紅茶が冷めるまで(魔法少女まどか☆マギカ IF) 作:LongLong
第21話「何日もかけて」
朝、教室に入ると、さやかちゃんがもう席に座っていた。
昨日よりは早かった。まどかが来る前に、もう着いていた。
「おはよう、さやかちゃん」
まどかは声をかけた。できるだけいつも通りの声で。
さやかちゃんは顔を上げた。目の下に薄く隈があった。ただ頷いてくれた。
「おはよ」
声は小さかった。それでも、返ってきた。それだけで、まどかは自分の席に座れた。
朝のホームルームが始まる前、仁美ちゃんが教室に入ってきた。いつも通りの顔だった。まどかは仁美ちゃんの方を見なかった。さやかちゃんも見なかった。さやかちゃんの視線は、机の上に落ちていた。
一時間目が始まった。
授業の間、さやかちゃんの手元を時々見た。
ノートを開いている。鉛筆を持っている。けれど、何も書かれていなかった。先生の声だけが教室に響いていた。
昼休み、弁当を開ける音が教室のあちこちから聞こえた。
さやかちゃんは弁当を机に置いたまま、開けなかった。
まどかは自分の弁当を開けた。玉子焼きを一つ箸で持ち上げて、さやかちゃんの弁当箱の横にそっと置いた。
「……一口、食べてね」
さやかちゃんは、しばらく、その玉子焼きを見ていた。
それから箸を持ち上げて、口に運んだ。
小さく噛んだ。噛みながら、さやかちゃんの顔は何も表情を作らなかった。ただ噛んで、飲み込んだ。
「……ありがと」
それだけ言って、さやかちゃんは自分の弁当を開けた。
半分も食べなかった。
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放課後、さやかちゃんと一緒に廊下を歩いていた。
階段を降りて、昇降口に向かう途中だった。
さやかちゃんの足が、止まった。
まどかも止まった。
廊下の向こう側、少し離れた場所で、仁美ちゃんと上条くんが並んで立っていた。上条くんがヴァイオリンケースを肩にかけていた。仁美ちゃんは両手で鞄を持っていた。二人は何か話していた。声は聞こえなかった。ただ、仁美ちゃんの顔が少し赤かった。
告白したのか、これからするのか、まどかにはわからなかった。
さやかちゃんは、それを見ていた。
表情は変わらなかった。呼吸が、一度、深くなった。それだけだった。
さやかちゃんが、視線を逸らした。
「……行こ、まどか」
二人は、また歩き出した。仁美ちゃんと上条くんの横を通らずに別の廊下を回って、昇降口に着いた。
さやかちゃんは、その間何も言わなかった。
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マミさんの家に着いた。
マミさんがドアを開けてくれた。まどかの顔とさやかちゃんの顔を見て、ただ中に通してくれた。
リビングに杏子ちゃんがいた。ソファの端でポッキーを齧っていた。
冬野さんも、いつもの椅子に座っていた。椅子の前半分に。膝の上に手を置いて。
さやかちゃんはソファに座った。杏子ちゃんとは反対の端に。
マミさんが紅茶を淹れてくれた。さやかちゃんの前にもカップが置かれた。
さやかちゃんは、しばらく、カップを見ていた。
それから左手を持ち上げた。
中指に、青い石のついた指輪があった。さやかちゃんが指先で触れた。
指輪が、形を変えた。青い光が一瞬、手の中で広がった。卵形の宝石になった。
まどかはそれを横から見た。
宝石の中に、黒い霧が広がっていた。
まどかは魔法少女じゃないから、ソウルジェムの仕組みを完全には知らない。ただ、見える色は見える。昨日より深い、という事実だけがまどかの目に届いた。
さやかちゃんは、宝石をしばらく見ていた。それから指輪に戻した。左手を下ろした。
杏子ちゃんがポケットから何かを取り出した。テーブルの上に置いた。
黒い、小さな卵のような形。グリーフシード。
「……使いな」
杏子ちゃんが言った。
さやかちゃんは、テーブルの上のグリーフシードを、しばらく見ていた。
手を、少しだけ伸ばした。
止めた。
「……後で」
さやかちゃんは言った。
杏子ちゃんは「あっそ」とだけ言って、グリーフシードをポケットに戻した。何も追及しなかった。
冬野さんが、椅子の上で、ちらりとさやかちゃんの方を見た。
さやかちゃんは気づいてなさそうだった。
まどかだけが、冬野さんの視線に気づいた。
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次の日の朝、さやかちゃんが学校に来た。
前の日よりも少しだけ顔色が悪かった。それでも、来た。まどかはそれだけで、安心した。
「おはよう」
「おはよ」
返事が返ってきた。短いけれど、返ってきた。
昼休み、さやかちゃんが自分で弁当を開けた。まどかが玉子焼きを置くのを待たなかった。
一口、二口、食べた。半分は食べなかった。けれど昨日よりは食べた。
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その日の放課後、さやかちゃんが廊下で立ち止まった。
仁美ちゃんと上条くんが、また一緒に歩いていた。今度は、昨日よりも距離が近かった。仁美ちゃんが上条くんの腕に、ほんの少しだけ、手を添えていた。
さやかちゃんの足が止まった。
まどかも止まった。
さやかちゃんは、しばらく、二人の方を見ていた。
呼吸が止まっていた。まどかの横で、さやかちゃんの肩が、わずかに震えていた。
それから視線を逸らした。
「……今日は、マミさんち、行かない」
さやかちゃんは言った。
「ごめん、まどか。一人にして」
まどかは、何か言おうとした。言えなかった。
さやかちゃんが一人で家に帰るのを見送った。さやかちゃんの背中が、角を曲がって見えなくなった。
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家に帰って、夕飯を食べた。宿題もした。お風呂に入った。いつも通りに過ごした。
けれど頭の中で、さやかちゃんのことを考え続けていた。
一人でいる間に、ソウルジェムの濁りが加速しているかもしれない。今日見た、仁美ちゃんの手が上条くんの腕に添えられていた光景が、さやかちゃんの中で宝石の色を変えているかもしれない。
魔女化。
ほむらちゃんが言っていた言葉が頭の中で鳴った。
まどかはマミさんに電話しようとして、スマホを持ち上げて止めた。
さやかちゃんに電話しようとして、また止めた。
さやかちゃんが「一人にして」と言ったなら、それを守る。
ベッドに入った。天井を見ていた。
窓の外で風が吹いていた。カーテンが少し揺れた。
眠れなかった。
夜中の二時を過ぎても、三時を過ぎても、眠れなかった。さやかちゃんは今、どこにいるのだろう。家にいるのか。外を歩いているのか。ソウルジェムを見ているのか。
明け方近く、外が少し明るくなってきた頃、まどかはようやく少しだけ眠った。
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次の日の朝、さやかちゃんが学校に来た。
来てくれた。
「おはよう」
「……おはよ」
声は小さかった。顔色はもっと悪かった。目の下の隈が濃くなっていた。
それでも、来た。
「昨日は、ごめん」
さやかちゃんが言った。
「ううん」
まどかは首を振った。それ以上何も言わなかった。訊かなかった。
昼休み、さやかちゃんは弁当を全部は食べなかった。ただ半分くらいは食べた。
放課後、さやかちゃんが小さく言った。
「今日は、マミさんち、行こうかな」
まどかは頷いた。
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マミさんの家で、さやかちゃんはソウルジェムを卵形に戻した。
まどかが横から見た。
黒い霧が、広がっていた。少しだけ。
加速はしていない、と思った。一気に進んでいてもおかしくなかったのに、そうはなっていなかった。
さやかちゃんが一人の夜にどう過ごしたのか、まどかにはわからない。
ただ、崖の縁から、落ちなかった。
杏子ちゃんがまたポケットからグリーフシードを出した。今度は何も言わずに、テーブルに置いた。
さやかちゃんはしばらく見ていた。
手を伸ばした。止めなかった。
グリーフシードを手に取って、自分のソウルジェムに、近づけた。
青い卵から、黒い霧が、吸い出されていった。グリーフシードの中に、吸い込まれていった。
宝石の中の濁りが、薄くなった。完全には消えなかった。けれど、薄くなった。
さやかちゃんは息を吐いた。
「……ありがと」
杏子ちゃんに向かって言った。
杏子ちゃんは「あっそ」とだけ答えた。
けれど、杏子ちゃんの目が、少しだけ、柔らかくなっていた気がした。
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それから、何日かが過ぎた。
さやかちゃんは毎日、学校に来た。弁当を食べる量が少しずつ増えた。休み時間に笑うことはまだなかった。仁美ちゃんとは目を合わせなかった。上条くんとも、すれ違う時に挨拶だけ短くした。
放課後、マミさんの家に行く日と行かない日があった。行く日は、まどかも一緒に行った。行かない日は、さやかちゃんが「一人でいたい」と言う日だった。
「一人でいたい」と言われた日、まどかは無理に追いかけなかった。家に帰って自分のことをした。夜、眠れない時もあった。眠れる時もあった。
朝、さやかちゃんが学校に来る。それだけを毎日、確認した。
来る限り、大丈夫だった。
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ある日の放課後、マミさんの家で、杏子ちゃんがテーブルにグリーフシードを置いた。
二つ、並んでいた。
さやかちゃんが、その二つを見た。
「……一つ、多くない?」
杏子ちゃんは、少し黙ってから、言った。
「一つは、暁美ほむらからだ」
さやかちゃんの眉が、わずかに動いた。
「暁美……?」
「最近、街に魔女があんまり出ないだろ」
さやかちゃんが、首を傾げた。言われてみれば、ここ数日、さやかちゃんは魔女退治に呼ばれていなかった。まどかも、さやかちゃんから「今日、戦いに行く」と聞いた日がなかった。
「あいつが、あんたが戦わなくていいように、回ってる」
杏子ちゃんは、自分のポッキーを齧りながら、言った。
「一人で、な」
さやかちゃんが、グリーフシードを見ていた。
「……なんで」
「さあな。あいつに訊きな。訊いても答えないだろうけど」
杏子ちゃんは、ポッキーの箱をテーブルに置いた。
「使えよ」
さやかちゃんは、しばらくしてから、二つのグリーフシードを、両方とも手に取った。
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ある日の放課後、マミさんの家でまどかはソファの隅に座っていた。
さやかちゃんは、ソファの反対の端で紅茶を飲んでいた。マミさんがキッチンにいた。杏子ちゃんは、その日は来ていなかった。
冬野さんが、いつもの椅子に座っていた。
リビングが静かだった。テレビはついていなかった。時計の秒針の音だけが聞こえていた。
さやかちゃんがカップを置いた。
小さく、息を吐いた。
冬野さんの指が、カップの縁で、わずかに動いた。
まどかはそれを見た。
さやかちゃんの視線が、ほんの一瞬、冬野さんの方に動いた。冬野さんの顔ではなく、冬野さんが座っている椅子の脚の辺りを見た。
二人は、言葉を交わさなかった。
ただ、同じリビングの空気を、一緒に吸っていた。
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夜、自分の部屋でまどかは机の前に座っていた。
宿題のノートを開いたまま何も書いていなかった。
さやかちゃんのことを考えていた。
完全に元に戻ったわけじゃない。上条くんと仁美ちゃんが一緒に歩く姿を見るたびに、さやかちゃんの足は一瞬止まる。ソウルジェムの濁りは消えたわけじゃない。杏子ちゃんがグリーフシードをくれるから、薄くなる。けれど翌日になると、また少し広がる。
崖の縁で、踏み止まっている。
まだ、踏み止まっている。
マミさんが、紅茶を淹れてくれている。杏子ちゃんが、グリーフシードを渡してくれている。冬野さんが、ただ、そこにいる。ほむらちゃんが、一人で魔女を倒してくれている。
みんなが、それぞれのやり方で、さやかちゃんを、崖の縁から落ちないようにしている。
まどかは、魔法少女じゃない。契約もしていない。
それでも、さやかちゃんの隣に座ることはできる。
明日も、さやかちゃんの隣に座ろう、と思った。
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翌朝、通学路を歩いていた。
さやかちゃんと一緒に。
二人とも、多くを話さなかった。空は晴れていた。朝の風が、少しだけ冷たかった。
校門が見えた。
校門の近くで、仁美ちゃんと上条くんが並んで歩いているのが、少し離れたところに見えた。
さやかちゃんの足が、一瞬、止まった。
まどかも止まった。
さやかちゃんが息を吐いた。
それから、また、歩き始めた。
今日は、立ち止まる時間が、昨日より、少しだけ短かった。
まどかはそれを横から見た。
何も言わなかった。
ただ、さやかちゃんの隣を、歩き続けた。