《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》   作:てりのとりやき

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愛がなければできない嘘/狭い湯船に二人で浸かる幸福のようなもの

 

 

《個人フィールド》

《ユーザー数:2》

 

 カナミヤに惨敗したその日の夜。

 自宅。

 ぼんやりとした照明が照らす浴室。私は湯船に浸かりながら考え事をしていた。

 直前まで振っていた十六面サイコロの出目についてだ。

 3。4。1。11。13。15。

 ……振る時に天を向いていた面、振った力、方向。色々な要素はあるけれど乱数テーブルへのアプローチの仕方は間違ってないと思う。もっと効率よく確かめる術が欲しい所だけど、何事も一歩一歩進めていけばいい。時間はたくさんあるのだし。

 などという思考を、つらつらと取りまとめていると。

 

「──何をじっと考え込んでいるの?」

 

 声は至近から。

 同じ湯船に浸かる赤髪紅眼の女性ユーザー……フェフォが、じっと私を見つめている。もうもうと浴室中に立ち込める湯気の中で、赤い髪のひと筋が彼女の頬に張り付いていた。

 

「ちょっとしたこと!」

「ふうん。そ」

 

 相槌に混ざったフェフォの吐息が、耳元で湿った熱を帯びる。息を吸うたび、湯気の甘い匂いと、フェフォの髪から漂うシャンプーの香りが混ざり合って嗅覚をくすぐった。

 

「アナタの家のバスタブ、相変わらず狭い……」

 

 フェフォはもぞもぞと折り畳み切っている両膝をすり合わせる。狭い浴槽の中で窮屈な水面が小さく揺れた。それはフェフォと同じく、踵とお尻がくっつくくらい足を畳んでいる私にもダイレクトに伝わるこそばゆさだ。

 

「もっと奥行きなさいよ」

「えーこれ以上は無理だよー」

「足伸ばしたいんだけど」

「それより伸ばすと足絡まるよ?」

「それはちょっと嫌」

 

 浴槽の縁で頬杖を突きながら、あまり嫌そうな顔をしないでフェフォはそう言う。

 確かに狭い浴室だと思う。水色をしたタイル張りの壁と床。浴槽の縁にちょこんと置かれたフェフォ専用のバスグッズに私用バスグッズ。女二人で入れば身動きも取れない小さな浴槽は、浴槽とセットで給湯器が付いている『バランス窯』なる形式だ。

 

「んふふ。フェフォの膝が私の膝に当たってる。くすぐったい!」

「言う割に楽しそうね?」

 

 私が私の家を建てるにあたって参考にしたのは、日本生まれのトーギが昔暮らしていたという集合住宅のワンルーム。狭くて小ぢんまりしている所が気に入っている。

 何故って、まさにこうして誰かとお風呂にでも入れば、身を寄せ合って生きている実感をくれるから。

 

「狭いお風呂で、狭いねって笑いながら入ると幸福な感じがするんだ」

「もしかして、ワタシ以外と入ったりしてないでしょうね」

「してないよーフェフォとだけだよー」

 

 フェフォはすっぴんでも長いまつ毛を微かに震わせる──目尻がゆるく緩む。暖かな湯の中で血の巡りがよくなった頬は、滴を滑らせながらも紅潮していた。

 彼女は彼女なりに私の家の湯船に浸かるのを気に入っているのだろう。でなければフェフォがこう何度も私の家で寝泊まりなんてするはずがない。

 

「にしても今日は突然来たね!」

「最近お子ちゃまの家に来てなかったから。また変なコトしてないか気になったのよ」

「なにもしてないよー本当だよ?」

「そうかしら」

 

 フェフォは今日みたく時折私の家を訪れる。事前の連絡なんてものもなく唐突に。だらだらと特に話すこともなく無為に過ごして帰る日もあれば、そのままフェフォが寝泊まりをする日もよくある。連泊になることも多々ある関係だ。

 私は額を滑り落ちていく滴を指で拭いながら、今日あった出来事をフェフォに話すことにした。

 

「今日カナミヤと会えたんだ!」

「へーえ。よかったじゃない。アナタ、ここ最近ずっと広場にいたものね」

「それでね、カナミヤと戦ったんだけどぼろ負けしたんだ……」

「へえ」

 

 こもり切った湯気がフェフォの声音を反響させる。

 

「だけどその後『またね』って約束してくれて、次こそ勝ちたいんだー」

「まだ諦めていないの?」

「うん」

 

 『じり』、とフェフォの丸い膝が揺れ動く。温まった肌の感触が私の膝小僧を通じて骨にまで染みていく。

 

「ねえフェフォ、カナミヤって何か好きなものとかあるのかな?」

「どうして?」

「えっと。戦う前にちょっとカナミヤと話したんだけど」

 

 思い出す。少女が見せた薄くて硬い表情を。猫のような澄んだ黒の瞳が無機質に私を見つめていた瞬間を。

 このゲームについて、自分なりに話題を選んで喋ったつもりだった。けどカナミヤはほとんど反応してくれなかったし、興味を引けたとも思えない。

 もっと面白い話をできればよかったのかもしれないな。

 カナミヤと出会って、まだ一度も笑った顔を見ていない……。

 

「あんまり私の話楽しくなさそうだった」

 

 俯く。

 水面にはフェフォの顔だけが反射する。切れ長の紅い瞳は私の言葉の続きを待っている。

 

「つ、次に会う時にはカナミヤが好きな話をできるといいのかなーって」

「あのチンチクリンの好きな話題ね。そんなのワタシも知らないけど?」

「そっかあ。フェフォでも知らないのかー……ねえねえ、カナミヤって何が好きなのかな? クロワッサン食べる?」

「ワタシは知らない」

 

 やや棘のある言い方。

 フェフォは真っ赤な舌を覗かせて、口端を薄く鋭く笑って見せた。

 

「……お子ちゃまはカナミヤに勝ちたいだけじゃなかったワケ?」

「もちろん勝ちたいけど、勝つだけじゃなくてもっとこう……なんというか……」

 

 戦いを通じて友情を育む? 

 ぶつかり合うことで真に分かり合う? 

 『好敵手』と書いて『しんゆう』と読む関係? 

 どの言葉も口に出すにはちょっと恥ずかしい気がする。もっと、こう、端的に言うなら──。 

 

「そう! 今してるみたいに同じお風呂に入りたい!」

「お・子・ちゃ・ま」

 

 ──いきなりフェフォが満面の笑みになった。

 ニッコリくっきり素晴らしく美しい完璧な笑み……あッ見えるッ笑顔の隣に鬼の顔! なんでかわからないけどフェフォがブチ切れてる……! 

 

「アナタね、カナミヤのことばかり話しすぎ」

「むぐぐ!」

 

 ──口を開く前に頬を掴まれた。突如として伸びてきたフェフォ本人の右手が『わしィッ』と私の頬をホールドしているのだ。

 

「ここにいるのはワタシなんだけど」

 

 一切笑っていない瞳が、とんでもない凄みを効かせた睨み方で私を見つめていた。

 こういう時のフェフォって怖いなー。

 コクコク何度も頷くとようやく手が離れる。なんでこんなに怒ってるのか分からないけど、フェフォを宥めることにした。

 

「そ、そんなことないよーカナミヤ以外のことも話してるよ」

「そんなことあるのよ」

「フェフォって自分以外の女の話をされると嫉妬するタイプ?」

「ワタシを何だと思ってるワケ? これは嫉妬なんて生易しい感情じゃないけど?」

 

 私、今、嫉妬を超えた感情を向けられているのか……。

 なんだろう。なんかこう、『自分にだけ懐いてた犬が友人に出会って5秒でめちゃくちゃ尻尾振ってるのを見た飼い主の感情』とかかな……。

 

「……一回会えただけでここまではしゃがれるとはね」

 

 ふう、とフェフォはため息を吐く。こめかみをゆっくりと揉み解すと、「そろそろ上がるわよ」と言ってフェフォは立ち上がった。見慣れ過ぎた裸体の、つるんとしたお尻、尾てい骨あたりから瞬時に赤い蛇尻尾が生える──浴槽が狭いせいで湯船に浸かる間は外しているのだ。

 

「なに? ジロジロ見ないで」

「えーいいじゃん。尻尾生えるのすごいなってだけだよ? あとお尻の形が綺麗」

「ふん。ヘンタイねアナタ」

 

 線が細いのに凹凸がはっきりした、モデルでもやっていそうなスタイルのフェフォは鼻を鳴らして浴室を出た。私も浴槽の栓を抜きつつ同じように浴室を出る。二人して並んで体を拭いて髪を乾かし、洗面台の前で歯を磨き、

 

「もっとちゃんと磨きなさい。不快度パラメーター下がらないでしょ」

「うぇー。ちゃんと磨いたけどなあ」

 

 こちらを向いたフェフォがじっと私を見つめて来るので歯磨きをしっかりと行った後、パジャマに着替えて脱衣所を出た。

 扉を出た先。玄関扉に続く廊下の奥には、シングルサイズのベッドと丸テーブルがあるだけのシンプルなワンルーム。廊下横のキッチン、風呂場・トイレ・ワンルームという超シンプルな構成が、我が家の最たる特徴だ。

 

「フェフォ、髪結んで! なんかお洒落なやつ!」

 

 フェフォが寝泊まりする日は決まって自分に出来ないことをしてもらう、というのが私達のお約束。ベッドの縁に腰かけたフェフォの足元で、私は彼女の両足を椅子にして体を預ける。

 

「もう自分で出来るでしょ」

「自分からじゃ何も見えないからできないよー」

「……はいはい。仕方ないわね」

 

 頭上から柔らかな微笑みが聞こえた。ややあってから、私の髪に、櫛のようになめらかな手指が差し込まれる。

 

「お子ちゃまは相変わらず一人で何にもできないお子ちゃまね」

 

 そうして、室内には髪が擦れる柔らかな音が響き渡っていく。微かな鼻歌も聞こえた。よっぽど機嫌が良い時と、人が居ない時でないと聞けないフェフォの歌。それはどこか懐かしいリズムとメロディを奏でる。

 まるで……そう。

 子守歌みたいな。

 フェフォは私の髪を触っていると何故か機嫌が良くなる不思議な女性ユーザーだった。

 

「──まさかこんなに長引くと思わなかった」

 

 繊細で長い手指によって髪を三つ編みにされていると、フェフォのぽつりとした呟きが聞こえた。

 

「何が?」

「……言いたくない」

 

『聴いてたの』ってフェフォは嫌そうな声音をする。

 

「えー! いまさら私に隠し事~?」

 

 冗談めかして言いつつ顔を上げた。

 見上げた先には紅玉じみた赤い瞳が二つ、私を見下ろしている。

 

「なによ?」

「あのね」

 

 ……いつ見ても思うけど。

 フェフォの瞳は宝石のように美しくて、私を見る時その目には色んな感情が混ざり合っていて、複雑で、簡単には何を考えているのかが分からない。

 だからという訳でもないけど、笑っておくことにした。私が笑うとフェフォは嬉しそうにしてくれるから。

 

「ここには私とフェフォしかいないよ?」

「……。」

 

 フェフォは一度だけ目を瞑る。

 そのまま、しばらく無言になった。

 やがて後頭部を片手で押され、首の向きを元に戻させられる。視界からフェフォが消える。その後もフェフォは静かに私の髪を弄っていたが、

 

「アナタがこんなにもカナミヤに熱中するとは思わなかったのよ。こんなに長期間。わかる? ワタシと一緒に二人で旅をした時間よりも既に長いじゃない」

 

 ──と、矢継ぎ早に言って。

 私が口を挟む暇もなく、更に。

 

「アナタのためなら何でもできる。でもカナミヤのことは好きになれない。あのチンチクリンにのめり込んでいくお子ちゃまを傍で見せつけられるのも正直言えば嫌」

「え、ええと」

「だけど離れたくはない。それは最悪に嫌」

 

 穏やかな口調で、だけど吐き出された感情は濁流のように激しかった。

 苛烈な炎が熾り続ける炭火のような熱量、熱情。フェフォの内に巡る激情に当てられて、再現されるはずもない心臓は鼓動を高める。

 

「フェフォ……なんか、なんかすごくじめじめしてるね……」

「うるさい。わかってるのよそんなこと。ワタシ、結構面倒くさいこと言ってる」

 

 視界の外で呻くような声。自分の感情に自分で折り合いが付けられないような声音。

 私は少し目を瞑って考える。

 フェフォってあんまりメンタル強くないんだよな。

 いつも気丈に振る舞っているけど、時折すごく脆くなる時がある。バグ検証みたく原因と結果がはっきりしていれば根本的な真因を取り除くことが出来るんだろうけど……人の心はそう簡単には行かないのだろう。

 だから。

 

「ねえフェフォ。覚えてる?」

「何を」

「フェフォとの全ての始まりについて」

 

 私は昔話をすることにした。

 フェフォにだけ通じる、私達の昔話を。

 

「忘れると思うの? ワタシを馬鹿にしてる?」

 

 その昔話は、『私』という一つの意思が目を覚ました所から始まる。

 覚醒と同時に感じ取れたのは柔らかな手指の感触だった。なめらかな櫛のような、だけど血の通う暖かい人の手指。今、私の髪をくすぐる手指と同じもの。

 『あれ』が何処だったのか、私には分からない。

 ただ一つの事実は──フェフォと一緒に居た所から『私』という自我が始まった、ということだけ。

 

「“理性破砕”に陥ったアナタが初めて目覚めた時、ワタシがアナタの手を引いていた」

「……無人の世界を一緒に歩いてたよね」

「誰もいなかった。ただただずっと歩き続けたのよ」

 

 あの時、フェフォは無言で私の前を歩いていた。手を繋いで、解くことはなかった。

 ゲーム内。《生活フィールド》は……《テクスチャー領域》は広大だった。ユーザー数は当時の時点で201人しかいなかった。

 草原にも、荒野にも、山にも川にも海にもどこにも人は存在しなかった。

 ただ二人きりで居続けた。

 

「私がレイドボスになった時、フェフォが私を殺したんだよね」

「そうよ。あなたは私の大事な人だったから。私が自分の手で殺してあげたかった」

 

 うん。そうだね。

 嘘だよね。 

 

 

 

 

 

 

 

 嘘つきだ。

 フェフォはやっぱり私に嘘を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 私に記憶の欠落があるのは事実だ。サービス開始時からフェフォに手を引かれるまでの全てが“無い”。けど“理性破砕”を経験したことはない。それだけは確かにそうだと断言できる。

 何故って、私は時を(・・)遡っ(・・)()果ての、全て(・・)の始まりが何処にあるかを忘れてなんかいないから。

 

 

 ……フェフォと出会ったのは。

 私の始まりは──フェフォと出会えた始まりは『そこ』じゃないんだよ。

 覚えてる。

 私は私という存在の根源にある誕生の瞬間を覚えている。

 

 

 私の手と足は動かなかった。

 今にして思えば息もしていなかった。

 表情は硬かっただろう。

 フェフォはその時の私の事なんて覚えていないに決まっている。

 

 

 だけどそれでも私は覚えている。

 忘れてなんか、ないんだ。

 

「たまに面倒くさいこと言うフェフォのこと、私は大事に思ってるけどなー」

「なによそれ。嫌味?」

 

 フェフォは熱のこもった言葉を紡ぐ。

 顔を上げた先には慈愛で笑う美しい女性ユーザーがいる。

 私が腰を上げればフェフォはベッドの隅で横になった。『もう寝よう』なんて言葉や合図がなくとも通じ合えるだけの時間が、私達には確かに流れているという証明。

 部屋の灯りを消すと、室内には二人きりの暗がりだけが広がった。

 狭いシングルベッドの中で私達は向かい合って寝そべり、

 

「今の私はフェフォにとって大事な人?」

「大事じゃなかったら、一緒に寝たいとは思わない」

 

 向かい合い、

 

「ならそれが一番大事な気がするんだ。私が覚えていない過去をフェフォが持っていたとしても、今の私と過去の私の人格が違っても、フェフォが今の私を見てくれるなら」

「あら。なあに急に。お子ちゃまのくせにナマイキね」

 

 小さく微笑みを交わし合う。

 ……睡眠時間が間近になったフェフォは穏やかに瞼を閉じた。先まであった熱と湿気を持った感情は少しだけ霧散している。

 

「忘れないで。ワタシがこうして一緒に眠りたいと思える相手は、リアルまで遡ってもアナタしか居ないの」

 

 フェフォの赤い瞳には今の私しか映っていない。それがどのような意味かを私は考え、同じように目を瞑る。

 きっと……意味がある。フェフォの嘘には意味があるのだ。

 愛がなければできない嘘だから。

 私は、だから、これからもその嘘を問い質すことはないだろう。

 瞼の裏にある暗闇は、《マシン領域》に在る『黒』よりも色付いて鮮やかな気がした。

 

 

 

 

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