《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》   作:てりのとりやき

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長く生き過ぎている私達/泣き顔が似合わないもの

 

「私が今からフェフォを救う! 討伐でなく取り戻すッ! そのための時間を私にください!!!!」

 

 叫んだ直後。 

『彼女』は自身の右前腕部に自らの左手を添えたかと思うと、一息に。

 ──ぶちィッ、と。

 何の躊躇いもなく握り潰した。理性ある者であれば忌避する行いに、カナミヤ以外のユーザー全員が息を呑む。それと同時、フェフォ……赤卵型レイドボスが活動を開始した。

 

「――!」

 

 カナミヤは即応した。超光速でユーザー達を叩き潰そうとした蛇尻尾の一撃、大上段の殴打の真下へと移動。ざらざらとした赤い鱗で包まれた尻尾をその手で受け止める。

 大地が瞬間的にクレーターを生んだ。

 ユーザー達の悲鳴を聞いて、戦場の移動を判断する。

 

「離れるよ」

 

 レイドボスの敵対行動は優先順位を持つ。その仕様、優先順位の付け方をカナミヤは知っている。

 ユーザー達の中で最も危険な存在だと思わせることが重要だ。――カナミヤはクレーターの中心から、一気に赤卵型レイドボスへと走った。振りほどかれた蛇尻尾が空からこちらを突き刺そうとするのを交わしながら、1秒以下の速さで距離を詰め。

 

「――」

 

 卵殻にも似た赤い表皮を蹴り飛ばし、レイドボスの危険度判定を繰り上げさせる。

 そのままカナミヤは空中を踏みしめた。超越的ステータス値によって大気を瞬間的に圧縮し足場とする荒業。そのまま空を駆け始めると、赤卵型レイドボスも追跡を始めた。

 戦線の移動は完了。

 しかし……と、先ほどレイドボスを蹴った時の感触をカナミヤは思い出す。

 

(硬い。なんて『防御力』)

 

 アンフェルフェフォビアがレイドボス適正をほとんど持っていないことは、不幸中の幸いだったのだろう。

 レイドボス限定の権能である『物理操作』、『過剰演出』、『物質創造』といった能力が発現されていない。確認できているのは、ユーザーであった頃から持っていた素粒子制御(スキル)と、レイドボス特有パラメーターである『防御力』だけだ。

 

(しかし最悪の組み合わせでもある)

 

 既に赤卵型レイドボスが発揮する速度は常時超光速域にある。

 高度1000mの上空。

 背後から空間を圧し潰す“圧”――迫りくる蛇尻尾の殴打を察知したカナミヤが、右へ跳んだ直後。跳んだ先の空間が白金色に輝き始め、

 

「ッ」

 

 爆ぜる。僅か数グラムで星の重力を振り切るだけのエネルギーが、熱量となって全方位に爆散する。

 ――反物質爆撃……!

 光でさえ反応できない速度域で、ありとあらゆる空間内素粒子を制御し、時間という概念が進み始めた瞬間には反物質爆発が発動している。蛇尻尾の先端に触れようものなら即座に素粒子制御によって死亡する。

 

 超光速域で振るわれる無限伸長の鞭。

 空間を埋め尽くすは絶対的エネルギーの奔流。

 熱量飽和。

 実にシンプルで実に有効な戦術だ。

 

 熱量と質量を支配下に置く、超々硬度をしたレイドボス。カナミヤが持つ特定のスキルを組み合わせれば、その『防御力』を貫通することは可能かもしれないが……。

 ――ちらと視界の隅に意識を向ける。遥か真下の地上で、『彼女』の姿を探した。

 

「ぁッ、ぐッゥううウウウ……ッ」

 

 右腕を千切り落とした『彼女』が、黄金の髪を戦慄かせながら苦痛の悲鳴を上げていた。死が軽いゲームの中において必要以上の痛覚はカットされている。自傷行為による苦痛の発現ではない。 

 周囲のユーザー達が『彼女』に声を投げかけ、困惑からその背をさする。それでも収まりそうにない全身の震え。何故そのようなことになっているのかは、失ったばかりの右腕を突っ込んでいる先を見れば明白だ。

 テクスチャーを剥がしたような『裂け目』に、今、『彼女』は自身の右腕を捻じ込んでいる。

 耐えきれなくなったのか、『彼女』は地に膝を着いた。それでも右腕を『裂け目』から引き抜かなかった。

 

「正気かきみは。今すぐやめるんだ」

 

 僅かな時間だけ地に降り立ったカナミヤは、それだけ告げる。周囲のユーザーに『彼女』の異常行動を知らしめる目的で。

 

「やめ、ない、よ……ッ!」

 

 苦渋と苦痛に満ち満ちた声音。俯き、震え、歯噛みする叫び。

 カナミヤには分かる。

 

「バグオブジェクトの合成だね?」

 

『彼女』は今、自分自身を構成するデータに破損データを……バグを食い込ませている。

 痛覚の薄いユーザーだろうと、自身に侵食する強烈な違和感には凄まじい拒絶反応が起きて当然だ。

 並みのユーザーなら即座にレイドボス化していてもおかしくない。 

 

「時間を……。時間が……いるんだ。それさえあれば、それだけあれば……!」

 

 思わずため息が出る。

 諦めの悪い子。

 ……正直に言えば、カナミヤには『彼女』がどのような理屈をもって凶行に至っているのかが理解できない。恐らく何か考えがあるのだろう。

 

「どれくらい掛かる?」

「わか、ら、ない……。出来る限り速く、するよ」

 

 オブジェクトの生成に時間が掛かるのか。

 レイドボスイベントの終了まで残り260秒だ。261秒後にはレイドボスは活動を終え、フェフォというユーザーは完全に消滅する。

『彼女』の賭けが形を成すのが先か、赤卵型レイドボスが活動終了するのが先か。更に言えば『彼女』の賭けが成立するのかさえ不透明……。

 

「……」

 

 カナミヤは思案する。

 赤卵型レイドボスが繰り出す攻撃の全てを回避しながら。

 カナミヤは検討する。

 赤卵型レイドボスから目を逸らさずに。アンフェルフェフォビアという損なわれた個人を思い浮かべて。

 

「──できるの。仕様に逆らえると?」

「──できるよ。摂理だって超えられる」

 

 応じるは即答。 

 つい振り向く。『彼女』は顔を上げ、奥歯まで剥き出しにして湧き起こる狂気を抑えつけている。それでも、真実黄金色の双眸はこちらを真っ直ぐに見据えていた。

 強い眼差し。それに、摂理を超える、か。

 いい言葉だ。

 

「私のスキルの大半は過剰火力。それに相手はフェフォがベースとなったレイドボスだ。手を抜けば私でも苦戦する」

「……!」

 

 言葉の意味が分からないはずはない。歯を食いしばって、不安定に痙攣する瞼の奥から、黄金の瞳が確かに瞬きをする。微かに頷く。それを以てカナミヤは自身の行動目標を決定した。

 多くを語る必要もない。

 意思の疎通は成った。

 カナミヤは、赤卵型レイドボスを殺さない──また逆に赤卵型レイドボスに誰も殺させない。  

 

「レイラ。使って」

 

 決断からの行動は迅速だった。 

 カナミヤはスキルを用いてとあるオブジェクトを生成する。そして、『彼女』に寄り添っていた赤縁眼鏡の女性ユーザー……レイラに向かってオブジェクトを投げつけた。

 

「カナミヤ。これは……」

「きみに最適だと思うから」

 

 しっかりと受け取ったレイラがまじまじと見つめているのは、透明なプラスチックで出来た軍用防弾盾。人を一人、すっぽりと盾の裏に覆い隠せる大きさをしている。

 

「それと……」

「?」

「アンフェルフェフォビアにだけ罪があるはずはないよ」

 

 言って、今度こそカナミヤは顔の向きを正した。

 相対するは最強クラスのレイドボス。アンフェルフェフォビアを基とした敵対的モンスター。

 

「それがきみの抱えたもの?」

 

 目などどこにも付いていないというのに、赤卵型レイドボスはカナミヤと正対する。36対72枚の紅翼をゆっくりと広げ、蛇尻尾の先端を真っ直ぐにこちらへと向ける。

 曇天。

 雨が降る中、天の下には鮮血にも似た熾天使の卵が浮遊する。

 これがアンフェルフェフォビアの心象、純化した情動の形態。なんて荘厳で壮絶な姿だろう。罪の意識としては華麗で絢爛、あまりにも豪奢が過ぎる。

 だけど。

 人としてのアンフェルフェフォビアの方が綺麗だったな。

 

「きみはもっと私に怒ってよかったんだよ」

 

『彼女』の行いは分の悪い賭けだろう。

 それでも罪はアンフェルフェフォビアだけのものではない。

 だから、カナミヤは空間を蹴った。

 生成した直剣を手に。

 亜音速、音速、超音速、極超音速、光速──超光速────物理の限界を超えて赤卵型レイドボスに肉薄する。危険優先度を一気に繰り上げさせ、他のユーザーに、『彼女』に向けて攻撃をさせないために。  

 全力で剣を叩きつけた。

 

「────!」

 

 大地が抉れる。

 余波だけで遥か彼方の山脈が消し飛ぶ。

 最高クラスの『防御力』を持つレイドボスには、傷一つ付かない。  

 

 

 ■―■

 

 

《レイドボスイベント終了まで残り240秒。》

 

 

 ■―■

 

 

 

 一般ユーザー達200人弱は、遠方で繰り広げられる超高速の戦闘を歯噛みして眺めることしか出来なかった。

 超越的ステータス値を持つカナミヤの、大気の断熱圧縮による空間煮沸を生むほどのスピードで振るわれる剣戟。ノーモーションで発生する反物質爆撃を瞬間的に交わし、交わした先に振るわれる蛇尻尾の超光速殴打を受け流し、隙を見ては剣を叩き込む神業の連続。

 それでも一向に赤卵型レイドボスが傷ついているようには見えない。手数の差で押されつつあるようにさえ見える。 

 

「なんでカナミヤはもっとすごいスキル使わないんだろう……?」

 

 低レベルユーザーでは参戦など叶うはずもない戦闘に、誰かが思わず呟く。

 それに対し他の誰かが悔しさを滲ませて吼えた。

 

「俺らを巻き添えにしないためだろッ」

 

 ユーザーの大半が、せいぜい数万~数千程度のレベルしか持たない。戦闘で役立つようなスキルなど持っているはずもない。──200人のうち全員がカナミヤ達を見ることしか出来ないでいる。

 

「俺達、邪魔になってる……んだよな」

 

 誰かが見た。

 カナミヤの舞う姿を。赤卵型レイドボスを殺さず、かといって誰も殺させず、時間稼ぎのためだけに剣を振るう姿を。天を地を駆ける力強さを。

 

「どうするよ。いっそカナミヤが自由にやれるように死ぬか!?」

「確かにそれなら『復活遅延』で邪魔にはならないけど……」

 

 誰かも、見た。

 背後。地に跪き、背を曲げ、嘔吐など出来ようものなら体内の全てを吐き出しそうなほど苦渋に塗れて呻く、金髪金眼の少女を。『裂け目』に突き込んだ右腕をそれでも決して抜こうとはしない、逆立つ眉、意思燃え滾る黄金の瞳を。

 

「でも……もっといい使い方、あると思うんだよねー」

 

 誰かは、見回した。

 周囲に居る者たちを。見飽きたという言葉さえ腐るほど見慣れた面子。時に騒ぎ、時に笑い、時に泣き、時という概念が崩壊しても共に居ることを選択した同類達を。

 

「何年生きたのかな?」

「さてな。もう分かんねえよ」

 

 カナミヤのようにひたすらに突き進むことは出来ず。

 フェフォのようにひたすらな想いを持たず。破滅さえ選べず。

 『彼女』のようにひたすら諦めないで居る事も出来なかった。

 

「僕たちは長く生き過ぎてると思わないかい?」

「昔トーギが言ってたな。終わりがあるから価値があるって」

「いい言葉じゃねえ?」

「だよね」

 

 ぬるま湯に浸るような生活を享受し続けるだけだった、愛すべき愚か者たちを──誰もが、誰をも。

 見て。

 笑い合い。

 

「私は今だと思う。──皆は?」

 

 雨が降る。

 フェフォがレイドボス化した時は小雨程度だった雨は、100秒後には何故か勢いを増していった。

 ゆっくりと。

 徐々に。

 確かに。

 ユーザー達は、顔に張り付いた髪も気にせず。やがて……誰ともなしに頷いた。

 

 

 

 ■―■

 

 

《レイドボスイベント終了まで残り200秒。》

 

 

 ■―■

 

 

 

 トーギは大地の形を変えながら繰り広げられる攻防を、静かに見つめていた。レベルで言えば1000程度でしかない青年ユーザーは、戦闘の余波で巻き起こる物理現象しか視界に捉えることは許されていなかったが──ひどく静かに、首を横に振る。

 

「カナミヤだけじゃ無理だなありゃ。抑えきれてねえ」

 

 赤卵型レイドボスが発動する反物質爆撃の数が徐々に増している。

『最強』のユーザーが押されているのだ。大半のスキルが使えないというシンプルな縛り(・・)のせいで。

 

「手加減しすぎだ。いや、殺さずにやるってのはそれだけ難しいってことか……」

 

 思わず頭を掻く。浅黒い肌にしかめ面を浮かべてしまう。

 

「力になりてえなあ。けど俺ァ戦闘じゃ役に立たねえ雑魚だしなあ……」

 

 言ってから振り向いた。

 眼前の光景から遮るように立つ背後。そこには、隣のレイラに背を撫でさすられながらも、蹲ったまま身動きの取れない『彼女』がいる。微細な痙攣を繰り返し続け、荒い息を吐き、背中で大きく呼吸をして、地に額を擦り付けてもがき苦しむ。呻くように泣いて──聞いているだけで心臓が締め付けられるような痛みが走る。ありもしない胸の内側に、確かな苦痛を覚えてしまう。

 

「辛ぇなあ……誰かが泣くのはうんざりだよな……」

 

 痛いのだろう。

 耐えきれないのだろう。

 トーギには想像できない。カナミヤの言っていたことが正しいなら、『彼女』は今、自分自身にバグオブジェクトを合成しようとしている。そうまでしなければフェフォを救えないからと。レイドボス状態からフェフォを取り戻すためにと。

 

「……」

 

 レイドボスイベントの終了まで残り200秒を切った。このまま時が進めば、カナミヤの時間稼ぎは破綻する。恐らくではあるがトーギはそう確信できる。今のカナミヤには守る(・・)もの(・・)であ(・・)り枷(・・)が多すぎる。

 そして背後の『彼女』が欲する時間が本当に残り200秒で済むのかは不透明だ。

 であれば、自分に出来ることは何なのか。

 トーギは考────考えるまでもなく結論は最初から出ている。

 

「覚悟決めろよ久世当木……。ダセェことしか出来てねぇ俺の、一世一代の出番じゃねえか」

 

 口元が自然と笑みを作った。両の頬を、『パチン』と音が鳴る強さで叩く。数度首を横に振り。

 ──刹那に思い返す。

 この『村』が出来てからの全ての過去を。

 失敗と後悔と僅かな前進の中にあった喜びを。

 

「レイラ」

「はい」

 

 だからトーギは、二人へと振り向いた時、その顔にさっぱりとした笑みを浮かべていた。  

 笑って見つめる。『彼女』の隣で、静かに頷いた最愛の女性を。世界で一番可憐で綺麗で美人な恋人を。

 

「……悪ぃ。ずっと一緒に居られねえや」

「トーギ君。そういうのは言いっこなしですよ」

 

 トーギはレイラに、申し訳なさそうに頭を下げた。レイラは優しく笑いながら首を横に振った。

 二人の会話にのろのろと『彼女』が顔を上げる。痛々しいほど蒼白になった顔の色。弱弱しく震える両の眼が、金色の瞳が、不安定にこちらを見上げる。──じわり、と、目端に溜まり始める温い滴。

 それは勢いを増しつつある雨粒ではない。

 

「トーギ……嘘、だめだ、だめだよ……」

「泣くなよ。お前泣き顔似合わねえよ」

 

 トーギもまた『彼女』を見た。笑顔のまま。心の奥底から澄み切った想いのまま。

 

「皆に犠牲になって欲しいわけじゃないッ! 私は……そんなことなら、私は……!」

 

 ──フェフォを諦める、と。そう叫ぼうとする言葉をレイラが制止する。

 呆然と隣のレイラを見た『彼女』に、トーギは穏やかに投げかけた。

 

「なあ。頼む。笑っててくれ。俺達はお前がここにいたからまだ稼働中ユーザーやってんだぜ」

 

 ……本当に黄金みたいな虹彩だったな。

 初めて見た時から眩しくて。空に浮かぶ太陽よりも色濃い力強さに満ちていた。

 思い返す。

 背後から爆音と衝撃が背中を打つ中。戦闘の余波が徐々に徐々に近づきつつあることを感じ取りながらも。

 最初期の『村』に居たのはフェフォと『彼女』と、レイラとトーギの四人だけだった。当時の『村』は今ここにある更地同然に何も無くて。道具を作り、家を建てて、道を作り、家具を作り、……少しづつ人が増えていった。笑い声が満ち、騒がしい空間に熱が湧き、人と人とが織りなす様々な出来事があった。やがて《生活フィールド》に残存する全ユーザーが集まり切った。

 全ての苦労。

 全ての徒労。

 全ての努力。

 断言できる。無為な時間なんて何一つなかった。

 

「お前が笑ってくれるなら、辛いことなんて何にもなかったんだ」

「────」

 

『彼女』の全ての時が止まった。そう錯覚するほどの硬直、数舜の後に……黄金の瞳が潤んでいく。頬が震え、喉が嗚咽を漏らし、大粒の涙を零し始める。

 ……あーあ。ぐちゃぐちゃのぐずぐず。

 酷い泣き顔だった。

 それだけ想われているという事実が、トーギという男に十分な覚悟を与える。

 

「もう決めたんだろ。お前が。俺達の存在理由が」

「うん。うん……っ!」

「こんな選択しかできない、弱っちい俺たちを受け入れてくれてありがとな」

「そんなことな゛い゛ッ、ぞんなごどながっだッ! どーぎは゛強゛ぐてッ゛、弱い゛はずながっだ……!」

「も、もう! 泣きすぎですよ! トーギ君困っちゃうじゃないですか!」

 

 見かねたレイラがハンカチで『彼女』の涙を拭いていく。拭いた傍から涙が零れ続けるからどうしようもない。困ったようにレイラが笑うと、トーギは思わず吹き出してしまった。二人が笑う先で、それでも『彼女』は泣いている。泣き止むことが出来ない。必死になって涙を止めようとしているのに、どうしても上手くいかない幼さ。

 まるで。

 

 

 まるで……泣き止まない赤子を世話する夫婦みたいだ。

 

 

 ──ありもしない空虚な妄想を、トーギは首を振ってかき消す。急激に締め付けられるような想いが溢れ返るのを、彼女たちに背中を向けることで強引に隠す。隠し通す。

 努めて曲げることはなかった背中に、ややあって優しい女声が降り注いだ。 

 

「これはお別れなんかじゃありません」

「ああ」

「前に進むんです。前に進むことを良しとしたんです」

「おう」

「あなたがどのようなあなたでも。あなたがどのように変わっても、消えたとしても私はあなたを愛し続けます」

「へへ」

 

 そうして。照れたように頭を掻いた青年は、そのまま少しだけ俯いたまま噛み締める。

 時を。

 歩進の間隙を。

 長いような短いような、黄金の幸福全てを。

 

「月並みだけど。レイラ、お前を愛してる」

「はい。私もあなたを愛しています、トーギ君」

 

 ……ああ、最高だ。好きな女と添い遂げられて、最後には格好つけられて。

 もう十分だ。

 もう文句なんかない。

 

「レイラ。そいつを守ってやってくれ」

 

 トーギは歩き始める。彼の足先から徐々に、全身が黒く染まり行く。

 ──レイドボスの活動終了まで残り10秒。 

 

「俺が……絶対にお前を守るから」

 

 トーギは目を瞑る。同時に、彼は瞼というものの感覚を喪失する。

 ──レイドボスの活動終了まで残り5秒。

 

 

 

 

 最後に、トーギだった黒い人型は手を挙げた。

 背後の二人にゆっくりと手を振り。 

 ──レイドボスの活動終了まで残り2秒。

 

 

 

 

 

 アナウンスは確かに轟いた。

 

 

 ■―■

 

 

《レイドボスイベント終了まで残り1秒。》

《レイドボスイベント開始まで残り0秒。》

《レイドボスイベントが開始されます。》

 

 

 ■―■

 

 

 黒いばかりの人型が弾け散った。水風船のように崩れ落ち、地面に黒い水たまりを生む。だがやがて泡立ち、ボコボコと沸騰を始めた黒の水たまり。

 そこから現れる実体が一つ。

 それは巨木を思わせる大きな腕だった。太く鋭い爪を持った、獣の前脚。

 地面を確かに踏みしめた前脚を支えにして、それは水たまりから一挙に姿を現す。

 艶めく黒い毛皮。

 四肢と爪をもって大地に立つ躯。長い顎、体毛と同色の黒い瞳、威嚇を込めて震える喉首、天を向いて立つは二つの耳。そして何より──その背に備え付けられたトラスフレーム型の発射台(カタパルト)

 全長30メートルを超す黒き巨狼は、がぱりと顎を開き。

 

 

 

 

《Username,Tougi9021》

《Status update》

《Raid boss:鍛王(Tougi9021)

 

 

 

 

「────────ッッッッッッ!!!!!!!」

 

 全力で咆哮を上げる。世界中に、顕現を示す。 

 

 

 ■―■

 

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

《レイドボスイベント終了まで残り300秒。》

 

 ■―■

 

 

 アナウンスを確かに見届けたカナミヤは、戦闘の最中に呟いた。

 

「活動時間の延長……」

 

 しかしレイドボスが追加で1体か。さすがに無傷でやり過ごすことは難しいかな。

 ──などと考えた矢先。

 空中に居る赤卵型レイドボスへと駆けていたカナミヤは、背後から溢れる膨大な殺気を瞬間的に感じ取った。

 スキルによって全天周拡張が成された感覚能力にで見た先。

 『村』があった更地に、全身の毛を逆立てた巨大な黒狼。そしてその背に組付けられたトラスフレームの中心には、多段式ジェットエンジンを搭載した全長100m超のロケットが鎮座しており。

 ──ロケットが火を噴く。

 雄叫びと爆光を蹴って突き進むロケットの速度は光にさえ迫る。

 カナミヤが即座に算出したその直線軌道から退避した直後、──気付く。

 この弾道。

 この軌道は。

 

「狙いはレイドボス──?」

 

 見た先。赤卵型レイドボスへとロケットは直撃し。

 惑星の半分を焼き払うほどの業火が天を貫いた。

『──────!!!!!!!』と音さえ喰らう狂乱の熱が荒れ狂う。凄まじい火力の爆発に、カナミヤは生成オブジェクトの壁の内側でやり過ごした。

 

「レイドボス同士が敵対している。……あり得るのかこんな事が」

 

 カナミヤが見やる先。

 爆炎立ち込める天にあって、しかし赤卵型レイドボスには傷一つなく。

 鮮血に染まる熾天使の卵へと、大地を踏みしめる黒狼型レイドボスは奥歯まで剥き出しにして吼え、睨む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ(・・)でも(・・)時間(・・)が足(・・)りな(・・)かった(・・・)

 300秒がどれだけの長さなのか、測ることさえ出来ない苦痛。自分を構成する構造をピンセットで抓まれ、崩され、自分でないものを捻じ込まれるような不快感。頭が割れそうで裂けそうで何度も分割されてしまいそうになる最中。

 現実とそうでないものの境すら曖昧な中、私は声を聴いた。

 

 

 

 

 

「トーギにだけカッコいいことさせられッかよ!」

「俺らだって見守ってきたんだぜ」

「任せなァ」

「フェフォを救う手段があるんだろう?」

「なら私、ここだと思うんだよねー」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

《レイドボスイベントが開始されました。》

《レイドボスイベントが開始されました。》

《レイドボスイベントが開始されました。》

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 

 顔を上げた。明滅する視界の中で、300秒のカウントを延長するために、たくさんのユーザーが声を荒げていた。

 立ち上がっていた。

 立ち向かおうとしていた。

 

 

 

 

 

「構うな。僕たちはフェフォに恩がある」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 

 皆笑っている。

 自分自身を失うことを躊躇わずに。

 私が名前を呼ぶと嬉しそうに目を細めるんだ。

 

 

 

 

 

「何にもないゲームの中だった。だけど君とフェフォが希望をくれたよ」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 

 私の選択だ。私が皆に頼んだ、わがままを願った。

 その結果として誰もが恐れることなく自らを差し出し続ける。

 

 

 

 

 

「お前たちが生きがいを与えてくれた!」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 

 正しいこと? これは何を願っての行い? 

 考える。私は目を逸らすことなど許されない世界を、必死に見る。

 

 

 

 

 

「そんなフェフォを救えるなら」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 …………地と天に、異形の怪物達が集う。

 

 

 

 

 

「フェフォを救おうとする貴女を守れるなら」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 レイドボス達は、その目で、その腕で、その羽で、

 その機械で、その口で、その花で、

 その炎で、その剣で、その指で、その光で、

 ただ一体のレイドボスへと敵意を向けていた。

 

 

 

 

「その為に役立つなら!」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 人の言葉を喋れなくとも吼えた。

 素粒子制御で肉体を破壊され、

 大地に叩きつけられようとすぐさま立ち直った。

 

 

 

 

 

「──悪くない。悪くない命の使い方だ」

 

《レイドボスイベントが開始されました。》

 

 

 

 

 

 

 血を撒き散らし。

 口を持つ者は咆哮を上げ。

 目を持つ者は戦意を浮かべて。

 何も持たない者は魂を賭して。

 誰もが人でなくなり、誰もが大事なものを守るために全てを投げ打ち。

 ──そして。

 

 

 

《生活フィールド》

《ユーザー数:3》

 

 

 

 そうして、カナミヤとレイラさんと、私を除いた全ユーザーがレイドボス化した。

 暴風雨が吹き荒れる中。私の右腕はそれでも、結実を成していない。

 

 

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魔王が滅びて数百年、世界はめまぐるしい発展を遂げた。▼かつて対魔族の戦闘員を養成する魔術学院は、今や貴族などの箔付のために使われる場所と化している。▼そんな王立魔術学院にて勇者の血を引くオレ、セラフィリア・スタンレイは――絶賛いじめられていた!▼貧弱すぎる体、ガガンボ以下の体力、パスタのほうがまだ太い筋肉、勇者の血を引いているとは思えないほどあまりに雑魚すぎ…


総合評価:4121/評価:8.22/連載:18話/更新日時:2026年06月29日(月) 01:04 小説情報


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