カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第一話:箕土路蒼青

 僕は今、ラブホテルの前にいる。

 

 駅前のアーケードを東に逸れ、猥雑な飲み屋街を抜けた先にある、さも「さあお兄さんたち、腹を満たしたら次はこっちでしょ、うふん」だとかなんだとか言いたげな立地のピンク街、その一角に僕はいる。一人で。

 

 服装は学校からの帰り道そのままの制服姿、腕にはお嬢から預かったベトジャン。これが夜だと周りから奇異の目で見られるのだろうけど、現在は昼。辺りには誰もおらず、時折配達らしき車が通りがかるくらいである。

 

 別に中に入ってスケベしようとしているわけでも、誰かと待ち合わせをしているわけでも、誰かに捨てられたわけでもない。純然たる目的があって僕はここにいるのだ。つまり、僕の心はいたって平静。……いや、嘘だな。少し不快感はある。

 先ほどから視界の端に映る、使い古されたシーツと丸まったティッシュがパンパンに詰まったゴミ袋のせいだ。

 

 トラッシュボックスに山のように積まれたそれは、なんていうか粘っこいオーラを放っていて、それが死んでいった数多の精子たちの怨念のように思えて不愉快である。

 さらに言えば、男ならだれでも知っているあの独特の臭気が、五月の薫風に乗って僕の鼻まで届いてきそうで嫌だった。

 

 そうやって顔を顰めているとスラックスの左ポケットが一瞬震えた。

 メッセージアプリの通知音である。つまり合図。

 僕はようやくか、なんて思いながら携帯の画面を見ることなく大きく息を吐いて、気分を強制的に切り替えた。

 

 ひらひら吊るされたブラインドを潜り抜け、ガラス張りのラグジュアリーなロビーには目もくれず、裏口へと回りこむ。それから僕は腰を少しかがめて、弱気を作り、全身に緊張を纏う。

 そうして塗装のはがれた鉄製の扉を数回ノックした。

 

「…………」

 

 返事がない。ので先ほどより強くノックをする。今度は中で何かが動く気配がした。

 

「はーい。……あれ? 君、どうしたの?」

 

 現れたのは白いシャツに黒いベストを身に着けた若い茶髪の男性。

 裏社会の人間特有のやさぐれは感じないので、大学生のバイトと言ったところだろう。

 男性は来客が珍しいのか、不思議そうな顔をして僕の全身をジロジロ見回している。僕は目をそらして、

 

「あの、僕、アルバイトの面接に来たんですけど……」

 

 男性は目を丸くさせた。それから顎に手をやって、何かを考えた後、僕を指差す。

 

「高校生が? ラブホテルで?」

 

「…………へ?」

 

 もちろんバイトの面接なんてのは嘘だ。

 自分で出したその「へ?」があまりにも白々しくて笑えてくる。僕は戸惑ったふりをして、目線をあちこちにやった。

 男性の肩越しにはラブホテルのごちゃごちゃした事務所が見え、その先には受付らしい小部屋が見える。そこにはPCとモニターがあって、画面を八分割して監視カメラの映像を映していた。

 ──あそこか。

 

「こ、ここ、ラブホテルなんですか⁉」

 

「うん、見りゃ分かると思うけど……」

 

「でも僕、雑誌でここ見つけて……ホテルの清掃業務だって……」

 

 男性が困った顔をしながら、後頭部をぼりぼりと掻く。

 

「……分かった、ちょっとそこで待ってて、店長に確認してみるわ」

 

「ありがとうございます。……あ、その、ここに立ってるのは恥ずかしいので、中で待たせてもらってもいいですか?」

 

「……まあ、いいけど。ほら」

 

 男性が僕を事務所へと招き入れてくれる。男性はパイプ椅子を引いて僕を座るように促した後、携帯を持ってどこかへと消えていった。

 

 第一関門突破。しかも最も労の少ないパターンでの突破である。僕は無理やり扉をこじ開けることも、男性を気絶させることもしなくて済んだ。重畳。

 

 事務所には真ん中に大きな机があり、その周りにいくつかのパイプ椅子があって、片方の壁には縦長いロッカーが並んでいる。その反対側には貸し出し用であろう、いかがわしい衣装がびっしりとハンガーラックに掛かっていた。

 

 見ようによっては虹に見えなくもない衣装群を横目に、例のマッサージ器やら震える楕円のついたピンクのアレやらが乱雑に詰め込まれた段ボールを蹴りのけ、僕は受付へと向かう。

 

 懐からチップを取り出したところでモニターの左上、ラブホテルの出入り口付近の映像に長身の女性が映りこんだ。艶めく長い髪をたなびかせ、何憚ることなく堂々と歩いている。

 作戦は順調らしく、僕が安堵していると、

 

「!」

 

 ──この野郎。ピースしてやがる。

 

 画面にはカメラに向かってブイサインをするお嬢の姿。

 

 僕は肩を竦めながらPCにチップを差し込んで、前後一時間の映像記録を塗り替えた。

 

    ◇

 

「うい、お疲れ」

 

 その声と同時に僕の頬にひたりと冷たい何かが当たった。僕が立ち上がり振り返ると、そこには缶コーヒーを片手に僕に微笑みかけるお嬢の姿があった。

 

 肩甲骨の辺りまであるさらりと長い黒髪に、制服のブレザーと白いシャツ、そして足首が隠れるくらいに長い制服のスカート。

 切れ長の二重と、すっと通った鼻筋、そして白磁のような肌。怖気すら感じるほどの彼女の美貌は、彼女が彼女でなかったのであれば、それだけで食っていけるくらいには整っていた。

 

 箕土路(みどろ)蒼青(そうじょう)。それが僕がお嬢と呼ぶ彼女の名前だ。

 

 僕はお嬢から缶コーヒーを受け取ると礼を言ってプルタブを開ける。

 

「お疲れ」

 

 そう言いながら僕は彼女の缶コーヒーに自身の缶コーヒーを当てた。

 

 僕らが待ち合わせた場所は駅前アーケードを抜けた先にある自然公園、その真ん中にある噴水である。この場所はこの街の中でも比較的安全なエリアで、女学生が一人で歩いていても襲われることは滅多にない。

 今だってミナミに行けばすぐにでもカツアゲされそうなおじいさんが呑気にランニングをしている。

 

 僕は缶コーヒーを飲み干すと、近くにあったゴミ箱に投げ入れた。それから僕はお嬢のブレザーを脱がせ、預かっていたベトジャンを着せてあげると、彼女が顎をしゃくって何かを訴えてきた。

 

「?」

 

「髪」お嬢が短く言い放つ。

 

 ああ、なるほど。

 僕は彼女の後ろに回り込み、後ろ髪を団子状にまとめ上げた。僕が勝手にくのいちスタイルと呼んでいる髪型である。

 後ろ髪を結んだことにより自身の名前を主張するかのような青のイアリングカラーが現れる。少し汗ばんだ彼女のうなじに僕の思春期の部分が反応しかけるが、どうにか理性で抑えた。

 

「よし、じゃあ行くか!」

 

 お嬢がぐっと伸びをしながら、僕にそう告げた。

 

「どこに?」

 

「飯だよ飯。仕事の後には上手い飯だ。丁度先立つものも手に入ったしな」

 

 お嬢はニヤリと笑いながら、スカートのポケットから裸のままにお札を取り出した。ひいふうみい……二十万近くある。

 

「ほら、お前の取り分」

 

 お嬢は取り出したうちの半分を僕に渡してくれる。僕はそれを有難く受け取りながら、

 

「何も言わなかったから、しけてんのかと思ってた」

 

「ばっか、お前、うちらが標的の選定間違えるわけないだろ。私とお前の予想通り、引っかけたあいつは企業(カンパニ)で働いてる、うだつの上がらない男だったよ。お前はもっと自分に自信を持て、そして私を信じろ」

 

 お嬢が得意げに自身の胸を叩く。

 

 つまり僕らの作戦はこうだ。

 金だけ持ってそうな企業の男をお嬢の美貌で引っ掛ける。金を下ろさせて二人でラブホテルへ。部屋に入ったらお嬢が男をぶん殴り金を奪う。僕が店員の気をそらし、監視カメラの映像を消す。男は通報しようにも援助交際をしようとしていたのがばれるため泣き寝入りせざるを得ない。そもそも制服姿のお嬢の誘いに乗る男なんざ、碌な男ではないので良心はかけらも痛まない。

 

 僕らはこれを義賊(ロビンフッド)作戦と呼んで、すでに数回繰り返し一定の成果を上げていた。もちろん奪った金が貧しい子供たちの元に行くことはない。

 

「さあ、行くぞ。中華食おうぜ中華。あそこのスパイシーなとこ」

 

「ああ、ミナミの湖南料理屋ね。あそこの母体華僑系(チャイナ)だったはずだけど……」

 

「気にすんな、喧嘩売られたら殺してやるから」

 

 お嬢は呵呵と笑いながら歩き出した。この人は本当にやるから困るのだ。

 

    ◇

 

「なあ、晴臣よ。借金はあとどれくらいだ?」

 

 駅前のアーケードまで差し掛かったあたりでお嬢が振り返って話しかけてきた。

 

「そうだなぁ……さっきのラブホテルが新品でまるまる買えるくらいかな?」

 

「……そうか」

 

 そう呟きながらお嬢は腕を組んだ。

 

 アーケードは休日の昼間らしく多くの人でにぎわっていた。

 昼時なのもあって店頭で弁当や串焼きを販売している所もあり、空腹を誘う匂いがあちこちに溢れている。僕と同じ学校帰りであろう制服姿の女学生(お嬢もそうなのだが)、晩御飯の買い出しを建前に群れを作る主婦たち、絶望を煮詰めたような顔したサラリーマンなどなど、わいわいきゃいきゃいとまあ騒がしい。

 お嬢はそんな中でもアーケードの中央を突っ切るように大手を振って歩くので、彼女の顔を知らない者も、その異様さを感じ取ってか皆口を閉じ、道を空ける。ちょっとしたモーゼだ。

 

 今度は振り返らずにお嬢が口を開いた。

 

「晴臣、これは提案なんだがなぁ」お嬢が照れ隠しのように後頭部を掻く。「……お前がまたこの街を出て行かないって誓ってくれるなら、その借金私がどうにかしてやってもいいぜ」

 

 僕は思わず足を止めた。

 

 どこまでも自分優先な彼女がこんなことを言うのが衝撃なのだ。何が彼女の好感度を上昇させたのかが分からない。まだ再会して一か月だぞ。彼女に対して、遊びの誘いに乗る以上の具体的なアクションを僕は起こしていない。

 

 着いてこない僕に気付いたのか、お嬢が振り返り僕の顔を見据える。彼女の鳶色の瞳が僕を射抜く。早く何か返答しないと。

 

「どうやってさ」

 

「そりゃあお前、債券持ってる奴殺すなり、追い立ててくる会社脅すなりして、色々できることあんだろ」

 

「それじゃあ意味がないんだ」

 

 僕は断固として言った。

 

「はぁ?」

 

 僕は一歩踏み出してお嬢の手を取った。いい機会だ。彼女にも僕のスタンスを表明しておこう。

 

「つまりだよ、蒼ちゃん。僕は君と対等になりたいんだよ。借金の件まで君におんぶにだっこじゃ格好がつかない、対等じゃない。僕は、君の横に並んで立てる男になりたいんだ」

 

 お嬢が手を引っ込めようとするので、強引に両手で引き戻し、さらに一歩踏み込む。鼻と鼻が触れ合ってしまうほど接近し、まっすぐに彼女の目を覗き込む。瞬きせずに、ありったけの感情を乗せて。

 

 若い女特有の熟れた桃のような香りが僕の鼻孔を通り抜けた。お嬢の目が泳ぐ。彼女の顔面が紅潮していく。必死に何かを言おうとしているが声になっていない。

 

 こういうのには弱いのか。

 

 数秒そうやっていると、お嬢が先ほどの数倍の力で引きはがそうとしてきたので素直に応じることにした。お嬢が中腰で荒い息を沈めた後、

 

「馬鹿野郎! 往来だぞ!」

 

 君が言うのか。お嬢はすねたように口をとがらせて、

 

「……でもまあ、そういう事なら分かったよ。悪かったな、つまんねえ提案して」

 

「いやいや、お嬢が真剣に考えてくれただけ嬉しいよ」

 

 お嬢が僕から顔をそらした。

 

「当たり前だろ、お前は私の……」

 

「私の?」

 

「あ、相棒なんだから」

 

「あはは、そうだね」

 

 お嬢が舌打ちしながら再び歩き出したので、僕もそれに続く。

 

「じゃあさ相棒ついでにもう一ついいかな」

 

 お嬢が首の動きだけで先を促す。

 

「これからは義賊(ロビンフッド)作戦もやめよう。お嬢にばかりリスクを負わせるのは不公平だ」

 

「はァ? リスク?」

 

「僕らが狙っていたのはお金が余ってそうな企業の連中だろ? 腐っても企業、サイバネが入ってる可能性もある」

 

 お嬢の顔が激昂に歪む。

 

「私がそんじょそこらの奴らに負けるわけ……いや、待て」

 

 お嬢は顔に手を当て何かを考えたあと、酷く深刻そうな顔で、

 

「……お前、もしかして私を心配してくれてるのか?」

 

「もちろん。今日だって予定の時間より出てくるのが少し遅かっただろう? 僕はもう気が気じゃなくて」

 

 僕はわなわなと震えた。

 

「いやそれは、汗かいたからシャワー浴びてただけで……」

 

 ぶん殴られて気絶している人間のいる部屋で? 僕は一瞬正気を取り戻しそうになったが、どうにか白々しい演技を続けた。

 

「とにかくお嬢も女の子なんだからさ」

 

「女の子……」

 

「それとも、慣れてたりするの?」

 

「まさか!」

 

 お嬢が僕の前に出るなり、ばっと両手を広げた。それから、からかうような仕草で僕と肩を組んで、

 

「私がそんな軽い女に見えるかァ? あぁん?」

 

「ごめんごめん。それこそまさかだよ」

 

 お嬢が鼻を鳴らして笑った。

 

「わかりゃあ、いい」

 

 お嬢が肩を組んだまま、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。もちろん密着しているので肩甲骨の辺りには男には出せるはずのない柔らかい感触が、腰の辺りにはソリッドな感触があったがそのどちらにも言及しないことにする。

 

「そのよぉ、晴臣。お前の方はどうなんだよ」

 

「……なにが?」

 

「だから、あー、ほら、街を離れてた間の四年間、色々あったんだろ? 女ができるとかさ……」

 

 お嬢のそれが純粋な興味なのか、独占欲の発露なのか、判別がつかないがとりあえず素直に答えることにした。

 

「ない、ないない。あはは、僕はずっとあちこちを転々と逃げ回ってたんだ。そんな暇なかったよ」

 

「……そうかよ」

 

 お嬢が安堵の息を吐いた。口元は抑えきれない喜びで歪んでいる。

 

「んー、今日は気分がいいな。飯食い終わったらゲーセン行こうぜ」

 

「お嬢、午後から仕事じゃなかったっけ?」

 

「んなもんどうだっていいんだよ。ほら『ロイドラ』やろうぜ。あれから少しコンボ練習したんだ。今度こそボコボコにしてやる!」

 

「えー、お嬢、負けそうになったら『加速』使うじゃん」

 

「今日は使わねーって、正々堂々やるからさっ!」

 

「まあそれなら……いたっ」

 

 通行人に肩をぶつけてしまった。僕は謝るため相手の方に視線をやると──

 

 うわ。

 

「ああ、ダメだ、これはダメだ」

 

「哲っちゃん! 大丈夫かよ!」

 

「ダメだな。俺野球やってたから分かる、これは完全に脱臼してるわ。もしくは骨折」

 

「哲ちゃああん! お前、どうしてくれんだッ!」

 

 柄の悪い二人組がぎゃいぎゃいやっていた。僕がぶつかったであろう左肩を押さえた金髪坊主の男とウニみたいに髪を逆立てた男である。これは面倒くさいことになりそうだ。今にも飛び掛かろうとしているお嬢を手で制し、僕は頭を下げた。

 

「すいませんでした」

 

「いやダメだ」

 

「そうだ、ダメだ」

 

「……なら、僕はどうすれば?」

 

「ここじゃあ、ちょっと話しにくいなぁ。あっちで話そうや」

 

 金髪坊主が後ろ手で何かを掴みながらニヤニヤ笑って言った。視線の先には薄暗い路地裏。

 だらんと下げられた右腕には黒のリストバンドが巻かれている。ウニ頭の二の腕にも同じ黒のリストバンド。それにお嬢の顔知らないともなると、群れ(フロック)か。

 

「晴臣」

 

 耳元でお嬢の苛立ちがピークに達した声がした。

 こうやって絡んでこられることも二人の男に下卑た視線を向けられるのも我慢ならないのだろう。ダメだな、これはどうやっても止まりそうにない。

 

「路地裏に行ったらね」

 

 僕はそう言うと、二人組の後に続いた。

 

    ◇

 

 路地裏に入った瞬間、僕が止める暇もなくお嬢が飛び出し、金髪坊主の顔面を殴った。僕の目でも追えるくらいの速度だったのでサイバネは使っていないらしい。一安心。

 

「……殺さないでよ」

 

「わかってらァ!」

 

 お嬢は不意を打たれて倒れそうになる金髪坊主の胸倉をひっつかみ、ぐるりと腰の回転を使って地面に叩きつける。反動で少し浮いた頭をまるでペナルティキックをしてるみたいに蹴りつけた。鼻血なのか口内出血なのかは知らないが、宙に赤の飛沫が舞った。

 

「なッ……なッ!」

 

 あまりに急な暴力にウニ頭が情けない声を漏らす。

 お嬢はウニ頭に近づくとその服で拳に付いた血を拭い、脛にローを食らわせ転ばした後、つま先に付いた血も拭った。

 

 金髪坊主が震えながらも腰に手をやろうとしたので、僕はその腕を踏みつけ、腰のものを取り上げる。するとお嬢が手を上げたので投げて渡した。

 

「チッ、ベレッタかよ。しかも模造品」

 

 お嬢はひとしきり拳銃を検分した後、つまらなそうに嘆息しながら腰へと挟んだ。その際ちらりと見えた、金色に輝く拳銃はお嬢の愛銃『ガネイシャカスタム』。ウニ頭にもそれが見えたのか完全に顔が恐怖に染まっている。

 

「晴臣、どう見る? ただの半グレ?」

 

「いやぁ、そうならお嬢の顔見てなお絡んでくることないんじゃない。十中八九、群れ(フロック)だろうね」

 

「なんだそれ」

 

「あれ? そっちじゃ話題になってない? 最近裏にも手をのばし始めてる若者集団だよ」

 

「ふぅん、私会合とか出ねぇからなぁ。……おい、お前ら立て」

 

 ウニ頭は完全に腰が抜けたようで立ち上がろうにも立ち上がれない。金髪坊主も体を震わすばかりでまだ地面に伏せたままである。

 

「立てって言ってんだろッ‼」

 

 お嬢が叫びながらつま先でウニ頭の鳩尾を蹴る。ウニ頭は蹲りながら呼吸の仕方を忘れたかのように不規則に息を吐いた後、嘔吐した。

 

「汚ねえなぁ、ほら早く立てよコラァ‼」

 

 今度は金髪坊主の脇腹を蹴りこむ。一度だけでなく何度も。初めは体を丸め耐えようとしていた金髪坊主だが、それでは苦痛が終わらないことを悟ったのか、壁に縋りつきながら必死に立ち上がった。先ほどまでのニヤツキはどこへやら、大きく腫れあがった顔面には明らかに悲壮と書いてあった。

 

「並べ」

 

 一方は顔を恐怖と鼻血に染めながら、もう一方は涙とゲロで塗れながら、壁を背におずおずと立ち並んだ。

 

「私はなぁ、私と私の相棒が舐められんのが何より我慢なんねぇんだよ。お前らはそれを犯した。なら、あとはどうなるかわかるな?」

 

「ご、ごめんなさい。あ、あなた『チミドロソウジョウ』でしょう! き、気がつかなくて……」

 

 お嬢は首からチェーンネックレスを外し、拳に巻き付けた。

 

「え、は」

 

 お嬢が金髪坊主の鼻先を殴りつける。ごしゃりと骨が砕ける嫌な音がした。

 

「なんだそのだせぇあだ名は」

 

「ひっ、ひゃぁぁあああああ‼」

 

 ウニ頭が耐え兼ねたのか奇声を上げながら逃げ出そうとする。それをお嬢が足をかけて転ばせた。ウニ頭は受け身を取れずに、顔面から地面に倒れこんだ。

 

「立て」

 

 ウニ頭はピクリとも動かない。

 

「…………」

 

 お嬢が奪ったベレッタを腰から抜いて、手慣れた所作でセーフティを解除し、財布に銃口を当てながらウニ頭の耳を正確に撃ち抜いた。財布はサイレンサー代わりだろうか? もちろんお嬢の物ではない。多分、先ほどの企業(カンパニ)の男から奪ったものであろう。

 ウニ頭は耳を押さえながら地面を転げまわっている。

 

「早く立てよ」

 

 お嬢の冷たい声にウニ男が慌てて立ち上がる。潰れてしまった耳からは止めどなく血が溢れている。

 

「お前、逃げようとしたから二倍な」

 

 お嬢がウニ頭を指差して言った。

 

「じゃあ二人とも服脱げ。下着は脱がなくていい。お前らの汚いもんなんざ見たくないからな。んで財布の中身全部寄こせ」

 

 二人は競い合うように急いで衣服を脱ぎ捨て、財布を取り出し震える手でお嬢に差しだした。お嬢はそれを開いて、中身をぺらぺらと数える。

 

「合わせて十五か。まあ許してやろう」

 

 二人がほっと胸をなでおろす。

 

「じゃあ、お前ら二人殴り合え。最初はそっちの金髪からな、お前はそうだな、二十発でいいや。そっちのお前は十五発な。ほら、スタート」

 

「え」

 

「は」

 

「だーかーらー、私の代わりにお前らが自分で罰し合えって言ってんの」

 

「ゆ、許してくれるってのは?」

 

 お嬢がベレッタの銃床で金髪坊主のこめかみを殴った。膝が崩れそうになるがお嬢がそれを許さない。胸倉をつかんで壁に叩きつける。

 

「殺すのも眼球潰すのもなしにしてやるって意味だよ」

 

 ウニ頭がしゃくりを上げて泣き始める。お嬢はその足に再び銃弾を叩きこんだ。

 

「ギィ!」

 

「泣くなよ気持ち悪いなぁ。今後一言でも言葉を発する度、体の穴が一つずつ増えていくからな。あと手ぇ抜くのも禁止。はい、始め」

 

 お嬢が手を叩いた乾いた音が路地裏に響いた。その一瞬後から、殴打の音と声を出すのを必死に耐えた空気の漏れる音が聞こえだした。お嬢は踵を返して、

 

「ほら、行こうぜ。疲れちった」と振り返らずに歩き出す。

 

 そのいつも通りの口調が恐ろしかった。

 

「は、ははっ……」

 

 心は震えあがっているはずなのに何故だか乾いた笑いが出た。

 

 久しぶりに彼女が暴力をふるっている姿を直接見た。あの頃よりも数段、暴力の精度もキレも上がっている。何が殺さないでよだ。何が一安心だ。これはもう折檻と言う範囲を超えている。残虐すぎる。ただの一方的な暴行である。

 

 そうだ、そうなのだ。僕は分かっていたはずだろう。これが箕土路蒼青という人間なのだ。日常と暴力が地続きにあり、そこに疑問も躊躇いもない。暴力の持ちうる効力を最大限理解していて、なおかつ有効活用できる人間。そしてそれに目的を見出すことは一切ない。ただの手段でしかない。

 

 今だってそうだ。煩わしい日常の延長として暴力を行使した。

 

 明らかに受けた被害と加害のバランスが崩れている。度が過ぎている。

 

 僕が彼女との付き合い方を少しでも間違えればあの二人のようになるだろう。

 

 そのことが今になって恐ろしくなってしまった。

 

 忘れてはいなかったはずだ。

 彼女に再会してから何度も心にとどめておいたはずだった。

 

 彼女の名は箕土路蒼青。

 嚴禅会前会長の一人娘にして箕土路流武術の二十九代目現当主。そして松山第三ビル三十三人殺しの下手人。暴力の化身。

 

 僕は、そんな他人に暴力をふるうことを全く厭わないカス女を、心の底から惚れさせなければならない。

 

 何としてでも。

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