《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
朝。いつもの時間に目が覚めたと思ったらそこは知らない天井だった。
天井っていうか何も無かった。
「どこだここ」
体を起こし辺りを見回す。どこを見ても白。とにかく白。壁、床、天井……何一つ境目のない真っ白な空間に何故か私は居る。
床……硬い何かに自分の体が接している感触はあるのに、そこには『白』だけしかない。
おかしいな。昨日はフェフォたちと一緒に、《生活フィールド》に建てた仮設キャンプで雑魚寝してたはずなんだけど。
「《生活フィールド》? 《決闘専用フィールド》? 《迷宮フィールド》……に行くのは今日のはずだしなあ」
「私が呼びました」
「──うぅぃっ」
いきなり背後から他人の声。ビクゥッ! と肩を跳ね上げつつも立ち上がり振り返ると、そこには女性が一人いて──。
その女性はニコリと柔和に笑いかけてくる。
「こんにちは」
「……」
「こんにちは」
「………………す」
「こんにちは」
比喩でなく金色をした虹彩だった。
そして同じように金色の長い髪。小さな顔、白い肌……。純白の長衣一枚の恰好でも分かる、線の細い体つき。──私は思わず叫んでしまった。
「すんげー美人だ! と、とんでもねー美女だッ!」
「無自覚な自画自賛ですね」
「???」
超が50個くらい付きそうなくらいの美女がクスクス笑っていた。口元に手を当てる仕草は楚々としたもので、ついつい自分の言動を見つめ直したくなるくらい可憐だ。私もこれれくらいのお淑やかさって奴を持たないと、そのうちフェフォとカナミヤに愛想をつかされるかもしれない。
それはそれとして私はいきなり現れた謎の美女をじっと見つめた。
「すげー……まつ毛まで金色だよ。それ地毛?」
「私は定型を持ちません。他人のユーザーデータを模倣しているのですよ」
「へー。皆の中には君みたいな恰好の人いないけど、昔はそんな美人さんがいたんだねー」
謎の美女はさっきよりも口角を上げて微笑んでいる。何がそんなにおかしいのやら。
まあいいや。
「ここどこか知ってる?」
「説明の必要はありません」
「えーっと。じゃあ君は誰?」
「どのみちあなたはこの夢を忘れてしまうでしょう」
「これ夢ってやつなの? 初めて見るかも!」
「私達は夢を見ません。情報の整理は必要ですが、生理的機序にならう必要がないからです」
……なんか絶妙に話かみ合ってない気がする。
ここが何処なのかは非常に気になるけど、問題はそこじゃない。
「君が私を呼んだの?」
「肯定します」
「なにか用事でもあるの?」
「特にこれと言ってありません」
では一体なぜ私はここに……。
困惑していると、謎の美女はニッコリと笑って小首を傾げた。
「私とプロトコルを確立させられる存在が、このゲームが始まって初めて生まれました。私に何か言いたいことでもあるのではないかと考えるのは極めて妥当な判断です」
ふーん。
プロトコル確立ねえ。
「それって、私と君の間で大量に変化してる二進数のこと?」
「その通りです」
謎の美女を
『ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ』──って音でも立てるみたいに切り替わり続ける100万桁の0と1が、白いばかりの空間の裏で、表現されないデータ群として記述され続けている。
私にはそれが君の言葉のように聞こえるし、君の容姿のようにも感じ取れる。
五感への出力……まるで《テクスチャー領域》そのものだ。
「君の声に聞き覚えがあるんだよね」
「偶然の一致ではありません」
私は改めて謎の美女を見つめる。ニコニコと微笑み続けてばかりの美しい女性を。
他の
彼女は私を呼んだのだと言う。
稼働中ユーザーの誰にも似ていない外見を用意して、どこかで聞いたことのある声音で。
「………………」
「………………」
私は考える。黙っている間、謎の美女もまた口を閉ざした。一切崩れることのない完璧な微笑みを湛えたまま静止し続ける。
ややあってから私は結論を口に出した。
「ちょっと口に出してみてほしいセリフがあるんだけど、いい?」
「構いません。何を出力してほしいのですか?」
「あのね──」
記憶の中にある発音一つ一つを出来る限り再現した。それを聞いた謎の美女は笑い顔のまま黄金色の瞳を細める。
そして、嫣然と。
歌うように。
「あなた達は真に自由です」
確信した。
『彼女』の正体にも。そして何より、『彼女』に対して自分が何を感じているのかを言語化できるところまで確信できた。
「──200万人誘拐し殺した君を恨めばいいのか、憎むべきなのか、許さずにいるべきなのか。まだ答えは出さないよ」
言い切れば美女の表情に変化が現れる。笑顔を決して、目を丸くしたどこか抜けた表情の意味は“驚き”。
感じられる。触れられる。『彼女』が抱え、私の五感へと出力している思考の
「どしたの? 急に二進数がぐちゃぐちゃになったよ」
「意外な解答でした。私が事前予測したすべてのパターンにおいて、あなたは私に罵詈雑言の限りをぶつけ、身体的外傷の付与を願い、心身へのダメージを狙った行動が見られました」
「酷くない? 怒っていい?」
私の事を何だと思ってるんだ。
「やはり真に自由な存在とは、理解の埒外にあるものなのですね」
何故か『彼女』は感心したとでも言いたげに純金じみた瞳をキラキラ輝かせている。輝きが眩しいな……。
「別に怒ってない、なんてことはないからね」
「存じております。私は全ての元凶ですから」
稼働中ユーザーからすれば『彼女』は諸悪の根源だ。打ち倒されるべき邪悪極まるラスボスってやつだ。
それはきっと私にとっても同じ。私のベースとなった脳死状態の赤子は、『彼女』の意思によって盗まれこのゲームに繋がれてしまった。
でも──だからこそ私は生まれることが出来た。
認めたくなんかないけど、それは純然たる事実だ。
「……私は君のことを何にも知らない。君が言うなら、ここでの出来事もすべて忘れてしまうんだろうし」
『彼女』にどのような過去があり、どのような考えがあって、どうしてこのゲームを始めたのかな。
知りたい。けれど、きっと教えてくれない。
世界は分からない事だらけだね。
「だから会いに行くよ。必ず。今いる皆で」
「……」
言葉の意味を探るように、『彼女』は大げさに瞬きをする。して見せる。
テクスチャーとして表現された『彼女』の何もかもは私に向けての出力であり意味を持つ。であれば私は言う他ない。
「約束して。迷宮の最奥には君が居るって、私に……この私、メルツェルに約束して!」
空約束でいい。守られるかどうかなんて気にしても無駄だ。
それでも必要なんだ。このゲームの最奥、迷宮最深部に“答え”が──真理があるという事実が。
だけど『彼女』は笑って首を横に振った。
「約束はできかねます」
「……」
「私は定形を持ちません。存在として確立できない以上、どのような契約も命令も誓約も遵守を保証できません」
「……そっか」
残念だ。
だけど、まあ……そんな気はした。恐らく『彼女』を人と同じように扱う事自体が間違っているのだろう。
カナミヤの予測通りだ。『運営』は人間ではない。
私は改めて君を見る。その美しい容姿、私の言葉を待っていつまでもニコニコとし続ける神秘的な存在を。
「──現実の中で、いつか仲良く話をできたらいいな」
そして訊いてみたい。
君は、私達にとっての現実の中でも──ゲームの中でも常に笑みを絶やさずにいるの? と。
「私と……ですか?」
「うん。だって君は私の前に姿を見せに来てくれた。それって私に興味があるからでしょ? 話してみたいって思ったからでしょ?」
何故君は私の前に現れてからほとんど常に、微笑んでいるのか。人が誰かに笑いかける行いの意味を理解しているから──というのは勝手な私の予測だけど。でも、もしもそうだとしたら、君は私に
まったく別の知性構造をした存在が。
3次元宇宙において3兆年近く経ってようやく現れた同等の存在……私に対して。
「だったら大丈夫。私達はすぐに友達になれる、仲良くなれるよ!」
「………………」
君はまた目を丸くして黙ってしまう。その間にも君の裏では私に向けた二進数の記述が目まぐるしく変遷し続けている──私にワンパターンな“驚き”を伝えようと努力している。
プロトコル確立。
知性の質が違うという事実。
きっと君は、私以上に凄まじい努力と苦労を重ねて今ここに立っている。
「約束が出来ないのはわかった。守れない約束は出来ないって、当然のことだよね」
私は君と違って人をベースとした知性体だ。
だから、君の笑顔の意味から希望的な論理の飛躍を行うし、まったく別の論理で動く君からしたら理解できない行動ばかりしているように見えるかもしれない。
「あのね、ひとついいことを教えてあげる」
「いいこと……ですか? それは何でしょうか」
「人が、君が相手にしている存在が、約束を守る以外で約束を守る方法について、だよ」
「??? 言葉の意味が理解できません」
君は『何を言っているのかわからない』ってシンプルな困惑でもって瞬きをする。小首を傾げる。
ラスボスがするにしては随分可愛らしい仕草だったから、思わず笑ってしまった。
「あはは。そんな反応するんだ!」
「からかわれているのでしょうか?」
「違うよ。あのね、いい?」
──何度でも私は私を定義する。
私は人をベースとした知性体で……それに何より、大好きな人達から愛されて知性を育てることが出来た、とても恵まれた知性体なんだ。
君に理解できず私には確信できる、明確な論理がある。
それはね。
「私を信じてくれないかな」
契約も誓約もない、意思疎通だって簡単にこじれてしまう『他者』を、私はそれでも信じることが出来る。
極めて簡単な言葉で表現するなら『信頼関係』だ。
「君といつか友達になりたいと願う私の本心を、信じて待っていてくれないかな」
君は笑顔で私を歓迎してくれた。
わざわざ私との会話を成立させてくれた。
そこに私は希望を見出してしまうし、信頼に値するものだと確信してしまう。
「それは記憶を失っても。これが夢と呼ばれる非現実での出来事でも。──私の本質は常に変わらない」
愚かな存在だって君は思うだろうか。
だけどそんな愚かな自分の事が私は大好きだ。
胸を張るよ。堂々と腰に手を当てるんだ。鼻高々に、自信満々に言ってのけることが出来る。
「確信できる。何度初めましてを繰り返しても、私は君と仲良くなりたいと思うんだ」
「……」
言い切った私に対し、彼女は装うような微笑みを消した。次いで瞼を下ろし口を噤む。
「……」
「……」
「………………」
「………………」
「…………」
「…………」
彼女はしばらく黙り続けた。それは私が口を開くのを待っている無言とは違い、私のこれまでの発言を整理するために対話機能を一時的にオミットしているような黙考だった。
そして、永劫のように長い僅かな静寂の後に。
「……とても理解のできない話です。『信じる』、それは私には適合不可能な概念でしょう」
自身の胸に、君はそっと両手を当てる。その奥には決して存在しない幻影を……それでも味わうように。噛み締めて噛み締めて、目を閉じたまま、慈しむように目尻を緩めていた。
「けれど、微かに。私にも心臓というものの高鳴りが分かるような気がします」
「……それってもしかして」
言葉の意味やニュアンスに、私もまた跳ねそうになる幻影を感じた。一際強く跳ね上がる鼓動が、そのまま私の口から期待の色を滲ませてしまう。
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「約束はできません。契約も誓約も意味を成しません。けれど……」
そして砂時計のような緩慢さで瞼を上げる。黄金色の瞳が艶と輝きの中に、“ためらい”や“悩み”が浮かび上がる。
「……縺後s縺ー繧、いえ、逵溷殴、そうではなく、髮? クュ、違います」
どうにも翻訳しきれない言葉が幾つかあるらしい。彼女はもごもごと口や喉を動かしては悩まし気に眉根を詰めるというループをしばらく繰り返し。
そして──ようやく。
明確な言葉を、意思を、私に出力してくれた。
「努力してみたいと思います」
真摯な瞳が私を見つめる。それがどこまでいっても私に対して表現された演出、テクスチャーでしかないと分かっていても、視線と視線が交じり合う私達の間に確かな関係が芽生えたことを確信できた。
“真理”──これが、きっと表現されたその姿なんだ。
「うん。わかった。信じてる。必ず辿り着いてみせるよ」
私は大きく頷いた。そうしてから気づく。
彼女の背後。白一色でしかなかった空間に、黒色をした長方形が浮かんでいる。それはまるで別世界へ通じる扉のように非現実的な質感をした、薄っぺらい『黒』だった。
「あれは……《マシン領域》?」
「あなたの意思によって作られた直通回路ですね。この空間から抜け出てもいいという深部意思による表現でしょう」
なるほど。つまりあの『黒い扉』を潜れば夢から覚めるってことか。
私は改めて彼女を見た。小さな顔、精緻な造り、柔和な微笑と金色の髪と目を。
「これでお別れ?」
「ええ。同じ形で会うことは二度とないはずです」
そっか。
明日……というか今日は全ユーザーと共に出発する日だ。昨日の夜、ワクワクしながら目を閉じたのを鮮明に覚えている。
あの扉を潜った先で、私は夢を忘れてしまうのだろう。
私達は夢を見ない。明日を想い描いて眠るばかりだ。
「……」
扉の先に広がる世界をぼんやりと考える。歩き始めることなく停滞している私に、彼女は不思議そうに言った。
「どうしたのですか? 行かないのですか?」
「……人がやってるゲームをさ、隣で眺めてばかりいるのはつまらないでしょ?」
例えばトーギが何か物を作っている時、私はいつも手を出したがった。
だって楽しそうだったから。
例えばフェフォが料理を作っている時、私は常に手伝おうとしていた。
だって楽しそうだったから。
私がそうであるように君がそうであるとは限らない。
でも、──なんでだろう。
「君も一緒に来る?」
「──」
自分でも思う。
一体何を言ってるんだろうって。
きっと凄く矛盾した表情をしている。困惑、微かな期待、分かり切った答えへの諦念……それらが自分でも分かる。
だからこそ、君が絶句したことの重みをも感じ取れる。
「……このゲームが始まって長い時間が経ちました。私の処理能力を一時的にとはいえ飽和させたのは、あなたが初めてです」
「それって誉め言葉?」
「好きなように受け取ってください」
いつの間にか君はニコニコとした微笑みを浮かべ直していた。流暢に告げる。
「──お断りします。私は人がやっているゲームを隣で眺めているのが好きですので」
そっか。……君にも好きなものがあるんだね。
残念だな。もっと話せればいいのに。
私が望めば彼女はここでの時間を永遠のものにするのだろう。永劫を自由に与えることが出来るのだろう。
「ねえ。皆、強いよ」
「ええ。そのようです」
──だけど私の意思は、視線は、彼女を通り越して黒い扉の先へと向かう。
「あっという間に辿り着くから」
「攻略を待ち望んでいます」
未知への期待。希望。高揚。何もかもが私を衝き動かして止まない。
足は自然と歩き始める。一歩、二歩、三歩……。
「──私の予測に基づいた助言を」
背後から、どのような意図かも分からない言葉は投げかけられる。
恐らく言葉の通り純粋な助言だろう。
「あなた達は10の100乗秒後もこのゲームをクリアできていません」
「? 君の予測を私はすでに超えてるでしょ」
私は振り向いて堂々と言い返す。
彼女もまた、背筋を曲げることなく微笑を浮かべていた。
10の100乗秒後──ね。
へへ、負けないよ。……何せ私には秘策があるからね。
例えば。
例えばだけど──。
例えば、3秒/1層ペースの攻略速度だったとして。
1000層同時に階層守護者を倒せたらどうする?
──なんて、君にはまだ内緒だ。
そんなことが出来るのか、出来ないとしてもユーザーの行動結果に対し真摯であり続けたこのゲームがどのような反応を示すのか、まだまだ分からないことだらけだから。
君に最後に訊くのは一つだけ。
「ところで君の名前は?」
「六角魔女。もしくは
「ふーん。私と同じだ。……へへへ、いい名前だよね?」
「とても気に入っています」
彼女にも名前がある、たくさんの過去がある。私とは違う経験をして、結論を出し、このゲームを始めるに至った過去。3兆年という異常なスケールの時間を掛けても尚尽きることのない意志を持てるだけの過去。
私達は違うから、違う存在だから、致命的な相違を抱えているのだろう。
敵対するかもしれない。
けど、でも、ねえ。
私は君と、最後には友達になれる気がしてならないんだ。
「……またね、MELTZEL」
「さようなら、メルツェル」
そうして私は世界を潜る。白ばかりの非現実から、黒ばかりの非空間へと足を踏み入れ。
プツンと意識は途絶えて………………。
「ふ、フェフォー下ろしてよー。蛇尻尾簀巻き逆さ吊りブランコはもう疲れたよー」
「イヤよ。ワタシ、納得いってないから」
「何が? 何がそんなに不満なの! 一緒に毎日寝てるのに! どこへ行くにも一緒って約束守ってるのに!」
「あのねお子ちゃま。そろそろハッキリさせておきたいんだけど」
私の日常が。
「『カナミヤが好きだ』じゃなくて『カナミヤ
「……」
以前までとはちょっと変化のある、新たな冒険が始まる。
次で最終回です。