゃん」
「そうだよ」
さやかの息が止まった。
「そうだよって」
「あたしらが魔力補給できるってことだよ。死ぬのは向こうの話。どっちが大事かっしょ?」
さやかの中で、何かが崩れそうになった。
「……最悪だ」
声が震えていた。
「ひとつ訊いていい?」
少女が口の端を少し上げた。
「あんた、暁美ほむらじゃないね、美樹さやかでしょ? キュゥべえから聞いたよ。魔法少女になったばっかだって」
「……だから?」
「正義の味方気取ってるみたいだけどさ」
少女の目が、真っ直ぐさやかを見ていた。
「救えてんの?」
さやかの息が止まった。少女は、続けた。
「本当に救いたいやつ、一人でも救えたか?」
一言一言、ゆっくりだった。
さやかの頭の中で、何かが弾けた。
あの先輩。黒髪の、壁際を歩く少女。さやかが廊下で肩に触れた瞬間、壁に背中をぶつけるように下がった少女。家の前で、深呼吸をしてから門を開けた少女。
さやかは、救えなかった。
触れて、怖がらせた。家の前で、インターフォンを押せなかった。翌日、背を向けて、自分の教室に戻った。
それしかできなかった。
───救えてんの?
少女の言葉が、さやかの耳の中で繰り返された。さやかは、答えられなかった。
答えられないまま、さやかの手が、剣の柄を握り直した。
「……うるさい」
「お?」
「うるさい!」
さやかは一歩で距離を詰めた。上段から、振り下ろした。
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杏子は、それを避けた。
素手のまま。槍を出さずに。身体を斜めに傾けて、さやかの剣を流した。
「おいおい」
杏子は笑った。
「ホントにやる気?」
さやかは止まらなかった。二撃目が、横から来た。
杏子は身体を低くして、剣の下をくぐった。そのまま、近くの壁を蹴って跳んだ。
三撃目。杏子はさやかの懐に入って、剣を持つ手を軽く押した。さやかがよろけた。
「あんた、剣筋素直すぎ」
そう言いながら、杏子は考えていた。
面倒くせえな。
こんなことしてる時間はない。あの子を探しに来たのに、何をやっているんだ、あたしは。
さやかがもう一度、斬りかかってきた。
杏子は、ようやく槍を出した。穂先は下を向けたまま、柄で剣を受け流した。
火花が散った。
受けながら、杏子の頭の中に、あの子の姿が浮かんでいた。手首の痣の子。魔女よりも人間を恐れていた子。家の方向を見た時に呼吸が変わった子。
こいつは知らない。知らないまま、あたしに「救えてんの?」と言わせた。
あたしも、救えてない。
そう思いながら、杏子は火花を散らし続けた。
さやかの剣が、何度目かの軌道を描いた。
杏子は、柄でそれを受けた。受けながら、少しだけ、穂先を上げた。いなすだけでは、収まりそうにない。
さやかの振り方が、さっきより速くなっていた。剣筋も少し、鋭くなっていた。
杏子の穂先が、さやかの肩口に、向きかけた。
軽くでいい。軽く突いて、こいつを下がらせれば、それで終わる。
そう思った瞬間だった。
杏子の視界の中、さやかの剣の軌道の、ちょうど途中に、黒い影があった。
黒い盾。
盾を持った、黒髪の少女。
さっきまでそこにいなかった。いなかったはずだった。でも、今、いる。
同時に、大きな金属音がした。
「やめて」
黒髪の少女が、静かに言った。
さやかが、驚いて後退した。剣を握ったまま。
「ほむら? え、どこから……」
杏子は、既に槍を構え直していた。
「……あんたの魔法か? 暁美ほむらか」
杏子の声が、固かった。
ほむらは答えなかった。盾を下ろさないまま、二人に届くように言った。
「美樹さやか、佐倉杏子。これ以上は、無意味よ」
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同時に、裏通りに足音が響いた。
マミが駆け寄ってきた。少し息が切れていた。
到着したマミは、一瞬、状況を把握した。
さやかが剣を掲げたまま硬直している。杏子が槍を構えている。そして、二人の間に、ほむらが盾を構えて立っている。
マミの目が、ほむらに止まった。
「……暁美さん」
ほむらが、マミの方を向いた。一度頷いた。
マミは、すぐに事態を理解した。
「美樹さん、剣を下ろして」
「でもこいつ、使い魔に人を食わせて魔女にって……!」
「美樹さん、お願い」
さやかは、ようやく剣を下ろした。手が震えていた。
「……佐倉さん」
杏子は、槍を構えたまま、ほむらから目を離さなかった。
「よ、マミ」
声に、さっきまでの余裕がなかった。
「また、見滝原に来たの?」
「たまたまだよ。魔女を追ってたら、こっち来ちまった」
「何回目よ」
杏子は答えなかった。
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さやかが、マミと杏子を交互に見た。
「マミさん、知り合い?」
「……私の、昔の後輩よ。佐倉杏子。風見野の魔法少女よ」
マミの声が、冷たく固かった。
杏子の口元が、わずかに歪んだ。
「後輩ね。ずいぶん偉そうに言うじゃん、マミ」
「事実よ。私があなたに、戦い方を教えた」
「それは昔の話でしょ」
杏子が肩をすくめた。
「今はあたしも、あんたに教わることなんかないよ」
マミは、杏子を見ていた。
「佐倉さん、使い魔を魔女にするなんて、私は認められないわ」
「知ってるよ。マミさんのやり方は、昔から聞いてる」
「見滝原では、そういうことをしないで」
「あたしが何しようと、あたしの勝手でしょ」
「じゃあ、見滝原に来ないで」
杏子が、マミを見た。
二人の視線が、ぶつかった。
「ふーん」
杏子が鼻で笑った。
「また縄張りの話?」
「そうよ」
マミの声は、揺るがなかった。
ほむらは、少し下がった位置から、二人を見ていた。介入するべきかどうかを、測っているような目だった。
杏子がそのほむらの視線を、視界の端で捉えていた。マミと話しながら、もう一人の「黒髪」から目を離さなかった。
その時だった。
空気が、変わった。
四人が、同時に気づいた。
肌が、ぞわりとした。魔力の波形が、街全体に広がっていく感覚。
裏通りの、反対側の方向。
歪みが、広がり始めていた。
歩いて、数十秒の距離。
マミが呟いた。
「……この近くで、結界が」
「うそ、こんな近くに」
さやかの声が掠れた。
さっきまでここには何もなかった。使い魔の結界を潰して、つい今しがただった。なのに、すぐ近くで、また。
杏子が舌打ちした。
「……ちっ」
でも、杏子の視線は、その結界の方向に固定されていた。
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ほむらが、盾を構え直した。
「来る」
短く言った時にはもう遅かった。
歪みが、広がる速度を跳ね上げた。
数十秒の距離にあったはずの結界が、四人のいる裏通りまで、一気に飲み込んできた。
街灯の光が、歪んだ。
夜の空気が、色を変えた。
足元のアスファルトが、別の何かに置き換わり始めた。
マミが呻いた。
「巻き込まれた……!」
杏子が周囲を見回した。裏通りの風景が、急速に歪んでいく。電柱が、古い本棚のシルエットに変わっていく。遠くの家の窓明かりが、結界の色彩に飲まれて、本のページのような乾いた白に置き換わっていく。
足元のアスファルトが、古い絨毯の感触に変わった。
「まずい」
杏子の声が、低かった。
でも、「まずい」の理由を、杏子は誰にも言わなかった。
頭の中では、嫌な形に繋がり始めていた。住宅街で、結界が、広がった。あの子の住んでいる街で。あの子がどこに住んでいるか、杏子は知らない。知らないけれど、この辺のどこかにいる。もし、今、この結界に──
杏子は顔を上げた。
結界の、奥の方向。
中心に、魔女の気配。濃い。
マミが言った。
「奥ね」
「ええ」
ほむらが頷いた。
「行くわよ」
マミが言う前に、杏子はすでに走り出していた。
結界の中は、図書館のような空間だった。高い本棚が、見える範囲の全てに立ち並んでいた。天井は見えない。足元は、古い絨毯。空気が埃っぽかった。
どこからか、紙をめくる音が、絶えず聞こえていた。ぱらり、ぱらりと。誰もいないのに、本が勝手にめくれている。
静かすぎる空間だった。誰にも見つからない場所。
奥に進めば進むほど、魔女の気配が濃くなる。本棚の隙間を、小さな紙が舞っていた。紙の縁が、歯のように、開いたり閉じたりしていた。使い魔だった。
杏子は、本棚の間を全速力で走る。
後ろに、マミとさやかと、あの黒髪──ほむらの気配。三人とも、ついてきている。でも杏子は、振り返らなかった。
杏子は走りながら考えていた。
あの子とは限らない。あの子じゃないかもしれない。あの子の家が、この結界の範囲の中だとも限らない。別の誰かかもしれない。そもそも、中には誰もいないかもしれない。
それでも、杏子の息は、浅くなっていた。
奥へ。もっと奥へ。
間に合わなかったら。
何に間に合わないのか、自分でも、はっきりとは言えなかった。
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さやかは、少し遅れて走っていた。
先頭の杏子の背中が、やけに遠く見えた。あんなに速く走る必要はないはずだった。魔女はまだ奥にいる。焦ることはない。
でも、杏子は焦っていた。
さやかには、その理由がわからなかった。
さやかの耳の中には、まだ別の声が残っていた。
「救えてんの?」
杏子の声だった。
結界の奥に、魔女がいる。倒せば、結界は消える。使い魔も消える。
救える、かもしれない。剣の柄を握り直した。
本棚の列が、途切れた。
開けた場所に、四人は辿り着いた。