《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
《マシン領域》は言うなれば宇宙のスープに似ている。
圧倒的な情報量を込められた、《テクスチャー領域》の裏側。無秩序に0と1が記述され続け、機械でもなければ決して理解できない情報の羅列が繰り返される。
そんな巨大な『黒』い非空間に入り浸っていた時期がある。その時私は、とある記述を意味あるデータとして抽出することに偶然ながら成功してしまった。
『…………きみを……すしか……』
それは全五感が不能状態に陥る《マシン領域》で、思考に直接流れ込んできた光景。
すぐに理解した。
誰かの記憶なのだと。
『カ……ミヤ……や……なさ……!』
か、……な、みや。やめなさい……。
断片的でノイズ交じりの声。キーの高い、聞き馴染んだ女性ユーザーの悲鳴。明滅を繰り返す視界。物の輪郭もはっきりしない、私が知らない『どこか』。背が低い女の子がいる。
女の子は真っ直ぐに記憶の主だけを見ていた。
『ごめ────ね──』
ごめ、ん、ね。
『許──―て──いい──』
許さなく、て、いいんだ。
身動きが取れない記憶の主が瞬きをして、その次には女の子が目の前に居た。少女の腕は記憶の主の胸を貫通していた。
俯いている女の子の表情は何一つ分からない。それでも呻き声は朧気に響き渡る。
『背負──から────私が──』
背負うから。ぜん、ぶ、私が……。
そしてデータは途切れる。私は記憶の主が、そのデータが破壊されて意味を成さなくなったことが分かった。同時に、私達にとっての“死”が、物質としての消滅を意味するのではないとその時理解した。
何となく確信してしまったんだ。
私の記憶にある大断絶。サービス開始時からフェフォと出会うまでの全てを失っておきながら、だというのに現実世界での出来事も覚えておらず、それでも私は知っている。フェフォと同じ声をした女性と、彼女からリーリェと呼ばれていた女の子の会話を。
記憶の残滓にあった二人の声音は、私の極めて乏しい記憶とまったく変わらない。
カナミヤ。
『村』から出たことのない私が、一度も会ったことのない女の子。有名な『最強』のユーザー。
私はきっと彼女に記憶を破壊されている。
……何故? どうして? 何があって?
疑問は尽きなかった。考えてばかりいた。気づけばそれは知りたいという明確な意志になった。
君に出会い。君と話して。君に何を伝えよう。何を話せば教えてくれるのだろう。
考えて。
悩んで。
そして今──――私にとっての現実。剣の切っ先を向けた先にその女の子は居る。猫のような黒い瞳も、セミロングの黒い髪も、背の低い体つきも、何一つ変わらない。
「カナミヤ。君はユーザーデータを破壊可能なスキルを持ってる」
「……《心臓破り》というスキルがある。二度使うことはない最低最悪のスキルだ」
カナミヤの背後から惑星自転強制停止の圧は迫りくる。地表のありとあらゆる存在を破壊するだけの暴風。聴覚を塗り潰す破砕の轟音。私は『壁抜け』もどのような対応も選択しなかった。
大丈夫。
もう私には受け流せる程度の強風だから。
超音速に近い突風を前に、ただ立ち続ける。暴れる髪を抑えながらゆっくりと喋った。
「サービス開始からしばらく後に、私には『何か』があった。恐らくそれにはフェフォも関わっている」
「それで合ってる」
カナミヤは頷く。同時に少女の足が地を駆けた。靴裏が大地を擦った直後。彼女の背後にある全てが、惑星地殻の大半は砕け散る。
──光速域への加速。一直線にこちらへ迫りつつ振り上がる剣の、大気のうねりさえ空間破壊兵器として私を襲う。
大丈夫。
全部見えてる。
私もワンテンポ遅れて地を蹴った。超過密状態にあるオブジェクトの接地は速度パラメーターを狂わせる。
視界は放射状に。匂いも色も意味を成さない中、私は惑星重力を振り切って宇宙空間まで後退した。
「……私の処遇、処置を巡って二人は争いに発展した」
「喧嘩と表現するにはあまりに熾烈だった。係争と言うにはあまりに杜撰な罵り合いだったよ」
それがカナミヤとフェフォの関係に亀裂を生んだ直接の原因。
『必要以上に戦闘経験を積ませてはいけない』という発言。フェフォがああまで頑なに、私がダンジョンへ行くことを認めなかったのか。──レベルを上げて欲しくない何かがあるからに決まってる。
過去にフェフォは失敗しているんだ。
「破滅的なレベル上昇速度だった……」
遥か彼方のカナミヤは光速域の一撃が失敗に終わっても気にせず喋っていた。その辺にあった小惑星に着地し、『裂け目』から惑星同等の大気を生成した私を、距離にして約300万km彼方のカナミヤは狂いなく見定める。
目と目が合うのが分かった。
「きみの中に蓄積され続けるすさまじいデータ量を感じて確信した。もう手遅れなんだって」
──瞬間、少女の姿は消える。
「壊すしかなかったんだ」
声音は同じ小惑星から。超光速領域での活動──カナミヤの持つ中性子星加工の剣が振り上がる。
これも大丈夫。
見えているし、予測できたから。
彼方の深淵。宇宙空間より私達へと飛来する物体があった。それは直径12万kmにも及ぶ地球型惑星、さっきまで私達が立っていた惑星だ。
主星重力軌道なんて無視した一直線の移動速度は光速域にある。
確率変動。
そして私が後退軌道を取る中で周囲にばら撒いたバグオブジェクトのレールは、惑星に速度バグを誘発させている。
「私はレイドボスになりかけた? ……ううん、きっともっと禄でもないモノになりかけたのかな」
「自我すら消失して人の心を持たない『何か』。『
カナミヤが、振り上げた剣の軌道を変えた。光速で突き進んでいた惑星は慣性を無視してぴたりと止まる──自転停止スキル。そして躊躇うことなく白剣を惑星級質量兵器へと投擲。
──音も失せる真空世界。惑星が木端微塵になった。
無数の小惑星デブリの最中で、無手のカナミヤは流暢に喋っていた。
「そうとしか表現できない存在に昇華しかけていた」
「だからカナミヤは私から手を引いたの?」
その小惑星群デブリの中に紛れる形で、無数のバグオブジェクトが展開されている。
一定空間内の速度遅延、環境支配は完成した。フィールドは光速の三分の一以下までしか速度表現が実行されなくなる。
「失敗して、間違えて、だからフェフォに私を託したの──?」
「私では出来なかったんだ。きみを導くことも。きみを今のように正しく進ませることも」
言うカナミヤの背後。
宇宙の大深淵。天に継ぎ目のない光達が生まれた。
その光の全ては太陽の数万倍に匹敵する質量を持つ超大質量恒星。それをカナミヤは同時に数千億という規模で生み出したのだ。
あまりにも眩しくて、君の姿は視界から掻き消える。
「ねえ、どんな話をしたのかな。どんなことがあったのかな!」
私は声を張り上げた。どこかに居るのにどこにも見当たらないカナミヤに向けて。
少女は取り合わない。
──瞬きより先に光は全て潰え、宇宙は正しい闇色を思い出す。
重力操作スキルを使用した重力崩壊の誘発。生み出したものを重ねて壊す手順。スキルという名の、形を持たない手で星を殺す所業。
カナミヤ、君は同じように私の心臓を握り潰したの?
私の思考の源泉を、記憶を無意味なデータの残骸に変えたの?
「きっと楽しい思い出もあったんだ。忘れたくない出来事がたくさんあったんだよ!」
カナミヤは答えない。
天はもう一度光で埋め尽くされる。その輝きは恒星創造の比ではない。
世界は今、白単色で構成されていた。
宇宙全域における
当然のようにすべての超新星爆発は重力指向性を与えられ、こちらへ向けた砲撃と化している。余波のみでバグオブジェクトを全て吹き飛ばし速度遅延を無効化してしまう。
数千億発にも及ぶ極超新星爆発の連続砲火。
「私は知りたい。私が忘れてしまった君のことを。私はもう一度君を知るためにここにいるんだ!」
存在焼却の炎を背景に、ようやく私はカナミヤの人影を見つける。こちらへと顔を向ける人の形に歯噛みした。
──こんなに近くに居たのに……!
爆砲を静かに眺めるカナミヤは置き去りに、小惑星を蹴って更に引き下がる。光速にまで瞬時に加速するまま右手で空間を撫でた。
宇宙に真空の虚よりも尚濃い『黒』が現れる。私の周囲を『裂け目』が包む。頭の内側で大量のオブジェクトを想像し、それは『裂け目』から実体として創造された。とにかく何でもいい。大きくて質量が多ければ何でも。
極超新星爆発の全てが『裂け目』に直撃。見ようによっては吸い込まれるようにしてその影響を減衰させていく。
「……ッ!」
宇宙煮沸の熱量が過ぎ去ったころ。『裂け目』を閉じた私が見た先、カナミヤは剣を構えていた。
宇宙を横断する、白く縁どられた黒い刃──それは光さえ逃さない超重力故の特徴。
超巨大質量ブラックホールを、カナミヤは水平に広げていた。
「私の罪だ」
極超新星爆発の残滓としてブラックホールを生み出し、それをスキルで凝集──結果として超銀河団すら構成しうる超巨大質量ブラックホールが発生したのだ。それをカナミヤは8那由多にも及ぶステータス値で
……剣の切っ先がどこまで伸びているのか認識できない。
刃渡りにして宇宙貫通。重力特異点加工の剣。
空間と相互支配の上位者たる証。
まず間違いなくカナミヤが用意する最大最高火力だった。
「何もかもは私だけの罪でいいんだよ」
『最強』の本気──ブラックホール加工の剣が振り上がる。宇宙を割断する大断絶は天を裂く。
私は速度バグ活用の惑星質量弾を連発した。剣の付近にまで接近した途端、すべての惑星質量弾はブラックホールに引き寄せられて分子以下にまでバラバラになってしまった。……駄目だ止まらない。重力特異点相手に質量兵器は意味を成さない。
どうする。どうやって立ち向かう……!
重力の剣もそう。それを振るうカナミヤに意固地にだって。
「カナミヤの分からず屋──!」
「どう思われたって構わない」
カナミヤは淡々と言う。首を横に振る。
宇宙よりも黒い瞳の中にある無秩序な煌めきは、確かめるように私へと焦点を合わせていた。
「私は誰にも負けない。負けてはならないんだ」
そして。
言葉の終わり。
宇宙物理における極致の現象が──宇宙同等の黒剣が叩き落される。
◇
悔しい。
悔しいなあ。
何だって出来る気がする。悲しいこと、辛いこと、何一つ受け入れることが出来る。
なのに一人の女の子と向かい合って話すこともできない。
今。このゲームの中にあって、宇宙というフィールドの全てが破壊し尽されていた。再現された物質という物質は圧し潰され、砕かれ、崩れ落ちていく──私に勝利するというただ一点を突き詰めるために振るわれた影響が、全てに優先されている。
重力の剣が迫る中、私は思考をフル回転させた。
事実としてこの一撃を耐え凌ぐ手段はない。重力特異点はそれだけ物理演算の極限に位置している。私自身が『壁抜け』でやり過ごすことは出来ても、《テクスチャー領域》へ復帰した瞬間をカナミヤが見過ごすはずはない。以前の二の舞はごめんだ。
であれば……。
「……示すよ」
私は浅く笑う。やせ我慢に見えるだろう笑みをあえて浮かべ、『ここ』だと確信する。私自身が一切の対抗手段を失い、それをカナミヤが理解しきった今この時。
この瞬間こそが最大最高の好機なんだから。
「私はもうカナミヤに並び立てるって示すから!」
私はカナミヤに向けて走り出した。
今この時、私達の間にある距離という概念も、速度の説明も不要だった。
重力特異点へと接近する。
自殺行為だと君の目は物語る。
強大な重力の影響を受けるギリギリの距離──制動を掛けると同時、空間に『裂け目』を開いた。
『裂け目』からオブジェクトは射出される。
「──」
君が目を見開くのが分かる。
何故ならオブジェクトは2種類あったから。一つはいつものバグオブジェクト。大小さまざまな白い直方体が弾丸となってカナミヤへと迫る。
そしてもう一つは隕石だ。前回の戦闘で、君に敗北する寸前に開いた『裂け目』で吸収しておいた速度と質量を記録したままのオブジェクト。
「『アイテムボックス』の本質はね、オブジェクト生成じゃなくてオブジェクトの状態記録なんだ」
だけどその驚愕もすぐに失せる。君の眼差しはいつも通りの平淡さを取り戻す。
だから何って程度の驚きだよね。
そうとも。
いまさら極超音速程度の隕石が飛び出た所で重力特異点の前には無力だし。バグオブジェクトについて言えば、君は以前同じ攻撃を受けてダメージ判定がないことを知っているから。
だけど疑問を持つべきだった。何故、先ほど吸収した
火力のゴリ押しが君の基本戦術だ。
むしろそれしか知らない。それだけで勝ち続けられたからこそ最大の隙になる。このまま私をブラックホール加工の剣で叩き潰そうとする──そんな君の体にバグオブジェクトが直撃し。
「──」
カナミヤは奇妙な光景に息を呑む。
君の体に衝突判定もなく当たった
重力すら無視するからこそ成立する軌道計算。
『裂け目』から生み出したバグオブジェクトの全てが、今、私の右手と繋がっている。
「 」
思考の狭間。違和感をカナミヤが覚え行動するよりも速い一瞬以下。
私は念じる。
私は描く。
私は
私に繋がるバグオブジェクト全てが即座にテクスチャーを崩壊させた。現れるのはひたすらに『黒』い非オブジェクト。《テクスチャー領域》にあって《マシン領域》は開かれる。
このようにして私の右手と繋がる《マシン領域》は、確かにカナミヤの肉体に触れた。
直後。
カナミヤの体が硬直した。
「────── な 、 こ れ」
生理的な反応は正しく機能しているのに、それを実行すべきユーザー本人の意思が固まってしまったかのような
私は全力でカナミヤへと駆けた。全身を襲う重力特異点の影響を、今私自身が持つレベルとステータス値を信じて突き進む。
「あああああああああああああああああああ!!!!」
無我夢中になって吼える。その動き、その軌道をカナミヤの目は追っていない。
──この戦闘で最もカナミヤが警戒していたのは何か。それは私が持つ剣ではないし惑星質量弾でも速度バグによる超光速でもフィールドに対する速度遅延でもない。
私の右手だ。
「これが狙い──」
「分かった所でッ!」
カナミヤは警戒していた。レイドボス化したユーザーすら復元させる、ユーザーデータへ直接干渉可能な私の右手を──《マシン領域》表現体を。
だから私に近付かなかった。
『私はゲームシステムの強制を受けることはないから。無視することで発生するデバフも常時展開型スキルで相殺している』
そして、やはりカナミヤは忘れていた。
『カナミヤは眠くないの?』
『ここ最近眠ってないからわからない』
最初は『もしかして』程度の考えだった。だけど君の家で泊まった時に確信したんだ。
君が即席で作った家には浴室が無かった。カナミヤは間違いなく覚えていない。強力無比のスキルで無効化してしまったから。
ユーザーならば誰でも毎日行う活動を。
人間時代を模倣した入浴という儀式を。
彼女は『最強』故に!
不快度パラメーターの存在を忘れている……!
ユーザー個別フレームレートの遅延──カナミヤの外界認識は今、0.1FPS以下にまで低下した。
どれだけ速く活動出来ても。
どれだけ超絶規模の火力を発揮できても!
どれだけ究極無比のスキルを持っていてもッ!
10秒に1枚以下しか描画されない世界で、光速域の私を認識できるはずがない──!
「────」
「────」
それでもカナミヤが本能から体を捻る。剣は私へと迫る。超低速フレームレートの中でも私の動作軌道から先読みをしている……!
信じられない──なんて感覚――!
迫る重力特異点加工の剣。強まる重力の影響。足がもつれる。走る姿勢がブレる。歯噛みして、全身に力を込め、呼気を吐く間と間にある間隙、奔る、捻る、翻る走る小惑星を跳んでデブリを蹴って突き進む、狙いとは違う軌道──構わず踏み込み腕を剣を振り上げ。
すれ違いざま。
最至近。
「──────―!!!!」
吼えた。
袈裟懸けに叩き落す。
背後。カナミヤの右腕が、落ちた。