《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
夕刻。
『村』の中央広場。ベンチに座ってぼけっとしていると、赤い髪をして蛇尻尾を装備する美人が通りがかった。呆れ果てた表情でこちらを見下ろしている。
「……アナタなにやってるの?」
私の友人、フェフォだった。
「フェフォ。こんにちは」
「はいこんにちは」
今朝別れた彼女は、私がどうして広場にいるのかを早々に察したらしい。
「そうやって待ってたってカナミヤは来ないわ」
「そんなことないよー。きっとくるよ」
「来ない」
ハッキリとフェフォは言う。やれやれとため息を一つして、フェフォは私の隣に座ってくれた。
二人して見つめる先には噴水がひとつある。あらかじめ設定された通りの動作順序で水の滝が出来上がったり、カーテンを作ったり。《テクスチャー領域》の外で、演出の一つとして存在する太陽が地平線の先に沈んでいく。夕陽の茜色が透明な水に朱色の陰影を生んでいた。
「そのうち戻るって言ってくれたから……」
「『そのうち』が何年後かわかる? 数か月後なのか、数十年後なのか」
「た、確かに……」
薄々わかっていた懸念を容赦なく名言されてしまい、私は何も言えなくなってしまった。
「ほら、こんなところで突っ立っていても時間の無駄よ。ご飯にしましょ」
「別にいいよー私フェフォみたいに毎日ごはん食べないよー」
「いいから付いてきなさい」
立ち上がったフェフォが歩き始めてしまう。どうしようか悩んでいると、彼女が見せる背中姿、尾てい骨辺りから生えている赤い蛇尻尾がしゅるりと動いた。見ているわけでもないのに的確に私の手首に絡まった蛇尻尾は、フェフォが進むに従って優しく私を引っ張っていく。
フェフォが腰裏に装備品として装着している蛇尻尾は、それ自体がステータス値を持っている。低レベルの私では打ち勝てない程度には強い。
渋々フェフォの蛇尻尾に引っ張られるまま彼女の後を追っていると、フェフォは振り向かずに、だけどはっきりと言った。
「ワタシがアナタと一緒に食べたいのよ」
……ならまあ仕方ないか!
◇
このゲームにおいて、ユーザーは食糧の摂取を必須としていない。ゲーム内で何を食べようと現実世界の人体が栄養を摂れるはずもない。このゲームがいくら鮮明にリアルに感じ取れるVRMMOだったとしても、頚椎付近の汎用インプラントを経由して脳神経に直接投入された情報群でしかないのだから。
料理を食べることでステータス値にバフがあったりはするものの、そういった目的でもなければ毎日三食必ず食べるフェフォのようなユーザーというのは稀だ。
「ちょっと。ほら、口元に食べかす付いてる。ちゃんと箸を使いなさい」
『村』に幾つかあるレストランの一軒。和洋中なんでも取り扱う店の中で、テーブルを挟んで向かい合って座るフェフォがハンカチを取り出した。ぐいぐいと私の頬を拭いてくるのをされるがままになっていると、困ったようにフェフォが微笑んだ。
「いつまで経ってもアナタはお子ちゃまねー」
「むむむッ。箸はへったくそかもだけどフォークはうまく使えるもんねえ!」
「その割にはパスタがくちゃくちゃね、くちゃくちゃ」
目の前にあるミートパスタの皿から、フォークによってぐるぐる巻きにされたマンガ肉みたいなパスタの塊。パクつく様子をフェフォはやっぱりクスクス笑う。
「アナタはやっぱりお子ちゃまね、お子ちゃまお子ちゃま」
「フェフォは私がお子ちゃまだから面倒見てくれるの?」
「悔しい? 悔しいなら箸くらいそろそろ使えるようにならないとね」
「ムムム……」
私がミートパスタの隣に並んでいる豚カツを前に悪戦苦闘しているのを眺めながら、フェフォは楽しそうにフィッシュアンドチップスを食べている。フェフォのナイフとフォークの使い方は流麗で、いつも真似しようとしているのにどうしてか上手くいかないのが不思議だ。
「フェフォの食べてるそれ、美味しそうだねー」
「食べたい? はいどうぞ」
小分けにされた白身魚のフライが、フォークに刺さったまま差し出される。私はおやつを差し出された犬よろしく食べた。うんおいしい!
──そんな私達の様子を、少し離れた席から眺める男女数人がいた。
彼らは何事かを喋っている。
「俺達は何を……何を見せられているんだ……ッ!」
「いわゆるおねロリ……ってやつなのかな?」
「やっぱフェフォレイはもう時代じゃねえよ」
「でもこないだのカナミヤにメンチ切ってるとこは久々にカナフェフォの波動を感じたんだよな」
「百合オタクがすぐそうやって些細な出来事をカップリングに結び付けるの、ほんとよくないと思う」
「うわ」
「でたわね」
「いにしえの百合オタク乙」
「これもう実質的な過激派原理主義者だろ……」
「なぜ笑うんだい? 僕の感想は素直だよ」
「オメーもたいがい古のネットミームに毒されてんだよ」
「情報のアップデートに無縁なゲーム世界だからなあ……」
「リアルじゃ今頃どんなネタが流行ってるんだろねー。てか私達このゲームに幽閉されて何億年? リアル世界だと何年目?」
「知らね」
「ちくわ大明神」
「それはちょっと古すぎー。リアルで40年くらい前じゃん」
「このゲームの中じゃ100億くらいだけど……ひょっとすると1日も経ってなかったりしてな」
「どうせクロック速度がヤベーくらい加速してんでしょ」
「インターネット老人会を飛び越えてインターネット宇宙終焉ってか! ワハハ!」
「──どいつもうるさいのよ」
フェフォの蛇尻尾がテーブルに置いてあるナイフとフォークを一瞬で掴み、ノーモーションで投げつけた。トトトッ、と軽い物音とともに話し込んでいた男女全員の頭にナイフが突き刺さる。あ、致命傷だなあれ。
「暴力反対ー!」などと吠えながら男女全員がポリゴン体となって爆散消滅すると、店内はずいぶん静かになってしまった。
「フェフォ。フェフォレイってなに?」
「アナタみたいなお子ちゃまが知らなくていい卑猥なネットスラングよ」
「えっ! フェフォの名前が入ってるのに卑猥なの?」
「……」
会話の内に即復帰してきたさっきの男女が、私達の会話を聞いて愕然としていた。
「つ、つええ……」
「オイオイあいつ一発で負けたわ」
「あの『激ヤバ地雷原』『歩く火薬庫』『仏の顔は0度まで』『鬼の眼にもキレる』アンフェルフェフォビアがあの子の前じゃちょっとキツい美女に見えるの凄くね?」
「やっぱおねロリが世界救うんスわ」
「あの子の前だとフェフォもお母さんみたいだよねー」
「──死ねッ!」
赤い顔のままフェフォが吼える。そのキーの高い叫び声に合わせて周辺ユーザー全員にアナウンスが走った。
■―■
スキル実装:《
Tips_其は125億光年まで伸長可能な第三肢の使用を許す。
■―■
死んだな。
思う間もなくフェフォの赤い蛇尻尾──装備型スキル《
「スキル持ちの元攻略組が俺らみたいなザコユーザーに本気出すなよ~!」
などと言いながら爆散したユーザー達。フェフォが鼻を鳴らしながら蛇尻尾を縮めていつもの長さに戻す。先端が二股の蛇尻尾は、主たるフェフォの傍でいつも通り宙を揺蕩いだした。
「その蛇尻尾、ほんとに《テクスチャー領域》の外まで伸びるの?」
「《迷宮フィールド》は《生活フィールド》の数千倍もの《テクスチャー領域》を持つ階層も存在するわ。実際に125億光年先まで伸ばしたことはないけど、アナウンスが嘘を吐いたことは今まで一度もない。事実なんでしょうね」
「いつ見てもフェフォの尻尾、チートだよね」
「スキルなんてどれもチート級でしょ」
フェフォの言う通り、スキルはこのゲームにおけるゲームチェンジャーであり公式チートツールだ。リアルとそん色ない物理法則を再現した物理演算機構に従うこのゲームにおいて、スキルは物理を無視した現象を発動できる。スキル1つ保有するだけでスキルを持たない高レベルユーザーを簡単に圧倒出来てしまう。
その分スキルは希少だ。入手手段は二つ。キャラクター生成時に超々低確率で獲得できる場合と、ゲーム内で何かしらの行動の結果として獲得できる。後者については条件は未だに判明していない。
スキルが希少であるため、スキル保有者はもちろん数少ない。フェフォのように3つも持っているのは珍しいを飛び越えて奇跡に近い。
「いいなー私もスキル欲しいなー」
「あった所で何も変わらないわよ」
「でもカッコいいじゃん! 私も便利な尻尾欲しい!」
などと、静かになった店内で会話と食事を私達は楽しんだ。
その後レストランを出ると、フェフォの蛇尻尾がまたしても私の手首に絡みついてきた。手錠を掛けられたみたいに拘束された私は、尻尾の先にいるフェフォを見つめる。
「フェフォ?」
「今日泊まっていきなさい」
ハッキリと、だけど手短に告げるフェフォ。陽の落ちた夜中の『村』で、街灯が照らす彼女の顔はうっすらと赤い。深紅の瞳が僅かに目を逸らしていた。
「それもフェフォが私と一緒にしたいことなの?」
「そうよ。悪い?」
「悪くなんかないよー全然いいよー」
ニコニコブンブン頷いてみせると、僅かにフェフォの両肩が下がった──ような気がした。フェフォの家で寝泊まりするのはよくある事だ。そんなに緊張することではないと思う。
「フェフォん家すんげー豪華だから好きだなー」
「こだわって設計したのよ」
◇
このゲームはゲームなので、ユーザーたちはもちろん新陳代謝などするはずもない。なので汗もかかないし、不衛生になることはないのだが、謎仕様として『不快度パラメーター』というものが存在する。
一日一回湯船につかる、シャワーを浴びる、歯を磨くなどしなければ各種ステータスにデバフがかかるというものだ。高くなりすぎた不快度パラメーターはそのユーザーの行動フレームレートを著しく落とし、ユーザーの認識とメンタルに大きな不快感……影響を与える。最初期の頃は不快度パラメーターを無視したユーザーが非稼働状態になってしまう事件が多発した。
「フェフォん家のお風呂はいるの三日ぶりくらいかも!」
「事実ワタシの家にアナタが来るのが三日ぶりなのよ」
そういう訳で、フェフォと私は湯船に浸かっていた。フェフォの家は超巨大で超豪華なので、浴室も凄い。ユーザー二人が足を延ばしたまま向かい合うことが出来るくらいバスタブが大きい。
薔薇の花弁が浮かぶ水面をバシャバシャさせていると、長い赤髪を頭上でお団子にしたフェフォが唐突に尋ねてきた。
「それで? なんたってあんな所にいたのよ」
夕暮れ時の広場での事だ。
「トーギとレイラさんにあの後会って……」
私はフェフォと別れてからあった今日の出来事を話し始めた。
「あのアホガキも相変わらずね。そのうち“理性破砕”にでもなるんじゃないの?」
「トーギはメンタル強いから大丈夫じゃないかな」
「フン。どうだか。ああ見えてあのガキ、自分で自分を追い詰める悪いクセがあるのよ」
「……」
「……なに? ワタシをじろじろ見ないでくれる?」
「いやーフェフォって結構みんなのことを気にかけてるよねって」
言動と気性に荒いところがあるフェフォだけど、こう見えても面倒見がいいのだ。こうして私と一緒に居てくれるのもフェフォが本質として優しいからなのだ。私の友人は、苛烈で、熾烈で、綺麗で、優しくて強い。
「それでトーギに、カナミヤに勝つためのアイテム……を作るのに必要な素材を依頼して」
「へえ。そんなにカナミヤに勝ちたいのね」
「うん」
「どうして?」
「内緒!」
「あらそう」
フェフォは頬を柔らかくして微笑んでいる。あれ、意外だな。もっと突き詰めてくると思ったんだけど。
その後も他愛ない会話と共にゆっくりとお風呂に浸かって、上がって、髪を乾かし寝間着に着替えてからのこと。
「そろそろ寝るわよ」
「はーい」
寝室。大きな大きなキングサイズのベッドの上で、私達は横になった。こうして一緒に眠るのもよくあることだ。フェフォの家に私専用の歯ブラシと着替えが用意してあるくらいよく寝泊まりしている。
照明を消して暗い部屋の中。隣で仰向けになって目を閉じているフェフォに、私は今朝、言いそびれていたことを口にした。
「ごめんね」
「急に何?」
フェフォが瞼を開き、僅かに顔をこちらに向ける。別に化粧なんかする必要ないくらい綺麗な顔、長いまつ毛。赤い瞳は暗がりの中にあっても尚、紅い。
「だってフェフォ、本当はカナミヤと会いたくなかったんでしょ」
「……」
僅かに黙ったフェフォが、浅い吐息と共に体を起こした。シンプルな長衣に身を包んだフェフォは私を見下ろす。毛先が緩くカールした赤髪の内側から見えるフェフォの視線は柔らかい。
「そうじゃない。そりが合わないとは思うけどね」
「昔からあんな感じなの?」
「あの女が二人組のパーティを組んでいた時からずっとよ」
険悪さを演出するかのようにフェフォは鼻を鳴らした。わざとっぽい仕草だったし、事実彼女の言葉には棘がなかった。
ややあってからフェフォは続ける。
「カナミヤはね、例えるなら
「まぐねたー? って何?」
「詳しいコトはレイラにでも聞いてみなさい。要は、宇宙において特殊な条件下で発生する、超高密度の大質量星よ」
レイラさんは天文学をリアルで専攻していた大学院生だったらしい。今度聞いてみよう。
「強烈な電磁場を絶えず吹き出し、ただそこにあるだけでありとあらゆるものを破壊する中性子星。触れてはならない、近づいてはならない……感じ入ることなどあってはならない白い星」
「だから、ワタシが会いたくないのではなくて」。と前置きをしたフェフォは続けた。
「アナタに会わせたくなかったのよ」
「その割には結構簡単に紹介してくれたような……」
「フフ……アナタは本当にお子ちゃまね」
穏やかに笑ったフェフォは、片手を私の顔へと伸ばす。頬に手の甲が当たった。ひんやりと冷たい。
くすぐるように触れ、輪郭をなぞり。
「アナタが望んだことを、どうしてワタシが否定すると思うの?」
蕩けるように笑んで、はっきりとした慈愛を明確にフェフォは言葉にした。
「じ、じゃあダンジョンにも行かせてくれたり……」
「それはダメ」
フェフォの手が急に翻り、私の頬を引っ張ってきた。むぐぐ。
「ちぇー」
「……さぁ。そろそろ眠りなさい。睡眠は人に必要な要素よ」
手を離したフェフォがまた横になる。
「眠ることこそ、ワタシ達が未だに人であることの証なのだから」
そして目を瞑ると、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。
……完全に眠ってしまったら、ユーザーは設定した起床時間まで起きることはない。
寝つきがいいのはユーザー個人の特性という訳ではなく、睡眠欲パラメーターによる自動睡眠への移行だ。
このゲームにおいて、《テクスチャー領域》とはあくまで物理演算の再現であり、ユーザー達に向けた表現方法の一環だ。システムによる欺瞞の五感情報が、ゲーム内世界に囚われ、現実世界における生身の脳へと流入しているに過ぎない。
であればフェフォの言っていることはまさにその通りで、人体の脳は生物的特性として常に覚醒状態で居ることはできない。
ゲーム内世界に食欲が必須機能ではないのに対して、睡眠欲だけは存在するのだ。
「……」
私は静かに眠るフェフォを、ユーザーを眺めながら考える。
「でも……それすら疑似的なパラメーターでしかないのだとしたら?」
明らかにゲームの中に居ると分かるこの世界で、リアルと断絶された私達には現実世界で何が起こっているのか見当もつかない。
……ユーザー達の間には、まことしやかに囁かれる噂がある。
このゲームの中であまりにも時が経ちすぎている。100年以上は確実に経過しているのだ。クロック速度の差が凄まじいのだと言ってしまえばそれだけだけど、──想像してしまえる。
私達がリアルと呼ぶ、このゲームの対極にある世界。
現実世界には私達の本当の肉体なんてなくて。よくある、病室で点滴を打たれる私達が永遠に眠り続けているような光景も存在せず。
ただひたすらに虚無があるだけだとしたら。
『そこ』に、インプラントも、脳も、何もないのだとしたら。
「……」
考えても無意味だな、と思い直した。
確かなことは二つだけ。
ひとつは、私達ユーザーが夢幻の存在ではないということ。この、実存でないゲーム内世界の、《テクスチャー領域》にのみ五感を投影させられる私達は確かにこのゲームで生きている。
ふたつは、このゲームが現実世界のサーバーによって成立している以上、明確な目的意識を持った『運営』がどこかに居るということ。
運営。
それはどこにいるのか。
私達に何を求めていて、何を観察しているのか。
「会えるなら会ってみたいな……」
呟いて、詮無いことを考えていることに気付き、私もまた目を閉じた。寝つきの悪い私がしばらくじっとしていると、「ううん……」と呟いたフェフォがごろりとこちらに近寄って来る。
体をすり寄せて来る、愛すべき友人の体温を感じながら、私はゆっくりと意識を手放していった。