《このゲームが始まって1e+100秒が経過しました。》 作:てりのとりやき
数日後。今日もいつも通りの晴天。
依頼していた素材が出来たか確認しに、トーギの家まで行った。
まさに町工場なトーギの家。いつも通り分厚い門は空いていたので、そこから家の中を覗くと……。
「トーギいるー?」
──『ぎっ、ぎっ、ぎっ』というネジが回る時の軋む音。金属と溶剤の匂い。門から漏れ出る熱気。
いつもの灰色ツナギを着ている黒髪の青少年……トーギが、こちらに背中を向けてレンチを動かしていた。刈り上げたツーブロックが忙しなく動いている。こちらに気付いている様子はない。
そして私も、トーギに声をかけ直すことを忘れてしまっていた。何故ならトーギの家──工房には、今、そのだだっ広い空間のほとんどを占める物体が鎮座していたからだ。
「でっか!」
複雑怪奇に絡まり合うパイプ群。大きなノズル。優にトーギの身長を超したその威容を、工房の天窓から差し込む光がぼんやりと照らしている。機械工学に詳しくない私でも分かった。以前、製作途中の同じものを見せびらかしながらトーギ本人が自慢していたのを覚えていた。
「す、すげー……」
強烈な推進力を、搭載した電装系システムで制御しながら空を飛ぶための機械。リアルにおいての機械工学の極みに近いもの。トーギというユーザーが、このゲームが始まってから今の今までほとんどの時間を費やして製作している、
「トーギ! 凄いねそれ! ロケットじゃん!」
まだ《個人フィールド》への入室許可が出ないため家の中に入れないが、私は興奮から大きな声を出していた。
ロケットエンジンの見た目はほとんど完成に近いように見える。いよいよ各パーツを組み合わせて、宇宙船が完成するのかもしれないと思うと、すぐにでもトーギに声を掛けたい衝動でいっぱいだった。
だというのに、
「トーギ? おーい、トーギー」
トーギは私の声に反応しない。一体どうしたんだろうか。などと考えていると、ロケットエンジンに向き合っていたトーギが、傍にあった工具箱に近寄るためこちらへ顔を向けた。
「ト──―」
「……」
顔が死んでいた。
表情がなかった。
瞬きを一切していない両目は見開かれ、白目は異常な集中状態を表してか充血している。普段のさっぱりとした笑顔を見せる口元は強張り、確かに視界に私の姿を収めたはずだというのに私の存在に気付いていない。
「……」
私は言葉をなくして立ち尽くしてしまった。何かに没頭すると周りの音が聞こえなくなるユーザーもいるにはいるが、今のトーギはそんな言葉で表現していいものか躊躇うほどの『緊張』があるように見えたのだ。
硬くなった両肩。筋張って白い腕。血の気を失い、表情のない顔。
『ああ見えてあのガキ、自分で自分を追い詰める悪いクセがあるのよ』
フェフォの言葉が蘇る。フェフォの言ったことは、正しいのかもしれない……。
一切こちらの声が届かなくなってしまったトーギと、彼が許可を出さなければ跨げない門を前に、私がどうしようか悩んでいると──ちょんちょんと肩をそっと突かれた。
「うわっ誰……ってレイラさん?」
背後に居たのは、柔らかな栗毛のショートカット、赤縁眼鏡が特徴的な女性ユーザー。向かいの家で暮らすレイラさんだった。ほっそりとした人差し指を自身の唇に当てたレイラさんは、しー、と囁きながら微笑んでいる。
「……ごめんなさい。トーギ君、集中しだすと何も聞こえなくなるから」
こっちこっち、と手招きをするレイラさん。どうやらレイラさんにとっては今のトーギの状態は、見慣れたものだったらしい。トーギと一番親しい彼女が大丈夫だと判断するのであれば、問題はない……のか……?
疑問を覚えつつも私はレイラさんの後を追った。
向かった先は、道を挟んだ別の家。レイラさんの自宅だ。こちらは非常にシンプルな一軒家で、各面に窓がついた赤い壁と真っ白な屋根が色鮮やかだ。
「入っていいの?」
「ええ、どうぞ」
門を潜ると、玄関扉へと続く道の途中が小さな庭になっていた。綺麗に整えられた芝生と木製のテーブルに椅子がある。テーブルクロスの上にはコーヒーサイフォンに、皿に広げられたクッキー、二つのカップ。
「お茶でも飲みませんか?」
和やかに笑うレイラさんの誘いを断る理由はどこにもない。私がブンブンうなずくと、「ささ。どうぞー」と案内する仕草をする。……どんなポーズを取っても可愛げが溢れかえっているのはさすがレイラさんって感じがする。
「庭でお茶をしようと思っていたら、貴女がトーギ君の家の前にいるじゃないですか。家の中に入らず門前で固まってるから、ああこれはいつものトーギ君病と出くわしたんだなあって」
向かい合って座ると、言いつつレイラさんはカップにコーヒーを注ぎ始めた。コーヒー特有の、不思議で香ばしい匂いが周囲を満たしていく。
「トーギ君病って……さっきのあの感じのこと?」
「ええ、あれはトーギ君病と言うんです。トーギ君が熱中しすぎるとああなるんです。人の話を聞いてくれなくなるから困っちゃいますよね!」
ぷくーと頬を膨らませるレイラさんは、ずいぶん機嫌が良いように見える。もしかしてもうトーギと復縁してるのかな……本当に三日くらいで離婚と結婚を繰り返しているなこの熱々夫婦。
……あ。そういえば、レイラさんに聞いてみたいことがあったっけ。
「そういえばレイラさんって宇宙が好きなんだよね?」
「そうですよ? 元々リアルでは天文学を専攻してたんです」
「大学、ってやつのことだよね。フェフォが言ってた!」
「あら。意外ですね。フェフォが貴女に現実でのことを教えるなんて珍しいです」
「大学芋の仲間なんでしょ? 甘くてホクホクしてて美味しいよね」
「うーん偏った知識……!」
「それで大学芋を育てながら勉強するのが大学院なんだよね? 楽しそー」
「怖い、私怖いです。誰も突っ込まないこのゲームの民度が恐ろしいです……!」
何故か青い顔をしているレイラさんに、私は以前フェフォとの会話の中で尋ねようと思っていたことを口に出した。
「ねえねえレイラさん。
「──もしかして貴女も宇宙に興味があるんですか!」
うぉ。
いきなりレイラさんが立ちあがり、こちらに体を寄せてきた。突然のことに目を白黒させているうちにレイラさんはまくし立てる。
「マグネターというのは中性子星の種類でして、それで中性子星というのはですね、恒星というものがありましてですね、あっ恒星というのは私達のリアルにあった太陽のことでその太陽よりもすっごく大きな恒星が寿命を迎えた際に超新星爆発を起こしてから出来上がるもので、アッ超新星爆発というのは太陽より八倍以上の恒星で起きるとされている現象でして、それでそれで自分で自分をささえるエネルギーがなくなったときに恒星自身の重力に負けて星が押しつぶされてしまう時の反動で発生するんですね超新星爆発が。中性子星というのは、その超新星爆発を起こした中でもまれなケースとして生まれる星なんですね」
「お。おおー……」
「中性子星の特徴は何かと言われれば、角砂糖1個のサイズに10億トンの質量があると言われるほどの超高密度な小型天体ということでして、大きさは天体の中では非常に小さな直径10から12km程度で──あ! あとあと、その自転速度も凄まじくて、なんと一分間に6000回転もするといった観測事例もありまして……」
紅潮しきった頬で喋り続けるレイラさんは実に楽しそうだ。
私はというと突然襲いかかってきた情報の濁流に目がぐるぐるしている。処理が、処理がしきれない!
「す、すげー……宇宙、超新星爆発、重力崩壊……中性子星……」
「どうです? 凄いでしょう宇宙は! 貴女もついに宇宙に興味が出てくるお年頃になったんですね……!」
私感激です、と両腕を組み合わせて目を潤ませているレイラさんは、対照的に目が回っている私を見て、少し冷静になったらしい。口元に手を当てて、誤魔化すようにはにかんだ。
「……ごめんなさい。喋りすぎちゃいましたね」
エヘッとわざとっぽく笑い声を出すのも、可愛げの塊すぎてレイラさんなら全然気にならないのがすごかった。
「その、とにかく宇宙は面白いんです」
思い出して恥ずかしくなったのか、やや赤い顔のままレイラさんは椅子に座り直す。注がれたままのコーヒーを二人で飲んで一息ついた。
「……だからこのゲームの抽選に当たったときは嬉しかったなあ」
ややあってから、レイラさんはそんなことを呟いた。
このゲームのユーザーというのは、サービス開始時にいた200万人のうち未だに非稼働状態に陥っていない者達201人のことだ。ではどうやってサービス開始時居た200万人の内の一人だったかというと、レイラさんが言った通り、『運営』による全世界規模の抽選による。抽選倍率は驚異の2500倍──何と50億人が抽選に参加したとさえ言われていた。
「当時のリアルにおいて最高精度の宇宙環境をシミュレートして、仮想とはいえ生身で宇宙に駆け出せるなんて。私には夢のような話でした」
「あーそういうことか。確かにこのゲーム、すんごい物理演算が優秀だもんねー」
あまりに生々しく感じることが可能な、現実と遜色ない物理演算を実現した惑星規模の仮想空間。レイラさんみたいな人からしたらこの上ない実験環境に見えたんだろう。
だけど……。
「残念ながらここには《テクスチャー領域》という制限があり、私達は成層圏より上には行けない」
私達が五感を投影可能な空間は限りがあり、そこに拡張性がないことも分かってしまっている。《迷宮フィールド》とて同じだ。階層型ダンジョンとして構成される《迷宮フィールド》にも、宇宙空間を表現した階層は存在しない……とフェフォが言っていた。
「宇宙は質感として遥か遠くにある。……でもいいんです」
レイラさんは終始穏やかなままだった。このゲームに幽閉され、眺める以上のことが出来なくなった宇宙に対して、ひと欠片も羨望の滲まない声音をしていた。
「宇宙は遠いかもしれませんけど、私のためにロケットを作ってくれる人とは出会えましたから」
「あー。まあ聞かなくても分かるんだけどそれってトーギのプロポーズかなんかだよね? 『俺がレイラのためにロケットを作ってやる』……みたいな」
「ななななんで分かったんですか!? わ、私どこかで言いましたっ?」
……もしかして私、今めちゃくちゃ惚気られてるな?
とは思うものの、あまりにもレイラさんが幸せでいっぱいな照れ顔だったから茶化す気にもなれなかった。
アツアツすぎるぜこの二人。
それに、これは悪いことじゃないんだ。レイラさんの精神が非常に安定しているのはいい事だし。
“理性破砕”は、始まってしまうと辛いイベントだから。
「こほん。……さ。そろそろトーギ君病を治さないといけませんね。貴女はトーギ君に用事があったんでしょう?」
「でも声かけても気付かなかったよ?」
「大丈夫です。私の声なら、トーギ君はすぐ気づいてくれるんです。うふふ、なんでですかねー」
「たぶん愛の力ってやつだよね!」
「いやだこの子ったらもう!」
ベチィッと結構な力で肩を叩かれながらも、レイラさんと一緒にまたトーギの家の門前まで行った時だった。
──『ぐちゃ』、という生々しい音が門の奥から響く。
「うわ。トーギ、集中しすぎだよ……」
「……」
見ればトーギは自分が振るったハンマーで、指先を潰してしまっていた。左手中指の爪部分がポリゴン体となって漏出し続けている。しかし当の本人はやらかした事に気付いているのかいないのか、気にせず作業に集中していた。
トーギが振るうハンマーの先。作業台の上では、
「また……トーギ君、どうして……」
隣のレイラさんが漏らした独り言には、先まであった甘くて柔らかい雰囲気がない。怪我をした恋人の心配をしているのだから当然なんだろうけど……。
「まったく。何をやっているんですかトーギ君!」
レイラさんは努めて明るい声を出しているような気がした。彼女の声に、それまで眼前の工作物以外の一切を排除していたトーギがついに顔を上げる。
「ん? ああ、レイラか」
ぼんやりとした目つきでこちらを見つめ、曖昧に首を傾げた。
「どした」
「指ですよ指。ハンマー当たってますよ!」
「ああ……本当だな。悪ぃ、気付いてなかった」
「仕方ない人ですねトーギ君は。入りますからね」
「おお」
ようやく家主であるトーギの許可が下りたことで、私とレイラさんは工房の門を跨ぐ。レイラさんはロケットエンジンの緻密さ、複雑さ、威容にも気圧されることなく大股歩きをしてトーギの前に立つと、躊躇いなく彼の手を両手で包み込んだ。
ポリゴン体の粒子を漏出し続ける、怪我をしたばかりの左手を。
「良いよ別にこんなの。そのうち治るだろ。それに──」
「だめです。放っておいていいものじゃありませんから」
頑なな言葉。
祈るような彼女の姿勢。
同時に、視界の隅でアナウンスが走る。
■―■
スキル実装:《
Tips_其は心意以外の復元を無制限に許す。
■―■
レイラさんの発動したスキルだった。
非常に珍しい……というか、ゲーム開始以降、類似能力を持ったスキルが見つかっていないユニークスキルだ。このゲームにおいて唯一の回復系スキル《
「……まぁ、サンキューな」
「はい。どういたしまして」
照れ隠しでか、トーギが目を逸らしてぶっきらぼうに言う。
レイラさんも優しく微笑んでいた。どこか無理をしているような顔に見えた。私は二人の様子を遠目に見つめながら、スキル発動前にトーギが呟いた一言を思い返す。
──死んでリセットした方が速ぇよ。
デスペナルティの無いゲームだ。私だって何度も死んでる。フェフォのように気楽にPKをするユーザーもいるし、今更ユーザーがゲーム仕様上の死を迎えた程度で騒ぎ立てる者はいない。
だけど、トーギの言葉はそれとは意味が違うような気がした。
「──む。おおっ? なんだお前いたのかよ!」
それについて考えていると、トーギがようやく私の存在にも気付いた。頭を掻きながら、近くの作業台に置いてあった物を手に取ると、私に手渡してくれる。
「わりーわりー待たせちまったみたいだな。へへ、お頼みの品はもう出来上がってンぜ」
「ありがとー! さすがトーギ、完璧じゃん!」
さほど厚みはなく、均等な正方形に裁断された『それ』。表面の手触りはごわごわとしていて、曲げ加工のし辛い硬さは動物の皮にも似ている。少し感触にばらつきがあるのは手加工によるものだからだろう。
『それ』は布だった。厚手の、繊維一本一本から手加工で編んだ生地。
「要求通りに作ったけどよー。これが何だってんだ?」
「知りたい?」
「そりゃまあ作った身としては」
「フフフ」
私は意味深に笑ってから、胸を張って言った。
「──靴を作るんだ。いーい感じに触れたオブジェクトを噛めそうな靴をね」
◇
生地を預かった私はしばらく自宅でこもり切りになった。こういうのは勢いが大事なのだと知っているから、一睡もせずに徹夜して靴を作った。いい感じに動きやすそうなスニーカーが出来て満足満足!
そうして、出来上がった靴で効果検証を何度かトライしていた翌朝……。
『ピンポーン』と玄関扉がインターホンを鳴らす。
む、誰だろ。
「はいはーい今開けまーす」
徹夜明けでふわふわした頭のまま玄関扉を開けると──。
「どぅわわわわわわわ!?」
「ちょっと。なにその挨拶」
「お、おはよう! フェフォ!」
「はいおはよう」
腕を組んで眉間に皺を寄せた、『私は不機嫌です』と顔だけで物語るフェフォがいて。
更にその隣には、私より頭二つ背が低くて、黒髪で、幼い顔立ちで、表情の薄い女の子──
「──カナミヤも! お、おはよー!」
「おはよう」
このゲームにおいて最強のユーザーが、何故かフェフォと一緒に現れた。
「早速だけどやろうよ」
「え! や、やるって何を……」
「決まってる」
ゲーム上表現されることのない心臓がドキドキしている。これはゲームが私の興奮状態を察知して五感情報として『高揚している』と伝えている表現方法の一つでしかないというのに、間違いなく私は今、これから始まるだろう出来事を予見して浮足立っていた。
「約束を守りに来たよ。戦おう。私ときみで」
再戦の時だーッ!