《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
「なら私の家に来る?」
あ、あのカナミヤが。
一生《迷宮フィールド》にこもりきりのカナミヤが。
『村』にある自分の家に、私を招待している……!?
「い、家って……ハウス? カナミヤ・オブ・ハウス? 何故に、なにゆえに?」
「きみに私を知って欲しいから」
「私にカナミヤを知って欲しいからー!?」
「私もきみを知りたいからでもある」
「カナミヤが私を知りたいー?!」
思わず上擦る声音でそう叫ぶと、いつも通りの平淡な態度で黒髪黒目の少女ユーザー……カナミヤは頷く。
「い――今からっ?」
「今から」
「わ、わー」
ほ、ほんとうに誘われてるんだ。急に体が熱くなる。存在しないはずの心臓が鼓動を強める。首から先が赤い自覚がある中──赤という連想から、私はフェフォとのつい先ほどの約束を思い出した。
……何を赤面しているんだ。
照れてる場合じゃない。
湧いてる場合なんかじゃないぞ。
首を横に振って、カナミヤに小さく頭を下げた。
「ごめんなさい。これからフェフォの家で料理作る約束があるから……」
「──ワタシの家、来なくていい」
硬い響きをした声だった。
私の背中に向けて投げかけられた言葉は、信じられないほど強張っていた。
「フェフォっ?」
振り向く。
いつの間にか立っていたフェフォが、両腕を組んだいつもの姿勢で私を見つめている。私より少し低い位置にある紅玉のような瞳には静かな……揺らぐことのない水面のような平静さだけがあった。
いつもいつも苛烈な炎のように華々しく笑うフェフォが、そこには居なかった。
「カナミヤの家に行きたいんでしょう?」
「でもあの、えーとえーと」
「……」
『正気に言って』。
そう言葉として現れそうなほど、真っ直ぐな赤い眼差し。
「……フェフォに嘘をつきたくないから言うけど、その、行きたい……」
「そう」
『やっぱりね』ってフェフォは硬い表情をして浅く俯く。
「でも! フェフォとの約束を後回しにしてまで行きたいわけじゃないよ」
私は全力で首を振った。
フェフォはきっと何か勘違いをしている。私は何においても自分の興味ばかりを優先する『お子ちゃま』じゃない。
私にだって優先順位はある。
それはいつも、いつまでも、あなたなんだよ。
「私の一番はいつまで経ってもフェフォだから」
「──」
私達の間を小さな風が過ぎっていく。樹木の木の葉が揺れる音さえ聞こえるほど、静かな硬直。
硬い表情のまま見開いていた紅の瞳を、ゆっくりとフェフォは緩めていった。揺れながら、潤みながら。
「私の言葉は嘘? 信じられそうにない?」
「……もう。本当にお子ちゃまなんだから」
そうしてフェフォは蕩けるような優しい顔をする。
フェフォは、自分の想いというものを何もかも言葉にする必要がない大人だ。態度で、表情で、立ち振る舞いひとつで、その複雑さを表せる。表してしまう。
「アナタはアナタが成したいと思ったことを自由にしていいのよ」
首を横に振ったフェフォは体をくるりと回す。棘の無い動きで、私達に震えひとつない背中を、曲がることのない背筋を見せる。
「ワタシには、今、アナタはカナミヤの家へ行きたがっているように見える」
そう言い残してフェフォは去っていった。私はどんな言葉を掛けるかさえわからなかった。
◇
何を言うべきだったのかな。先を歩くカナミヤの背を追いながら、私は悶々と考え込んだ。
『ごめん嘘! カナミヤの家なんか行く気ないし! フェフォの家に泊まるから!』
嘘がすぎるでしょ。
『一緒にカナミヤの家に行こう? なんならカナミヤの家に泊まろ!』
いやいや、フェフォはカナミヤのことを快く思っていないし。それこそ地雷を踏む。
『今日はフェフォの家に泊まるよ! 明日はカナミヤの家に行くけど』
なんかヒモみたいだな私。
……うじうじ悩んだってしょうがない。フェフォが自分から予定を譲ってくれたんだ、この埋め合わせは後でいっぱいしよう。フェフォが怒ってもういいって言うくらいフェフォと過ごそう。それしかない。よし。
「ついたよ」
──などと決意を新たにしていると、カナミヤが足を止めて振り向いている。
いつも通りの態度。いつも通りの薄い表情で。
……私の発言はカナミヤの中でどういう処理をされたのだろう。どう思われようと構わないつもりで『愛してる』とか言ったけど、ああも平然とされるとそれはそれで気になる。
まあいいか。
深く考えるのはやめよう。
私もカナミヤの隣で立ち止まり、辺りを見回した。……どうやら『村』の外れまで来たらしい。さほど広くない『村』の外縁部はただただ無人の荒野が広がるだけの、手つかずの土地だ。
燦燦と輝く太陽の輝きが、ひたすらに快晴の青と荒野の茶褐色を強調している。
家。
家。
家。
家……?
「こ、ここがカナミヤの家……」
「そうだよ」
「もしかして馬鹿と低レベルには見えない系の賢い人が住む家?」
「違うよ」
「じゃあ更地じゃん」
「みたいだね」
みたいだねって。
そんな堂々と首を縦に振らないでほしい。
「そういえば昔アンフェルフェフォビアが《生活フィールド》を完全に破壊していたね。それきりここには戻っていなかったな」
ああ、そういうこと。もう数百年以上も昔にトーギが“理性破砕”を起こしかけてから、カナミヤは二度しか『村』を訪れていないんだ。
……えっ。つまりこれってカナミヤの家は消滅してるってこと?
などと私が呆然としていると、隣の少女はとんでもないことを言いだした。
「待ってて。今作るから」
「えっ今から家を!?」
「うん」
思わず見たカナミヤの横顔には虚勢や強がりなんて微塵も浮かんでいなかった。
このゲームにはコンソールを操作すればそれだけでオブジェクトを生み出せるなんて便利な機能はない。壊すのは簡単だが作るのは手間のかかるハードなゲーム性なのだ。一体どうするつもりなんだろう。
「このゲーム、家ってそんな簡単に作れないよ?」
「普通はね」
もしかして超絶的ステータス値で今から地面に穴を掘ったりするのだろうか……と、ハラハラしながらカナミヤの行動を見守っていると。
視界の隅でアナウンスは湧き起こる。
■―■
スキル実装:《エントリアセット》
Tips_其は既存分子の立体印刷を許す。
■―■
瞬きをしたら、何故かそこにコンテナが一つ出現していた。
複数の架台を脚にした底部。階段を数段上った先の玄関扉。開き窓が一つ。
「……家っていうかコンテナだね? コンテナハウス」
「急造だからね。登録してあるものをシステム上のプリンタ―で出力しただけ。中身も全部アセットデータだよ」
『アセットデータ』? 私の知らない単語だ。すごく気になるけど、目の前の光景の方に意識を奪われてしまう。
今のはカナミヤのスキル……か。
「す、すげー……。そんな便利なスキルあるのに、私との戦闘で使わないんだ」
「作れるサイズや種類に限りがある。きみとの戦いでは役に立たないよ」
そうかなあ。私のバグ技……『アイテムボックス』より便利そう。色々悪さが出来そうなスキルだ。
今のスキル一つで何が出来るかをつい考えこんでいると、いつの間にかカナミヤはコンテナハウスの玄関扉を開けていた。
「どうしたの。上がって」
ゲーム的には今のでカナミヤの《個人フィールド》への入室許可がされたことになる。先に家の中へ入ったカナミヤの後を私も追った。
「お、お邪魔しまーす……──わぁ!」
家の中に入ると、私は思わず歓声を上げてしまった。
小さな玄関スペースの先、靴を脱いで一段上がった先にあるのは、ちょこんとした脚の低い丸テーブル。これまた背の低い箪笥。壁際の小さなキッチンにシャワールーム。それに何より──織物が張られたクッション性のある床材、一面の薄緑色!
「すごい! ザブトンだ、ワシツだ、タタミだー!」
トーギが生まれ故郷の伝統床材だって言ってたやつだ。すごい、本物見るの初めてだ!
素足で踏む
「私の母方の生まれが日本なんだ」
「へー。じゃあ半分は日本人ってこと? トーギと一緒だね!」
『そうなんだ』ってカナミヤは瞬きだけをする。
「ねえねえ、ワシツってそのまま床に寝転がっていいって本当?」
「そうなんだ」
「あとこの丸テーブル! これも知ってる、イッカのダイコクバシラが怒るとひっくり返すんだよね! デントーゲーノー! イッカのダイコクバシラって何? コクのある茶柱的な?」
「知らない」
「ふふんカナミヤも知らないんだ? あのね、イッカのダイコクバシラにはチャブダイガエシって技名があるんだよねぇ!」
「そうなんだ。すごいね」
おやおや、カナミヤも知らないことってあるんだ。ふふんと私は得意げに鼻を鳴らしてしまう。日本についてなら私のほうが詳しいみたいだ!
「そういえば思い出した。日本人は腐った豆を食べるらしいね」
「腐った豆を!? こわ……」
「あと調味料はぜんぶ豆から作るそうだよ」
「日本人は豆しか食べないのかな?」
「恐らく」
トーギってどういう人生送ってたんだろう。今度聞いてみよう。
などと食文化について話していると、私はちょっと小腹を満たしたくなってしまった。
「カナミヤ。料理作ろうよ」
「料理。……料理?」
おおっと、もしかしなくても料理という概念自体忘れているみたいだ。カナミヤが無垢なひな鳥よろしく小首を傾げている。これは私が一日の長がある者としてカナミヤをリードしないといけない。
私は意気揚々と玄関に向かおうとした。
「待ってて! 食材持ってくるから」
「いいよ。今作る」
それを手で制したカナミヤが、部屋の中央に置かれた丸テーブルに視線を移す。──瞬きの後、そこには多種多様な食材がごろごろと転がっていた。キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、生卵、紙パックの牛乳、小麦粉……。
「どうぞ。好きなものを使って」
「お、おお……」
先のスキルをまた発動したのだろう。カナミヤすごい。すごいけど包みとかもなくテーブルの上にごろごろ転がる食材を見ると、なんだかとても困惑してしまう。
「なんか……それ食べて問題ないのかな……。すごく食べ物に対する冒とく的なものを感じるんだけど!」
「あのね。ここはゲームなんだから現実の衛生観念を持ち込むのはナンセンスだよ。そもそも私たちは食糧摂取を必須としていないのだし」
「カナミヤがすごくまともなこと言ってる」
「きみは私を何だと思ってるの」
……まあそれもそうか!
私達は気を取り直して台所に向かった。ちょうど用意されていたエプロンを着けると、もう一着をスキルで生成したカナミヤが腰裏を結ぶのに四苦八苦していた。
「あれ。カナミヤって紐結べないの?」
「結べないわけじゃない。ただ……このゲーム内で一度も服を替えたことがない」
「それゲームの中じゃないと許されない発言だよね……」
確かにカナミヤの服装はいつもいつ見ても、ショートパンツに黒のタイツ、ゆるいサイズのパーカーという組み合わせだ。恐らく本当にサービス開始時から《迷宮フィールド》にこもっているから、服を着替えるということさえしたことがないのかもしれない。
「私が結んであげるよ!」
「ありがとう」
「……なんかカナミヤって大人しくしてると妹みたいな感じがするね」
「さっきから気になってるんだけど。きみは私をどう見ているのかな」
などという会話をしつつ、二人でキッチンに並んで立つ。
卵の殻を割り、ボウル2つに黄身と白身を分けてそれぞれ入れる。白身だけを入れたボウルとホイッパーを、隣で興味深そうに見つめているカナミヤに渡す。
「カナミヤ、これシャカシャカして」
「『しゃかしゃか』」
「シャカシャカはこう、ホイッパーをカッカッカってやる感じで……」
「──はい」
「すっすげー! 一瞬でメレンゲ出来ちゃった。カナミヤって人間ハンドミキサーじゃん!」
「誉め言葉なのかなそれは。あとメレンゲってなに」
「ふわふわしてるやつ」
「なるほど。『ふわふわしてるやつ』」
次いで黄身と小麦粉に牛乳を入れつつ混ぜる。『そっちは私が混ぜなくていいんだ』って大きな猫目を瞬きさせているカナミヤからメレンゲ入りボウルを受け取って、メレンゲを混ぜていく。
「きみ料理できるんだね」
「毎日食べたりはしないけどね」
それをするのはフェフォくらいだ。
……フェフォ、今なにしてるかな。
「たまに作るんだ。バグ検証にもなったりするし」
「へえ。それでこれはなに?」
「これはね、パンケーキって言うんだ」
「パンケーキ」
さくふわ感のあるさっくりした混ぜ具合になったら、コンロに火をつけて温めておいたフライパンに流し込む。事前に溶かしてあったバターと小麦粉が焼成しあうことで香ばしくて甘い匂いが鼻をくすぐった。
カナミヤがフライパンの中で焼き上がっていくパンケーキを見て、何度か匂いを嗅いでから、頷いた。
「ああ。思い出した。hotcakeのことか」
「なに今の言葉」
「? 私の母国では今きみが焼いているものをそう呼ぶんだ」
「ほっとけーぃく?」
「hotcake」
「はッとけぃく!」
「違う。hotcake」
たぶんアメリカ語なのかな。フェフォの生まれ故郷と同じ国の言葉だ。
「不思議だね。汚いスラングとかは自動翻訳しないけど、そんな普通の単語までゲームが拾えないことってあるんだ」
「まあ……」
何故かカナミヤは目を逸らす。珍しいな。
「私はゲームシステムの強制を受けることはないから。無視することで発生するデバフも常時展開型スキルで相殺している」
……なるほど。デバフ自体を無効にできるわけじゃないのか。複数スキル持ちっていいな。
などと話し込んでいるうちにパンケーキが焼き上がる。使った材料はちょっと大きめサイズが丁度2枚分。我ながら素晴らしい材料配分だ。
皿に載せたパンケーキを丸テーブルまで運んで、二人で向かい合って床……畳に座り込んだ。
私は自分の分を食べるよりも、カナミヤの反応が気になって仕方なかった。
「ど、どう? 美味しい?」
「……じゅわじゅわしてるね」
「美味しいってことでいいの?」
「おいしいでいいよ」
……ならよかった!
それから食事を済ませて、食後のお茶を二人で飲んだ。普段飲むコーヒーや紅茶とは違った味わいの緑茶は、なんだか気分までまったりとさせる。
私はカナミヤを見た。丸テーブルを挟んだ先で、カナミヤは
「ねえカナミヤ。聞いてもいい?」
『何を』って君は視線を私に向ける。
その視線はいつも通り、普段通りのカナミヤがするものだ。大きな猫目の中で星々を散りばめたような黒い瞳が無機質に輝いている。その、夜の黒よりも澄み切った黒に怖気づいてしまいそうになる。
けど、せっかくカナミヤと二人きりなんだ。
知りたいことはたくさんある。
まずはそうだな……。
「ダンジョンってどんなところ?」
「きみ行ったことないの」
「フェフォにダメって言われてるし……」
「アンフェルフェフォビアがきみを縛るんだ」
どういう意味なのかも分からない言葉を口に出した後、カナミヤはゆっくりと目を瞑った。
そしてややあってから瞼を開き、
「ダンジョンは無限性を持っている」
と。……それだけを言って口を噤む。
……。
畳の上で私達はしばし沈黙。湯気を立てる緑茶の香りが無味乾燥な空気を潤す。
えっと。
「どゆこと?」
「答えが出るはずもない無限の数式を解いているんだ」
またカナミヤは訳の分からないことを言った。
「もしくは莫大な計算処理を実行する私──ユーザーを通して行われるなんらかの数学的真理追求の場。とでも言えば伝わるかな」
「???」
無限の数式。無限性。莫大な計算処理……数学的真理追及……?
私が首を捻りすぎてその場で横転しそうになっていると、見かねたカナミヤは再び口を開いた。
「分かりやすく例えると」
「例えると?」
「……これから私が言うことはあくまで例えだから。《迷宮フィールド》の一面的な部分を表現するに過ぎない一言だからね。どうか勘違いせずに聞いてほしい」
とてつもなく矢継ぎ早に言って。
──そして、珍しいことに。
「その行い。その言葉が持つ意味。表面的になぞるだけになるけど」
本当に本当に珍しいことに。
カナミヤは心底嫌そうに眉根を詰め、表情を曇らせながらもこう言った。
「《迷宮フィールド》は複数ユーザーの処理能力を利用したプールマイニングだよ」
な、なるほど?
『マイニング』とは一体……?
「私達ユーザーが
こうしてカナミヤのお家で、料理して、一緒に食べて、お茶を飲んで、これまでにないことを――二人きりで話をして。
だから何となくわかる。
カナミヤの瞬きの頻度が多いんだ。
たぶん今、『どう? 私の話わかりやすいでしょ』って思ってるに違いない。
うーん……。
私は畳の上で横転した。