《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
《生活フィールド》
《ユーザー数:1,999,998》
そう考えてふと気づく――全てメールやチャットばかりで、肉声を聞いていない。
《あなた達は真に自由です。》
これが彼女の声?
本来用意されているはずだったログアウト機能が無かったその時。
顔も、声も、何一つ分からない『あの子』を探す。
私が守らなければならない命なのだから。
それが私、アンフェルフェフォビアの始まりだった。
◇
《生活フィールド》
《ユーザー数:201》
朝。システムが定める起床時間に沿って、私の意識は自動的に覚醒する。一人では大きすぎるベッドの上で体を起こした。ぼんやりとした意識でもって、つい呻く。
「お子ちゃま。朝よ。起きなさ……」
片手が隣の空間をまさぐるように動き、虚空をかする感触――気づく。
そうだった。
結局昨日、『あの子』が私の家に泊まることはなかったのだ。
「……ハハ。馬鹿らしい」
私の方から断った。それが私の心情とは乖離した真逆の行いだったとしても、どうすることもできなかった。
額に手を押し当てる。目を瞑る。自然と思考は昨日の出来事を思い出す。
『い、家って……ハウス? カナミヤ・オブ・ハウス? 何故に、なにゆえに?』
『きみに私を知って欲しいから』
『私にカナミヤを知って欲しいからー!?』
『私もきみを知りたいからでもある』
『カナミヤが私を知りたいー?!』
カナミヤから誘われた時の『あの子』の表情。朱の差した頬。見開かれた瞳――それしか見れなくなった熱情。
嬉しかったのだろう。興味を持ってしまったのだろう。
であれば私には止められない。制御することなど出来ない。
そんな権利はない。
「……」
思考を打ち切り、私はベッドから出る。そのまま寝室を出て、キッチンに向かった。
普段は料理などせず外食で済ませているが、今日は何でもいいから作りたい気分だった。
「そういえばお子ちゃま、食べたいものとか……」
言ってから気づく。思わず顔をしかめて舌打ちをしてしまう。
何度やれば理解できるのか。
今日ここに、『あの子』は居ない。
「……」
朝食を作る手が止まる。
私は一体何をしている?
ゲーム内において私達は飢えることはない。栄養摂取の必要もない。空腹になることもないのだから、こうして毎日朝食を作る意味は存在しない。
……やめようか。別に、無理して食べる意味はないのだから。そう考える――同時に反論が脳内で沸き立つ。
「食事は人であることの証。睡眠と同じ、失ってはいけない欲求」
呻いて、気力もないのに私は食材をキッチンに並べていく。トマト、パン一斤、生卵、マッシュルーム、ソーセージにベーコン、大豆とベーススープ。野菜はつやつやとしていて、パンは柔らかそうで、肉類は見ているだけでうま味と塩気を想起させるほど発色がいい。
だけど、これらは所詮ただのデータだ。それぞれが別個に調整された味覚パラメーターを持ち、摂取することでユーザーに情報を与えるオブジェクトに過ぎない。常温保存で腐ることもないし、床に捨てようがどうなろうが食べて腹を下すこともない。
食べることに意味があるの?
生物として生きてもいないのに。
嫌な疑問が脳裏を掠める――包丁を持った手が止まる。その時だった。
「――」
玄関扉からベルの音。呼び鈴が何度か鳴る。誰だろうか……包丁を置き、私は玄関に向かった。
扉の取っ手に触れながら、もしかして、と考えた。
居るのだろうか。そこに。『あの子』が。昨日のことを謝罪するために? 申し訳なさそうに眉根を詰めた困り顔で?
くだらない想像。
馬鹿げた妄想だ。
だけど微かな期待が体を軽くする。
――しまった。化粧、忘れてる。
思いつつ扉を開けて……心臓が凍り付いた。
何故なら玄関扉を開けた先には、見知ったユーザーが二人もいたから。
「お子ちゃま。カナミヤも。どうして……」
その、小さな顔。白い肌。黄金の長い髪――比喩でなく真実黄金色をした虹彩。
『アナタ』はいつも通り美しく可憐で、華やぐように、歯を見せて笑う。
ただ私の顔を見ただけで『アナタ』は本当に素敵な笑顔をしてくれる。
「フェフォ! おはよー! おっ珍しーすっぴんだ! でもフェフォはすっぴんでも綺麗だよね、化粧いらないと思うよ!」
「……。」
私は少しの間黙った。
――馬鹿げてる。
たかが会えたくらいで跳ねる心臓があるなんて。
「はいおはよう」
努めて冷静にそう返した。私の喜びを、『アナタ』に会えるだけで嬉しいのだと、決してそうとは悟られないように。
「それで? 急に何」
「一緒に朝食にしたいなって!」
「三人で?」
「三人で」
カナミヤに目線を向ければコクコクと数度頷く。了承済み、ね……。
正直に言えば、カナミヤの顔なんて見たくもなかった。私は何度記憶と人格を失っても忘れない。カナミヤによって引き起こされた悲劇を忘れることは出来ないように、私は私を作っている。
……だけど『この子』が決めた事だ。
どれだけ嫌でも、『アナタ』が望むのであれば何でも出来る。
「入って」
二人を家へと招き入れた。《個人フィールド》への入室承認。『お子ちゃま』とカナミヤは私の後ろに続く。
「大きな家だね」
「でしょ! フェフォん
「私の家とは大違いだ」
「カナミヤの家も味わい深かったけどね!」
二人の会話は仲睦まじい。そう聞こえてしまう。私は二人から見えないことをいいことに、隠すこともせず臍を噛んだ。
……よくない感情だ。ストレートにぶつけてはならない。
数度呼吸を意識して行い、肩の力を抜いてから二人に言った。
「朝食、ちょうど作っている最中だったのよ。お子ちゃま、手伝ってくれる?」
「もちろん! カナミヤも手伝って!」
「……私も?」
私は『この子』にだけ手伝ってもらおうと思っていたんだけど。『お子ちゃま』がそう言うのであれば仕方がなかった。私に、『この子』の意思を止める権利はない。
「フェフォ知ってる? カナミヤはね、人間ハンドミキサーなんだよー」
「へえ。そう」
三人でキッチンに立つ。
一気に食材を三人分用意することになったから、それぞれ役割を分担した。フライパンで調理をするのが私、野菜やベーコンを切るのがカナミヤ、目玉焼きとベイクドビーンズの火加減を見守るのが『お子ちゃま』。
「フェフォー、ベイクドビーンズできたよ! 目玉焼きもいい感じ!」
「はいどうも。皿に盛り付けておいて」
私と『お子ちゃま』の動きは慣れ切ったものだった。こうして二人で朝食を作るのも何度目かわからない。『お子ちゃま』はもう、戸棚のどこに皿があるのかなんて理解している。
対しカナミヤはというと、食材を切る動きが鈍かった。
「カナミヤ、包丁を持つ時は反対の手は猫にするんだよ。猫の手」
「猫の手……?」
「うわああああカナミヤ手を切ろうとしないで! 猫の手を生やしてって意味じゃないから!」
朝から騒々しいな。
カナミヤは料理をしたことがないらしかった。切ったベーコンの幅はバラバラで、野菜も乱切りかと思うほど切り口が雑だ。……色々言いたいことはあったが、役割を決めた私のミスでもある。
私は黙々とカナミヤが切った食材をフライパンで炒めていった。
「これは何を作っているの」
「ブレックファストって言うんだってー。フェフォの生まれ故郷の料理らしいよ!」
「アンフェルフェフォビア。きみは毎朝これほど食べるんだね」
その様子を、隣でカナミヤが不思議そうに眺めている。
「何食べたって太らないんだから関係ないでしょ。フル・ブレックファストはUKの国民食よ」
「イギリス人の考えることは不思議だね」
「
嫌なら食べるな。ハンバーガーでも食べていればいいのよ。
「アメリカ人……イギリス人……」
『お子ちゃま』が黄金色の瞳をキラキラと興味津々に輝かせている。不要な言葉をまた口走ってしまった。私は炒め終えた各食材を三枚の皿に盛りつけていく。
焦げ目のついた大きなベーコンとソーセージ。ベイクドビーンズ。焼いたトマト、マッシュルーム。トースト。目玉焼き。
「おいしそ~!」
ボリュームのある朝食に、『お子ちゃま』が顔をほころばせている。
キッチンと直結したリビング。私達は席に着く。カナミヤの隣に『お子ちゃま』が座る。私の隣ではなく。
…………食事を、始めた。
「どう? お子ちゃま、味付けは丁度いい?」
「ん! おいしい!」
微妙にズレた返答だけど『アナタ』が美味しそうに食べてくれるならそれでいい。あとはナイフとフォークの使い方がもっと上手になってくれるとパーフェクトだけど。
「……カナミヤ。アンタは?」
「ざくざくしている。味覚への刺激が強い」
「それ美味しいでいいワケ?」
「おいしいでいい」
一応尋ねるとカナミヤはカナミヤらしい反応をした。ナイフとフォークの使い方は最悪に下手くそだった。なんでナイフで何でもかんでも突き刺してるのよこの女。アンタが握ってるフォークはいつ使うのよ。
などと思っていると、何故かソワソワしている『お子ちゃま』が口端にトーストのカスを付けながらも口を開く。
「あのねフェフォ、カナミヤってお母さんが日本人らしいよ! トーギと一緒なんだよ」
「へえ。そうなのね」
「でね、知ってた? 日本人って腐った豆を食べるらしいよ怖いね! そうなんだよねカナミヤ?」
「らしいよ」
「食事中に腐った豆なんて言葉を口に出さないで。あと、それは納豆と呼ばれる日本の国民食よ。文化には敬意を払いなさい」
言えば『お子ちゃま』もカナミヤも感心したように私を見つめていた。何その表情。
「ね? フェフォなら知ってたでしょ?」
「ナットー……不思議な響きだね」
「何なのアナタ達」
「グルメなフェフォなら腐……ナットーのこと知ってるんじゃないかなって、二人で話してたんだ」
二人は顔を見合わせウンウン頷き合っている。息の合った動き。私は目線を落とし、食事に集中した――するフリをしていた。
……私が昨日、広場を離れてから二人で何を話したのだろう。
カナミヤの家で何をしたのだろう。
私には分からない。
「フェフォ、あのね、カナミヤはね……」
『お子ちゃま』は話しかけて来る。熱心に。目の前にある料理のことなんて忘れて。
私と作った料理。
『アナタ』が美味しいと言った料理なのに。
「……」
それ以上に『アナタ』はカナミヤについて話そうとする――私にカナミヤのことを教えようとする。
訊きたくなかった。
「お子ちゃま。もうやめて」
「え……」
「カナミヤについてアナタが努力しなくていい」
知ってる。
カナミヤは日系アメリカ人だということも。
薬理学
カナミヤの事を、『お子ちゃま』が知っている以上に私は知っている。
「ワタシとそこの女はどうやっても同じようには生きられないの」
知った上で私は、もう、カナミヤと同じ道を行くことは出来ない。致命的な亀裂が入った物体が元通りに修復されることはないのだから。
「カナミヤ。話があるんでしょ。手短に済ませて」
「この子と話した」
二人で訪れた時点で碌な話にはならないと予感していた。そしてそれは、恐らく私の予想通りだ。
「アンフェルフェフォビア。きみとかつて様々なテーマで話したように」
食事の手を止めたカナミヤが、私を静かに見つめる。その隣で『お子ちゃま』はやや緊張したように頷いている。
快晴の陽光を天窓から取り込むリビングは、眩しい白で満たされている。その中にあってもカナミヤの黒い瞳は際立って濃く私を見据えていた。
「きみが物理学・情報工学を同時に専攻し。私が数学論文ばかり読んでいたあの頃。私達はそれぞれの領域から世界を見ていたね」
昔の話だ。
現実世界。私がまだ学生の時。
カナミヤとの会話はいつも嚙み合わなかった。
私は物理の側面からしか話をしなかったし、カナミヤは数理についてしか頭を使っていなかった。私もカナミヤも相手が何を言っているのかよくわかっていなかっただろう。それでも頻繁に、あちこちで、どのような状況でも会話を重ねていた。
「確かに生きていたんだ」
同じプロジェクトに参加することになってもそれは変わらなかった。私が物理演算システムの構築を主導し、カナミヤがプロジェクトの根幹を成す演算処理ソフトの実験をしている最中でも。私は暇を見つけてはカナミヤに会いに行っていた。……その頃カナミヤの所へ行っていた理由は、彼女の実験対象に会うためでもあったわけだけど。
「あの時間は。あの世界は。夢や幻ではない」
ええ。そうね。
夢や幻なんかじゃない。私はまだ覚えている。その記憶は破壊されていない。
だけどねカナミヤ、それはもう私達の現実ではないのよ。
「わかってるでしょ。ワタシ達にはもう現実なんてない」
食材は腐らず。
老いも生もなく。
雨は降らず。日焼けもできず。
いつか壊れる精神から目を逸らし。
怠惰に日常を過ごすことしかできない。
――それが、私達の生きるべき世界なのだと。
「それでも……私は背負うよ。私が救う。皆を救ってみせる」
だというのにカナミヤは諦めない。
昔からそうだった。カナミヤは変わらない。この無限性を持った精神の牢獄の中で、カナミヤは現実世界に居た頃から何一つ変わっていない。
不変性。『運営』がカナミヤに見出した、『この子』とは違う、もう一つの最高適正。私が持てなかったもの。絶えることのない可能性の模索――絶対の探求心。
……分かっている。
私には何もないのだろう。
『この子』をしがみつくようにして束縛し、拘束し、縋りつき、そうしなければ私の手の中には何も残らない。『運営』が私に見出したものは何もない。ただプロジェクトを成功に導くための末端構成員でしかなかった。
「提案がある」
「……なに」
だというのに現実世界の私は、自分になら何でも出来ると思い込んで。自分こそが重要なポジションに居ると思い込んで。『運営』が――彼女が指示するままに犯罪行為に手を染め、それを誇り、その結実たる存在を無邪気に愛でて。
そうしてサービス開始直後、何もかもを間違えたのだとようやく気付く。
罪を幾つも重ね過ぎている。私という本質は既に罪過しかない。
「この子は強くなることを望んでいる。そして私に勝とうとしている」
今、カナミヤの言葉の全てが疎ましかった。たとえ後ろ向きの決意であろうと前進しようとする、できる、そんなカナミヤの顔を見る気になれなかった。
俯く。目を閉じる。『アナタ』が心配そうに息を呑むのが分かる。それでも私は受け入れたくない。
――カナミヤが、何を言うのかが、もう分かってしまうから。
「負けるつもりはない。でも……」
カナミヤは前進する。過去を見ながら後悔と懺悔に塗れながらでも『終わり』を諦めない。
対して私はどうだ?
何をした?
『村』を作り残存ユーザー199人に真実の一部を話してそれで終わりだ。彼らに『この子』という希望を見せただけ。『この子』のための居場所を作り、だけどそれは私が欲したもの――『この子』の側にある私の居場所でもあった。
醜悪。
劣悪。
罪悪。
何もかもが私を向いている。何もかもが私の手の内から零れ落ちていく。奪われていく――損なわれていく。
「可能性が
………………聞きたくない。
「私達はこの子のおかげで変われるかもしれない」
聞きたくない。
聞きたくない。
聞きたくない……!
「彼女をダンジョンに連れていきたい」
分かっている。
これが必然で、ここから起きる全てについても必然性があるのだと。
「……………………超えたな……」
「フェ、フォ……?」
カナミヤと『この子』は似ているから。根幹にある魂や精神といったものが、
「超えたな、カナミヤ」
絶えず前進する歩進のように。
その制御はもう、私の制御下にはないのだと。
――それでも、失いたくないものはここにあるから。
「一線を超えたな……ッ! カナミヤァッッッ!!!!」
私の意思。私の願いに応じて、アナウンスは絶叫する。
■―■
スキル実装:《
Tips_其は125億光年まで伸長可能な第三肢の使用を許す。
スキル実装:《
Tips_其はスキル《
■―■
私の装備品が、スキルが、燃えていく。蛇にも似た尻尾は紅に燃え立ちゆく。
何もかも溶けてしまえ。強烈な熱量に情動も嫉妬も醜い心ごと全て溶けて消えてなくなれ。
意地汚くていい。
叶わなくていい。
それでも私は、私の手元から離れていく『この子』を見ることは出来ない。受け入れられない。
「フェフォ――! なんで……!」
前を向く。
『アナタ』はその可憐な顔を悲愴に染める。カナミヤは、ただ、静かに私を見つめている。
私は、笑って、嗤った。
「――殺すわ。カナミヤ。おまえを」
私は素粒子操作の技術を用いて、大気中の素粒子から核融合反応を誘導。私の自宅ごと、『村』全域を一瞬で爆破した。