《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
《決闘専用フィールド》
《気候:晴天》
《ユーザー数:2》
私が真っ直ぐ見据える先に、背の低い女の子がいる。
童顔で、飾り気のない真っ直ぐな黒髪。平淡な眼差しをして私をじっと見つめる女の子が。
少女はパッと口を開くと、
「はじめにひとつ言っておくけど私はインフレーションの頂点だから。レベルは8億全ステータス平均値は9200垓まで行った」
一息にそう言い切る。
「あとスキルを28個持っているしこれからも増えると思うよ」
「カナミヤ……今みっつか四つくらい言った気がする」
「……きみ細かいね」
女の子の
「私のレベルは43! 全ステータス平均値は254!」
「ひかえめにいって戦う意味はないと思う、きみはアリ私はゾウそれくらい違う」
「カナミヤ、このゲームはそんな単純なものじゃないって知ってた?」
私が自信満々に胸を張るのを見て、カナミヤは無表情に小さく瞬きをするだけだった。付き合いの浅い私でも何となくわかる。カナミヤなりに呆れている時の仕草だ。
「面倒だからさっさと終わらせようか」
言いつつカナミヤは一歩、こちらへと歩み始める。右足が軽く上がり、ややあって地を蹴る──。
その一歩。
その歩進の始まり。
ただ一つの行動だけで、彼女の背後にあった建築物全てが吹き飛んだ。
「────」
破砕、轟音、激震も。それら全ての現象が始まるよりも少女は速い。
気付けばカナミヤは私の目の前にいた。十歩以上を要する距離を詰めるのに、時間という尺度は不要だった。
カナミヤの右腕が拳を象り、腕は緩慢な時間の流れの中で引き絞られていく──そしてあっという間に爆ぜた。
単純な殴打。
このゲームはカナミヤのステータスを参照し、精密な物理演算を実行。その速度を表現する。
瞬間的な加速が音と空間を叩き、それらよりも速く突き進む小さな拳。
音速、極超音速、それら音の領域よりも上。
それは
躊躇いなく私の鳩尾へと叩き込まれ、
「カナミヤすごい!」
「……」
「そんなにステータスが高いと単純なパンチが光速まで加速できちゃうんだ!」
興奮から胸の奥からバクバクと音が鳴るのが自分でも分かった。
これが『最強』とまで呼ばれる存在だ。シンプルなステータス値の暴力。そんな怪物に挑戦できている現状に、私の心は踊ってやまない。
「どうして無事なの?」
虚空を掠るだけで終わった右の拳を眺めつつカナミヤは尋ねる。
「フフフ、……知りたい?」
「別に」
「ちょっとしたコツがあるんだよコツが」
「聞いてないし。コツっていうかバグ技だよね。フレーム遅延」
大正解だ。カナミヤの勘の良さにブンブン頷いた。
戦闘が始まる前の事前準備として、私はこのゲームの計算処理能力に意図的な過負荷を引き起こさせている。
「すごい! なんでそんなすぐわかるの?」
「いちいち持ち上げなくていいから」
私とカナミヤが今居る空間は、あくまで数名程度のユーザーが使用することを想定した小さな空間として定義されている。つまりゲーム内で割り当てられた計算資源は限られている、というのが私がこれまで積み上げた検証結果。
「このゲームって色んな噂があるよね。宇宙人が開発したゲームだとか、運営の正体は人間じゃないとか、地球外情報生命体の実験場だとか、だから人類が未解明な技術が使われているんだとか……」
最初から決まっている計算資源にあえて過負荷を発生させるような、ちょっとした物理演算の悪用さえ可能なら、音速以上の速度表現は実行されない。……っていうような予測を立てて予めフィールドのあちこちに私お手製バグアイテムを埋め込んでいたけど、うまくいったようだった。
私はしてやったりと得意げに、腰に両手を当てる。
「でも私、このゲームがそんなに不思議で未解明な技術を使ってるとは思ってないんだ。現に私がこうやってフレームレートの遅延をわざとやれるくらい隙だらけなんだし」
カナミヤは私の話を静かに聞いている。
「だからこうやって、ありふれたバグなんかも──」
私は片腕を思いっきり横薙ぎに振るう。肉体動作がスイッチになった訳でもないが、手指の先端がなぞった軌跡に従って、空間からは
まるで『世界』という表皮を引き裂いたかのような、異次元にただ黒いその裂け目。私はその裂け目を『アイテムボックス』と呼んでいる。そこから無数の物体が溢れだした。
鉄、木材、岩石、その辺で拾った土!
土砂崩れのように雪崩のように噴き出す物体群に巻き込まれながら、私は叫ぶ。
「結構簡単に起こすことができるよ!」
直後の事、私の全身が床を貫通した。
それは比喩でもなく、ましてや地中に潜ったという訳でもない。
目の前に広がるのは、色のない、形もない、感じられない異空間だ。
ここは、本来ユーザーが居るべき知覚表現空間《テクスチャー領域》とは別の位相――非知覚非表現非空間、《マシン領域》。
そんな異界を私は泳ぐ。
床を貫通した勢いを残して、下へと。少なくとも私が思う“下”へ、ゲーム上表現されることのない四肢を動かしていくと──
「!」
突如として世界に色があらわれる。青色。時折過ぎていく淡い白色は雲だ。
床を潜った私は空から姿を現す。
空間に匂いが溢れ、肌で冷たい風を感じる中、私の体はゲーム上に再現された重力に従って下降を始める。
「アイテムの多重過密状態による壁抜け……きみの強みはバグ技なんだ」
カナミヤの声は遥か下から聞こえてきた。思わずギョッとする。高度500mは離れてるんだけど……何かのスキルなのか?
しかし気にしても仕方がない。空に落ちた時点で私の戦術は変えられない。全身を叩く風の中、秒速56mに達する降下速度のままに私は空に手を引っ掛ける――落下を続けながら巨大な裂け目を生み出し、もう一度アイテムボックスを開く。
「かわして見せてよ! カナミヤ!」
再び裂け目からまき散らされるありったけのアイテム群!
土砂崩れのように雪崩のように湧き続ける岩石やコンクリートの瓦礫達は、秒も要さず空の全てを埋めていく。
「壁抜け、上空からの復帰。自由落下を利用した質量投下」
矢継ぎ早な言葉。
爆発するような風切り音の中、不思議と耳元で転がるカナミヤの声は的確だ。
――今、フィールド内の空の全ては無尽蔵の質量体で占められていた。それらは秒速56mにも達する実にシンプルな絨毯爆撃兵器。直撃すればそれだけで致命傷だ。
「悪くないバグ技のセンスだけは私に勝る」
「ねえさっきから何で君の声が聞こえるの?!」
「だけどそんな小手先の技で私に勝てると思わないで」
私から見て遥か下。ゴマ粒ほどに小さな点となったカナミヤが、掌を上にした片手を差し出すのが分かった。
直後。
視界の隅で、アナウンスが躍る。
■―■
スキル実装:《
Tips_其は恒星の創造を許す。
スキル実装:《
Tips_其は重力の自由操作を許す。
■―■
あ、これやばいな。
着弾より先に死ぬ。
本能が防御態勢を選択した。
手足を折り畳み頭と胴を守る姿勢を取った瞬間。
カナミヤの背後……その遥か奥。
《テクスチャー領域》の外。
点のように小さな灯火は生まれ──直後、世界は爆光と灼熱に包まれた。
「──────。。。。。。。!」
強烈な圧が吹き荒れ、アイテムボックスから呼び出した数多のオブジェクト達は木端微塵になってしまった。それを歯痒く思う間もなく空間が一斉に煮えたぎる。重要部位を守るために差し出した腕と足が一瞬で焦げていく。
熱はその時、フィールド全体を均質にぶん殴る暴力そのものだった。
光はその時、フィールド全体を平等に塗り潰す咆哮そのものだった。
一体何が起きたのかを私は推測交じりに呻く。
「ち、超新星爆発……!」
「このゲームはよくできてる」
カナミヤは作ったのだ。
恒星を。恒星創造を叶えるスキルによって。
そしてカナミヤは壊したのだ。
作り立ての恒星を。重力操作を叶えるスキルによって
「私達がかつて生きていた現実世界そこと全く変わらない物理演算をシミュレートしているんだから」
──『ぐしゃり』と生々しい物音と共に私は墜落する。全身を打つ衝撃と、先の超新星爆発の影響で四肢は炭化しきっていた。このゲームに回復アイテムなどという便利な道具は存在しない。致命傷を負ったなら治しきる手段はない。
このゲームは必要以上の痛覚を再現していないから、全身の骨が折れようと四肢が吹き飛ぼうと苦しむことはない。左肩の断面から流血のようにこぼれ続けるポリゴン体の量が、私のHPがもうほとんど残っていないことを告げていた。
「恒星の創造……重力操作……!? ちょっとチートすぎるんじゃないの……!?」
「言ったでしょ」
自由になる首から上を巡らせて、こちらへ悠々と歩み寄る少女を見上げた。
カナミヤの背後には、今、先まであったはずの青空が無かった。そこには純白に光り輝く小さな天体だけが浮かんでいる。
白く。
猛々しく自転し。
《テクスチャー領域》の外にあるというのに、その物理演算的表現のみで破滅の咆哮を《テクスチャー領域》内にまで轟かせる存在。
大質量星が超新星爆発を起こした後に残る、宇宙天文学においては極めて微小な、直径12km程度の超高密度大質量星……。
「中性子星……」
「私はスキルを28個持っているしこれからも増えると思うよって」
カナミヤは右手を空へと掲げた。広げた五指。平淡な眼差しが、瞬きを一つ──右手は拳に。
同時にアナウンスは駆け巡る。
■―■
スキル実装:《三と四番目の柄》
Tips_其は電磁気力を装備品とすることを許す。
■―■
カナミヤの右手は気付けば剣を握っていた。
刃渡り10m以上の、重力という槌によって鍛え上げられた純白の大太刀、それは中性子星を素材とした剣だった。
「中性子星を――剣にするなんて……」
「どこまで出来の良いゲームでも、ゲームはゲームだから」
重力の繭で包み上げることによって生まれた電磁気力が剣から吹き荒れ続ける。ただその現象の発動だけで決闘フィールド内は、《テクスチャー領域》の全域にある物質と言う物質が煮沸していた。……それ以上の現象が起こらないのは、決闘フィールド用に割り当てられたゲーム内処理能力を超えているからに他ならなかった。
「万物を貫徹する切断。
万物の硬度を無効にできる一撃。
これがパワーインフレーションの頂点ということ」
カナミヤがゆっくりと大太刀を構える。大上段の姿勢を取り、その切っ先は確かに私へと向いており。
アナウンスは、静かに、ユーザーの状態更新を告げる。
《UserName,Kanamiya》
《Status update》
《Equip_【硬度無効:パージブレード】》
恒星の創造。
重力崩壊の発動。
質量極限圧縮加工──超高密度天体が解き放つ電磁気力の支配。
「――桁が違う」
これが……これが『最強』。
スキル保有者。
全ユーザーの頂点……!
「バグ技程度が勝てる道理はないよ」
中性子星加工の剣が振り下ろされる。柔らかな滑らかな太刀筋は駆け抜け、その軌道直線状にあった全ての物体は一斉に爆散。ポリゴン体となって消滅し、勿論私も死んだ。
◇
《生活フィールド》
《ユーザー数:201》
今日も今日とて『村』は快晴だ。
青空の下、私は石畳の上で大の字になって笑い声をあげた。
「あー。負けた負けた!」
なんだかもう、悔しいとかそういう次元の感情が浮かぶ隙もないくらいに完敗だった。盛大に爆死したはずなのに、思考は不思議とクリアで爽快感で満たされている。
道行くまばらなユーザー達が寝転がる私に奇異の眼を向けて来るのも気にならない。高揚と充実に包まれふわふわとした心地でいると、さっと頭上に影が生まれた。少女が私を見下ろしている。
「これでわかったでしょきみはアリ私はゾウ」
「カナミヤ!」
飾り気のない黒髪の隙間から、平淡な目つきがこちらを見つめている。ぴくりともしない表情は仮面でも被っているみたいだ。
体を起こし、カナミヤの前に立つ。私がカナミヤの頭二つ分は背が高いから、カナミヤの首は上向いた。感情の読めない黒い瞳は私をじっと上目に見上げる。にっこりと笑って見せた。
「君はやっぱり強いね! でも次こそは勝つよ」
「まだやるつもりなんだ」
「まだまだやるよ、どんどんやるよ」
「意味あるの」
「あるんだ、私には」
「……、……。……」
よく分からないとカナミヤは小首を傾げる。どことなく猫みたい。そうして精緻な物理演算が少女のセミロングをした黒髪を揺らすのと、カナミヤがくるりと踵を返すのはほぼ同時だった。
背を向けたカナミヤが呟く。
「私また潜るから」
「またね! また今度ね!」
「……」
「約束だからねー!」
少女は振り返ることも手を振ることもなく、虚空を何度かタッチして自身のUIを操作する。そうして瞬きの内に姿を消してしまった。
恐らくダンジョン……《迷宮フィールド》に戻ったのだろう。
カナミヤが『村』に、《生活フィールド》に長居する用事なんてほとんどないから。
◇
『このゲーム』がサービスを開始して何年が経ったのだろう?
最初期200万人は居たはずのユーザー達のうち、未だに稼働状態にあるユーザー総数201人の誰もその疑問に答えられない。
現実世界がどうなっているのか誰にも分からないのだ。
サービス開始時点で、
リアルに復帰する手段がなく困惑するユーザー総数200万人に対し、運営が告げたアナウンスはただ一言。
《あなた達は真に自由です。》
以降、このゲームからの脱出手段が提示されることも、ゲームクリアの条件も、完全な死を迎えることさえも、このゲームに囚われたユーザー達は知る手段さえなく今に至る。
ユーザー達は確かに色んな意味で自由だった。
運営が用意したAI謹製の超巨大ダンジョンに潜るもよし。
ゲーム攻略などせず日々を怠惰に過ごすもよし。
ゲームの可能性を試すためにあらゆるバグを検証するもよし。
色々なユーザーがいて、色々なユーザーが日に日に非稼働状態へと陥っていった。
私は未だに……ゲーム内ではとてつもない時間が流れたであろう未だに、このゲームの可能性を検証している。
さて、そんなこのゲーム。複数人が同時参加するオンラインゲームだったのだから、当然最強のユーザーというものが存在する。
彼女は、一個あるだけでレベル換算100兆にも1000京にも匹敵するチートスキルを28個所有する、このゲーム唯一の“攻略組”。
稼働中ユーザー201人の中で未だにゲームクリアを諦めていない少女。
名前をカナミヤ。
小さくて、矢継ぎ早に喋って、仏頂面の女の子。
目下、私の目標はというと──私は彼女に勝ちたいのだ。
なぜ勝ちたいのかと言えば、それは少し時を遡る必要がある。