セミナーの仕事は忙しすぎる   作:あさなが

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悪い警官と、より悪い警官

 

 

 

003

 

「さて。それでは、尋問を始める前に作戦を練るとしましょうか、先生」

「作戦?」

「ええ。無策で敵の前に飛び出すのは愚か者のやることですよ。取調室は一つのリングです。中に入ったら、相手と自分の戦いが始まる」

「私としては、穏便に話を聞きたいところだけどね……」

 

 どうやら僕と先生とでは、いささか心構えに違いがあるようだ。僕としては、学籍を持ってない犯罪者なんて、聞きたいことだけ強引に喋らせて、あとはヴァルキューレに引き渡せばいいかと思ってるんだけど。でも先生は、不良とはいえ一生徒ってスタンスを譲るつもりはなさそうだ。

 まあ、仮にここで先生が、僕の考えていたような荒っぽいやり方に賛意を示したら、僕は止めるが。それは僕のやり方であって、先生のやり方じゃない。

 

 結局、大人と子供、先生と生徒って意味で、分かり合えるところもあれば、相容れないところもあるってことだろう。労働者と経営者の違いのようなものかな。社会が複雑になればその手の断絶は必然的に生まれる。考えるべきは、どこで折衷するかってことだ。

 

「それでは、こういうのはどうでしょう。題して、“良い警官と悪い警官”作戦です」

「ほう。具体的には?」

「まず、私が先に部屋に入って、中の彼女のことを徹底的に怖がらせます。そして時を見計らって、先生が、彼女の理解者兼庇護者として僕の尋問を止める」

「なるほど。刑事ドラマとかで見たことあるよ。北風と太陽だね?」

「そういうことです。彼女は僕のことを怖がって、先生と協力関係を築こうとする。そこで先生が、アジトの場所や補給路、相手の構成人数を尋ねる。上手くいけば、知っていることをぺらぺら喋ってくれるでしょう」

「上手いやり方だね。それもヴァルキューレで学んだの?」

「ええ。二日目に」

「二日目?」

「なんでもないです。行きましょうか」

 

 僕は扉にかけられていたダイアル式の南京錠を外して、慎重に扉を開ける。もし彼女が意識を取り戻していたら、この瞬間に飛び出してくるだろう。中と外を区切る数センチの隙間をゆっくり覗く。幸い、彼女はまだ倒れたままだった。キヴォトスの住民が何分も気絶したままって、自分でやっておいてあれだけど、どんだけクリティカルな攻撃だったんだよ。

 

 ひとまず部屋に入って明かりをつける。取り払われた暗がりの中から、本や書類、使われていない机と椅子、アビドス高校の制服が入った段ボールなど、雑多な品の数々が顔を見せた。いずれの物品にも丁寧に埃が積もっている。アビドス高校の備品室として使われている部屋なのだろうが、全校生徒があの五人で変動しない以上、この部屋の使用実態は無いに等しいものなのだろう。もしかしたら、部屋の真ん中で倒れているこの不良が、久しぶりにこの部屋を有効利用した人物かもしれない。

 

 彼女が起きる前に、尋問の態勢を整えておくとしよう。部屋の隅の、錆だらけになった木と鉄の椅子が山のように集積されている場所へ目を向ける。どこかのバランスを間違えたら、雪崩のように全てが台無しになってしまいそうな集積場だ。

 そこから繊細な手つきで椅子を一脚持ってきて、部屋の真ん中に据える。意識のない彼女をなんとかその椅子に座らせて、手足を椅子に括り付けた。両脚は椅子の脚に、腕は後ろに回して、背もたれを支える鉄柱に肘の部分を括って、両手の親指同士を結ぶ。これで、目を覚ましても余計な動きはしないだろう。

 

 三分ほど時間はかかったが、尋問の準備は整った。さっさと始めてしまおう。

 

「おーい、起きろー」

 

 僕は彼女の肩を叩く。だらんと前に垂れた頭が、僕の手に合わせて揺れた。三、四回はそうしてみたが、どうにも寝入ったままだ。起こさないことには話もできない。困ったな。

 

 使えるものはないかと部屋を見回すと、非常用備蓄水というラベルの貼られた段ボール箱が目に入った。これはいい。僕は箱を開けて、中から二リットルのペットボトルを一本取り出す。賞味期限は一年前だ。どうやら、ちゃんとローリングストックされていないらしい。全校生徒が五人だから、別にそれでも良いのだろうが、ゴミなんだから捨てるべきだろとは思う。

 ただまあ、今回に限っては役に立った。廃材のリユースってやつ。

 

 僕は彼女の顔を上に向けると、ボトルの蓋を開けて、顔目掛けて中の水をぶちまける。顔についた砂と埃が洗い流されて、セミロングの茶髪や汚い服に期限切れの水が染み込んでいく。五秒ほどそれを続けていると、彼女は鼻から水を吹き出して大きく咳き込み始めた。気絶していても咳嗽反射は正常に働いているらしい。顔についた水を拭おうと手を動かすが、その腕が縛られていることに気付くと、上半身を左右に大きく捻り始めた。だけど、その程度で解けるような結び方はしていない。鼻腔や気管に流れ込んだ水を、咳ともくしゃみともつかないような音と共に排出しながら、紐を相手に悪戦苦闘する。

 

 やがてストレスが限界に達したのか、上半身のみならず下半身まで使って拘束から抜け出そうともがき始めた。サーカス団じゃないんだから、そんな強引な方法で抜けられるわけがない。陸に打ち上げられた魚みたく体を捩る。実態としては、水から上がったわけでなく水に浸かって呼吸ができなくなっているわけだから、対極と言って良いような状況だけど。誤嚥を吐き出すための脊髄反射運動によって咳ばかりが出て、上手く息が吸えなくなっているのだ。酸素が足りなくなってパニック発作を起こしかけている。

 

 このままもう一度気絶されても面倒だ。呼吸の苦しさから彼女の意識を逸らす必要がある。僕は腰のホルスターから銃を抜いて、彼女の耳元で三発撃った。周囲の景色が目に入ってなかったのか、突然の衝撃波に彼女は大きくのけ反った。注意が逸れたのを確認してすかさず、彼女の顎を下から掴んで、強引に僕と目を合わせる。

 

「おい、こっちを見ろ。目を合わせろ」

 

 彼女はめいっぱいに見開いた目をこちらに向けた。頬の筋肉が小さく痙攣し、小さな喘鳴が唇の間から漏れている。僕がかけた水に、涙と唾液の混ざった液体が僕の手を濡らす。小さく咳き込んで、彼女の口から出た水が僕の腕へ飛んだ。後で手を洗わなきゃな。

 目の色は明らかに怯えを含んでいた。良い兆候だ。

 

嵐峰(あらしみね)トモノだな?」

 

 僕がそう問いかけると、彼女は一度、身体を震わせた。どうして名前を知ってるのか、って言おうとしているのが分かる。ただ、舌がまだ上手く動かなくて、顎が僕によって固定されていて、結果的に、意味の通らない呻き声を発するだけに終わった。

 

 名前が分かったのなんて、なんのことはない。さっき撮った顔写真を、連邦生徒会の生徒データと照合しただけだ。S.C.H.A.L.E職員としてのIDは、出張が決まった日にはもう受け取ってある。僕がS.C.H.A.L.EのIDカードを首から掛けてること、そして自分を撥ねた車にK.S.P.Dのロゴがあったこと、事実を繋ぎ合わせれば、僕が彼女の名前を知っていることに不思議な要素はどこにもない。

 

 だけど、こいつはただの不良だ。そんなことは知る由もなければ、考える頭もない。だからこういう脅しは効果がある。

 

「あのゲヘナを半年で退学とは、余程の悪人なのかと思ったら……。今の様子を見るに、ただの臆病者だっただけみたいだな? 一緒に出てった木魂(こだま)ウタとはもうつるんでないのか?」

 

 また震えた。どうしてこんなに気が小さいのに、不良なんてやってるのだろう。活動領域が明確なヘルメット団は、地域で行き場のなくなった不良の受け皿として、ある種の互助組織的な側面があることは知っているが、にしてもこんな奴が今まで活動できたのは不思議だ。よほど世渡りがうまいのだろうか。

 

「そう、つるんでない。よな? だって、あいつがヴァルキューレに捕まった時、お前はあいつを見捨てて逃げたんだから。今まで一緒にワルやってきた相棒を見捨てた。あいつが矯正局でなんて言ってるか知ってるか? あいつ、お前は裏切り者だって触れ回ってるよ。局の連中はみんなお前の名前を知ってるぞ。あの中にいる連中は、裏切り者の名前は忘れない。そいつらが出てきたら、お前はどうなるんだろうな?」

 

 この話は真っ赤な嘘だ。木魂(こだま)ウタという生徒と家が近く、中学から同じ学校に通っていること、二人が同時期にゲヘナ学園を退学していること、ウタが捕まった時にこいつが一緒にいたこと。この三つは、生徒記録とヴァルキューレの調書に書いてあったが、それ以外の部分は全て、いま僕が考えた作り話。だけど今のこいつには、僕の発言の裏を取る方法はない。

 

 いま、嵐峰トモノの頭の中では、僕への恐怖と、それと同時に、僕の発言に対しての恐怖がない混ぜになっていることだろう。彼女は再び拘束を解こうと暴れだした。

 僕は暴れる彼女の細い首を正面から掴む。頸動脈に力を加えると、見る見るうちに顔が赤く染まり始めた。それでも身体を捻って抜け出そうとする。だけど、それは逆効果だ。僕は首を掴んだまま、上に持ち上げる方向へ力をかける。顎が閉じられ、体重がそのまま気道と頸動脈への圧力に変わる。呼吸のために開かれた唇から噛み合わされた歯が覗く。喉からカエルの鳴くような音が発される。身体の動きはおとなしくなった。

 僕は彼女の耳元へ顔を近づけて言った。

 

「ヘルメット団の連中は、お前が薄汚い鼠と知ったらどんな制裁を加えるんだ? 囲んで撃ちまくるとかか? どちらにせよ、ろくな未来じゃないな」

 

 手を離すと、ゴムボールから空気が抜ける時みたいな高い音を伴って、乱暴な呼吸が繰り返された。赤くなった顔が徐々に本来の色を取り戻していく。だけど、血流はともかく精神は、もはや元の彼女ではなくなった。 見違えるようにおとなしく、ただ下を向いて小さく息をするだけだ。ここまでやれば、もう敵対的な態度は取らないだろう。

 

「さて、事態は認識できたか? 今のお前は……、正直に言って非常にまずい立場に置かれている。僕が少し言付けすれば、カタカタヘルメット団はお前を裏切り者と見做すだろう」

 

 本当にそうなるかは分からないし、そもそもカタカタヘルメット団の連絡先とか知らないから適当言ってるけど、それも彼女には分からない。

 反抗心を削ぐフェーズはこれで完了と見ていいだろう。ここからは、取引の話だ。

 

 僕は教室の入り口に目を向ける。ここで先生が颯爽と登場して、カタカタヘルメット団による報復からの保護と、S.C.H.A.L.Eの権限でまともなアルバイト先を斡旋することを約束したら、彼女は一も二もなく僕たちに協力してくれることだろう。アジトの場所から構成人数、あるいはもしかしたら、スポンサーにカイザーがいるってところまで聞き出せるかもしれない。

 

 さあ、先生!

 今こそ、数多くの生徒をオトしてきた魔性のイケメンスマイルで、彼女を骨抜きにしてやるのだ!

 

 ——あれ?

 

 待て。これは明らかにおかしいぞ。

 目の前で憔悴している彼女がおかしいというわけではない。そうではなく、どうしてここまでやっているのに先生が入ってこないのか、という意味だ。

 冷静に考えて、悪い警官役とはいえ、僕は透き通るような世界観の学園青春RPGとは程遠いことをやってたよな。なのになんで先生は止めに入ってこなかった? 良い警官とか関係なく先生としてストップが入ると思ったんだけど。部屋の扉の前にいるなら、僕が三発撃った銃声が聞こえていないわけがない。ここまでやって良い警官が入ってこないのは、いくらなんでも割り切りすぎだろう。どうしてこんなになるまで放っておいたんですか?

 

 もしかして、対策委員会に呼ばれて、なにか別のことにかかずらっているのかもしれない。だとしたら、戻ってくる時間が読めないな。先生のことだし、良い警官役を任せるって言った以上、ほっぽり出すなんてことはあり得ないけど、用事の種類によっては時間がかかるかもしれない。

 

 どこかで止められたときの高低差を演出するつもりで、あえてこうも過剰なまでに苦しめたっていうのに。これで助けが来なかったら、僕が他人を拷問するのが好きな怖い人だと思われちゃうじゃないか。僕はただ与えられた仕事に熱心に取り組んでいるだけの真面目な生徒だっていうのに……。

 

 かといって、先生が戻ってくるまで悪い警官をやり続けるのもリスクが高い。こんなに生徒がボロボロになってると、僕の蛮行が露見した時にお説教の一つや二つは食らいそうだ。

 

 面倒だが仕方がない。こうなったら計画変更だ。土壇場でのアドリブは僕の得意技。

 ここは一つ、僕が良い警官も兼任することにしよう。先生みたいに優しい人にはなれないけど、優しい人のふりをするのは得意だ。

 

「そこで、だ。そんな行き場のないお前に、私が特別なオファーを用意してやろう。感謝しろよ?」

 

 僕は部屋の隅にある、剣山のように聳え立つ椅子と机の山から一脚の椅子を引き抜いた。鷹揚とした動作で、取り出したそれを嵐峰トモノの前に置く。

 埃を被った椅子に大儀そうに腰掛けて、僕は言葉を続ける。

 

「もし、お前がヘルメット団の情報を渡してくれたら、ここから無事に帰してやろう。僕も、お前が裏切り者だって話を言いふらさない。お前はまっすぐ根城に帰って、ブラックマーケットで別の仕事を探せ。あの連中とは縁を切ってな」

「は……。情報を、渡せって?」

「嫌か? あんな連中を庇って何になる?」

「……あんたから見たら、そうなのかもな」

「と、言うと?」

「あんた、連邦生徒会の人間だろ? その服のロゴ、テレビで見たことあるぜ」

「よく知ってるな、って褒めるべきか?」

「あんたみたいなのには分かんないだろうなって、思っただけさ。ちゃんと仕事して、ちゃんと学校に通って。そういう人間には、あたしらみたいなののことなんて分かんないよな」

「何が言いたい」

「ダチを裏切るような人間にはならねぇよ、ばーか」

 

 彼女はそう言って笑った。結構な譲歩をしたつもりだったんだけど、却って舐められてしまったみたいだ。やはり一人二役は無理があったか。

 

「たしかに、あたしは一度間違えた。ウタを置いて逃げたのは、あたしの人生でいっちばんの間違いだった。だから、今度は間違えない。あんたらに渡す情報なんかないよ」

「解せないな。お前らは所詮、ここを根城にしてる不良ってだけの集まりだろう。どうしてそう庇い立てる。何がそうさせるんだ?」

「あんたバカだよ。何にもわかっちゃいない」

「へえ?」

「ここを根城にしてるってだけで、うちらは仲間なんだよ。おんなじような場所で暮らしてりゃ、おんなじような悩みがある。ここじゃ夜になってもシャワーもろくに浴びれない。髪の毛も洗えないで、脂まみれの毛が絡まったまま一週間過ごしたことがあるか? ようやくありつけた飯に砂がついてて、それでも食って口ん中を砂だらけにしたことはあるか? 住んでた家が寝てる間に砂に埋まって、朝起きたら持ち物が全部使い物にならなくなってたことはあるか?」

 

 嵐峰トモノは、僕を睨みながら一気呵成に捲し立てた。彼女の眼には、銃や爆弾とは比べられない力があった。それは、言うなれば野良犬の力だった。ミレニアムスクールやトリニティ学園では滅多に見ることのない、生存を賭けた競争の中で鍛えられた力だった。明日も生きていくために砥がれた牙を内に秘めた力だった。勝つためならどんなものにでも勇ましく噛み付いて、その傷から流れ出た血を糧として生きていく力だった。

 

「割れた水道管から漏れる錆だらけの水を飲んだことは? 誰かも知らねぇ奴に土下座して道を開けてもらったことは? 拾った銃と引き換えに穴だらけの服を貰って、それで死ぬほど喜んだことは? 無いだろ、無いよな、あるはずがねぇ。お前みたいな真っ白な服を着てる奴にはわかんねぇんだろ? お前にはあたしらが死ぬほど惨めで憐れで見窄らしくて、バカで間抜けなクソッタレに見えてんだろ!」

 

 嵐峰トモノは声を荒げる。それは何か得体の知れない怪物の唸りにも聞こえる声だった。世界の全てを踏みつけているような声だった。

 

「だけどな! あたしらはみんなそうやって生きてんだよ! そうやって生きてきてんだよ! あたしらはみんなそれを知ってる。ここで生きるのがどんだけ苦しいか、それでもここで生きるしか無いってのがどんだけクソなことか分かってる。あたしらは世間一般から見たら惨めかもしれねぇ。だけどそれでも、そういういろんなクソなことを全員で、支え合いながら傷舐め合って惨めに生きてんだよ。あんたの言うことも事実なんだろうさ。普通に考えたらあんな奴らを庇うなんておかしいだろうよ。でもあたしらはそういう普通から見放されて、見捨てられて、そうやって流れ着いた場所でみんなで暮らしてんだよ。世間様からしたら犯罪者かもしんないけど、それでもあたしにとっちゃ、自分も腹減ってんのに飯を分けてくれた恩人なんだよ。だからあたしは、あいつらのことを裏切らない。情報を渡せだって? ふざけんなよクソが。教えるわけねぇだろ。あたしはあんたらみたいななんでもないように生きてて、そのくせ汚ねぇことはあたしらに任せるような腐った奴らのことが大嫌いなんだよ。オファーなんざクソ喰らえだ。テメェが砂に埋もれて死んだらそんときまた考えてやるよ」

 

 彼女はそこまで言い切ると、僕に向かって唾を吐いて、それから下を向いて口を閉ざした。完全にシャッターを下ろしてしまったみたいだ。もはや交渉の余地はどこにも無くなってしまった。

 

 もしかしたら。もしかしたら、先生だったら、傷付き過ぎて瘡蓋まみれの彼女の心を開かせることができたのだろうか。彼女に手を差し伸べて、真っ当な大人としての救いを用意することができたのだろうか。普通の生徒として、笑って学生生活を送らせることができたのだろうか。

 僕には皆目見当がつかない。彼女を癒す方法も、彼女を救う方法も、彼女を笑わせる方法も。僕には、それはできない。それは、大人だからとか、子供だからとか、そういう次元の話ではない。僕はきっと根本的な部分で、先生とは全く違う人間だったのだ。

 

 こんなところで、先生という存在が負っているものの重さを知ることになるとは、全く想像もしていなかった。この場に彼が居たらどうしていたのだろう。僕は無性にそれが知りたくなった。僕には無いものを持っている彼は、僕では解決できない問題にどう向き合うのか。

 これが、先生と生徒の差ってやつなのだろうか。僕はただの子供であって、そんなただの子供には、嵐峰トモノのような子供を教え導くことはできない。それがここにある、唯一にして無情な現実ってやつだった。

 

 僕は彼のように優しくは在れなかった。だけど幸いなことに、僕は物事を綺麗に割り切れる人間だった。

 

「——交渉は、決裂だな」

 

 僕はそう言い捨てた。

 

「ああ、決裂さ——」

 

 彼女は、そんなことを言い捨てようとした。

 

 僕は、その台詞を言い終わる前に、彼女の胸を思い切り蹴飛ばした。

 

 天地がひっくり返るんじゃないかってぐらいにやかましい音を立てて、嵐峰トモノは、彼女が拘束されている椅子ごと後ろに吹き飛んだ。反動で僕も後ろへ転がりそうになるが、脚を振ってその反動を打ち消す。四肢を縛られている彼女にそんな芸当はできず、背もたれを床にした格好で無抵抗に倒れた。

 そのまま僕は立ち上がって、床に置かれたままの、期限切れの備蓄水が入ったペットボトルを拾う。胸骨と背骨を強か打って咽せている嵐峰トモノへと歩み寄る。彼女は痛みに顔を顰めながら僕を睨んでいた。

 

 僕はペットボトルを彼女の顔の横に置く。意識を取り戻した時のことを思い出したのか、彼女は頭を振って、そのペットボトルを退かそうと試みた。だが、それは無駄な試みに終わる。僕が首の可動域を考えずに、道具を置くわけがない。

 

 部屋にうず高く積まれた段ボールの一つに、アビドス高校の制服が詰められたものがあった。僕はその段ボールから、ビニール袋に入った新品のブレザーを一枚手に取る。サイズ的には、砂狼シロコぐらいのものだ。いつか入学するかもしれない後輩のために保存されているものだろう。

 

 ビニール袋の封を切って、ブレザーを取り出す。綿とポリエステルの滑らかな生地だ。アビドスの厳しい暑さによく適応する涼しさもありながら、汗をかいても透けない一定の厚みも有している。悪くない。

 一通りに触り心地を確かめてから、そのブレザーを嵐峰トモノの顔に掛けた。彼女の顔が白い布で覆われて見えなくなる。顔全体が覆われたことを確認してから、僕は床に置いていた備蓄水を取り、彼女の顔を隠す布に向けて水を撒き始めた。水を吸ってブレザーの色が白から灰色へ変わる。

 

 ウォーター・ボーディングと呼ばれる強化尋問の手法の一つだ。四肢を拘束した上で、顔に布なんかを敷いて、そこに水を掛ける。すると、対象者は実際に溺れていないにも拘わらず、水を含んだ布が鼻や口を塞ぐことによって、簡単に窒息や溺水状態を作り出すことができる。本格的にやるなら、対象者を逆さ吊りにして、息を止めても強制的に鼻腔へ水が入るよう工夫する必要があるが、そこまで大掛かりな設備はここにはない。それに、先ほどの気絶から醒させたときの記憶がまだ色濃いうちなら、顔に水をかけるだけでも恐怖は十分に惹起できる。

 銃弾で撃たれても痛いで済んでしまうキヴォトスの人間には、こういう回りくどい手法のほうが効果が大きい。アメリカも、このやり方はジュネーブ条約に違反していないと主張している。効果が見込めて法的にクリーン、必要な道具も少ない。理想的なやり方だ。

 

 二リットルのペットボトルに残っていた分を全て流し終えたところで、もう一度尋ねる。

 

「なあ、取引に応じるつもりはあるか?」

 

 彼女は答えず、じたばたと首を振るだけだった。否、という意味だろう。長々しい啖呵を切っただけあって強情だ。彼女にとっては、おそらくキヴォトスで生きてきて初めての——否、僕がハンヴィーで撥ね飛ばしたことを含めて二回目の死の恐怖のはずだ。銃撃戦が日常の世界で死の恐怖がこうも縁遠いというのも不思議な話だけど。

 どうやら彼女は並々ならぬ意志力の持ち主のようだ。明確な自分の意思を持っている人間は好きだ。これで敵対的でないなら、友人として仲良く一緒に仕事をしたいところだったのだが。

 

 たらればを考えても仕方がない。僕は備蓄水をもう二本、段ボールから持ってきた。ボトルは全部で六本。いま一本使い切ってしまったから、あと五本だ。全部使い切る前に聞き出せるだろうか?

 

 新しく一本開けて、鼻のあたりにゆっくり流す。激しく暴れているから狙いを定めるのが難しい。マリオパーティーとかでこんなミニゲームがあった気がする。長く鼻に当て続けることができたら高得点。

 

 半分ほどかけたところで、再び彼女に尋ねる。

 

「ここで意地を張ってもお前が死んじまうだけだぞ? 大義や信条のために死ぬってのを否定はしないが、今この場面でお前が採るべき選択ではないように思えるね」

 

 僕は彼女の顔の横に座り込んで語りかける。なるべく彼女に寄り添った声色で。

 

「君がここで沈黙を貫いたとして、他にヘルメット団は山ほどいるんだ。君が使えないなら、それ以外の奴を捕まえてきて同じことをするだけ。あと何人、君の仲間を連れてきてずぶ濡れにしなきゃならない? 団員を守りたいってんなら、ここで君が全てを話して、事をすっぱり片付けるのは悪くないんじゃないかな?」

 

 教祖が信者に世界の真理を語るような口調で、僕はとどめの一撃を放った。さっき彼女が話した通りのことを思っているなら、ほかのヘルメット団を脅迫材料に使うのは効果覿面だろう。いくら気分が昂ったからといって、尋問している相手に自分の大事なものをべらべら喋るのは、賢い行いじゃない。

 

 僕は立ち上がって、おまけの一発として、床に転がる彼女の側頭部を蹴った。サッカーの初心者がやるようなトーキックだけど、ボールじゃなくて人を蹴るならこっちの方が都合がいい。うまく耳の部分を蹴り抜けたのか、トモノは痛みに叫んで身体を跳ねさせる。

 

「話す気になってくれたかな?」

 

 


 

 

 結論から言うと、嵐峰トモノは全てを教えてくれた。アジトの場所、建物の構造、組織の構成人数、腕が立つ奴の名前と人相、活動の周期、使っている物品の仕入れ先。そして、物資を積んだトラックが今日の午後にアジトへ到着するってこと。

 

 僕たちはその情報をもとに、ブラックマーケットからアジトへ物資を運んでいる大きなトラックを襲撃して、中の荷物を根こそぎに奪った。

 そして、荷台の荷物をアビドス対策委員会のメンバーに入れ替えた状態で、今、廃墟の立ち並ぶアビドスの旧市街を走っている。運転席に僕、助手席に小鳥遊ホシノ、荷台にはアヤネを除いたほかの対策委員会メンバーが載っている。今頃は作戦会議を開いていることだろう。先生とアヤネは校舎でお留守番だ。ドローンで僕たちのバックアップをしてくれる手筈になっている。

 

 計画としては、ヘルメット団になりすまして、トラックでアジトの中まで運び、内側から倉庫や発電設備などの重要拠点を破壊するってものだ。原作ではあくまで前哨基地を襲撃しただけだったから、そのまま吶喊すれば先生の指揮も込みで楽に勝つことができたが、本アジトとなるとそうも行かないようで、こんな回りくどい作戦を立てることになってしまった。

 個人的には、ここでアジトを完全に破壊して、アビドスからヘルメット団を撤退させてしまうのは、便利屋68による二回目の襲撃で使われるヘルメット団が不足してしまうのではないかという懸念もあったが、さすがに真面目な作戦会議の場でそれを言い出すのは憚られた。原作をなぞるって点ならともかく、アビドスの脅威を排除するって意味では、僕の提案は敵に利する行為でしかなかったからね。

 

 嵐峰トモノに関しては、尋問が終わった後に、先生にも会わせずそのまま解放した。全身びしょ濡れで耳から血を流している彼女を見せるのは、僕の信用問題になりそうだったから。僕の財布に入っていた十二万四千円を渡して、そのまま教室の窓から外へ放流だ。あれだけ持たせれば、砂漠のど真ん中で野垂れ死ぬなんてことはあるまい。

 

 全てが終わって結果を報告しているときのホシノの目がちょっと怖かった以外に、大した問題はなく、原作のレールに戻すことへ成功した。これは大戦果と言ってもいいだろう。『対策委員会』編は地雷が多くて困る。ある程度の所まで見届けたら素直に退散するとしよう。まだS.C.H.A.L.Eビルへの挨拶にも行けてないし。

 

「それにしても、あんなに詳しい情報を話してくれるなんて、驚いたよ。どうやって聞き出したの?」

 

 僕が気分上々でハンドルを握っていると、隣のホシノが僕に話しかけてきた。いい加減に警戒を解いて欲しいところなんだけどな。僕のせいで先生への警戒レベルまで引き上がってるのは、思わぬ所まで余波が響きそうで怖いんだけど。

 

「S.C.H.A.L.Eの権限でまともなアルバイトを斡旋するって言ったら、すぐに教えてくれたよ。ヘルメット団が暴れてるのも、結局は金のためだからね」

 

 適当なカバーストーリーで誤魔化す。通用するかな?

 

「ふぅん、なるほどね。結局は金、か」

 

 特に深入りすることなく引き下がったな。ちょっと意外だけど……。

 ああ、例の九億ある借金のことを思い出したのか。金に困ってるって話に同情でもしたのかな。おまけに、S.C.H.A.L.Eの権限ってところも引っかかったんだろう。先生に良い顔すれば割のいいバイトを紹介してくれるかもって考えたわけだ。いいぞ、その調子でどんどん先生の好感度を上げていけ!

 

 いちばん下心で動いてるの、先生じゃなくて僕じゃん。あの足舐める人より僕のほうがギャルゲーやってる。なんで?

 

「なんなら、君たちにもなんか仕事を回そうか? いかんせん、発足したてだから人手が足りなくてね。先生に頼めば、色々と融通を利かしてくれると思うよ」

 

 本来ならこういう話は先生を通してからやった方がいいんだろうけど、借金問題が後々明るみになるなら、早いうちに種を蒔いておいたほうがスムーズだ。これでホシノが先生に仕事の紹介を頼んだら、巨額の借金を抱えてる伏線にもなる。そして、そんな借金がありながらも合法的な手段で金を得ようとしている真面目な生徒だってアピールもできる。先生側からも、ホシノのスタンスを掴みやすくなるだろう。

 いわゆるおせっかいってやつだけど、僕が介入したことで危うくなった均衡を戻すには、積極的にコミュニケーションさせたほうがいい。

 

「それはありがたいけど……。なんでそこまでしてくれるの?」

「そりゃあ、先生は生徒のことを第一に考えるもんだろう? って、そういうことを聞きたいんじゃないんだろうね。白状すると、実際的な利点もある。初めて会った時から思ってたけど、君、結構強いでしょ」

「えー、そうかなぁ? そんなに買い被られると、おじさん困っちゃうよ」

「買い被りかどうかを決めるのは先生さ。まあ、どちらにせよ、ある程度は腕が立つってことじゃないと、これからの作戦に支障が出るんだけどね。今から敵の巣穴に飛び込むんだからさ」

「確かに。後輩に格好悪い先輩って思われなくないし、ちょっと頑張っちゃおっかな」

「その意気で頼むよ。僕はこういうのはからきしなんだ」

「あれ、そうだったの?」

「そりゃそうさ。今ここにいるのは成り行きみたいなもんで、元はしがない事務員だからね」

「それも、なーんか疑わしいけどなぁ……」

「あはは。まあ、本当かどうかは自分の目で見て決めなよ。そろそろ到着だ」

 

 ゴーストタウンと化した街並みをくぐり抜けていくと、唐突に、軍事要塞として改造された奇妙な構造物が視界に現れた。本来は、なにか大きな施設だったような外観をしているが、今では見る影もない。庭のような広いスペースには戦車や装甲車がいくつも並べられていて、ほとんどの窓が木の板で塞がれている。遠目から見ても物騒な雰囲気が伝わってくる外観だ。なかなか金のかかりそうな改築だけど、それもカイザーから出してもらったんだろうか。

 

 ホシノの話では、ここは元々、アビドス高校の第三分校だった建物らしい。彼女が入学した頃には、砂漠化の影響で水道や電気が使えなくなっていたため、すでに廃棄されていた校舎とのこと。新しく建てるよりは元からあるものを使ったほうが経済的なのは理解できるけど、アビドス高校の人間を追い出そうとしている集団がアビドス高校の建物で暮らしているのは、なかなか無情な有り様だ。ホシノも険しい顔をしている。そりゃあ、在校生にとっては気分良くないよな。

 

 程々に近づいたところで、足元に置いておいたヘルメットを被る。このトラックの本来の運転手が被っていたものだ。持ち主は今頃ヴァルキューレのお世話になっていることだろう。助手席のホシノも同様に、何か不明なキャラクターのシールが貼られている赤いフルフェイスヘルメットを被った。溢れる桃色の髪の毛は誤魔化せないけど、潜入するなら無いよりましだ。

 

 屋上に並べられた機銃に睨まれながら、建物の前にトラックをつける。クラクションを鳴らすと、校門の向こうから少女が一人出てきた。

 彼女は運転席側に回って、手招きするような動作をする。窓を開けろって意味だ。僕は大人しくそれに従う。

 

「遅いな」

 

 開口一番、彼女が不機嫌そうに言った。

 

「タイヤがパンクしたんだよ。こんなボロいトラック、どこで買ったんだ?」

「さあな。どうせブラックマーケットで安物を買ってんだろ」

「けち臭い。次はもっと上等なのを買ってほしいもんだ」

「違いないな。番号と中身は?」

「食料と弾。B77番だ」

「えーっと……」

 

 どうやらセキュリティ意識のためか、あるいは備品管理のためか、アジトに搬入されるトラックにはすべて番号が振られているらしい。僕たちが乗っているのはB77の番号が割り当てられたトラックだ。砂狼シロコがドライバーを撃ちまくって教えさせた。僕がやった尋問もなかなかだけど、あの子も相当荒っぽい。ん、さっさと吐く。じゃないんだよ。見てるこっちが怖かった。プロ銀行強盗erの片鱗が出てたぞ。

 

「あった。三十分も遅れたのか」

「一時間は遅れなかった。それを感謝するべきだな。あんたもタイヤのパンクしたトラックで砂漠を走ったら分かる」

「あたしはごめんだ。入っていいぞ。食堂で腹を空かせた奴らが山ほど待ってる」

「全員集めとけ。山ほど食わせてやる」

「楽しみにしてるよ。三番車庫だ」

 

 手にしたクリップボードに何かを書きつけて、彼女は校門を開けた。簡単な変装だったけど、なんとかなるもんだ。入れ替わりの激しい不良集団だからこそのやり方だな。

 

 ゆっくりとアクセルを踏んで校内に入った。少し奥に行くと、そこかしこをヘルメットを被った不良たちが行き交っている。事前に情報は得ていたとは言え、実際に目で見ると壮観だ。地場の治安維持組織がろくに機能していないとはいえ、ここまでの規模まで拡大したヘルメット団は見たことがない。これにカイザーの後ろ盾が加わったら、たしかに手のつけようがないな。

 

「すごいことになってるな」

 

 僕がなんとはなしにこぼした言葉を、ホシノが拾う。

 

「そうだね。これはちょっと大変そうだぁ」

「勝てる見込みはある?」

「もちろん。うちの子はみんな強いからね」

「それは心強いね。アビドス生の意地ってやつを見せてくれ」

「もちろん」

 

 しばらく走らせてると、三番車庫、という看板のついた建物が見えてきた。シャッターの開いた入り口から入れて、並んでいるトラックの一番端に滑りこませる。車庫の中に人影は確認できない。ひとまず、安全に事を始められそうだ。

 

 ヘルメットを脱いで、アヤネから渡されたコンパクトなイヤホン型のヘッドセットを耳に装着する。まるで僕までアビドス高校の生徒になったみたいだ。原作で大活躍だったあのメンバーの一員として銃撃戦ができるとは。

 柄にもなく昂ってきた気分を抑えて、僕はヘッドセットの電源を入れる。問題なく信号が繋がった。

 

「到着だ。第三車庫の中」

「了解しました。上空からの映像、問題ありません」

 

 アヤネの応答を確認して、僕とホシノは互いにアイコンタクトを交わして頷く。あの暁のホルスとの共闘。さんざん心労をかけさせられた僕へのご褒美タイムだ。存分に楽しんでやるとしよう。

 

「——作戦開始」

 

 

 

 





なんか、CoDのキャンペーンみたいな回になった。
次回はかっこいいホルスおじさんが見れるかも。見れるといいな。
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