セミナーの仕事は忙しすぎる   作:あさなが

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転職カードを使います

 

 

 

004

 

 タイピングと紙を捲る音が絶え間なく響き続けるセミナーの部室は、僕にとって第二の家みたいな場所だ。ここに足繁く通うようになってから数ヶ月は経つが、今となってはこの部屋が、僕がミレニアムスクールに通い始めて最も多く足を運んだ場所かもしれない。いや、かもしれないという曖昧なものではない。きっとそうだと確信すらできる。それほどまでに、僕の生活にこの部屋が、この部屋で奏でられるキーボードと紙のアンサンブルが、モニターと紙面を見るために調光された照明が、人間工学に基づいた完璧な形のオフィスチェアが、何をやっていても忘れることなどできないほどに染み付いているのだ。

 時折我に帰ると、この状況がひどく不整合なものに思えることがある。本当はここにいるべきではないのだろうという、漠然とした感覚。もしこの世界の運命が神とかによって決定されていて、彼が敷いたレールに則って全てが動いているとしても、僕がこの部屋で仕事をしているというただ一点だけは、そのレールから外れた現象なのではないだろうか、という感覚。

 

 この不思議な想像は、僕がもともとブルーアーカイブの世界に住む人間ではなかったが故のものだろうか。僕の深層心理みたいなものが、今の僕は誤りの中にいるのだと警鐘を鳴らしているのだろうか。

 

 だけど、もし本当にそうなのだとしても、僕はもはやこの状況を覆すことはできない。今の僕はセミナーの庶務としてたくさんの仕事を抱えている。僕の出した号令によって動いているプロジェクトがいくつもあって、今年入ってきた新人が僕の部下としてあくせく働いている。この流れを止めることは誰にもできない。誤った運命は新しい運命を作り上げてしまったのだ。ならば僕はこの場所で、僕にできる最大限の成果を求めることによって、運命の歯車を回すことにしよう。いつの間にかこの世界は、僕がいないとうまく回らない代物へと成り代わってしまったのだから。

 

 机にうずたかく積み上げられた紙束を完璧なオフィスチェアから見上げて、僕は重い重いため息を吐いた。今日は会計部門のお手伝いとして、新たに始まる研究へ充てる予算が適切なものなのかを審査する仕事をしていた。この研究の成果がもし首尾よく花開けば、非接触電力送電において問題とされてきた、異なるコイルシステム間での電圧レギュレーション問題の解決に大きく近付くらしい。僕はこの研究の先進性について、電気工学部の部長から熱の入った説明を受けたのだが、正直なところさっぱり理解できなかった。専門分野というのはもとよりそういうものなのだが、知らない概念を知らない言葉で説明されても、僕の理解は1nmたりとも深まってはいないのだ。おかげでここ一週間は、非接触電力送電の原理や現行の研究についてのリサーチでまるっきり使ってしまった。この分野についての専門誌が五年前から隔月で刊行されているという事実すら知らなかったのだ。研究の実用性や妥当性を考えるために、図書館から大量のバックナンバーを取り寄せて熟読している時には口からエクトプラズムが出るかと思った。

 

 これほどまでに難解な予算申請の数々を一日に何件も捌いている早瀬ユウカの怪物っぷりを見ていたら、僕はここにいるべきではないのでは、という卑屈な考えが首をもたげてくるのも当然のことだろう。いっそのことヴェンチャーキャピタルのビジネスモデルを倣って、質はさておき色んなところに大量の金を投下し、一つ当たったら丸儲け、みたいなスタイルへ移行するべきなのかもしれない。というかユウカは多分そうやってるのだろう。一つ一つを見れば赤字が多いけど、大局を見たら黒字、というのは賢いやり方だ。現実的に考えて、僕みたいなやり方をしていたら時間がいくらあっても足りない。賢い人間ってのは上手に怠けるものだ。

 だけど僕はどうにも、そういう賢いやり方をする気になれなかった。どうにも気が咎めたのだ。それは、電気工学部の部長が語った夢にあてられた感傷によるものかもしれない。あるいは、愚直なやり方で行こうと決めた僕の判断を正当化するために自分の中で定めた理論武装かもしれない。あるいはただ単純に、大量の活字を浴びたせいで疲れてるだけとか。いずれにせよ、僕はこの件に関しては、理性的で賢い方策を採らないことにした。

 

「うわ。先輩、なんなんすかこれ」

 

 眼球を休めるために、眼を閉じて背もたれに体を預けていた僕の背後から、何やら人の声らしきものが聞こえた。確かこの声は、今年度からセミナーに入ったピカピカの一年生のものだ。僕と同じ庶務として入ってきて、僕が業務を教えるようにノアから仰せつかっていた。

 

「随分疲れてるみたいっすけど、なんか手伝えることあったらやりましょうか?」

「ああ……。ごめん、ちょっと脳を休ませてた。なんか分かんないことあった? マニュアルは渡したと思うけど」

「あ、これは重症っすね。たしかこないだ、働きすぎって怒られてませんでしたっけ? どうやら二日間の休暇じゃ足らなかったようで」

「ああ、いや、これは違うんだよ。僕が勝手にやってるだけのやつ。部活の予算申請が上がってきててね。それ関連のリサーチ」

「何が違うんです? 今の先輩、ぶっ疲れててぶっ倒れそうですよ。ノアさんが見たらブチ切れそう」

「大丈夫だよ。ノアは今日、トリニティ学園で会議だろ? ここにはいない」

「トリニティの会議は昨日っす。まじでやばいっすね。手伝いますよ普通に」

「え? いやまじか。今日何曜日?」

「土曜日っす。どこの部活の予算っすか? こういうのは大体、去年と同じくらいの額を出しとけば文句言われないって聞きましたけど」

「それ、裏では文句言われてるんだよ。表立って抗議してこないだけで。というか、これに関しては話が違うんだ。電気工学部が新しい研究プロジェクトを始めたいらしくてさ。概算できないから見積もりが難しくて」

「ああ、なるほど。電工部だったら知り合いいますよ。大まかな予算感とか聞いてきましょうか?」

「うわ助かる。いくらぐらい欲しいか聞いてきてよ。ちょっと色つけといたら文句言われないでしょ」

「オッケーっす。電話かけるっすわ」

 

 新入生が優秀すぎて怖い。もうやり方とかなんでもいいからこいつに任せよう。どうやら僕は、僕が思ってるより疲れてるみたいだし。こんな疲労状態に頭で考えた愚直な方策とか間違ってるに決まってる。さっき考えてたことは全て撤回だ。僕は僕なりに賢いやり方で行く。ごめん電気工学部の部長。君のスピーチは心に刺さったけど、君の研究内容を詳しく知るのはまた後でにしておくよ。

 

 なんか他の人に仕事を投げられるって思ったら急に元気になってきた。というか今思い出したけど僕お腹減ってるな。忙しさにメモリを圧迫されすぎて、自分の腹の虫の声も聞こえなくなっていたらしい。確かにこれは重症だ。

 

「ヒアリングできたっすよ、先輩」

「お、早いね。いくらぐらいだって?」

「だいたい一千万くらい引っ張ってこれたらランディングはできるっぽいっす。新型の測定機材が結構するらしいっすけど」

「そういうのはエンジニア部あたりに転がってるんじゃない? あとでウタハさんに聞いてみるか。なんて機材?」

「えっと……」

 

 彼女は電話をしながら取っていたらしいメモを僕に渡した。アークエンジニアリングという社名と、アルファベットと数字が入り混じった製品番号が丁寧な字で書かれている。

 

「詳しいことは知らないっすけど、これがだいたい四百万くらいするらしいんで、どっかから借りれたらアツいっすね」

「それはアツいね……。ま、ひとまずはこれでいいや。僕は今から昼飯にするけど、君はもう食べた?」

「いや、まだっすけど。どっか行きます?」

「今日はケバブ。売店前の広場にキッチンカーが来てるんだってさ。僕の奢り。どう?」

「センス良いっすね。行きますよ。一応確認すけど、私は財布を持って行かなくて良いんすよね?」

「もちろん。僕が、後輩とのランチ代も出せない甲斐性なしに見える?」

「そういうことじゃないんすけど、少なくとも、見栄のためにお金を使うような人間には見えないっすね」

「いや、これは見栄じゃなくて、道義的責任の話さ。後輩をランチに誘うなら、その分の金は出すってのが僕の道徳なんだよ。わかる?」

「分かんないすけど。まあ、なんでも良いっすよ。私はタダでケバブにありつけて、優しい先輩とお話ができる。それ以外に覚えておくべきことは?」

「無いね。さっさと行こう。混んだら面倒だ」

 

 僕はデスクの上に置かれていたスマホを手に取って立ち上がる。今の時刻は午前十一時四十分。ちょうど人々が腹を空かせ始める頃合いだ。

 僕たちは足早にミレニアムタワーを出て、広場へと急ぐ。タイミングが良かったのか、キッチンカーの前には二、三人が並んでいるのみだった。周りには、まばらに置かれたベンチに腰掛けてケバブラップに食らいついているのが何人か。並んでいるわけではないが、客足が途絶えるような気配はなさそうだ。どうやらなかなか繁盛しているらしい。僕も原作介入が目に余るほどになってきたら、キッチンカーでも始めて放浪の旅に出てみるのも良いかもしれない。こういう囚われない生き方は、ある意味で僕の理想系なんだろう。

 近付けば近付くほどに、ケバブお馴染みの、ラムとクミンとオレガノの匂いが僕たちの体を包んでいく。満腹な時にこの匂いを嗅ぐと、勘弁してくれって気分になるのに、空腹時だと抗いがたい魅了と感じるのはどうしてだろう。僕たちの脳みそが案外適当に作られてる証拠かも。悠々と小さな列に並ぶと、数分もかからずに僕たちの番となった。回転率のいいキッチンカーは良いキッチンカーだ。

 

「よお、注文は?」

 

 袖を捲った気さくな少女が、カウンターの向こうからぶっきらぼうに問いかけた。車の奥で展示品みたいに置かれている塊肉が匂いの元か。あの肉って一体どこで売ってるんだろう。絶対買わないのに知りたくなった。

 

「僕はビーフケバブラップ。いくら?」

「七百円。肉をラムにするんなら追加でもう百円だ。辛さはどんくらいがいい?」

「選べるのか。おすすめは?」

「あたしのおすすめはマックスホット。火が出るほど辛いが燃えるほど美味い」

「火傷は遠慮したいね。中辛ぐらいでいける?」

「いいぜ、そっちの可愛い子ちゃんは?」

「私はラムケバブサンド。せっかくだしマックスホットで」

「チャレンジャーだね嬢ちゃん。舌はともかく、腹の調子は万全かい?」

「かかってこいって話っすね。ただの可愛い子ちゃんじゃないってことを証明してやるっすよ」

 

 店主は愉快そうな顔で口笛を鳴らした。自分と同じ高みへたどり着ける人間をようやく探し当てたみたいだ。辛い物に対しての許容度が他人より緩いってことがそんなに偉大なんだろうか。

 そう時間をかけずに、注文のケバブが出てきた。いや、出てきてしまったというべきだろうか。僕のビーフケバブラップはともかく、後輩が頼んだラムケバブサンド・マックスホットは壮絶な見た目だった。ゲヘナの溶岩に潜らせたみたいな真っ赤なソースが全体に満遍なくかけられている。香りからしてハリッサだろう。

 

 彼女は、たっぷりのソースを溢さないよう慎重に受け取ると、おっかなびっくり鼻をひくつかせた。僕の場所からでも辛そうな匂いが鼻腔を刺してくるのだ。これは立派な刺激物なのだから、学校の実験で酢酸を相手にやったように、手で仰いで匂いを嗅いだほうがいいと思うんだけど。

 

「嬢ちゃん、それ本当に食べれんのか? なんならちょっと減らしてやっても……」

「いや、自分で頼んだものは自分で食べ切るっすよ」

「そうかい。あんた、気概があるな。あたし、そういう奴は好きだぜ」

 

 まあ、ハリッサは辛さ一辺倒のソースではないし、美味しく食べられる代物ではあるんだろうけど、物事には限度ってものがあると思うんだ。こんなふうにしてしまったら、肝心のラムの味とか全部地獄の彼方に飛んでいってしまうんじゃないだろうか。食べ物として今一つ成立していないような気がする。これはもはや食事じゃなくて、カイヨワの言うイリンクスの遊びなのではないだろうか。

 

 僕たちはカウンターの前から離れて、近くの空いているベンチに腰掛けた。こうやって外のベンチでご飯を食べるのって、思い返したら久しぶりかもしれない。風に当たりながらケバブを食べるってのは特別な体験だ。小さい頃に受けた教育のおかげなのか、なんだかいけないことをしている気分になる。こういう行為に不思議と高揚感を覚えるのは、きっといつまでも変わらない僕の性分みたいなものだろう。

 

「ねえ、それ食べれるの?」

「食べれるっす。私、結構辛いの好きなんすよ」

「へ、そうなんだ。ちょっと意外な一面かも」

「辛いの好きなのが、っすか?」

「と言うよりは、味と快適さのトレードオフが釣り合っていない時に、味を選ぶ性分が、かな。ゲヘナだとそういう子は知ってるけど、ミレニアムにいるとは思わなかった。メリデメを考えると、舌の快楽を得るために食事の難易度が上がるってのは、僕はちょっといただけないかな」

「そのアクロバティックさを楽しむのが激辛料理探求の本質だと思うんすけどねぇ……」

 

 僕が彼女の言葉に首を捻っていると、ポケットの中でスマートフォンが小さく震え始めた。誰かが僕に電話をかけたみたいだ。僕は取り出して画面を見る。発信者は『生塩ノア』だ。当然、速やかに応答するのみ。

 

「もしもし、ノア?」

「ナギちゃん、今どこにいますか?」

「今は、売店前の広場でケバブを食べてるよ。これ絶品だ。君の分も買っていこうか?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと話したいことがあるので、セミナーの第二会議室に来ていただけますか?」

「ああ、分かった……。ちなみに聞きたいんだけど、なんの話をされるのかな? お説教をされるようなことに心当たりはないんだけど」

「私の記憶では、貴女がそうやって言うときには、やましいことを隠していることが多いんですが……。最近の勤務記録を見せていただいても?」

「あれ、もしかして墓穴を掘ったのかな」

 

 電磁波に乗って、ノアがくすくす笑ってる声が僕のスマホから聞こえてくる。今のは失言だった。電気工学部の一件でしばらくミレニアムタワーに泊まり込みだったのがバレたら、今度こそまとまった休暇を取らされてしまうことだろう。先生との邂逅は果たせたし、今日から休みとなっても別に問題はないんだけど、ノアからのお説教は体に堪えるから勘弁願いたいところだ。

 

「いえいえ、その話も気になりますが、本題はそれではありません。ナギちゃんにしばらく出張のお仕事が入ったので、詳しい説明をしたいんです。来て頂けますか?」

「そういうことなら、超特急で馳せ参じるとしよう。第二会議室でいいんだよね?」

「ええ。お待ちしてます」

「そんな待たせないよ」

 

 電話が切れた。

 僕は隣で激辛ソースに四苦八苦している後輩を見やる。こいつが食い終わるまで、まだしばらく時間がかかりそうだ。

 

「ごめん、ちょっと急用ができた。先に戻ってるね」

「あ、オッケーす。財布持ってないんで、飲み物買うお金だけ下さい」

「その辛味の塊と一緒に買えばよかったのに」

 

 百円玉を三枚渡してやると、彼女は道標を見つけた遭難者のような苦痛と希望の混じった瞳で僕に礼を言った。僕はそれを聞くともなく聞きながら、手の中に残っていたビーフケバブラップに大きく齧り付いてベンチを立った。急いで向かえば三分くらいで到着するはずだ。

 

 出張のお仕事、と彼女は言っていた。今回は一体どこに行かされるんだろう。原作で名前が出たところにはほとんど行ったし、名前の出てない無名校に足を伸ばしたことも数知れない。それに、なんのための出張なのかってところも気になる。他の学校と合同で進めてるプロジェクトはいくつかあるけれど、問題が起こってるって話は聞いてない。一体どこで何が起こっているんだろう。知り合いがいるところだといいけれど。

 そういえば、これまで一回も行ったことがなくて、知り合いも一人もいなくて、その上で原作に登場してる学校が、一つだけあった。あそこにいく機会なんてそうそうないけれど、でも、せっかくブルーアーカイブの世界に来たんだったら、観光がてら一度足を運んでみるのも悪くないかも知れない。

 

 まあ、この出張を恙無く終わらせないことには、そんな余暇は夢のまた夢だけど。趣味に時間を使うのは、まず目先の仕事を片付けてからだ。その後だったら、ちょっと遊びにいくのも良いかもしれない。

 砂に埋もれた、あのアビドス高等学校に。

 

 もちろん、メインストーリーの第一章で語られているような厄介なごたごたが綺麗に片付いたと確認できてからだ。今の小鳥遊ホシノは不用意に触ったら爆発してしまう歩くニトログリセリンみたいな状況で、他校の僕が軽率に手を出すのは悪手にも程がある。とすると行けるのはいつ頃だろうか……。僕は、メインストーリーの完結を見届けたわけではないから、あの砂の下に未だ僕が知らない地雷が埋まったままになってる可能性は高い。それも考えたらだいぶ後になりそうだ。

 

 休日の旅行のことを考えていたら、いつの間にか会議室の前まで来てしまっていた。僕は気分を仕事用のプリセットに切り替えて、白い扉を二回ノックする。間をおかず、部屋の中から入室を許可する声が聞こえた。

 

「お邪魔しますよ、と。あれ、ユウカもノアに呼ばれたの?」

 

 部屋の中には、お目当てのノアの他にもう一人、ユウカが有り余っている椅子の一つに座っていた。三十人は入るキャパシティの部屋に三人だけというのもなかなか寂しいが、誰彼構わず聞かせるわけにはいかない話をするとなると、この部屋は最適だ。

 

「そう言うあなたも、ノアに呼ばれてここに来たのよね? ノア、この二人をこんな部屋に呼び出して、一体なんの密談を始めるつもりなの?」

「密談だなんて……。後ろ暗いことをするつもりはありませんよ。ちょっとお話をしたいだけです」

「お話、か。どんな話がしたい? 君が出した詩集の感想会でもしようか」

「それはまたの機会に。今回呼んだのは他でもありません。例の、連邦捜査部——S.C.H.A.L.Eについて、お話を聞きたいと思ったんです。二人とも、一週間前にあそこへ行って、代表者と面会したそうですね?」

 

 なるほどね。そういうことだったか。その話をするんだったら、この会議室は最適な場所と言えるだろう。

 僕は原作を見て、S.C.H.A.L.Eという組織がどういうものか、先生という人間がどんな精神性をしているかを知っている。S.C.H.A.L.Eが連邦生徒会の良からぬ策謀のために作られた組織ではないってことも、先生が、与えられた莫大な権限を、自らの欲望のために濫用するような人間ではないってことも。だけど、そんな事情を全く知らない外の人間から見たら、連邦生徒会長が失踪した直後に設立された、超法規的権限を持つ正体不明な組織なんて、空恐ろしい政治的意図の捏ね固められたブラックホールとしか思えないだろう。巨大な陰謀の匂いを感じるのは当然のことだ。三大校の生徒会としては、なんらかの対策を立てる必要がある。それでこの会合ってわけか。

 

 心配してるようなことについては杞憂だよ、って伝えられたらそれが一番なんだけど、S.C.H.A.L.E自体があまり活動していない現状でそれを言ったところで信憑性は薄いだろう。どうせストーリーが進んだら出会うことになるんだし、今は当たり障りないことを言っておけば問題ないかな。

 

「なるほどね、S.C.H.A.L.Eか。あそこの代表者とは顔を合わせたけど、大した話はしてないよ? 良い人そうだったけど」

「私も、あんまり話してないわね。たしかに、悪い人ではなさそうだったわ」

 

 あれ、ユウカは割と最初から先生ラブな感じだと思ってたが、この段階だとそうでもないのかな。もうメモロビは解放されてると思うんだけど。

 

「そう、D.U.で不良が大騒ぎしてた時があったじゃない。そこで初めて会ったの。S.C.H.A.L.Eのビルが占拠されてて、私も彼と鎮圧に当たったんだけど……。なんと言えばいいかしら。彼の指揮のおかげなのか、すごく戦いやすかったのよ」

「へえ、そうなんだ。彼、銃の扱いはど素人って感じだったけどな」

「なるほど……。銃を扱えないのに、戦闘指揮の技術があるというのは、なんだか不自然ですね。経歴は調べましたか?」

「ええ。キヴォトスの外から来たみたい。ここに来る前に何をしていたかは、情報がなかったわ」

「それはそれは……。不自然を通り越して、もはや不気味ですね」

 

 なんだかまずい流れになってる気がする。この時期のS.C.H.A.L.Eに対して不信感を持つのは当然のことなんだけど、ここまで警戒されるのは、ストーリーにも支障が出てくるかもしれないな。後々ゲーム開発部の顧問になるときに一悶着起こりそうだ。

 

「不気味、ねぇ。僕には、人当たりのいい普通の大人って感じがしたけどな。たしかに、生徒自治の慣習からは外れるイレギュラーだけど、連邦生徒会長がいない現状だと、致し方ないようにも思えるね」

「おや、慎重派なナギちゃんらしくない意見ですね。その大人が連邦生徒会長を行方不明にして、玉座を奪い取ったという可能性は考えませんでしたか?」

「そりゃあ、考えたよ。だけど、そうだったとして、僕たちに何か問題があるかな? 今のところはまともに仕事を捌いてるみたいだし。あの超人生徒会長よりは、権力に目が眩んだ悪人の方が、行動は予測しやすい。それに、外から来たってことは、銃を撃たれたら死ぬってことでしょう? 脅威となった際に排除するのも簡単だ」

「なっ……。あなた、そんな暴力的なタイプだったかしら? なんか、あの人に嫌なことでもされたの?」

「いやいや、そんなことは全く。ただ、リスクはそこまで大きくないって話さ。ゲヘナ学園やトリニティ学園だってS.C.H.A.L.Eの動きは注視してるだろうしね。いくらS.C.H.A.L.E自体に大きな権限があっても、簡単にこの世の全てを手に入れられるような世の中じゃない」

 

 穴だらけの詭弁だし傷だらけの極論だけど、それでも弁論ではある。

 兎にも角にも、今はS.C.H.A.L.Eと先生への敵対を避ける方向に話を持っていく必要がある。よく知らないけど、多分これは本来ならユウカがやるべき仕事じゃないのか? どうして君は中立みたいな顔してるんだよ。

 

「まあでも、そうね。極論だけど、あなたの言っていることも一理あるわ。他の学校も各々動くでしょうし、それを見てからでも遅くはない、か」

「そういうこと。今はS.C.H.A.L.Eがどうこうじゃなくて、S.C.H.A.L.Eにアプローチしている他の学校がどう動くかの方が問題じゃないかな。そっちの方が、今の僕たちにとっては影響が大きいと思う」

 

 僕の説得が功を奏したのか、S.C.H.A.L.Eと戦うようなルートは外れたようだった。いつの間にか口先だけでユウカを言いくるめられるくらいには、僕の脳みそも成長しているらしい。ノアが変わらず笑顔を浮かべているから、この話の流れが全て彼女の想定通りって可能性はあるけど。でも、どうせ手のひらの上で踊るなら、ノアの手を舞台に踊った方が破綻が少ない。原作には影も形もない僕が自力で舞台を用意するなんて、そんな恐ろしいことはしたくないぞ。

 

「なるほど、なるほど……。ナギちゃんの考えは重々承知しました。それでは、一つ提案してもよろしいでしょうか?」

「うん、なんだい?」

 

 いつも通りの微笑を少し深くしたような顔で、ノアは僕をまっすぐ見つめる。な、なんだい急に。いきなりそんなふうに見つめられると恋の予感に胸が高鳴ってしまうぞ。

 いや、そんな冗談を言っている場合ではない。前にこの顔をされた時はゲヘナにある土木企業に技術協力をお願いしに行けって用事だった。その時は途中で温泉開発部が首を突っ込んできて、とんでもない事態に巻き込まれてしまったのだ。今でもその時の大騒動の余波で、風紀委員会の銀鏡イオリからは規則違反者を見る目をされている。やんごとなき事情がいくつか重なって、ゲヘナ学区内で彼女とそこそこマジバトルな撃ち合いをする羽目になってしまったのだ。彼女のメモロビをホームに登録していた人間として、これはなかなか応えた。

 つまりどういうことかと言うと、ノアがこの顔をするときは、僕に超特大級の面倒ごとが降りかかってくるってことだ。

 

 内心で僕が身構えたのを察したのか、彼女はそのおっかない顔を引っ込めて、机の上に置かれたタブレットを手に取った。なるほど、他に気を逸らしていよう見せかけて僕のガードを下げさせようって魂胆か。だが、その手が通じるほど僕は甘くないぞ。両親から、嫌なものは嫌と言える主体性を持った人間になれって教わったからな。どんなパンチでもかかってこい。完璧にガードしてやろう。

 

「ナギちゃんはS.C.H.A.L.Eの代表との顔合わせが済んでいると言うことでしたので、ぴったりの仕事かと思いますよ。……ナギちゃん、しばらくS.C.H.A.L.Eに出向しませんか?」

「は?」

 

 は?

 

 言葉のウェイトに差があり過ぎたのか、僕はノアのスーパーヘビー級のアンサーに、ガードの上から一発でぶっ飛ばされてしまった。

 いや、いや。少し待ってほしい。S.C.H.A.L.Eの部員として参加するって話なら、まあ千歩譲って分からなくもない。原作でもメインストーリーには大きく関わらない生徒が部員になっていたりするし、多分だけど原作で名前が登場していない生徒もS.C.H.A.L.Eは部員として受け入れていることだろう。だから部員になるって話ならまあ、良くはないけど許容できる。

 ただ、ノアは今なんと言った? 「セミナー役員の一人としてS.C.H.A.L.Eに出向してこい」って意味の発言をしていなかったか?

 冷静に考えろ。まさかそんな無茶振りをノアがしてくるわけがないだろう。きっと僕がノアの発言を勝手に深読みしてるだけだ。自分の能力と適性を弁えろって話だよな、まったく。

 

「ごめん、一応の確認なんだけど……。今のって、僕がセミナー役員としてS.C.H.A.L.Eに出向して、連絡役なりなんなりをして欲しいって意味?」

「ええ、そうですよ。ナギちゃんにぴったりのお仕事だと思うんです。いかがですか?」

 

 いかがですか、じゃない。そんな展開はいかがなものかと思うね僕は。

 さすがにそんな鳴り物入りでS.C.H.A.L.Eに加入するのは御免だ。そんなやり方で加入したら、絶対にメインなりイベントなりで名前が出てしまうじゃないか。僕はあくまで数多いるS.C.H.A.L.E部員の一人であって、星の数ほどいる生徒の一人って立ち位置を望んでいるんだ。それなのに、強い影響力を持つ三大校の生徒会役員として先生の下で働く、だと?

 

 もしそんなことになってみろ。ストーリーの流れが手に取るように想像できるぞ。

 きっと最初の方では、僕はなんらかの良からぬ企みを持って潜入しているスパイであることを匂わせるような展開で幕を開けるんだ。だけど、だんだんとコミュしているうちに、心根は優しくて可愛げのある生徒だってことが明らかになってくるのだ。そして最終的には、僕のような心優しい生徒をスパイとして送り込んだ、セミナーというなにやら悪の組織らしき団体と戦って僕を勝ち取る、みたいな流れになるんだろ! 最後は先生が僕に柔らかな笑顔で「おかえり」って言ってくれるんだ! かっこいい! これで男じゃなかったら惚れてた!

 

「ちょっと待ってほしい。その判断は性急ってやつじゃないか? こんなタイミングで露骨にアクションをかけたら、他の学校がなんて言う? 他校を出し抜いてS.C.H.A.L.Eを抱き込んだ、なんて見られたら幾つの受注がなくなると思ってるの」

「たしか、S.C.H.A.L.Eは部員を募集していましたよね? 心機一転、新しい仕事を始めた、ということでどうでしょう」

「それは、僕個人の責任にするって意味かい? 僕がS.C.H.A.L.Eから金を貰っているのは僕個人の判断によるものだって?」

「待ってちょうだい。ノア、もしかしてあなた、ナギを潜入工作員として使うつもりなの? それは反対よ。危険すぎる」

 

 そうだユウカ! 言ってやれ! ノアの発言を頑張って曲解している僕に加勢して彼女の提案を撤回させろ!

 

「まさか。顔繋ぎ役というだけの意味ですよ。これまでも、そしてこれからも、ミレニアムサイエンススクール(我々)は連邦生徒会からの仕事を受けることが多々あるんです。両方に顔がきく人員は必要でしょう?」

「それなら……! そのためなら、選出された議員がいるでしょ! この学校が、余計な法改正を押し留めるために毎年あの連中にいくら払ってるのか知らないわけないでしょ? もっと働いてもらえばいいじゃない。なにもナギがやらなくたって——」

 

 ユウカさん? ミレニアムが連邦生徒会にお金を渡して独禁法の改正を遅らせてるの、セミナー内でも割とタブーみたいな感じだったと思うんですけど、言っちゃっていいんですか? 我々がキヴォトスでマタイ効果を引き起こしている一因だって話、ソシャゲユーザーからいい顔されないですよ。

 

 というか、ちょっと議論に熱が入り過ぎた気がする、一旦、ややこしくした張本人である僕が先陣を切って交通整理をするとしよう。

 

「ねえ。工作員云々の話は傍に置いておくとしてさ、どうして僕をS.C.H.A.L.Eに所属させるって話になったわけ? 部員を募集してるって話なら、素直に一部員として行けばいいだけで良いだけでしょ? どうして出向なんて形をとるのさ」

「それは、S.C.H.A.L.E側から要望があったんですよ」

 

 S.C.H.A.L.E側から要望? なんで? 僕そんなに先生とツーカーの仲だったっけ?

 

「どうやら、創設時にS.C.H.A.L.Eへ配属された元連邦生徒会調停室の方が、ナギちゃんと随分仲が宜しかったようで……。ミレニアム側とのパイプとして、ナギちゃんを指名してきたんですよ。これには私も驚きました」

「はぁ? あなた、今度は連邦生徒会の役員に粉掛けてたの?」

 

 あれ、なんか矛先が僕に向いた気がする。気のせいかな。

 

「ナギちゃんの名誉、あるいは対外的なイメージ、もしくは今後の人間関係に影響が出てしまうかもしれないと思って、この件はセミナー主導という話で進めようと考えていたのですが……。ユウカちゃん、これで納得していただけましたか?」

「待って、今はその話は傍に置かせて。ナギ、あなたねぇ——」

 

 ちくしょう。ノアめ、こうなることを分かってて敢えて言わなかったな。僕がユウカを使って反論させるのは読まれてたわけだ。だからわざわざユウカを同席させたのか。それで僕にユウカを使わせて、その上で彼女の主導権を改めて握る。それで僕の反論は全てキャンセルってわけだ。ノア、君は確実に悪女の才能があるぞ。

 

「あ、えっとね、今思い出したんだけど、たしかに何日か前、その子からメールが来てたな。うん、S.C.H.A.L.Eに異動したけどまた一緒に働けるのを楽しみにしてるって内容だったっけね。そう、多分それだ」

 

 こうなったら僕の負けは確定だ。まさに急転直下の一撃。これ以上被害を増やされる前にリザインする他ない。僕は射抜くようなユウカの視線から目を逸らしながら、やけっぱちの降伏宣言をした。実際にはそんなメールは受け取ってないけど、元連邦生徒会調停室で現S.C.H.A.L.E職員の子には個人的に一人心当たりがある。ノアのことだし、おおかた彼女には先に話を通しているのだろう。

 というかノア、なんで僕がモモフレンズファンクラブ経由で知り合った友達のことを君が知ってるんだ。僕のスマホがハッキングされてるのか?

 

「なるほど、そういうことか。それなら納得だなぁ。じゃあ、僕は粛々とS.C.H.A.L.Eでお仕事してくるから、セミナーは任せたよ」

「任せたよ、じゃないわよ。あなた、そんなお友達がいることを私に黙ってたの?」

「黙ってたも何も、そもそも言わなくちゃいけないことだったかい? これは、今となっては事情が変わったけど、それまでは完全にプライベートな事柄だったんだ」

「なっ、プライベートって……! そう、ミレニアムサイエンススクール(うち)が連邦生徒会からの受注を受けてるって話は知ってたでしょ。利益相反の恐れがあるなら報告は必要だったわ」

「僕がそんな真似をするって? 信じられないかもしれないけど、こう見えても仕事はちゃんとやる方なんだ」

 

 ユウカは、なんだか激しく納得の行かないような、言いたいことが山ほどあるけど押さえ込んでるって感じの顔で、僕を見ている。何をそんなに怒っているんだろう。S.C.H.A.L.Eへの出向というイレギュラーで頭が一杯だったけど、彼女の怒りの原因も考えた方がいいか。

 例えば、親しい友達にしばらく会えなくなるのが寂しいけど、その個人的な事情を仕事の文脈に持つこめないから、なんとか別の理由で出向を押し留めようとしているとか。うーん、自分で思いついといてあれだけど、こんないじらしい理由だったら可愛すぎるな。もしそうだとしたら可愛すぎて抱きしめちゃうかも。この可能性は無しだ。

 ユウカが先生ラブってことを考えると、先生の元へ出向するのは自分が良かった、みたいなことを思ってる可能性は十分ありうる。だから僕が出向する問題点を挙げて、代役として自分を行かせようとしているとか。そういう個人的な事情を大きく仕事に持ち込むような子じゃないというのは知ってるけど、恋は盲目ってよく言うし、そういう気の迷いみたいなことは起こりうるのかもしれない。この歳での初恋なら、自分の感情と折り合いがつけられなくて、ってことはあり得る。

 そう考えたら、僕もユウカの出向に賛成する立場をとった方がいいのか? イレギュラーな事態だし、原作キャラを放り込んでよろしくやらせておく方がシナリオの流れ的に分かりやすいかもしれない。チュートリアル面子だし、継続的に交流があっても違和感は少ないだろう。

 

「そうだな……。ノア、提案なんだけど、僕の代わりにユウカが出向するってのはどうだろう。ユウカなら、向こうでもきっと完璧な仕事をしてくれるさ」

「残念ですが、ユウカちゃんは会計部門のエースとして沢山お仕事を抱えていますから、外部で長期の仕事をするのは難しいですね。それに、ナギちゃんは他校との交渉で、こういう外の仕事にも慣れていますから」

「ええ。私も、今は長く学校を離れるのは難しいわ。だから……、そう、あなたが適役というのは十分理解しているの。これは、いわば感情の問題。あなたが——」

 

 ユウカはそこで言葉を切った。その先の言葉を聞きたくなったけど、彼女は途中でそれをしまい込んで、口を閉ざしてしまった。先生ラブが故の行動だったら、今の提案には飛びついてくるものだと思ったけど、ここで引くのは少し意外だ。もしかして何か別の理由なのかな。

 

「それでは、ナギちゃん。予定では、先方には明後日のお昼十二時に到着することになっています。明日はオフにしているので、出発までに必要な荷物をまとめておいてください。遅刻は厳禁ですよ?」

「了解。そう、会計部門の手伝いを頼まれてるんだけど、その仕事は誰かに投げちゃってもいい?」

「あ、それなら私が一旦巻き取るわ。電気工学部の件よね? 目処は立ってる?」

「千五百万ぐらいかな。高価な実験機材があるみたいだから、それを何処かから借りれたら、四百万ぐらい下がるかも」

「分かったわ。それじゃあ——」

「二人とも、この部屋は三十分後に会議で使う予定が入っているので、それまでに退出してくださいね」

 

 仕事の話を始めた僕たちを置いて、ノアは一足先に会議室を後にした。きっと彼女は僕より何倍か忙しいのだろう。そのくせ人の過労には目ざとく気づくのだから厄介だ。君のほうこそ週に何時間働いているんだ、と反駁したくなるが、きっと彼女のことだ、規定時間内に業務は全て終わらせているのだろう。つまり、役職が上の人間にはそれに応じて降りかかる仕事の量も増えるけど、それを処理できるだけの能力も持っているので問題ないということ。僕みたいに仕事で忙殺されているのは下っ端だけだ。

 彼女が出て行った後の閉じられたドアをなんとなく見ていると、ユウカが息を吸う音が聞こえた。僕は彼女の方を見る。

 

「機材の件は、後でエンジニア部とかに聞いてみるわ。学内で調達できたら、少し下げた額で通しとくわね」

「ああ、そうしておいて」

 

 それから、いくばくかの沈黙。ユウカが何かを話そうとしているのは察せられたけど、彼女の中にある何かが、言葉を口に出すことを留めているみたいだ。あてどなく視線を彷徨わせる。まるで、この静かな隙間を埋めるための丁度いい無駄話でも探しているみたいに。

 何か僕から話を振ってやろうかと思ったけど、取りやめる。そうやって事態を水に流しても、彼女の中にある躊躇が取り払われることはないだろうから。必要なのはもっと直接的な手段だ。外科的で、不躾で、ある意味では無神経とも言えるような、そんな手段。

 僕は口を開く。ユウカと違って、僕のなかに大した躊躇はなかった。

 

「ねえ、ユウカ。何か言い残したことがあるんじゃない?」

 

 彼女はばね仕掛けのように勢いよく首を上げる。目が合った。驚きの色に染まった目を、僕は見つめる。

 

「話したくないことなら、これ以上は聞かない。だけど、僕はこれからしばらくの間、D.U.に泊まり込みで仕事をすることになる。だから君とは会えなくなるんだ。僕としては、このまま旅立ちたくはないね」

「ナギ、ちょっと……」

「少しでも、何か言いたいと思っていることがあるなら、ここで全部吐き出してほしい。陳腐だけど、思考は言葉にしないと伝わらないんだ。伝えるためのツールこそが、すなわち言葉だからね」

 

 僕は端的にそう言った。

 言葉を飾るのはあまり好きじゃない。装飾に拘って本質を蔑ろにする、ある側面で様式的な言葉遣いは、言葉の持つ意味そのものを軽視している。だから僕は、特に他人と話すときには、なるべく直接的な物言いをしたくなる。特に、相手にも直接的な言葉遣いをしてほしい、こんなときには。

 

「話す気はある? それとも、僕は先に戻って、家で荷物の整理を始めた方がいいかな?」

「待って……。分かったわ。素直に白状する」

 

 ユウカは一度、短い深呼吸をして肺の空気を入れ替えた。使い古しの二酸化炭素には相応しくない心情なのだろう。

 

「出向してほしくないってわけじゃないの。たしかに、色々気になるところはあったけど、それは本当」

「気になるところ、と言うと」

「ノアが言ってたでしょう? 元調停室のお友達よ。あなたが学外にいろいろパイプを持ってるのは知ってるわ。そういう仕事だもの、幅広い人間関係は必要よ。だけどその……、もしかしたら、私はそれに少し嫉妬したのかもしれない。よく分からないの、上手く言えている自信がない。だけど、多分、そういうこと。一年と少しの間、良い友達としてずっとやってきたから、私の知らない友達が沢山いるってことに驚いた、のだと思う」

「僕に、君の知らない友人がいることが、寂しい?」

「いつもはそんなこと思わないわよ。それこそ、ノアを相手にそんな感情を向けたことはないわ。だけど、あの時はきっと、あなたがいきなり長期出張に出ると聞いて、色々な思惑とかを考えてて、冷静じゃなかったのかも」

「考えていたことは、それだけ?」

「それだけ、ではないわ。だけど、これ以上は、今は言うべきではないと思う。あなたを悪く思ってるとかじゃないの、それは信じて。ただ、物事には適切なタイミングってものがあるでしょう? 今じゃないの、確実にね」

「そう。話してくれてありがとう」

 

 僕はユウカに向き合って言った。優しいほほえみを形作りながら。

 

 もしかしてなんだけど、もしかするとだけど、今のユウカの言葉って、「あなたに私の知らない友達がいるのが寂しい」ってことだよね。

 なにそれ、ちょっと可愛すぎるでしょ。いじらしいにも程がある。君、僕に対してそういう独占欲とか働かせちゃうタイプだっけ? なんだか、先生に対する好感度とかその他諸々、ちょっとずつ原作のシナリオからずれて行っているような気が……。

 まあ、今のところは別にいいか。S.C.H.A.L.Eの活動としては序盤も序盤だし、ここからの先生とのコミュ次第で、この程度のズレはいくらでも解消できるでしょ。

 

「なんだか、最近はこうやって腹を割って話す機会が多いね。ほら、この間のディナーだって……」

「あれは……! 言っておくけど、あれに関しては、私はあなたが悪いって思ってるからね。先生のことずーっと話して、デリカシーが無さすぎるの」

「ごめんごめん、触れてほしくないところだったんだよね。この通り謝るよ。僕が言うのも変だけどさ、いわゆる乙女心ってやつが、僕にはどうにも難しくてね」

「知ってるわ。そんなことは一年前からお見通し」

「すごい、もしかして僕の心が読めるの?」

「あなたが私の心を読めるのと同じくらいには読めるわよ」

「降参。僕の負けだ」

 

 こういう素の言い合いでは、いまだにユウカに勝てる見込みはなさそうだ。やっぱり生来の頭の出来ってやつが違うんだろう。反論を封じるのが上手い。

 不利を悟って話を変える。幸い、話題はさっきノアが置いて行ってくれた。

 

「話は戻るけど、僕は今日と明日、出張のために荷物をまとめなくちゃいけないんだよね。きっと、一人でやったら相当時間がかかってしまうだろうから……。もし予定が空いてるなら——」

「そんな言い方しなくても、手伝うわよ」

「最高に助かる。そのときにまた話そうか? 友達のこととか……」

「そうね、あなたの交友関係については聞きたいことが山ほどあるわ」

「僕が今まで繰り広げてきた、君との山のような交友に比べれば、他のことなんて些事みたいなものだけどね」

「口ではなんとでも言えるのよ。特にナギ、あなたの口はね」

 

 随分な言われような気がするけど、実際、これまで僕が彼女にやってきた数々の不義理を考えると、正鵠を射ているとしか言いようがない。僕が何度彼女の信頼を裏切って、そのたび何度彼女に叱られてきたかを考えたら、これは当然のことだ。

 それでも僕と一緒に仕事をしてくれるんだからありがたい限りである。それこそ、さっきノアの顔を見て思い出したゲヘナ出張のときにも、出張先の治安維持組織と撃ち合った、なんて報告を聞かされたときには、それはもうはちゃめちゃに怒ってたけど、最後には許してくれた。もっとも、正確に言うと、あれに関しては鬼怒川カスミがこと悪巧みに関してユウカより一枚上手だったって話だけど。

 

 今回のS.C.H.A.L.Eでのお仕事では、そんなことは絶対に起こらないようにしようと、僕は固く心に決めた。早瀬ユウカに誓って、僕はS.C.H.A.L.Eで問題を起こさない。絶対に、何があっても絶対に、平穏無事に出張を終えてミレニアムへ帰るんだ!

 

 僕はそんな決意を胸に抱いた。近年稀に見るほど見事な死亡フラグだった。

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