セミナーの仕事は忙しすぎる   作:あさなが

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突撃!隣の大砂漠

 

 

 

005

 

 二時間のフライトは僕の身体に酷い後遺症を残していった。デスクワークなら途中で立ち上がったりもできるが、機内だとそうはいかない。エコノミークラスの狭くて硬い椅子は、セミナー部室の完璧に調節された椅子に慣れきった僕の体に、世の中の椅子ってものが使用者をどれだけぞんざいに扱っているかを思い出させてくれた。ただの椅子でさえ学びの機会を提供してくれるとは、キヴォトスの学習環境には全く恐れ入る。おまけに隣の席になった人物がえらく空を怖がっていて、墜ちたらどうしようとかずっとぶつぶつ独り言を言っていたのも疲労の一因だ。おかげさまで仮眠もできなかった。肉体的にも精神的にも、今の僕のコンディションは悲しいほど不調だ。せっかくのS.C.H.A.L.E勤務一日目なのだから万全の調子で臨みたいっていう僕の希望は儚く散ってしまった。

 

 痛めた腰を宥めるためにばんざい体操じみた動きを繰り返しながら、僕は空港のターミナルロビーを歩く。スーツを着たビジネスマンや旅行中のトリニティ学園生徒の集団、ロビーから滑走路に駐機している飛行機の写真を撮っている子供。D.U.新第三空港はいつも通りの混雑具合だった。ここの真横に新第四空港を作るべきなんじゃないかってぐらい。

 S.C.H.A.L.Eに着くのは、予定だと今から一時間後だ。ここは外郭地区からそう離れていないから、タクシーを拾ったら二十分程度で到着するだろう。いくらか時間が余っている。僕は出発前にパン一つで済ませた朝食の補填をするために、近くにあった喫茶店に入った。キヴォトス全土に店がある大資本のチェーン店だ。店員にクラブハウスサンドとエスプレッソ・アフォガード・フラペチーノを注文して席に着く。いつも通り、シロップをバニラシロップに変更したもの。ここの椅子も、僕の敵みたいな硬くて融通の効かない椅子だった。

 

 両手を占領しているドリンクとフードを机に置いて、ポケットからスマホを取り出した。先生にモモトークを飛ばす。

 

「新第三空港に着きました。今から向かっても大丈夫ですか?」

 

 送るだけ送った後、フラペチーノを一口飲んで口を潤す。バニラの甘い香りが鼻腔に抜けて、僕の疲労は少しだけ洗い流された。フラペチーノは一口目が一番美味しいってのが僕の持論で、昔からこれをずっと言い続けてるんだけど、僕の友人の中で共感してくれる人は少ない。なにがしかの真実の一端を言い当てているとは思うんだけど。

 

 いきなり通知が三連続。何かと思ってスマホを見た。

 

「——あ、」

「——まって」

「——ごめん」

 

 なんだいきなり。随分焦ってるみたいだけど。

 何か先生に緊急事態でも起こっているのだろうか。僕の脳内に原作改変アラートがなり始める。この最序盤の時期に命の危機があったなんて話が原作にあっただろうか。一発撃たれただけで身体に穴が開く人間がキヴォトスに住んでるって時点で、ある程度命の危機ではあるけど。

 

「どうしました?」

「事件ですか? 事故ですか?」

「場所を教えてくれれば向かえますよ」

 

 僕はすかさず返信する。イートインで頼んだのは失敗だっただろうか。今から急いで飲んでタクシーに飛び乗れば間に合うかな? あるいはヴァルキューレに通報するか。まあ、そもそも先生がどこにいるかが分からない以上、どれを考えても机上の空論の域を出ないが。

 さらに一口フラペチーノを飲んで、返信を待つ。焦っている時ほど平静なフリをしろってのが、宮乃瀬ナギがまだ僕ではなく宮乃瀬ナギという人格だったころからのポリシーの一つだ。長年の賞金稼ぎ生活で骨身に染み込ませたのか、僕になってからも無意識に出る癖になっている。セミナー役員として他校と交渉する機会が多いことを考えると、この癖も別に悪いものじゃない。

 しばらく待っていると、先生から返信が返ってきた。

 

「——出向の件だよね?」

「——ごめん、忘れてた。私は今アビドスにいるから、仕事の件はS.C.H.A.L.Eにいる子に聞いてください。」

「——明日は戻れると思います。本当に申し訳ございません。」

 

 おっと、これは想定外だ。完全にすっぽかされてたってことは一旦脇に置いておくとしても。

 アビドスにいる? てことは、すでに奥空アヤネからの手紙は受取済みだったのか。考えてみれば、もう着任から一週間と少しが経っているわけだし、そうなっていても不思議ではなかった。これに関しては僕の考えが足りなかった。

 というか、これはどうなるんだ? 僕の仕事はあくまでのS.C.H.A.L.Eへの出張だし、このままS.C.H.A.L.Eビルに向かっちゃっていいのかな。もしそうなら、先生がアビドスにかかりきりになっているうちは、僕と先生が接触することを避けられるってことじゃないだろうか。これはもしかしたら僥倖かもしれない。

 

「確認ですが、先生はアビドスにお仕事をしに行っている、という認識で問題ありませんか?」

「——はい、そのような認識で問題ありません。」

 

 敬語やめてほしい。僕との予定をすっぽかしたのが申し訳ないのはわかるけど。ずっとその調子だとこっちが妙な気分になる。

 あれ、そういえば今思い出したけど、先生ってアビドス編の最序盤に、砂漠で遭難して行方不明になってなかったっけ。モモトークが通じてるってことは、もう対策委員会に保護されたあとなのかな。

 

「そう畏まらなくても大丈夫です」

「アビドスにいる、とのことでしたが、現時点での正確な現在地は分かりますか?」

「——アビドス高校第一校舎前駅、ってところだよ。」

「——今から校舎まで歩く予定。」

 

 なるほど、ここで勘違いしたわけだ。

 時系列の把握は大体完了した。まだ対策委員会と顔合わせをしていないどころか、そもそもアビドス自治区に着いたばかりなのか。

 となると、ここから遭難するってことになる。あの遭難のシーン、原作でもかなり上位に入るレベルの危機だった気がするけど、このまま放っておいてもいいのかな。

 

「待ってください」

「アビドス中央線の駅ですよね?」

「アビドス高校は、一帯の砂漠化の影響で移転されています」

「そこはすでに廃棄された場所で、現在使われている校舎は四号別館です」

「——え、ほんとに?」

「ほんとです。 その駅から別館までは、だいたい四十キロほど離れてますよ」

「——そんな!」

「——別館まではどうやって行けばいいか分かる?」

 

 うむむ、これはどう答えるのが正解だろう。

 僕は趣味の一環として、原作に登場する場所の衛星画像を寝る前に見たりしているので、その無人駅から今使われている別館まで案内することはできる。だけど、それは僕が車で運転するならってことだ。今使われている別館から歩ける距離には駅がないし、タクシーが近くを転がしてるわけがない。案内するなら、僕が先生と合流する必要がある。

 だけど、それをするってことは、メインストーリー第一章に大きく首を突っ込むってことと同義だ。それはかなり採りたくない選択ではある。

 とは言え、そもそもここで先生を引き留めていることが、原作から外れた事態ではあるのだ。今から先生を頑張ってくださいと放流したところで、通学中の砂狼シロコに拾ってもらえるかは未知数だ。最悪の場合、そのまま遭難して干からびてしまう可能性だって十分にある。そうでなくとも、第一校舎前駅なんて場所に長い間先生を拘束したら、偶然行き合った不良にカツアゲされて撃ち殺される可能性さえある。それを考えたら、僕が迎えに行くのが、この場において最も安全な択と言えるだろう。

 僕は小さく覚悟を決めて、不承不承に返事を書いた。

 

「移転されたのが最近なため、近い位置に列車駅がありません」

「僕なら案内できますけど、そちらに向かいましょうか?」

「——ほんとに!」

「——それならぜひお願いしたいな。今から大丈夫?」

「はい、問題ありません。一時間後にS.C.H.A.L.Eビルへ向かう用事がある以外は」

「——それは、あとで私からリンちゃんに言っておくよ。今はひとまず、私を遭難から救ってほしいな。」

「——そろそろ水筒が空になりそう。」

 

 あんた、原作だとそこから何日か放浪してただろ。どうやって生き延びたんだ?

 

 まあ、そうと決まれば、あとは行動するのみだ。不本意とはいえ、先生の命を握る立場となってしまったことは事実。なるべく早くアビドスに向かう必要がある。そしてさっさと先生を対策委員会の下へ送り届けて、僕は一人でS.C.H.A.L.Eに帰る。完璧なプランだ。小鳥遊ホシノと顔を合わせる必要がないってところが特に完璧。

 僕はモモトークを閉じて電話帳を開く。こんな時に頼るべき目的の連絡先は労せず見つかった。ワンタップで電話をかける。何コールか空振りしたあとで、たっぷり焦らして通話が繋がった。

 

「もしもし」

「もしもし、カンナ? ナギだよ、宮乃瀬ナギ。ちょっと急用で、D.U.新第三空港署からヘリを一台出してほしいんだけど、大丈夫?」

「待て、いきなりなんだ。ヘリ?」

「そう。ちょっとアビドスまで、大至急なんだよね。なんとびっくり、人命がかかってる」

「説明が足りてない。アビドスだと? どうしてそんな場所に」

「僕、今日からS.C.H.A.L.Eに出向してるんだよね。分かる? 連邦捜査部S.C.H.A.L.E。それで、説明すると長いんだけど、要はそのS.C.H.A.L.E代表の先生が、今アビドス砂漠で遭難しかかってるんだ。だから、ちょっくら迎えに行ってやらないといけないんだよ」

「はあ、事情は理解した。ヘリで捜索隊を出せばいいのか?」

「いや、場所は分かってる。アビドス第一校舎前駅らしい。こっちもアビドス側をあまり刺激したくないし、駅の最寄りの署まで僕を送って、そこでハンヴィーかなんか一台貸してもらえれば、あとはこっちで拾うよ」

「ちょっと待て、それは……」

「S.C.H.A.L.Eは連邦生徒会長によって超法規的権限を付与されてる。今の僕はS.C.H.A.L.Eの職員だから、横紙破りではあるけど違法じゃない、だよね? 悪いけどちょっと時間がないんだ」

「分かった、お前がそこまで言うなら納得してやる。そこだと、アビドス第一分署だな。送迎のヘリを一台と、車両の貸し出しを手配しておこう」

「ありがとう、助かるよ。近いうちにまた会おう。なんでも奢るよ」

「当たり前だ。これをするのにどれだけの強権を振り翳してると思ってる」

「よっ、さすが公安局局長。あの二つ名は伊達じゃないね。もしかして今のセリフって、強権と狂犬をかけたダブルミーニングだったりして——」

「切るぞ」

「うわっ、ガルルルル!」

「黙れ」

 

 電話が切れた。

 僕は尾刃カンナ局長のことを、原作で見た時からかなり気に入っていた。カイザーに買収された上層部と、自分の中に燻る正義の心との間で板挟みになっている姿は、高校生という年代の人物が社会を作り上げているキヴォトスのいびつさを上手く表している。賢い大人ってのはこういう時には、色々と自分の中で理屈をこねくり回した末に、妥協って名前の小さな塊にして飲み下すのが常なのに、彼女はそうはしなかった。そう出来なかったから、あそこまで疲れ切った風だったんだろう。その歪みから抜け出して、最終編で先生を助けにきたところなんか、思わず快哉を叫びたくなってしまった。犬のおまわりさんという記号的でありながら一癖ある造形も相俟って、かなり面白いキャラクターだ。そのせいで時折、無性に構いたくなってしまう。

 

 彼女のことはいいとして、問題は先生だ。

 これまでの経験からして、おそらく十分もあればヘリは離陸できるようになる。ここからアビドスまでは、ヘリだとだいたい一時間ぐらいを見込んどけばいいだろう。人間は水が無くても三日くらいは生きられるらしいし、ちょっと喉が渇いた頃ぐらいで迎えに行ける。

 

 フラペチーノを急いで飲み干して席を立った。エントランスを抜けて建物の外へ出る。空港署は隣の建物だったはず。走って行ける距離にあって助かった。

 

 署には五分とかからず到着した。清掃の行き届いた綺麗なエントランスだ。カンナが話を通してくれていたのか、署の受け付けで身分証明書を見せると、そのまま屋上のヘリポートまで案内してくれた。手間が省けて何よりだけど、カンナはこれをするのにどれだけのプロトコル違反をしたのだろう。

 

 屋上へ出る重いドアを開けると、UH-60 BlackHawkがエンジンをつけた状態で待機していた。僕たちは風に煽られて立ち竦む。いつ見ても壮観だ。こういう景色を間近で見れると、キヴォトスに来てよかったって思う。コックピットでパイロットが親指を上げたのを見て、僕は機体に乗り込んだ。まるで映画の主人公になったような気分。こういう気分は悪くない。

 浮かれて口角を上げていると、先に乗り込んでいたクルーからヘルメットと救命胴衣を手渡された。冷静になれってことだね。装備まみれでいやに重たいヘルメットと救命胴衣を身に付けて、シートベルトもちゃんと着けたら、僕もお返しのグッドサイン。これで離陸準備完了の合図だ。

 ヘッドセット兼イヤーマフのおかげで、ある程度は耳がまともに動くようになった。僕は隣にいるヴァルキューレ生に尋ねる。

 

「これ、どんくらいの時間でアビドスに着く?」

「アビドス第一分署ですよね? 四十分もあれば着きますよ。このパイロットはベテランだから」

「それやめてよ! 恥ずかしいじゃん」

「謙遜しないの。ホントなんですよお客さん。飛行訓練じゃ一番の成績なんです。ねえ、元々どこにいたか教えてやってよ」

「またその話? 自慢してもらうために話したんじゃないんだけど」

「そう言わないの、本当にすごいんだから。こいつ、SRTからの編入生なんですよ。EAGLE隊所属。ヴァルキューレに来てから、競技大会で二部門で一位獲ったんです」

「それは凄いな、ヴァルキューレで一番ヘリが上手いってこと?」

「そういうことですよ。この署のエースです」

 

 面白い偶然の出会いだな。連邦生徒会長が失踪してからSRTの存続が危惧される流れはニュースとかで見てたけど、まさかここで元SRTの生徒と出会えるとは。原作を見る限りでは火種の一つってイメージしかなかったけど、こうやって上手くやってる人もいるんだな。まあ、みんながみんなRABBIT小隊とかFOX小隊みたいに血の気の多い人ばかりってのも考えにくいか。時系列的には、まだ正式に閉鎖が決定される前だし。

 しかし良いパイロットを引き当てたようだ。これもカンナが手を回してくれたおかげだろうか? どうやらずいぶん奮発することになりそうだ。なんだか最近は出費が多いな。いつの間にか僕の家に厄病神でも住み着いたのだろうか。

 

「そう言えば、どうしてアビドスなんかに? 局長から連邦生徒会関連の仕事だって話は聞きましたけど、あそこはもう何年も砂漠ですよね?」

 

 僕の隣に座った話好きのヴァルキューレ生徒が、何の気なしって顔で僕に尋ねた。公安局員がNeed to knowを忘れたのか、とは思わなくもなかったけど、別にこの用事自体は機密ってわけじゃない。

 

「正確には、連邦捜査部の仕事だよ。知ってる? 最近出来たばっかりの」

「ああ、ニュースで見ましたよ。大人の先生がいるって」

「ちょうどその先生に関係する用事でね。なんでも、用事があってアビドスに行ったはいいものの、目的地と全然違う無人駅に行っちゃったらしくてさ。職員として迎えに行ってるところ」

「うわあ、それ、なんかすっごい間抜けな感じ」

 

 彼女は愉快そうにからから笑った。実際、原作で起こってた事態は笑い事で済ませられるレベルではなかったとはいえ、かなり笑い話みたいな顛末ではある。今回は僕が遭難しかけていることに気付けたとはいえ、先生もなかなか後先を考えない行動をするものだ。生徒のためを思って一分一秒でも早く駆けつけたかったのは理解するけど、それにしても事前のリサーチってやつは必要なんじゃないだろうか。

 

「ちょっと聞いて良いですか? その先生ってどんな人なんです?」

「ん、良いけど、なんで?」

「いや、今けっこう話題になってるんですよ。その先生、キヴォトスの外からやってきて、すぐに連邦捜査部なんて名前の組織のトップになっちゃって」

 

 どうやらずいぶんと話好きなようだ。もしかしてこのまま四十分、彼女とのおしゃべりに付き合う必要があるのだろうか。

 

「どんな人かって言われると難しいな。僕もそこまで親交があるわけじゃないしね」

「ああ。まあ来たばっかりですもんね」

「うん。ただまあ、先生って肩書に相応しく、生徒のことをよく考えてる人って印象かな。気になるなら一回S.C.H.A.L.Eに来てみたら?」

「え、あそこって行って良いんですか?」

「うん、しばらくは出張で留守にしてるけど。そうじゃない時は、いつでも面会できる、と思うよ」

 

 いや知らないけど。完全に憶測でものを言ってるけど。でも多分大丈夫でしょ。先生は生徒のことが大好きなものだし。

 それに先生的にも、ヴァルキューレ公安局には知り合いを作っといた方がいいと思う。僕もカンナにはけっこう世話になってるし。キヴォトスで生きてると、かなりの確率で大きめな犯罪に巻き込まれるからね。特にセミナーなんかやってると、悪い奴はいっぱい寄ってくる。

 僕の場合は、そういう悪い子たちと個人的に仲良くなって小金を稼いだりすることもよくあるけど、先生の場合だとそうもいかないだろう。そういう意味でも、このお節介は多分意味のあるお節介だ。

 

 それからアビドスに着くまでしばらく、くだらない世間話をし続けた。今流行ってるスイーツがどうとか、この間観た映画がどうとか、そんな箸にも棒にもかからないような話だ。個人的には、こういう実りのない話ってのはあまり好みじゃないけど、いっときの無聊を慰めるには都合のいい道具だ。気兼ねなく使い捨てできるってのも悪くない。SDGsの思想にはそぐわないけど、幸いこの世界は素晴らしき大量消費社会。科学技術も発達してるし、一般市民の僕たちが特別なことをあれこれ考えなくてもエコシステムは僕たちの知らないところで回っている。よく出来た分業制だ。ゴミのような無駄話万歳。

 女の子は噂話が好きってよく言うけど、キヴォトスで生きてると、その言説がある種の真実に近接してるってことが分かる。世の中が噂話の類で動くことの多いこと多いこと。とは言っても、この言葉は額面通りそのままに受け取るべきじゃない。もう少しマクロに解釈するべきだ。そう、人類はドーパミンが大好き、という具合に。

 別に世の中に対して皮肉を言いたいってわけじゃない。理性の皮を被っていたところで、結局のところ、僕たち人間はあくまでも動物だ。脳内物質の分泌量によって人間の意思は簡単に決定される。世間ずれって奴だけど、そこかしこでカジュアルに爆発や銃撃戦が発生している世の中に産まれれば、行動主義的な考えに染まるのも当然だと、僕なんかは思うね。

 

 宣言通りにきっかり四十分で、アビドス第一文署に到着した。優れたパイロットはタイムキープも完璧らしい。彼女をセミナーの運転手として雇いたいくらいだ。いくら出したら引き抜けるのかな?

 そのまま案内されるがままに、車庫でハンヴィーを一台貸してもらった。機銃座のついていないシンプルな形のものだ。車体の横に大きくK.S.P.Dと描かれている。目立ってしょうがないけど威圧感はある。これでアビドス高校に乗り付けるってのはぞっとしないけど。先生の評判が悪くなりそうだ。

 

 僕はハンヴィーに乗り込む。ここも不親切な固い椅子だ。バッテリーを入れてロータリースイッチをRUNまで回す。しばらく予熱したら、STARTまで回してエンジンをかける。やかましいエンジン音が鳴り響いたら成功だ。

 窓の外に手を振って車を出した。ここから第一校舎駅までは、だいたい五分ほどで到着するだろう。路面状況が良ければもっと早い。鈍重そうな見た目に反して、ハンヴィーは時速百キロ程度なら出すことができる。ブラックマーケットでやたら高額で売られてるハンヴィーの中には、エンジンを取り替えてもっとスピードが出るように改造されているものもあるが、あれは壊れやすい上に排気ガスの成分が違法だ。

 

 アクセルをめいっぱい踏んで走らせていたら、三分とちょっとで目的地に到着した。予定より早い。もしかしたら僕にはラリーの才能があるのかも。

 車を駅のホームの横につけて降りる。本来は駐車スペースじゃないところだけど、駐禁を切るような警官は近くにはいない。

 

「先生? どこですか?」

 

 大声で呼びかけると、構内から微かに声が聞こえた。僕は声の方へ走る。

 先生は、鍵が壊されて中身が全部持っていかれている自動販売機の隣で座り込んでいた。飲み物を求めて歩き回った挙句、強欲な先人の成した所業に心を折られたのだろう。不良が住み着いてる場所の周りはどこもこんなものだ。

 

「お待たせしました、先生。お迎えにあがりましたよ」

「ああ、ありがとう……。本当にありがとう。てっきり、ここで乾涸びてミイラになるもんだとばかり思っていたよ。なんか電車来ないし……」

「アビドス中央線は大体アクアリウムで引き返しますからね。ここまで来るのは、午前と午後に一本ずつですよ」

「そうなんだ、知らなかった」

「どうやら知っておくべきでしたね」

「耳が痛いよ。次からはしっかり調べてから行くことにする……。ねぇ、飲み物とか持ってないかな?」

 

 僕は鞄に手を突っ込んで、中にあるものを取り出す。

 

「ちょうどここに、クラブハウスサンドがありますよ。朝食にはぴったり」

「ぐっ……。からかってるんだよね?」

「せっかくの機会ですから」

 

 袋を破って、中のクラブハウスサンドを慎重に取り出す。ヘリとハンヴィーが丁寧に僕もろともシェイクしたせいで、少々不恰好な見た目にはなっているが、味には問題がない。僕は一口かぶりついた。

 

「うん。新鮮なレタスやトマトの瑞々しさと、グリルベーコンの香ばしさが見事に調和している。石窯で焼き上げたカンパーニュは具材の味を引き立てながら。その香り高さによって脇役に甘んじることをしない。まさに完璧なサンドイッチです」

「ひどい……、そんな地獄の鬼みたいなこと……。お願い、本当に喉が渇いてるんだよ」

「そんな泣きそうな顔しないでくださいよ……。分かりました。紅茶で良いですよね?」

「ありがとう! まるで女神だ」

 

 僕は鞄から水出し紅茶の入ったマイボトルを取り出して、座り込んでいる先生の前に置いた。彼はボトルに飛びついて蓋を開けると、勢いよく飲み始める。なんか犬みたいだなと思ったけど口には出さない。僕は誰かの尊厳を思いやれる心を持ち合わせた人間だ。

 

「それで? 遭難者救助はともかく、そもそも先生はどうしてアビドスに?」

「その前に、ちょっとそのサンドイッチを一口くれないかな。お腹減ってきちゃった」

「蹴飛ばされたいですか?」

 

 僕は先生の顎に爪先を押し当てて言った。何を言うかと思えば、気が緩んだとはいえちょっと冗談が過ぎるぞ。初期の先生は自分を助けてくれた砂狼シロコの髪の匂いを嗅いだり銀鏡イオリの足を舐めたりするようなラインガバガバ人間だってのは知ってるが、流石に気を許しすぎだ。

 

「ごめんなさい。ちょっと舞い上がってて」

「舞い上がりすぎて身体まで宙に浮かぶところでしたね。それで、アビドスへはなんの用事で? 観光なんて言ったら本当に舞い上がらせますよ」

「いや、ここにきた目的は至って真面目なものだよ。本当に。えっと、こんな手紙がS.C.H.A.L.Eに届いてね」

 

 先生は自分の鞄を開けて、中から紙を一枚取り出した。奥空アヤネが先生に宛てた手紙だろう。僕はそれを受け取って開く。可愛らしいデザインの便箋の上に、丸みを帯びた丁寧な字が書かれている。送り主は、アビドス高等学校対策委員会。

 

「なるほど、これでアビドスに」

「そういうこと。困ってる生徒がいたら助けるのが仕事だからね」

 

 先生は立ち上がって、服についた砂埃を払い落としながらそう言った。

 困っている生徒——その言葉が僕の脳内に反響する。ストーリーを見た限りでは、彼が助けているのは、困っている生徒ではない。正確には、彼に助けを求めた生徒だ。

 セミナーに所属した時からずっと考えていた。『時計仕掛けの花のパヴァーヌ』編で、僕は一体どのように動けば良いのだろうと。セミナーの人間としては、ゲーム開発部のセミナー襲撃は到底見過ごせる状況ではない。もしこの時に、僕や他のセミナー所属の生徒が先生に助けを求めていたら、事態は一体どうなっていたのだろうと。これは言わば二重契約だ。

 どちらか片方の味方をすることしかできない、というのが悪いことでは決してない。それは、シャーレの先生が一人の人間であることに由来する根本的な限界点とも言えるものだ。実際的な意味で衆生全てを救うなど神仏の仕事であって、人間の担うべき分野ではない。

 だけど、もしも先生がそんなことを考えているのなら。連邦生徒会長が先生にそれを求めているのなら。その救いの旅路の果てには一体何があるのだろう。全ての罪を背負って生贄になる、くらいは覚悟してたりするのだろうか。

 

 ま、個人的には、G.Bible程度なら僕が盗み出してゲーム開発部に渡せば良いかと思っているんだけど。僕、彼女たちのことは結構好きだし。

 ただリオの件についてはちょっと考える必要があるかもな。エリドゥ絡みの横領を知っていながら見過ごしていたのも、彼女の立場に個人的に共感するところがあってのことだし、いざ始まったら、僕も個人的に色々動くことにはなるのかもしれない。

 

「困ってる生徒、ですか。殊勝な心構えですね。では、いま対策委員会が本拠地としている校舎まで送っていきましょうか?」

「ぜひお願いしたいな」

「それじゃあ、ついてきてください。ここまで乗ってきた車があります」

 

 ハンヴィーに驚いている先生を無理やり乗せて、僕は対策委員会の待つアビドス高校へと向かい始めた。砂漠を吹き渡る風はハンヴィーの轍を簡単に消していく。

 アビドスの砂漠は何もかもを無常に飲み込んでいく。時の積層さえ風の中に消えていく。この乾燥した大地は、終末や滅亡の概念に限りなく漸近している。古代人が砂漠の上にピラミッドを建てた理由が、今ならなんとなく分かるような気がした。ここでは大地そのものが死の象徴なのだ。砂塵によって、歴史や記憶まで風化していきそうな土地だからこそ、呆れるほど巨大な墓所を造って死を忘れさせまいとした。偉大なる者の死を永遠のものへ変えようとした。それは、逆説的に死への恐れをも表している。この砂漠は、認識の上で擬似的な冥界なのだ。

 

 ハンヴィーの広い窓から外を見る。砂に埋もれかかった信号機や、今にも崩れそうな高層ビル。荒廃って概念を形にしたようなこの街に、対策委員会のみんなは一体何を求めているんだろう。今更ながら、僕はそんなことを思った。

 

 

 

 

 

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