紅茶が冷めるまで(魔法少女まどか☆マギカ IF)   作:LongLong

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第14話『名目』

第14話「名目」

 

ほむらは、マミの家の玄関に入った。

 

マミが少女を抱えたまま、片手で鍵を開けた。玄関の電気をつける。上がり框の向こうに、廊下が伸びていた。壁は白く、床は磨かれている。

マミは、手際よく奥に進んだ。寝室のドアを開けて、少女をベッドに下ろした。

 

「美樹さん、タオルを持ってきてくれるかしら? 棚の中にあるから」

 

「はい」

 

さやかが動いた。マミが少女の顔を軽く拭った。額の汗。前髪が少し動いた。

 

杏子は、寝室のドアの外で、立っていた。中に入るのを、遠慮しているのか、あるいは、入りたくないのか、見分けはつかなかった。

 

ほむらは、リビングに通された。ソファが三人掛け、ガラステーブル、三つの椅子。不自然に椅子が多い、とほむらは思った。一人暮らしの家に、三つ。マミとあと二人。あの少女の分もあるのだろう、と思った。

 

マミ、まどか、さやか。そしてほむらが座っているように見えた。はるか昔、ここでマミのケーキを食べた記憶が脳裏を掠める。

 

十分ほど経って、マミがリビングに戻ってきた。

 

「眠っているわ。疲れているだけみたい」

 

さやかが頷いた。杏子は、ソファに斜めに座っていた。足を組んで、膝の上に肘を置いていた。

 

マミはキッチンに入って、やかんを火にかけた。

 

「紅茶、淹れるわ」

 

誰も返事をしなかった。

 

ほむらは、テーブルの端の椅子に座った。マミが戻るのを待つ。五分ほどで、マミはカップを四つ、盆に乗せて運んできた。湯気が立っていた。

 

マミは全員の前にカップを置いた。

 

「ありがとうございます、マミさん」

 

さやかが小さく言った。

 

杏子は、何も言わず、カップに手を伸ばさなかった。

 

ほむらも、手を伸ばさなかった。

 

マミは、自分のカップを持って、椅子に座った。

 

静かだった。四人が、同じテーブルを囲んでいる。

 

ほむらは、その光景を見ていた。これが、ほむらの望んだ配置だった。完璧ではない。でも、一時間前の、裏通りでの一触即発の緊張からは、ずいぶん遠ざかっている。

 

この少女がいる限り、この配置は維持される。

 

ほむらは、寝室のドアの方を見た。少し開いている。中の暗がりが見える。

 

必要だから、そうする。

 

ほむらは、自分の紅茶に、手を伸ばした。

 

十五分ほど、誰も話さなかった。

 

マミが、ときどき寝室のドアの方を見た。さやかは、紅茶のカップを両手で包んで、湯気を見ていた。杏子は、窓の外を見ていた。見ている、というより、そこに視線を置いていた。

 

時々、杏子の視線が、寝室のドアに流れた。ほむらはそれを見ていた。

 

杏子が少女を気にしているのは、明らかだった。でも、直接見に行こうとはしない。代わりに、窓を見る振りをしている。

 

マミが口を開いた。

 

「佐倉さん、お腹空いてない?」

 

杏子が、わずかに視線を動かした。

 

「別に」

 

「……そう」

 

会話は、それで終わった。でも、マミが杏子に気遣いを示した、そのこと自体に、ほむらは注目した。

 

この少女がいなければ、マミと杏子がこんな風に同じ家にいることは、なかっただろう。

 

ほむらは、紅茶を一口飲んだ。少しぬるい。

 

-----

 

寝室から、小さな物音がした。

 

布が擦れる音。あるいは、誰かが身を起こす音。

 

杏子が、反射的に立ち上がった。マミより早かった。

 

マミも立った。さやかも、ほむらも、続いた。

 

四人が廊下を歩いた。杏子が先頭、マミがその横、さやかとほむらが後ろ。

 

寝室のドアを、マミが静かに開けた。

 

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少女が、ベッドの上で身を起こしていた。

 

目を開けていた。毛布を膝の上に寄せて、背中を丸めて、周囲を見ていた。天井、壁、カーテン、そして、ドアの方を向いた瞬間、四人の姿に気づいた。

 

少女の身体が、一瞬、固まった。

 

マミが静かに入った。

 

「……起きたのね」

 

少女は答えなかった。でも、ゆっくりと、マミの方に視線を動かした。

 

「ここは、私の家。前にも来たこと、覚えてる?」

 

少女は、小さく頷いた。

 

「よかった」

 

マミが、ベッドの端に座った。少女の横ではない。少し離れた場所にマミは座っていた。

 

杏子は、部屋の入口で立っていた。中に入らなかった。さやかも、杏子の後ろに立っていた。

 

ほむらは、さらに後ろにいた。廊下から、部屋の中を見ていた。

 

少女の視線が、マミから、ゆっくりと動いた。

 

少女の目が、ほむらを捉えた。ほむらの顔ではなく、ほむらの手の方に落ちた。

 

ほむらは、その瞬間に気づいた。

 

自分の手が、無意識に、制服のスカートの端を直していた。シワを伸ばす、軽い動作。普段から癖でやっている動作だった。何かを考える時に、指先が動く。

 

少女の目が、その指先を追っていた。

 

ほむらは、手を止めなかった。

 

止めれば、気づかれていることが、少女自身にバレる。気づいていないふりをする方が、動揺させない。そう判断した。

 

でも、本当は、違った。

 

ほむらは、自分の手が少女の目に追われていることを、意識していた。意識しながら、止めなかった。止める必要を、感じなかった。この子が自分の手を怖がっているなら、それは、この子の問題だった。ほむらの問題ではない。

 

指先が、スカートのシワを、もう一度、なぞった。

 

少女の視線が、それをじっと、追った。

 

ほむらのソウルジェムが、ほんのわずかに、色を濁した。

 

他の三人には、わからない微細さだった。ほむら自身にしか、感知できない程度の濁り。

 

ほむらは、ソウルジェムを、視線で一度、確認した。

 

濁りは、小さい。許容範囲。

 

指先を、止めなかった。

 

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「今夜はここで休んで」

 

マミが、少女に、そう言った。

 

少女は答えなかった。代わりに、ゆっくりと、毛布をのけた。

 

ベッドの端に、足を下ろした。マミの顔が、わずかに変わった。

 

「待って」

 

マミの声は、小さかった。でも、止めようとする声だった。

 

少女は、止まらなかった。立ち上がった。ベッドを離れて、ドアの方に、一歩、踏み出した。

 

杏子が、ドアの脇から、身体を少しずらした。少女が通れる空間を作った。引き止めようとはしなかった。

 

少女が、部屋を出た。廊下を歩いた。

 

玄関の方に向かって、まっすぐ。迷いのない足取り。でも、速くもない。

 

マミが、後ろからついていった。さやかも、杏子も、ほむらも、続いた。

 

玄関で、少女は靴を履いた。丁寧に、紐を結んだ。

 

マミが、その背中を見ていた。

 

「行かないで」

 

マミの口が、そう動きかけた。でも、声にはならなかった。マミは、唇を噛んだ。

 

杏子が、低く言った。

 

「止めんのか?」

 

マミは、答えなかった。杏子は、マミの顔を一瞬見て、それから、視線を下ろした。

 

「帰るってんなら、帰らせるしかねえだろ」

 

杏子の声には、自嘲のようなものが混じっていた。その響きを、ほむらは聞き取った。杏子自身も、かつて何か、近い経験を持っているのかもしれない。

 

ほむらは、自分が介入する選択肢を、頭の中で検討した。

 

時間を止めて、この少女を拘束することは、物理的には可能だった。でも、それは、この子を二度とここに戻ってこさせない。強制は、逆効果。

 

ほむらは、動かなかった。

 

少女は、玄関のドアを開けた。

 

夜の空気が入ってきた。生暖かい風。

 

少女は、外に出た。ドアが、静かに閉まった。

 

-----

 

玄関に、四人が残された。

 

マミが、閉まったドアを、じっと見ていた。

 

さやかが、下を向いていた。

 

杏子が、壁に背を預けた。

 

どれだけ経っただろう。ほむらは、時計を見た。深夜の少し前。少女の家がどこかはわからないが、この家からそう遠くはないはず。

 

マミが、動かなかった。

 

マミの顔を、ほむらは横から観察した。

 

マミは、何かを堪えている顔をしていた。何かを言おうとして、言えなかった後に見せる顔。

 

以前にもこの少女に対して、似たような瞬間があったのかもしれない、とほむらは思った。マミの立ち尽くし方には、初めての経験ではない、というような慣れが、混じっていた。

 

マミは、それ以上、何も口に出さなかった。

 

杏子が、壁から身を離した。

 

「……帰るわ」

 

さやかが、頷いた。

 

「あたしも帰ります」

 

ほむらは、動かなかった。でも、靴に目をやった。ここを出るべきか、と考えた。出るべきだった。マミ一人にするのは、少し、酷だった。でも、ほむらが残る理由もない。

 

ほむらは、靴に手を伸ばそうとした。

 

-----

 

チャイムが鳴った。

 

四人が、同時に動きを止めた。

 

マミが、反射的にドアに向かった。ロックを外して、ドアを開けた。

 

少女が、立っていた。

 

さっき出ていった、同じ制服。同じ前髪。

 

でも、息が、少し上がっていた。家から走って戻ってきたのか、あるいは、別の理由なのか、ほむらには判別できなかった。

 

顔色は、さっきより、悪かった。

 

少女は、何も言わなかった。

 

ただ、立っていた。

 

マミが、ドアの枠に手をかけたまま、少女を見ていた。

 

沈黙が、数秒、続いた。

 

マミが、静かに言った。

 

「……上がって」

 

少女が、ゆっくりと、靴を脱いだ。

 

家の中に、もう一度、入ってきた。

 

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ほむらは、それを見ていた。

 

少女が戻ってきた。

 

ほむらの計算では、少女は帰ったまま戻らないはずだった。もし戻るとしたら、次に魔女に襲われた時。それまでは、マミの家はこの少女の選択肢に入らない。そう推測していた。

 

でも、戻ってきた。

 

家で何があったのか、ほむらにはわからない。父親か母親か、あるいは別の何か。この少女は、自分の家に戻って、何かを感じて、ここに戻ってきた。

 

ほむらの計算は、外れていた。

 

でも、結果として、この少女はここにいる。四人もここにいる。

 

ほむらの目的は、偶然、達成されていた。

 

ほむらは、その「偶然」を、信頼できなかった。自分が設計していない結果は、再現性がない。次も同じようにこの少女が戻ってくる保証はない。

 

でも、今夜は、結果が良かった。

 

それで十分、だった。

 

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四人は、リビングに戻った。

 

少女は、テーブルの、いつもの椅子に座った。以前、マミがお茶会をした時に、座っていた椅子。椅子の前半分にだけ、お尻を乗せた。

 

マミが、新しいカップに、紅茶を淹れ直した。湯気が立つ。少女の前にも、カップを置いた。

 

マミは、何も訊かなかった。何があったのかも、なぜ戻ってきたのかも、訊かなかった。

 

少女は、カップに、手を伸ばさなかった。でも、部屋を出ようとも、しなかった。

 

「冬野さん、飲める?」

 

杏子は、窓の外を見ていた。でも、少女の方に意識が向いたのが、横顔の角度からわかった。

 

さやかは、少女───冬野さんの顔をちらちら見て、何か言いたそうにして、でも、言えなかった。

 

ほむらは、テーブルの端に座って、三人と一人を、観察していた。

 

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彼女の袖が、わずかにめくれた。

 

手首が、少しだけ、見えた。

 

新しい痣があった。

 

さっき、戦闘の後に杏子が袖をめくって確認した時の痣の、隣に、もう一つ、増えていた。赤い、できたばかりの痣。指の跡が、まだ残っていた。

 

杏子が、それに気づいた。

 

杏子の顎の筋肉が、一瞬、固くなった。口の中で、歯を噛み締めている音が、ほむらには聞こえた気がした。

 

でも、杏子は、何も言わなかった。立ち上がりもしなかった。ただ、窓の外を、見続けた。

 

この少女が家から戻ってきた以上、家で何かがあったことは、ほむらにも推測できた。もう、その詳細は、誰にもわからなかった。

 

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時間が、流れた。

 

リビングの時計の音が、響いていた。

 

紅茶が、少しずつ冷めた。少女のカップも、他の三人のカップも。

 

マミがクローゼットから毛布を取り出した。

 

「……今夜は、みんなここに泊まって」

 

さやかが顔を上げた。

 

「え、いいんですか」

 

「みんないた方が、私も、安心するから」

 

マミの声は、小さかった。でも、断らせない響きがあった。

 

杏子は返事をしない。でも、帰るとも言わなかった。

 

ほむらは、「安心する」というマミの言葉を、頭の中で繰り返した。

 

マミは、本当に安心していた。この少女が戻ってきた家で、一人でいたくなかった。他の三人がいる方が、いい。そう、マミは言っていた。

 

それが、マミの本音だったのか、あるいは、別の理由があったのか、ほむらにはわからなかった。でも、少なくとも、そう言うだけの理由がマミにはあった。

 

ほむらは、反対しなかった。反対する理由がなかった。

 

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マミが、冬野さんを連れて、寝室に戻った。

 

「私も、隣で寝るから」

 

そう言って、マミは予備の布団を敷いた。ベッドは冬野さんに。床はマミに。

 

冬野さんは、ベッドに入った。しばらく、目を開けていた。天井を見ていた。それから、ゆっくりと、目を閉じた。

 

寝入ったかどうかはわからなかったが、呼吸は、深く、規則的になっていった。

 

マミは、布団の中で、しばらく、冬野さんの顔を見ていた。それから、自分も目を閉じた。

 

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リビングに、三人が残った。

 

杏子が、ソファの端に横になった。肘を枕にして、横向きに寝た。

 

さやかが、ソファの反対の端に、丸くなって寝た。

 

ほむらは、床に座った。座布団を敷いて、壁に背を預けた。

 

誰も、何も言わなかった。

 

時計の音だけが、響いていた。

 

-----

 

ほむらは、目を閉じなかった。

 

暗がりの中で、天井を見ていた。

 

杏子の寝息が、聞こえてきた。深い呼吸。戦闘の後、消耗したのだろう。さやかの寝息は、杏子より浅かった。でも、規則的だった。

 

寝室の方からは、マミと冬野さんの寝息が、かすかに聞こえた。ドアは、少し開いていた。

 

ほむらは、リビングで、一人、起きていた。

 

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今夜、自分の計算は、完璧には進まなかった。

 

彼女は一度、帰った。ほむらは止めなかった。止めれば逆効果だと、判断したから。でも、戻ってきた。

 

今夜戻ってきたのは、ほむらの計算外だった。でも、結果として、五人は同じ家にいる。

 

ほむらは、その結果を受け入れた。

 

「必要だから」

 

心の中で、繰り返した。

 

冬野さんを錨にして、四人を同じ場所に留める。対立の再開を、防ぐ。それが、ほむらの目的に、まどかのために、必要。

 

ほむらは、暗がりの中で、ソウルジェムを見た。

 

薄い穢れが、宝石の奥に漂っていた。大きくはない。戦闘で使った魔力は、大きな穢れになるが、それとは別の、小さな、細い、霞のような穢れ。

 

この穢れが、いつ生まれたかは、わかっていた。

 

冬野さんの目が、ほむらの手を追った、あの瞬間。

 

ほむらは、自分の手を止められた。でも、止めなかった。その判断の冷たさが、今、宝石の中に、残っていた。

 

ほむらは、グリーフシードをポケットから取り出さなかった。このくらいの濁りなら、たいして気にならない。

 

今夜は、このままで、いい。

 

-----

 

寝室のドアの隙間から、マミの小さな寝息と、冬野さんの浅い寝息が、聞こえていた。

 

リビングで、杏子の寝息と、さやかの寝息。

 

ほむらだけが、起きていた。

 

この家の中に、五人がいる。

 

それぞれ、違う経緯で、違う思いで。今夜だけは、同じ屋根の下にいる。

 

ほむらは、その事実を、頭の中でもう一度確認した。

 

この状況を維持する。この共通の課題を、失わせない。

 

夜風が、どこかの窓の隙間から入ってくる気配があった。風が、カーテンをわずかに揺らした。

 

ほむらは、目を閉じた。天井の方から、時計の音が規則的に降ってきた。朝が来るまで、この家には、五人の寝息が響いていた。

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