紅茶が冷めるまで(魔法少女まどか☆マギカ IF)   作:LongLong

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第9話『正義の味方ができること』

第9話「正義の味方ができること」

 

契約してから、一週間が経った。

 

恭介の腕は治った。退院祝いの席で、恭介がバイオリンを弾いた。指がちゃんと動いていた。音が、ちゃんと鳴っていた。その音を聞いた時、さやかは泣かないように空を見上げた。

 

自分の願いが、叶った。

 

これ以上ないくらい、幸せだった。

 

初めての魔女退治もやった。帰り道、まどかと仁美が魔女の結界に巻き込まれて、さやかが飛んでいって助けた。仁美は覚えていない。まどかだけが、さやかの魔法少女姿を見ていた。

 

親友を二人、同時に救えた。変身した瞬間の、身体の中を電気が通るような感覚。剣を振った時の、鋭い手応え。魔女が砕けた時の、達成感。

 

あたしは正義の味方だ。

 

さやかの中で、その言葉が熱を持っていた。

 

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放課後、まどかと帰り道を歩いていた。

 

「そういえばさ」

 

まどかが小さく言った。

 

「前に話した、三年生の子のこと、覚えてる?」

 

「前言ってた気になってる子だっけ?」

 

「うん」

 

まどかは少し歩調を緩めた。

 

「最近、まだ見かけるんだけど、やっぱり、ちょっと気になって」

 

「何かされてる感じ?」

 

「うーん、そういうのじゃ、ないかも」

 

「じゃあ、なんで気になるの?」

 

まどかはしばらく黙った。

 

「うまく、言えないんだけど」

 

さやかは歩きながら考えた。まどかが「うまく言えない」と言う時は、大抵、大事な何かがある時だった。

 

「よし。あたしが見てみるよ」

 

「え?」

 

「何かあったら、あたしが助ける。そういうの、得意だから」

 

さやかは胸を軽く叩いた。

 

まどかは少し困った顔をした。

 

「そういうのじゃ、ないかも」

 

「大丈夫だって。まかせな」

 

まどかはそれ以上言わなかった。でも何か言いたそうな顔をしていた。

 

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翌日、さやかは三年生のフロアに行った。

 

廊下に入ったら、すぐにわかった。

 

壁際を歩いている少女がいた。黒い髪を肩のあたりで切り揃えて、前髪が目の上まで下りている。背は、さやかより少し低い。制服の着方はちゃんとしている。でも、歩き方がおかしい。

 

壁に身体をくっつけるように歩いている。足音を立てない。すれ違う生徒がいると、もっと壁に寄る。顔は下を向いている。

 

三年生なのに、先輩に見えない。むしろ逆。廊下の歩き方だけ見ると、こっちが先輩みたいだった。

 

さやかは少し距離を取って、声をかけた。

 

「こんちわ」

 

少女の足が、止まった。

 

肩が、わずかに上がった。呼吸が、浅くなるのがわかった。

 

さやかはそれに気づかないふりをして、近づいた。

 

「三年生の方ですよね? あたし、二年の美樹さやかっていいます。鹿目まどかの友達で」

 

少女は答えない。顔を上げない。

 

さやかは明るい声で続けた。

 

「あの、まどかが心配してて」

 

少女の肩が、もう一段階、固くなった。

 

「いや、心配っていうか、なんか気にかけてて。だから、あたしも、なんかあったら」

 

さやかは手を挙げて、自分を指した。

 

その手の動きに、少女の視線が吸い寄せられた。顔は動かさないのに、目だけが、さやかの手を追った。

 

さやかは、それに初めて気づいた。

 

気づいた、けれど、止まらなかった。

 

「力になりますから。元気出してくださいよ」

 

さやかは手を伸ばして、少女の肩に軽く触れた。励ますつもりの、軽いタッチだった。

 

少女の身体が、跳ねた。

 

肩が、さやかの手の下で、びくりと大きく震えた。そのまま壁に背中をぶつけるように、後ろに下がった。壁のない場所だったらもっと下がっていたはずだった。

 

呼吸が、止まっていた。

 

前髪の下から、見開かれた目が、一瞬、見えた。黒い瞳。瞳孔が開いていた。顔は青ざめていた。

 

少女の手が、身体の前で、小さく震えていた。さやかの手を払うでもなく、自分を守るように、胸の前で固まっていた。

 

口から、音のような呼気が漏れた。声にならない、短い、何かを言おうとして言えなかった音。

 

さやかは、手を離した。

 

慌てて、引いた。

 

「ご、ごめん! ごめんなさい!」

 

さやかは両手を挙げた。触れていないことを示すように。でもその手の動き自体が、少女の目を追わせていた。少女の視線が、さやかの手を、また追った。

 

さやかは両手を後ろに回した。

 

「触って、ごめんなさい。ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」

 

少女はまだ壁に背中を付けたまま、動けなかった。呼吸が、少しずつ戻り始めていた。でも、細切れで、浅かった。

 

さやかは、二歩、下がった。

 

「……邪魔して、すみません」

 

少女は答えなかった。

 

さやかは踵を返して、階段の方に歩いた。

 

背後で、少女がゆっくりと歩き始める音が聞こえた。壁際を、また歩いていく音。

 

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さやかは階段を下りながら、自分の手を見ていた。

 

肩に触れた感触が、まだ残っていた。制服越しに、骨がそのまま手に当たった。肉がほとんどない肩だった。それが、さやかの手の下で跳ねた感触。

 

軽く触れただけだった。励ますつもりだった。痛くしたわけじゃない。掴んだわけでもない。ただ、肩にぽんと手を置いただけ。

 

それなのに、あの反応だった。

 

何だろう、と思った。

 

怖がっている、というより、身体が勝手に反応している感じだった。動物が、危険を感じた時のような。

 

でも、あたしは危険じゃないのに。

 

その日、さやかは一日中、それを考えていた。授業中も、部活中も。

 

肩に手を置いた瞬間の、あの跳ね方。壁に背中をぶつけた音。声にならなかった、あの呼気。見開かれた目。

 

「何かあったら助ける」と言ったけれど、何があるのか、わからなかった。

 

わかっているのは、あたしの手に、あの先輩は怯えた、ということだけだった。

 

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放課後、さやかは校門の近くで待った。

 

あの少女が出てくるのを、見ていた。

 

少女はいつも通り、壁際を歩いて、校門を通った。さやかに気づかなかった。前を見ていないから。

 

さやかは少し距離を取って、後を追った。

 

変身しない。制服のまま。

 

少女は住宅街を通って、古い通りに入った。

 

白い壁の、二階建ての家の前で、少女は立ち止まった。

 

表札には「冬野」と書かれていた。

 

冬野、とさやかは胸の中で呟いた。そういう名前だったのか。まだ、この人の下の名前も知らない。

 

少女は門の前に立って、動かなかった。

 

しばらく、そのまま立っていた。

 

それから、一度、深く呼吸をした。

 

肩が、上下した。

 

それから、門を開けて、家の中に入っていった。

 

さやかは、道の反対側に立って、その門を見ていた。

 

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家に入る前に、深呼吸。

 

さやかは、自分の呼吸を確かめた。自分は、自分の家に入る前に、深呼吸したことがあるだろうか。

 

ない。

 

家は、帰る場所だった。学校の後、遊んだ後、「ただいま」と言って入る場所。入る前に覚悟を決める場所じゃない。

 

さやかは、その場を離れた。

 

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夜、さやかは魔女退治に出た。

 

結界を見つけて、中に入って、使い魔を蹴散らして、魔女を切った。剣が手に馴染んでいた。魔女が砕けた時、グリーフシードが落ちた。

 

慣れた動きだった。まだ一週間しか経っていないのに、もう慣れていた。

 

変身を解いて、制服に戻った。

 

少し考えてから、冬野家の方に歩いた。

 

どうして行くのか、自分でもわからなかった。ただ、行かないといけない気がした。

 

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夜の住宅街は静かだった。街灯の光が、アスファルトに落ちていた。

 

冬野家の前に着いた。

 

家は、昼間と違って、中の明かりが見えた。一階のリビングらしき窓。二階の奥の方の窓。どちらも、カーテン越しにぼんやりと光っていた。

 

さやかは門の前に立った。

 

中から、声が聞こえた。

 

大人の声だった。男の人の声。怒鳴ってはいない。普通の声。何かを言っているけれど、内容まではわからない。

 

普通の声、だった。

 

でも、さやかは、その声が続いている間、息を詰めていた。なぜかはわからない。何かが、嫌だった。

 

変身すれば、ドアなんて簡単に壊せる。

 

でも壊したら、それは助けじゃない。インターフォンを押すこともできる。押したら、誰かが出てくる。でも、押して何を言えばいいのかわからなかった。

 

「娘さんが廊下で壁際を歩いています」。

「娘さんがあたしの手に怯えていました」。

「娘さんが家に入る前に深呼吸していました」。

 

どれも、他人が言うことじゃなかった。

 

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さやかは門の前に立ったまま、動けなかった。

 

魔法少女の力は、ここでは使えなかった。ドアの向こうにあるのは、魔女じゃない。使い魔でもない。結界でもない。ただの家で、ただの家族で、ただの普通の夜だった。

 

それなのに、何かが、おかしい。

 

その「何か」を、さやかは掴めなかった。

 

「正義の味方って、何だろう」

 

さやかは小さく呟いた。

 

魔女は倒せる。使い魔は蹴散らせる。結界も破れる。願いも叶えられる。恭介の腕も治せた。

 

でも、この家の中に入ることは、できない。

 

力がないんじゃない。入る理由がない。

 

さやかは、門から離れた。

 

歩き出しながら、昼間の少女の深呼吸を思い出した。

 

あれは、戦う前の呼吸だった。

 

戦う前の呼吸で、あの先輩は自分の家に入っていった。

 

さやかは、その意味を、ようやく少しだけ理解した。

 

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翌日、さやかはもう一度、三年生のフロアに行った。

 

でも、声はかけなかった。

 

廊下の反対側から、少女が歩いてくるのを、見ていた。壁際を、いつも通り。

 

さやかは、少女に背を向けた。少女の視界に入らない角度を取って、自分の教室に戻った。

 

あたしが近づくと、あの先輩は怖がる。

 

それだけはわかった。

 

それだけしか、わからなかった。

 

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放課後、まどかに会った。

 

「さやかちゃん、あの子、会ったんだよね」

 

まどかが訊いた。

 

さやかは少し間を置いて、答えた。

 

「うん」

 

「どうだった?」

 

さやかは、答えに詰まった。

 

いつもなら「大丈夫、あたしに任せて!」と言うところだった。でも今日は、それが言えなかった。

 

「……あたしじゃ、何もできないかも」

 

まどかが、驚いた顔をした。

 

さやかは笑おうとして、うまく笑えなかった。

 

「魔法少女って、何でもできるわけじゃないんだね」

 

まどかは何も言わなかった。

 

二人で並んで歩いた。夕方の空が、少しオレンジ色になっていた。

 

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家に帰る道、さやかは空を見上げた。

 

契約した時の熱は、まだ残っていた。恭介の腕を治したことは、間違いじゃなかった。まどかと仁美を助けたことも、間違いじゃなかった。

 

でも、あの先輩を救う方法は、わからなかった。

 

魔法少女の力は、魔女には効く。魔女じゃないものには、効かない。

 

さやかは、初めて、それを知った。

 

「正義の味方って、何だろう」

 

もう一度、呟いた。

 

答えは、出なかった。

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