《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
フェフォがカナミヤを呼んでくれている。早速来てくれるらしい。落ち合うために『村』の中央広場でカナミヤを待つことになった。
……なんか思ったより話がスムーズだな?
予想もしていなかった展開に私の、ゲーム上表現されることのない心臓がドキドキしている。いつもどおりの晴天も今日はやけに眩しい気がする。いつも通り人気のない、噴水がぽつんとあるだけの広場がやけに落ち着かない。
「ねえ変じゃないかな。化粧とかしてきた方がよくない? 恰好もほら、よくよく考えるとスウェット上下ってダサいよね!?」
「変じゃないしアナタは可愛い顔をしてるけど?」
「そーじゃないよー、そーいう話してないからー!」
あわわわわ。私が泡食って慌てても、『オトナのオンナ』って感じのフェフォはひどく落ち着いていた。
「でもやっぱりスウェット上下で人に会うは変だと思うし……わ、私出直してくる!」
「いいから。──っていうかワタシは人に会うのカウントに入らないワケ? ちょっと腹立つんですけど」
ぐいっと、フェフォの尾てい骨から生える蛇尻尾の装備品がスウェットの襟を掴んで捕まえてきた。ぐえ。
そのまま私の首に巻き付いた尻尾が私を宙に浮かす。絶妙な絞め具合……。私はこちらをじぃっと見つめてくる友人に微笑んだ。
「フェフォはだってほら、付き合い長いし」
「ふーん。付き合いが長いと人扱いしてくれないんだ?」
「そんなことないよー。フェフォはいつも綺麗でかっこいいよー」
家を出る時はバッチリ決めてばかりな私の友人アンフェルフェフォビア──フェフォは、今日も今日とてお洒落だ。へそが丸見えのショートパーカーに足のラインが全部分かる長袖のデニム。スタイル自慢のお洒落上級者にしか出来ない組み合わせだ……。くびれが眩しいし、足は細いし、きっちりした化粧が苛烈な顔立ちをより精彩にしている。
「ふふん。お子ちゃまにしては殊勝な誉め言葉ね? 及第点よ、よろしい」
上機嫌になったフェフォが満足げに口端を鋭くして笑った。唇に乗った深紅のリップグロスが艶めく。
「ハッ──そもそもアナタ、化粧なんてほとんどしたことないでしょ」
「うううー!」
「そのうーうー言うのいい加減やめなさい。子供っぽいわよ」
「なんだよーいつもお子ちゃま呼びしてるくせにー」
「親愛の証なんだけど?」
……ならまあいっか!
そうしてフェフォが拘束を解き、私が立った頃だ。
カナミヤは現れた。
「あ……」
昔一度だけカナミヤと会ったことがある。きっとカナミヤはもう忘れているだろうけど。……だけどあの頃から何一つ変わっていない。背は低く、飾り気のない幼い顔立ち。薄い表情。快晴の青を背景にすると、彼女の純粋に黒い髪は余計際立って見える。
吸い込まれそうになるほど黒い瞳が、まっすぐに私たちを見つめていた。
「久しぶりアンフェルフェフォビア」
「ごきげんようカナミヤ。いい加減ワタシの事はフェフォって呼んでくれる? ワタシ、その名前嫌いなんだけど」
「次に会う時までにはどうにか善処する。それで用事って何」
「用があるのはこの子。こっち」
テンポのいい会話の末にフェフォが隣の私を指し示した。カナミヤの視線がゆっくりと横に揺れる。
どうやらようやく私の存在を認識したらしい。カナミヤは僅かに目を瞠った──ように見えた。
「きみは……」
「お、お、お──おはようございまちっ!」
……。
気まずい沈黙が流れる。
「噛んだ」
「アナタ、カナミヤ相手に緊張してるの?」
「……もっかい。もっかいやり直すから」
何度か深呼吸をした。すうハア。よーし。ぴしゃりと頬を叩いてから、真面目な顔を意識して作る。
そしてカナミヤを真っすぐに見た。
「──カナミヤ! 私と勝負してくれません、か!」
「勝負」
そのまま言葉を返すカナミヤは、私の意図を探るようにしばらく黙り。
かと思えば何てことはなさそうに頷いた。
「いいけど──」
瞬間。
「──それで結局これは何」
気づけば私は地面を見つめていた。何一つ、何が起きたかを理解することはできなかった。
え。え? 何が起きたの。私なんで地面に寝転がってるの……?
「まず第一に私はステータス補強のスキルを12個常時展開している」
言葉が私の背中の辺りから聞こえてきた。慌てて首を巡らせると、そこには私の背中、肩甲骨の間あたりを膝で押し、重心を抑えつけるカナミヤがいた。──右の足首から、じりじりと痺れるような鈍い痛みが浮き上がる。
足を払われて……そのまま拘束された……?
今の一瞬で。
一切反応することもできずに。
「第二にその結果として私の全ステータス平均値は9200垓を超えている。今の私の行動は超音速程度の速度を発揮していた。つまりきみがそれを認識できるステータス値にないということになる。きみのレベルはいくつ」
「えっと45くらい。全ステータス平均値は200くらい……」
「ならきみに勝てる理屈はない」
勝負は一瞬で終わってしまった。始まることもなく、あっけなく。
え、これで終わり? ──私が呆然として何も言えないでいると、そっと背中に当てられていた膝の感触が退いた。
「もういいのかな」
「たぶんね」
「なら戻る」
頭上で交わされる会話を、もそもそ起き上がりながら聞いた。
……そういえば二人は『攻略組』なんだから、それなりに旧知の仲なんだろう。フェフォは元『攻略組』だけど……。
「あら。昔々パーティを組んでた仲間にさよならの挨拶も無しなんて、さすが『最強』サマは態度から違うわね」
「あいさつ」
『何それ』みたいなニュアンスの一言。ぼんやりと見上げるカナミヤの表情は、相変わらず凍り付いたように硬くて薄い。
「……ごめん。ずっと迷宮フィールドにいたから。シンプルに人と話すのたぶん千年ぶりくらいだった」
「……。重症よアンタ」
カナミヤは噂によるとほぼすべての時間を迷宮フィールドの攻略に使っているらしい。
全ユーザー中最強のカナミヤがそれだけの時間を掛けても攻略しきれない、このゲームのメインコンテンツ《迷宮フィールド》。《生活フィールド》には存在しない敵対的モンスターが跋扈する、冒険と戦闘に満ち満ちた世界。それはゲームシステムが擁する独自の生成AIによって永遠に拡張し続ける、階層型超巨大ダンジョンだ。
「カナミヤ。今のアンタの、迷宮一層を攻略するのに掛かる速度は?」
「
「ゲームシステムによる迷宮一層あたりの生成速度は」
「
「馬ッ鹿じゃないの?」
フェフォの口が引き裂かれた。奥歯まで見せるほど大きく口を開けて彼女は嘲る。明確な悪意で喉奥から笑い声を響かせる。
「アハハ、ゲームクリアなんて一生訪れないわ。そもそもダンジョンの最深部なんてものが本当に存在するのかさえ分かってないのに、無意味よ。アンタのやってること。全部」
「フェフォ……?」
「お黙り。これはアナタには関係のないことよ」
ぴしゃりと言われて私は黙るしかない。思った以上に二人は仲が悪いのかもしれない……。
「2秒を1.99秒にするよ」
カナミヤは変わらず平静だった。そしてカナミヤの言葉は話の前後を省いた唐突なものだったが、そのぶんストレートに意思を持っていた。フェフォの表情から嗜虐の色が消える。
「その次は1.99秒を1.9秒にしてみせる。1.9秒にできたなら次は1.89秒にできるはずだ。1.88。1.8。1.79。1.77……歩き進み歩進を次に繋げていく。私は強くなり0.003秒にまで至る。ゲームシステムの生成速度を飛び越えていければきっと」
「──気に食わない」
フェフォは話をぶった切って、眦を吊り上げる。口から覗ける真っ赤な舌が炎のように燃えているとさえ思えるほど、フェフォの全身から苛烈な激情が吹き荒れていた。
「今更何なのアンタ。どれだけこのゲームの中で時が流れたと思ってんの? ……ハッ、くだらない。ゲームクリアぁ?
「それでもゲームエンドは私が見つけるよ。私が皆を導く」
「誰もそんな終わり方望んじゃいない。一回死んでそのカチカチに硬い石頭柔らかくしたら?」
「ごめんまだ一回も死んだことない」
「チッ。
あ、フェフォが汚いスラングを使った。ゲーム側が言語翻訳しないくらい汚いアメリカ語だ。
にしても……うーん。フェフォを頼ったのはまずかったのかもしれない。思った以上に二人の仲が険悪だった。どうにか会話の隙を見つけて、あとでフェフォには謝らないと……──などと考えていると。
「久しぶりに誰かと話した。フレンドリストに残してくれていたことには感謝している」
「その話、ここでする意味ある?」
カナミヤは何故か私を見た。
「…………何一つなかった。ごめん」
??? よくわからない会話の流れに首を傾げているうちに、カナミヤが背を向けてしまった。
あ! まずい。
「──待ってカナミヤ!」
思わず立ち上がっていた。追い縋ろうとする私に、立ち止まったカナミヤが振り向く。
何? と、無垢な瞳が視線だけで続きを促していた。
「確かに君は強くて私は君に遠く及ばないみたい。私はスキルも持ってないし、勝ち目は薄いかも」
あれは戦闘ですらなかった。それだけ隔絶した差があるということだとは、十分に理解できた。
けど私には、君に勝たなければならない理由がある。恥ずかしくて誰にも言えない理由が。
「でも諦めないよ。私はぜったいカナミヤに勝つんだ!」
「よくわからない。私にはきみと戦う理由が見当たらない。正直に言えば無意味だ」
矢継ぎ早に、息継ぎの間もなく。カナミヤは淡々と事実を並べる。
「きみはなぜ私と戦うの」
「そ、それはその……」
カナミヤの言葉は何もかもが剣のようだった。隠すことのない抜き身の刃。彼女とここまで会話を重ねるのはこれが初めてだけど、よくわかる。カナミヤには容赦がないのだ。気遣いや遠回しの修飾も、飾り気もない。態度にも、言葉にも。
きっとカナミヤと私では見ている方向が違う。
「カナミヤは……」
知りたいと思った。カナミヤが何を感じてどのように考えているのかを。
「君は、このゲームのことをどう思ってる?」
「私が負うべき責任と義務の所在」
「責任と所在……。なんか思ったより難しい感じだね」
「きみはどうなの」
「私にとってこのゲームは『知りたいこと』なんだ」
カナミヤは静かに瞬きをした、それだけだった。
私に、私の言葉に左程の興味を持っているようには見えない。先ほどの質問も、きっと深い意味はなく、儀礼的なものなんだと思う。
「どうして私達はこのゲームにいるのか。なぜこのゲームはバグが多いのか。運営は何を考えてるんだろう……とか。『真実』と呼べるほど大そうなものじゃなくて、こう、研究的な? 学術的なっ?」
「……カナミヤ、あんまりこの子の言葉を真に受けないでよ。間違ってもダンジョンに連れていくとかは止めなさいよ」
何故か苦虫を嚙み潰したような顔でフェフォがそう言う。茶化す調子ではなかったけど、どうしてフェフォはこうもダンジョンに行くのを禁止するんだろう。──まあいいや。
とにかく私が伝えたいことは私が言葉にするしかないのだ。精一杯真剣な顔で、私はカナミヤに一歩迫った。
「今は、私は君の事を知りたいと……そ、そう思っていて……。いるんだ! ……です」
「私のことを理解したところで面白いことは何一つない」
そんなことないよ。
「きっと楽しいことが起きるよ」
「……」
「カナミヤが知らないことを私は知ってる。逆に言うと、私が知らないことをカナミヤも知ってる。知らないことがあるのってワクワクするし、楽しいことなんだ」
「きみは変な子だね」
「うぐゥッ。シンプルに冷たい一言だ……!」
胸元を抑える演技をしてもカナミヤが笑うことはない。馬鹿にすることもなかったけど。
私達の間を風がすり抜けていく。乱数によってランダムに発生する自然現象の再現が、カナミヤのさらさらとした黒髪を揺らした。風が止むのを静かに待つと、ややあってから。
「そのうちまた戻る。その時はきみの相手をする」
「!」
「今度は不意打ちもなし。これでいい?」
「も、勿論! ぜんぜん! まったく何も問題なし!」
ブンブン頷いた。必死な仕草にカナミヤが少しだけ目を丸くする。「変わった子だな」と微かに呟いたカナミヤは、自前のUIを叩いて姿を消した。去り際の余韻も挨拶もないのがカナミヤらしいというか。
私は既にここにいない少女の立ち振る舞いを思い返しながら、両手を胸の前で組み合わせてしまう。ちょっと私、感極まってるかも……!
「わあー……カナミヤとまた戦う約束できちゃった……」
「フン。よかったじゃない」
なんだか面白くなさそうなフェフォの声がした。面白くなさそうっていうかハッキリ「つまんないんですけど」って感じの言い方だった。
見れば、フェフォが満面の笑みを浮かべている。
「よかったわねーお子ちゃま、憧れのカナミヤさんとまた会えることになって」
顔だけ見ればとっても素敵なニコニコ顔なのにどうしてだろう、フェフォの背後に鬼の顔が見える。
「フェフォ怒ってる?」
「怒ってないけど」
「なんか怒ってるよね?」
「怒ってない」
「やっぱり怒ってるじゃん!」
「お黙りお子ちゃま」
フェフォの両手が私に向かって伸びた。そのまま黒いマニキュアの塗られた指先が私の両頬をつまんでくる。しかも結構思いっきり力込めてる! 痛い!
「にゃんでひょんなほほー……」
「まったくこの子は。なんであんなチンチクリンのことなんか気にするんだか。この、お子ちゃまのくせに、この」
「ゆるひへーゆるひへー」
それからしばらくフェフォのおもち扱いをされていたが、私の頬が真っ赤になってスッキリしたのだろう。
「アナタ今度埋め合わせしなさいよ」
「埋め合わせ?」
「カナミヤを紹介したの、貸しだからね」
「えー」
「ふふん。ワタシ、楽しみにしてるから」
ずいぶん上機嫌になって、鼻歌交じりに去っていった。
一人になった私はその場で少し、思案に耽った。
カナミヤとまた会えたこと。再戦の約束。到底届かない彼我の実力差。勝つためにはやっぱり工夫がいるし、戦術も対策も練らないと……。
「うーん」
よし、とりあえず。すべきことは定まった。
私は思い付きを実行に移すため、とある人物の下へと向かうことにした。