《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
《生活フィールド》
《ユーザー数:2》
分厚く黒い雲ばかりが覆う、曇天。
今にも雨が降り出しそうな気味の悪い天気の下。
未だに椅子に腰かけた姿勢から身動きを取ろうとしない黒いばかりの人型モンスターを、アンフェルフェフォビアは十数歩離れた位置から睥睨する。
凹凸の無い黒一色の人型。トーギというユーザーが抱いた自殺衝動から、『運営』がユーザーデータを乗っ取って顕現した半レイドボス。
■―■
《レイドボスイベントの開始まで残り182秒》
■―■
残り182秒以内に半レイドボス状態のトーギを一度殺す必要がある。それ以外にトーギが元に戻る方法は無い。
しかし赤い髪の女、フェフォは腕を組んだ姿勢のまま微動だにしなかった。何故ならフェフォ本人が動く必要は全く無いからだ。彼女の意思は彼女の装備品が代替する。
フェフォは薄く笑った。
「まずは手始めに光速でブッ潰してあげる」
腰裏の赤い蛇尻尾が一瞬で伸び、半レイドボスを薙ぎ払った。
光速の殴打が炸裂するが黒い人型は震えることさえない。
ただの物理など、もう意味をなさない領域に達していた。
フェフォの片眉が僅かに上がる。
「フン。相変わらずクソ仕様ねレイドボスって」
鞭にも似た殴打が直撃しても半レイドボスは身じろぎ一つしていない。まるで速度というパラメーターが生み出す物理演算結果を無視したかのような現象。慣性なき異常……。
ユーザーが本来持ち得ないパラメーターによるものだった。まっとうな物理演算の中にあるユーザーが刃物一つに刺されるだけで致命傷になり得るのに対し、レイドボスのみが実装を許されたステータス項目がある。
「『防御力』がもう実装されてる」
完全なレイドボスとして覚醒している訳でもないのに、かつてトーギというユーザーだった存在は既にいくつかのレイドボス限定の権能を使用している。『物理操作』、『過剰演出』、『物質創造』、それに『防御力』。
……思った以上に機能実装が速い。
「レイドボス適正……クソ運営が。喋れもしない木偶の棒に隠しパラメーターなんか作るんじゃないわよ」
舌打ちを一つ。半レイドボスの、目も鼻も口もない顔がゆっくりと動いた。一言も発することなくフェフォへと顔の向きが正される。フェフォもまた半レイドボスを真正面から睨めつけ──双方の敵意が交わされた直後。
「ねえアンタ、計算資源って知ってる?」
フェフォは挑発的な笑みを浮かべた。半レイドボスは虚空に飛翔中のロケット30億機を生み出し、それら全ての軌道到達点を赤い髪の女に設定した。
爆光が空の全てを覆う。それでもフェフォは、腕を組んだ姿勢のまま1ミリも動かない。
何故ならフェフォには比類なき“最高の汎用性”を持った装備品があったのだから。
「どのようなシステムにも、一度に処理できる能力には限りがある。だから計算資源の使い方は優先順位を決めなければならないってのが要件定義の大前提なワケ」
蛇尻尾は伸縮自在に踊り狂い、優雅にしなり、暴れ回る。それ自体がステータス値を持つ装備品として、3極というステータス値の暴力のみで空中のロケット全てを破壊していく。
30億機。全長100メートルを超す機械加工物が全て破壊されるまで、3秒も掛からなかった。
「さて……このゲームにおいて、ユーザーはレベルが高くなればなるほど発揮可能な速度が上がる。理論上、“
空が爆ぜた。
液体燃料が、耐熱殻が、かつてロケットだった物が、雨のように降り始めた。燃え狂い。ゴミをばら撒き。破片という凶器が空の全てを埋め尽くす。
──空は今、明確に赤黒かった。
そしてそれら飛散物全てがフェフォへと向かって落下し続けた。女は喋ることを止めなかった。
「クソ真面目に光速を再現しようとする頭のおかしいコンセプトをしたゲームがあったのよ」
破片群たちに意思でもあるかのような、物理法則上ありえない軌道。精密かつ単純な質量投下攻撃が降りかかる──それでもフェフォは一歩として動かない。
何故ならフェフォが持つ装備品は、その二股に裂かれた先端で、素粒子の直接制御が可能だったのだから。
「馬鹿になるほど凄まじい計算資源を割いてでも何故かそうしたがった『運営』と、それを叶えるために用意された光量子コンピューターがあった」
蛇にも似た尻尾が、装備型スキルが、フェフォの代替として空中を突き進む。邁進する最中に、主たるユーザーへの攻撃物全てに、その物質最小構成単位を
まるでピンセットのように物質中の陽子を掴み、再配置・反応制御を実行。
光速域で振るわれた素粒子制御技術は結果として核融合反応を物理演算の下に顕現させる。
「無論それほどの計算処理を誰にでも許していてはシステム側が破綻するわ」
曇天の下に、世界を覆う灼熱の層が溢れかえる。
破滅的な熱と光が破片群の全てを喰らった
約一億度の、炎の形をした雨が降る。──『物理操作』、レイドボス専用の権能。
アンフェルフェフォビアというユーザーのみを付け狙う、どのような破壊を経ようと迎撃行動を表現するゲームシステムの意思そのもの。
だとしても、
「いわゆる処理落ちってやつのコトなんだけど──」
フェフォは組んだ腕を解くこともなく嘲笑する。
そうして彼女が明確な悪意で半レイドボスをあざ笑うのと同時。
『ぴたり』と。
熱の豪雨が、静止した。
「ハッ。今のアンタがその程度しか物理を支配できないのがまさに処理落ち対策なのよ」
空間に存在するだけでユーザーを即死させうる熱エネルギーの雨は、しかし、降り注ぐ途中で固まっていた。天を覆う雨粒すべてが重力やエネルギーの放射といった、物質が従うべき見かけ上の法則を無視していた。
その異様な光景。
半レイドボスが、ようやく顔を上げる。今の今までフェフォだけを見つめていた黒き人型は、まるで慄くように天を仰ぐ。
「処理落ちを避けるために、『運営』はレベルというアーキテクトデザインを実装し、ハイレベルユーザーにのみ余すことなき計算資源の使用を
ただただフェフォだけが哂っていた。
馬鹿にしたようにせせら笑い、ゲームシステムが、『運営』が用意した敵対モンスターを嘲り続ける。
空中で静止し続ける熱の雨に混じって、紅い蛇尻尾が優雅に踊った。その場にとどまり続けるエネルギーを抓み、裁断し、触れ、裂き、制御していく。
「まぁ長々と話したけどね、何が言いたいかっていうと単純なコト」
──その時、フェフォが
片手を。掌を天に。上に。
たったそれだけの動作で、熱雨の全ては空の一点へと集約された。エネルギーの再配置──そして結集と圧縮。
「ワタシはシステムに最も優遇されているのよ」
そうして空には、小さな黒い球が生まれた。 澄み切った黒で輝くそれは、光輪のような輝きを外周に纏っていた。素粒子レベルで位置と運動量を直接編集し、極限まで時空曲率を高めた結果の産物――重力特異点。
「アンタに
女の視線の先に浮かぶ黒球──
そして、フェフォが掌をかざす先。
激烈の天。
晴れることなき曇天の隷下。
地と空の間に反物質の太陽が生まれ、アナウンスは駆け抜けた。
《UserName,Anhellfefobia》
《Status update》
《Equip_【硬度無効:インペリアルカノン】》
重力特異点放射エネルギーを元に生成した、1
重力の局所的創造と消失。
元素配列書き換え──物質変換。
四大相互作用の支配。
素粒子さえ容易に扱う彼女にとって、物理とは、稚児がクレヨンを使って白紙に描いた空想と同義である。
「これがワタシ、フェフォというユーザー」
背には光を。
美しく燃えるような紅の白金を。
「物理を笑えるだけの頂点。
物理の上位に立つということ。
ワタシという、インフレーションの到達点」
エネルギーと呼ばれる全てを支配する女、アンフェルフェフォビアは紅い瞳を緩める。
愉悦と嗜虐でうっとりと笑う。
「燃えて詫びて溶けて死滅しろ、
言い切った後。
フェフォは自らが立つ大地へ、《テクスチャー領域》へと光り輝く反物質塊を叩きつけ──。
重力結合をも上回るエネルギーの槍は、『防御力』を突き破り、半レイドボスごと星の核を貫通。
星が。
惑星再現級《テクスチャー領域》全域が。
ありとあらゆる全ての物質データが。
その時。
一人の女の嗜虐性で、星の一つが砕け散った。
■―■
《レイドボスイベントは終了しました。》
《テクスチャー領域の再構築を開始します。》
《再構築完了。》
《あなた達は真に自由です。》
■―■