《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》   作:てりのとりやき

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『歩く激ヤバ地雷原』:アンフェルフェフォビア

 

 

 

 これまでの検証結果を一言でまとめるなら、このゲームは『超真面目』だ。

 ユーザーが思い思いに実行した行動の結果を、精密な物理演算結果として表現する。表現しようとして頑張ってしまう。

 

「そう。このゲームは『超真面目』ゆえに『バグだらけ』なのだ……」

 

 そういう訳で私は自宅のキッチンにて料理をしていた。

 冷蔵庫の上に置いてあるオーブンが『ちーん』と音を鳴らす。焼き上がり。扉を開けて、アツアツの成果物……クロワッサンの出来栄えに頷いた。

 

「頼むよ~クロワッサンくん!」

 

 お腹が減ってるから料理したとかそういうわけではない。焼きたてのバターと小麦粉が混ざり合った香ばしい匂いは大変に美味しそうではあるけれど、クロワッサンを作った理由はバグ検証だ。

 昔友達から借りたレシピ本によると、クロワッサンを作るには3つ折りないし4つ折りにしたシート状の生地を、4回とか3回程度折り込んでから焼成する。すると生地の水分とバターの油脂が焼成中に生地と生地の間に隙間を作り、膨らむ。この層の重なりがサクふわ美味しいクロワッサンの基となるわけだが……。

 

「さて、このゲームには今、3つ折りシートを100回折り込んでいるクロワッサンが存在します。つまり計算上は3の100乗……単位数で言えば 、万億兆京垓穰溝澗正載の次、“極”の層を持ったクロワッサンです」

 

 気分を盛り上げるために独り言をつぶやいた。

 リアルでは折り込みすぎると層間には隙間など生まれないようだが、このゲームにおいては恐らくそうではない。このゲームは超真面目だ。特にユーザーが行動した結果に対して真摯すぎる。

 私は恐る恐る焼きたてのクロワッサンを右手に取り──。

 

「うわああああフレームレートが落ちてる! すっ、すげー! ガックガクだあああ」

 

 右腕から先がブレブレだった。切断でもされたみたいに消失し、かと思えば先端部分だけが遅れて現れる。

 1FPSも出てないくらいガタガタで、残像を生み出すこの状況は、大量の折り込みを真面目に表現してしまったことによる超々過密ポリゴン数オブジェクト──『バグワッサン』によるものだ。

 

「よし。よし。よし。あとはこのバグワッサンを床に置いて……と」

 

 食べ物を床に直置きするのは何となく忌避感があったので、タオルの上に重ねて床置きする。

 数歩後ろへ下がり、足腰の準備運動を数回。お尻を高く上げたクラウチングスタートの姿勢を取り──駆ける! 

 ごめんねと心の中で誤りながら、私は五歩目の踏み込みに合わせて全力で『バグワッサン』を踏んだ。

 直後。

 私の体は床を貫通した。

 

「           」

 

 多重ポリゴンを他オブジェクトの境界面に押し付けることで計算処理を飽和させ、本来貫通不可能なオブジェクトをすり抜けるバグ──所謂『壁抜け』の成功だった。

 壁抜けした先にあったのは、自宅の床の先にある地中……ではない。

 そこにはひたすらに『黒』だけがあった。だけどそれは色としての黒ではないのだ。何故なら今、私の視覚は機能していないのだから。

 

『音もないから相変わらず声も出せない』

『誰かいませんかー?』

『いないかー』

 

 そこに色はなかったし、形もなかったし、音や匂いもなかった。

 視覚は機能していないし、触覚は機能していないし、聴覚も嗅覚も勿論味覚だって機能できない。

 何も感じることのできない、感じられない非空間。

 0と1だけで構成され、ゲーム内の表現空間の計算処理をひたすらに行う非実存。本来ユーザーが居るべき《テクスチャー領域》の裏側──非知覚非表現非空間、《マシン領域》。

 

『下へ下へ……』

 

 私は泳いだ。手足、肉体の感覚はなくともイメージを持つことが《マシン領域》においては重要だと知っているから。

 時間間隔さえ麻痺する暗夜を潜り続けて、どれほど経ったのか。

 唐突に私の視覚は復帰する。

 

「!」

 

 現れるのは空の青。雲の白。顔を叩く冷たい風。ひゅうひゅうと鳴る風切り音。空気の味。

 緩い湾曲を描く地平線の彼方までを眺める。

 惑星を模した《生活フィールド》の全てを。

 直径12700km。24時間きっちりで1日が終わり、また1日を始める知覚表現空間。感じて、触れて、見て、分かることのできる空間──現実世界と同等の惑星一個をまるっと再現した、《テクスチャー領域》。

 ここが私の住む世界だ。

 

「いえーい! 実験大成功ー!」

 

 バグアイテムを作り出し、自宅の床を踏み抜いて壁抜けして、壁抜けの結果として上空からスカイダイビングを始める──全て思惑通りにいったから、私は地上へ落下する中で体をぐるぐる回して喜びを表現した。その間も私はぐんぐん落下し続けていく。

 

「ぁしまった着地方法考えてなかったああああ」

 

 そのまま空から落ちて──落下して──ぐんぐんどんどん────

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──『ズドン!!!!!!!!!!!』という盛大な音を立てて高度12000mから落着した私の全身はバラバラのグチャグチャになりHPは即0に、死亡、かと思いきや。

 

「アナタね、もうちょっと真っ当な現れ方ってものが出来ないワケ?」

 

 キーの高い女声。呆れかえる口調が真下から聞こえる。慌てて声の主を見つめた。

 尾てい骨あたりから蛇みたいな尻尾が生えているユーザーだった。

 

「ふ、フェフォ~」

 

 赤い虹彩。冴えるほどに赤く、毛先が緩くカールしている長い髪。鋭い目端。細いあご。尖った八重歯が覗ける口元。腰裏の、先端が二股になった蛇尻尾の装備品。それは私が最も仲の良い、付き合いの長い友達だ。

 名前(ユーザーネーム)をアンフェルフェフォビア。長いのと、そのまま呼ばれることを嫌う女性(ひと)なので、略してフェフォと呼んでいる。

 

「おはよう!」

「はいおはよう」

 

 組んでいた両腕を解き、小さく手を振るフェフォに私もぶんぶん手を振り返す。その間にフェフォは自前の蛇尻尾で簀巻きにしていた私を、ゆっくりと地上に下ろしてくれた。

 胸元の髪のひと房をくるくると指で弄りながら、フェフォはあきれた様子で鼻を鳴らした。

 

「なに? 朝から騒々しい。ワタシ暇じゃないんだけど」

「ちょうどよかったーフェフォに会いたかったんだ」

「へえ。ワタシに」

「フェフォさんに折り入ってご相談があります」

「いやよ。ゼッタイ、イヤ」

 

 にべもなく即答……。

 私の顔がそんなに面白かったのか、フェフォは「ハッ」と皮肉っぽく鼻で笑った。薄く鋭くなった口端から白い歯が覗ける。

 

「アナタの相談って大抵ロクでもないじゃない。推力オーバーフローバグの実験でミサイル代わりにさせられて、ワタシ、10年はこの『村』に戻ってこれなかったんですけど?」

「あ、あの時は私も一緒だったじゃん! 一緒に飛べたじゃん!」

「そういう問題じゃないでしょ。大事なのは誠意と事前の予測でしょ」

「そ、そんなぁ……」

 

 萎びていく私を見るのが楽しいのだろう。嗜虐気質のフェフォが目を緩める。ルビーみたいな目が艶々している。

 

「フェフォは私との二人旅楽しくなかったの……?」

「そ──そういうコト言ってるわけじゃないでしょ……!」

 

 「ん゛ん゛ッ」と息詰まりながらフェフォが噎せた。日焼けを知らない肌がかっと赤くなる。

 

「なんだーぶちぶち言いながらも楽しんでくれでたんだ。よかったー」

「……まったくこの子は。嫌ねー最近ナマイキで。あんまりピーチクパーチクうるさいと口を縫い付けるわよ」

 

 ハァとため息をついてから、毒気を抜かれた様子のフェフォは近くを指差した。吊られて見ればそこはどうやら喫茶店のテラス席のようだった。

 

「もういいからアナタ座りなさいよ。一緒に朝食にしましょ」

「ぃやったーフェフォとごはんだ!」

「相変わらず元気ねアナタ」

 

 よくよく見れば(というかフェフォがいるのだから見るまでもなく)、ここは《生活フィールド》の内、現在稼働中ユーザー201人が寄り集まって生活拠点としている『村』のようだった。

 喫茶店の店内では空から落ちてきた私を『相変わらず馬鹿やってんなー』という視線で見るユーザーがちらほらいる。彼ら彼女らにも手を振りつつ、フェフォが案内してくれた席に座った。

 

「──それで? 今度は何をしようって?」

 

 どうやらフェフォは、もともとこの席で食事中だったらしい。テーブルの上にはティーポット、紅茶の注がれたカップ、なんだかお洒落なガレットまである。

 私はオーダーを取りに来た店長(を趣味でやっている知り合いのユーザー)にフェフォと同じものを注文してから言った。

 

「フェフォって昔攻略組だったんだよね?」

 

 先ほどフェフォが私をキャッチできたのは、フェフォが昔はゲームクリアを目標として《迷宮フィールド》に挑戦するユーザー達……『攻略組』に所属していた戦闘経験・技量の高さ故だ。

 高速で空から落下してきた人体を、その衝撃を完全にいなしかわしきった上で掴み取る反応、対処能力。ステータスやスキルによらない経験は最前線にかつていたフェフォだから備わっているものだろう。

 

「ああ……とてつもない昔はそうだったわね」

「てことはカナミヤってユーザーと知り合いだったりする?」

「カナミヤぁ~?」

 

 いきなりフェフォの声が大きくなった。尻上がりに跳ね上がった口調、声音。いきり立った細い眉……。なんでだろう、フェフォが一気に機嫌を悪くしている。

 

「そりゃまあ知り合いと言えば知り合いだけど……」

 

 フェフォの赤い瞳が探るような感情の色を持った。

 

「アナタ、カナミヤと知り合い……じゃないでしょ。アイツいっつもダンジョン潜ってる変人だし。アナタがダンジョンに潜るのはワタシが禁止してるし」

「そろそろダンジョンにも潜ってみたいなあ……」

「絶対ダメ。お子ちゃまには早い」

 

 ぶー。頬を膨らませてもフェフォは皮肉っぽく小さく笑うだけだった。

 フェフォは私が《迷宮フィールド》に潜ることを頑なに禁止している。フェフォの言うことはだいたい正しいので、私もこのゲームが始まってから《迷宮フィールド》に行ったことは、フェフォと出会う前に一度きりしかない。

 

「今まで面識もないのよね? 何で今更あんな女を……」

「えっと、それはね」

 

 私は明後日の方を見た。どうやって説明したものか……。

 

「ま、まあいいでしょなんでも」

「雑なごまかし方ねー」

「そ、それでどうなの? フェフォはカナミヤと知り合いなの? 会えたりするの? 紹介してくれるのっ?」

「アナタね、やめときなさいよ。あんな女にちょっかいかけちゃダメ。アナタみたいなお子ちゃまの教育に悪い」

「ちょっかいじゃないよー。すごい大事なことなんだよー」

「じゃあ何?」

「──勝負するんだ!」

 

 フェフォの目つきが鋭くなった。

 

「へえ。勝負」

「そしてカナミヤに私は勝ちたい!」

「ふーん。戦闘であの女に勝利ねえ……それこそどうして?」

 

 私は明々後日の方を見た。明確な理由はあれど、それを話すことは少し難しい……。

 

「当然知ってると思うけど、カナミヤは未だにゲームクリアを目指してる重度のネトゲ廃人よ。ステータス値も戦闘技能も含めて最初から今までずっとトップランカー状態。今更アナタが勝てる可能性はまずないわよ」

 

 知ってる。

 カナミヤは超有名人だ。稼働中ユーザーがまだ200万人居た最初期の頃からずっと強かったし、ユーザー間の決闘でも負けたことがない。ゲーム仕様上の死……HPの喪失を一度も経験したことがないとさえ言われている。死んでも簡単に復帰できてデスペナルティもない、所謂『死が軽い』このゲームにおいては異常な存在だ。

 フェフォが言う通り私が勝てるとは思わない……まだ。

 

「でも、その、挑戦してみたいんだ」

「ふーん」

 

 気のない返事をして、フェフォはカップを手に持つ。一口紅茶を飲むと「ぬるい」と顔をしかめた。品の良いおでこに出来た皺をぼんやり見つめていると、フェフォがニヤリと笑った。

 

「じゃあ早速やってみたら?」

 

 えっ。

 と思う間もなくフェフォが自前のUIを操作する。私には見えないUI上を何度かタッチすると、この場に居ない誰かに向けて喋り始めた。

 

「──もしもしカナミヤ? 元気? ああそう、アンタの調子とかどうでもいいけど。……ちょっと、切らないで。切るな! 用があるのはワタシじゃなくて。だ・か・ら・切・る・な! アンタ、いいから村に戻ってきなさい。アンタをご指名の女の子がいるのよ。アンタみたいなチンチクリンとは違って背の高い女の子が」

 

 ええー! 

 

 

 

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