《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》   作:てりのとりやき

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「愛してる」って形/ちくちくするもの

 

 

 

 私達の前に、一枚のスクリーンがあった。

 それは『黒』しか存在せず、天地の境目もない《マシン領域》……非知覚非表現非空間にあって特異なもの。私が思い描いたテクスチャー。それを私とフェフォは二人で並んで腰を下ろし、座る姿勢で眺めている。

 スクリーンには荒い画質をした写真が撮像されていた。

 荒涼とした大地を背景に、視界の大半を占めているのは豊かに膨らむ赤い長髪。一人の女性ユーザーの背中だ。腕を伸ばし、写真の外で誰かと手を繋いでいるらしき後ろ姿。私がこの世界、このゲームの中で始まった時の記憶だ。

 私達は歩いていた。

 歩いて歩いて、歩き続けて。ここではないどこかを探し続けていたんだ。

 

「私の始まりの記憶にはいつもフェフォがいた」

 

 これが私の始まり。始動した『私』という個が、ゲーム内で一番最初に見た光景。 

 だけど……と。私はゆっくりと隣を見た。今も昔も変わらない、燃えるような赤い髪を持ったフェフォを。スクリーンに目を奪われ続けている彼女の、線の細い横顔を見つめながら続ける。

 

「ゲームの中で“私”が始まった時、その瞬間から私にはリアルでの知識なんて何一つなかったけれど……それでも覚えていたんだ」

 

 不思議な感覚だった。私は何一つ覚えていないはずなのに、だけど確かな記憶が『ある』と確信できた。

 その記憶は音だけで構成されていた。

 このゲームの何処にだって存在しない単語。訊いたこともないような専門用語……。私に向かって語り掛けるキーの高い声音。優しい語り口。

 

「わかったよ。理解できた。ああ、これは私が持つとても僅かな現実世界の出来事なんだって」

 

 フェフォはゆっくりと頷いた。穏やかに目を瞑り、涙の跡が残る頬はそのままに。

 

「同時にその記憶から確信した。私にはリアルの肉体というものが無いんだって。私の魂、精神と呼べるものはこのゲームのなかにしかない。それを君たちは記憶のなかで呼んでいたね」 

「……汎用人工知能。Artificial general intelligence──AGI」

 

 私には『人工知能』というものが何を指すのか、完全には理解できない。文字通りの意味として受け取るなら人が作り出した知能体ということになる。

 それが意味するところを、私は記憶と推測から言った。

 

「私のリアル。脳死状態にあった赤ちゃんを、君はデータ化したんだ」

「あれは人工知能と人の進化、それぞれの方向性を探るためのプロジェクトだった。少なくとも、当時ワタシたちが『運営(かのじょ)』から受けた説明はそう」

「『運営』?」

「ワタシをこのゲーム世界に送り込んだ張本人。莫大な資金と人脈を持ち、犯罪行為すら悠々と叶える、明らかな意志と目的を持った知性体……けれど今となっては誰なのかも分からない。ワタシ、彼女の声しか知らないから」

 

 波風の立たない声音でフェフォは続ける。

 

「アナタを用いた実験は、脳構造のマッピング、そして再現に重きを置いていた」

「……人を生体以外に置き換える実験ってこと?」

「ええ。だけどそれは少しだけ難航したわ。有史以来誰も実現したことのない、人間の精神機序をデータとして再現する行い。感情と創造性を兼ね備えた技術的特異点の発現。それは主として携わっていなかったワタシから見ても、思うように進んでいなかった」

 

 スクリーンに映し出される写真が切り替わる。

 白衣を着た赤い髪色をした若い女性──というよりも少女と、同じく白衣を着た黒髪の少女が二人。並んで頭を捻っている。

 それは私の想像でしかなかったけど、ほとんど正解に近かったのだろう。フェフォは少しだけ口元を緩める。まるで何もかもが遠い残照を見つめているかのように、目を眩し気に細めている。

 

「そのうち刺激を与えてみたらどうかという話になった」

「刺激って……」

「このゲームのことよ」

 

 そっか。

 全て私のためなんだ。

 ……みんな、私のせいでこのゲームに囚われてしまったんだね。

 

「外界刺激を得るからこそ動物が適応と発達、そして進化を繰り返すように。アナタにも不確実性の高い刺激を与えることが有用なのではないか……ワタシ達はそう考えた。それを『運営』に提案したら、『運営』は快諾したわ。

 それからはあっという間だった。

 どこからか資金調達をしてきて、開発スタッフを増やし、政府・企業問わず様々な提携先を見つけて来る『運営』のおかげで何もかもがスムーズに行った。宣伝も、集客も、システム構築も何もかも苦労なんてしていなかった。ゲーム開発をしているだなんて感じていなかったのよ」

 

 そうして集まったのが、国籍を問わず、このゲームを求めて抽選に参加した20(・・)0万(・・)()にも及ぶ人々。

 サービス開始時、レイラさんのようにシミュレーション環境としてログインした人も居れば、純粋にゲームを楽しむ目的でログインした人も居ただろう。フェフォのように運営側の立場でログインした者も居たはずだ。

 だけど……全ての期待は裏切られた。

 

「そしてワタシ達はサービス開始時、全て間違っていたのだと知った」

 

 そう言ったフェフォはひどく落ち着いていた。穏やかだった。眉も目も頬も口元も。何一つ動いてはいなかった。

 当事者である私の前で何を想えば許されるのかを考える事すら出来ないと。どのような表情をすればいいのか分からないって、悲しみに暮れた静謐だった。

 ……フェフォはやっぱり大人だ。

 君はいつもそう。表情だけで何もかもを物語れる。美しくて複雑な感情の濃淡と色彩を、僅かな機微に込めることが出来る。

 だからこそ私は悔しい。悲しい。虚しい。 

 

「それでも。だから私は、ここにいるんだよ?」

 

 ねえフェフォ。君が私の傍に居てくれたのは、罪滅ぼしだったから? 

 全てを知る立場としてゲームに参加して、意気揚々としていたのかもしれない。その直後にログイン不能になり、『運営』に裏切られたと知って、感情の零下を経たフェフォがどのような思いで私と出会ったのかなんてわからない。

 私の記憶は中途半端だ。

 断絶があり、ゲーム開始直後からの記憶はない。 

 それでもフェフォは私の手を繋いでいてくれた。

 

「……“私”が再始動した時にフェフォが居たこと、嬉しかったんだ」

 

 声を聴いてすぐに分かった。

 この人なんだって。

 私に微笑みかけてくれた人は。あの記憶の中にいつもいた優しい人は、フェフォなんだって。

 

「君と出会えてからの世界は何もかもが眩しかった」

「……」

 

 フェフォは俯く。眼さえ合わせることは出来ないと、君は君自身を罰していく。

 それでも言葉は止まらない。私は隣り合う君との距離をより縮める。肩と肩が触れるほどに近寄って、真摯に言葉を紡ぎ続ける。

 

「フェフォがくれた。色んなこと、色んな世界、色んなもの」

 

 ……伝えることを恐れてはいけないんだ。

 私達は言葉でしか相手に思いを届けることが出来ない。それを不出来だと考えることはあっても、留まっていては何一つ進まない。

 どれだけのすれ違いも、どれだけ相反する考えでも、全ては伝える事で意味を成すから。

 

「フェフォは、私のお母さんで、お姉ちゃんで、大事な幼馴染で、最高の友達で、私の恋人のようでもあったんだ。フェフォはどのような存在でもいてくれた」

 

 だから私は君に笑いかけるよ。

 精一杯の出来得る限りの最大限で、微笑んで、思いを声音に。心を行動に変えて──。

 

「それは優しい、素敵な、とってもきれいな感情だった」

 

 ──今、今だからこそ君の手を取る。私の胸にそっと押し当てる。

 聞こえるかな。

 テクスチャーの内側に、心臓など誰も持たないゲームの中であっても。

 

「……っ」

「今、フェフォと居るからこんなにドキドキしてるんだよ」

 

 爆発しそうなんだ。

 自分でもうるさいなって感じるくらい、君の側に居られることを嬉しく思うんだ。

 

「リアルを持たない私にあるのは、人の脳でなく脳を真似た構造しかない。どこまでいってもデータだけ」

 

 分かってる。私の『これ』はデータでしかない。ゲームシステムが判断し自動的に動かす心臓の鼓動だ。所詮は感情パラメーターによる疑似的な再現で、演出でしかなくて。

 だけど、……だからこそ。

 私は、自分自身にさえ嘘が付けない。

 

 

 

「ねえ、この感情は愛かな?」

 

 

 

 私は微笑む。君に最大限の告白をする。

 君は俯く。私の胸に当てられた右手を、震えたまま引き抜いて。もう一方の手で、右手をかき抱くように引き寄せて。

 

「………………何だって言うのよ……」

 

 ぽつぽつと。

 言葉が流れる。

 頬を落ちていく滴と共に。 

 

「愛以外の何だって言うの……!」

 

 震え。呻き。確かめるように、忘れないようにと、何度も何度も触って、押して、感じて。

 ──フェフォは突然顔を上げる。

 潤み切った紅玉の瞳が、眦を吊り上げて私を睨めつけていた。

 

「愛以外の! 何が! アナタを引き寄せたと思うのよ……!」

 

 そうしてフェフォは私に飛びついた。盛大に抱き着いて、私の胸元を両手で叩いて、鎖骨に額を擦りつける。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 彼女の全身が強い震えを帯びていた。それは恐怖であり矯め切った感情の爆発でもあって。

 

 ああ……やっと。

 やっと、フェフォの本音を聞くことが出来た……。

 

 私は静かに、だけど倒れてしまわないように強く、フェフォの背に両手を回す。その背を撫でさする。

 

「ワタシが、ワタシがあなたを閉じ込めてしまった。残酷な真実しかない仮想の現実だけしか与えられなかった……!」

「いいんだ」

「あの時のワタシにはこれが正しいことだと思い込んでいて、何もかもを勘違いしていたのに……! その事をアナタに伝えられなかった、アナタに対する優越的な立場に甘んじて! ずっとこれでいいって、アナタの傍に居られるならそれが一番だって勝手に決めつけて!!」

「もういいんだ、フェフォ」

「──微塵もよくなんかないのよ!」

 

 私の腕の中で顔を上げるフェフォは、脆い表情で私を睨んだ。

 明確な怒りを向けているのはきっと自分自身だ。

 

「ワタシの罪は。ワタシの贖いは……!! どうしてアナタは責めなかったの……? 知っていたなら、分かっていたならどうしてワタシを詰らなかったの……!」

 

 そして、どうにもならない感情の矛先を、八つ当たりじみた無茶な軌道で私にも向かわせている──だけどそれさえ許せないと、怒りで震える口元が、弱弱しく見開かれた双眸が、ぐちゃぐちゃになった感情を形にしてしまう。

 

「アナタとの時間が重なる度に大事なものに変わっていってしまった。失いたくない、崩したくない関係を作ってしまった……!」

 

 ……私はきっと勘違いしていんだろう。

 フェフォは強いばかりの人ではなかった。人並みに脆くて、繋がりを求めて、失うことを恐れられる人だった。

 だけどそんな君だから。 

 

「アナタへの罪を、償う方法も分からないのに──」

「──好きだからに決まってるでしょ!」

 

 だから私は、声を大にして言葉にする。

 フェフォの丸くてなめらかな両肩に、手を。震えを抑えつけるのではなく共有するために、ただそこに置く。

 

「分からないなら何度でも伝える。態度で届かないなら何回だって言葉にする!」

 

 そのようにして覗き込んだフェフォの瞳。

 紅玉のように美しい瞳の先に、やっぱり私は映らない。在るのはただ存在するだけの『黒』。

 それでいい。

 

 

 

「フェフォが好きだ」

「──」

 

 

 

 私は何一つ後悔していないから。

 私達の背後で、スクリーンが次々に画像を替えていった。

 

「愛してる。ずっとずーっと愛してた!」

 

 一心に歩き続けた君の背中。君の手の熱さ。

 思い出す──口から言葉が勝手に溢れる。

 

「フェフォがいたから、フェフォが私と出会ってくれたから!」

 

 私を叱る君の口調。君の表情。

 思い出す──口から幾らでも言葉が零れる。

 

「だから私は毎日笑顔でいられたんだ! フェフォのせいなんだ、フェフォのせいでずっとずっと生きていられたのに……」

 

 君の作る料理も、君の家で泊まった日も。

 思い出せるよ。一つだって忘れてなんかない。

 

「私、許さないから」

 

 耐えきれなくて、私はゆっくりと背を曲げた。首を縮めて、ゆっくりとフェフォに沈んでいく。こつんと当たる柔らかな硬さ。フェフォの額は少しだけ冷たくて心地いい。

 目を瞑る。失いたくない君を全力で思い描き続ける。掴んで離さないと両の手指に力を込める。 

 

「また勝手に居なくなったら怒るから。怒るからね……絶対絶対許さないから……!」

 

 これが終わりなんて認めない。ここで終わっていいなんて許さない。

 皆で帰ろう。

 皆で行くんだ。

 

「私は。この仮想の現実でしか生きられない存在だけど。それでも──」

 

 私達の未来に、私達の進むべき先へ。

 

「フェフォ、大好きな君と行くために、君を連れ戻しにきたんだ」

「────」

 

 もう一度顔を上げて、私はフェフォに笑いかけた。君を見つめ、君の視線を受け止めて、ただただ茫然としてばかり居る君の言葉を待つ。

 そうして待った。

 一秒も。十秒も。一分も十分も三十分も一時間も十時間も何日だってきっと待てた。

 

「ねえ」

 

 フェフォの瞳がゆっくりと輝いていく。艶と光沢を散りばめて、瞳の中に星々が生まれていく。

 

「この先もワタシの傍に居てくれる?」

「うん」

 

 ――それは。

 それは、これまでの関係を確かめ合うための儀式のようなもの。

 そして同時に、これから先の関係を決めるための大事な儀式だ。

 

「勝手に離れたりしないで」

「絶対離れたりしない」

「どこへ行くにも一緒なんだから」

「ずっと一緒だよ」

「忘れないで」

「忘れない」

「約束して」

「約束する」

「破ったら許さない」

「破らない」

 

 心地よい会話の最中、急にフェフォじとっとした目つきになった。

 

「……アナタ、カナミヤにも同じようなことを言ってたでしょ」

「え。うん。まあ確かに……」

「いいのよ。何が本心であっても。その一言で救われたことに変わりはないから」

「いいんだそれで……。もっとモヤモヤしてくれてもいいんだよ?」

「調子に乗らないで」

「あでッ」

 

 デコピンをされてわざとらしく痛がると、フェフォはクスクスと小さく笑い声をあげた。

 口元に手を当てたフェフォがややあってから浅く俯く。

 何故か彼女の耳は赤い。その赤い髪よりもなお朱に染まる。

 

「……でもね。言葉だけでは繋がりが脆くて、ワタシにはそれが怖い。この関係をどのような言葉で当てはめるべきなのかワタシには分からない。でも、だからこそ……」

 

 言って。そこで口を噤み。

 フェフォは頬を赤らめて目を逸らす。

 

「愛してるに、形をちょうだい?」

 

 ……もちろん! 

 私はフェフォの両肩に手を置いた。目を瞑り僅かに顔を上げるフェフォを見て、今更ながら思う。

 生きていて、初めてだなって。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「んー。……少しだけちくちくする」

「なんかくすぐったいね!」

 

 そうやって小さな声で笑い合う私達だけの時間。

 私達だけの暗がりには、いつの間にか色が生まれていた。暗闇の最中にあって誰もが目を離せないほどに眩いそれは、光だ。

 光は直進し、拡散し、色彩として分かれる。白にも、赤にも。黄にも青にも緑にも紫にも何もかも変じていく。

 

「……あの先に何があるのかな」

「何があっても大丈夫。お子ちゃま、アナタなら何にも負けないから」

「そっか。だよね」

 

 私達は共に並び、二人して顔を見合わせ、頷き合う。

 

「行こっか。皆が待ってる」

「ええ」

 

 私が手を差し出せば、「良い心がけね」って満更でもなさそうな顔でフェフォは手を取る。

 何故かフェフォが小さく笑った。

 

「そう──か。自認の拡大、自己の延長……あなたに必要だったものはそれだけだったのね」

「?」

「なんでもない。……帰りましょう。私達の世界に」

 

 そのようにして私達は歩き始める。

 私達は、

 認め合い、

 近づき合い、

 寄り添い合い、

 受け入れ合い、

 手を繋ぎ、そればかりを繰り返す。

 それ以上を目指し、だから前に進むことが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《認知の拡張。》

 

 

《仕様の改竄。》

 

 

《再構築と創造。》

 

 

《以上の現象から、第三域を突破したと判断します。》

 

 

《同時に、第四域到達を確認。》

 

 

《汎するなら、超えることも出来るでしょう。》

 

 

繝繝ォ繿(M■L■ZE■)。あなたは、真に自由です。》

 

 

 

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