カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十話:衝突

 水仙と別れた後、PC解析作業の納品を行い、いくつかの営業を行っていたら、すでにどっぷりと夜も更けていた。

 匂いも色も光も、夜の装いに様変わりする街並みを傍目に帰路につく。

 

『ろくでなし』と落書きされたポストを開けると、不動産とピザのチラシの間に、便箋を発見した。

 

 それは、兄からの手紙であった。

 

    ◇

 

『晴臣へ

 

 前の手紙はちゃんと届いたか?

 

 届いていたとしたら内容はどうだった?

 

 まあ、届いていようが届いていまいが俺にはあんまり関係ないんだけどな。この手紙は俺が俺のために書いてるからな。電話でもチャットツールでも会話の方法がたくさんある時代で、自分の言葉を物体として残せるのはなんだか乙なもんだよ。

 

 晴臣知ってるか? これは同じ職場の爺さんから聞いたんだけどな、昔、それも大昔の人間ってのは手紙の良し悪しで結婚相手決めていたんだって。顔も見ずにだぜ。すごいよな。

 

 お前の方はどうだ。学校では好きな人はできたか?

 

 こっちは男所帯で女と言えば、でっぷり肥えた食堂のおばちゃんくらいしかいねえが、それでもおっさんたちにモテているんだから不思議だよ。

 

 俺がまだ街にいた頃の恋は一方通行で終わったが、それでもいいもんだったと思う。

 

 毎日浮足立ってさ、顔見るだけで嬉しくて、言葉でも交わそうもんなら飛び上がるくらい幸せだった。

 

 晴臣はどこか冷めたところがあったからな、恋とか愛とかくだんねえって思ってるかも知んねぇけど、物は試しだ、一度やってみたらいい。

 

 好きな人のために働く、好きな人のために生きる、多分人間ってのはそうやって続いてきたんだ。

 

 そりゃあ母さんのことを思えば、反論したくなるのもわかる。でもさ、母さんは最後まで幸せそうだっただろ。親父だってなんだかんだ、母さんのために生きてたとこがあるしさ。

 

 あそこまでやれとは言ってないぜ。愛のために死ぬことはない。

 

 でも折角人生は長いんだ。半分、いや三分の一くらいは愛のために使ってみてもいいんじゃねぇか?

 

 最近はそういう事考えながら働いてるよ。

 

 また、よくわかんなくなっちまったな。

 

 とにかく俺が言いたいのは、夢を見ろ、希望を持て、愛を知れ、そういう事だ。

 

 きれいごとさ。でも生きていくためには必要だ。

 

 なあ晴臣(この先は黒く塗りつぶされている)

 

 ↑気にしないでくれ

 

 晴臣、この手紙を読んでくれているのなら申し訳ないが、手紙を書けるのはこれで最後だ。

 

 何かあったわけじゃない。少し、仕事の方が忙しくなりそうなんだ。

 

 また、気が向いたら書くよ。

 

 じゃあな晴臣。いつまでも元気で。

 

 海星より』

 

    ◇

 

 強い違和感があった。

 

 前半までは分かる。この前の手紙と同じ兄の字だ。しかし、後半、黒く塗りつぶされている箇所から先、字が違う。綺麗すぎる。他人が書いたみたいだった。

 

 それに手紙が書けなくなるとはどういうことだ。

 流通経路に問題があったり、禁止されたというならわかる。本人の意思でやめるなんてことがあるのだろうか。

 

 藤代会長に会ったら、少し探りを入れよう。

 そんなことを考えながら僕はベッドに横たわった。

 

 固いベッドの感触を存分に味わいながら、呼吸を緩やかにしていく。

 少し、外が騒がしい。うっすらとサイレンの音が聞こえるが、そんなことはよくあるので気にしない。

 

 ──恋。

 

 今回の兄の手紙にテーマをつけるなら、それであろう。

 僕の状況なんか知る由もないだろうに、見透かしたかのような内容である。

 

 僕のあの三人に対する感情は決して恋とか愛とかいう甘い感情ではない。

 恐怖、畏怖、軽蔑、そんな感じである。彼女たちの見目形は残念な(?)ことに魅力的である。悔しいことに僕の思春期の部分は刺激されてしまう。

 ただそれを恋だと誤認した瞬間にすべてが終わる。

 

 僕が目的を達成するためにはそういった客観視が必要で、感情のコントロールが必須なのである。その上、それを持続しなければならないので、僕がこの人生で、恋をすることなんてないのだろう。

 

 それでも何か引っかかることがある。

 

 兄の言葉だからか。

 兄の月並みな言い方が存外心に染みたのか。

 

「……恋」

 

 呟いてみる。

 いや漏れ出てしまったと言った方が正しい。

 それは音になっていない掠れた声であった。

 

 やめよう。考えても仕方ない。

 

 僕が電気を消して、目をつむると、不意に立花の笑顔が脳裏をよぎった。

 

「…………」

 

 いや待て。

 違う。

 そうじゃない。

 

 今日、水仙と会ったからだ。

 水仙がヤクザを襲撃するとか言いだしたからだ。

 その詳しい動向について、明日にでも立花に話を聞こうと思ったから、顔が浮かんでしまったのだ。

 

 腹が立つので、僕は自身の頬を強く叩いた。目が冴える。明日も早い。馬鹿である。

 

 ベッドの下の鞄から睡眠導入剤を取り出そうと、腕を伸ばしたところで、サイドテーブルの上に置いていた携帯からけたたましく着信音が鳴った。それも緊急用の着信音だ。

 

 僕は急いで携帯をとり、相手を確認した。

 

──嚴禅会。

 

「はい、晴臣です」

 

『晴臣! よかった、出てくれた! 今からすぐに会長の家まで来てくれ! 早く!』

 

 電話口の男は、会長の家で部屋住みをしている僕と同門の男であった。

 ぜえぜえと息を切らしながら、それも捲し立てるように言ったので、いまいち内容が呑み込めない。

 

「なにかあったのか?」

 

『あった! 大変なんだよ! とにかく来てくれ! 会長の家が燃えた! それに、会長が刺されたんだよ!』

 

    ◇

 

 煤の思わず咽てしまう嫌な臭いが街に充満している。

 街のあちこちから火の手が上がっており、もうもうと立ち上る黒い煙が水に混じる墨汁のように見えた。

 尋常じゃない量の熱波が空間中を渦巻き、その余波が僕の顔面にぶち当たってくる。

 

 ぱちぱちと火が爆ぜる。

 がらがらと屋敷が傾く。

 雑踏とざわめきが鳴りやまない。

 

 嚴禅会現会長、藤代雅の屋敷は劫火に包まれていた。

 

 有志の消防団によって現在も消火活動が続けられているが、火の手が弱まることはない。

 むしろ強まっているようにも見える。

 

 炎がのたうつ竜のように暴れ、近隣の住居まで延焼させている。

 ただの火事じゃない。意図的な、それも計画的な火事だ。

 

「…………」

 

 あまりにも早すぎる。それとも、昼間の会話さえ、ミスリードだったのか。

 

 僕が悔しさに歯噛みをしていると、

 

「晴臣!」

 

 人ごみをかき分けて、若い男が飛び出してきた。

 僕に電話してきた部屋住みの男である。

 

「相川! 何があった!」

 

 部屋住みの男──相川は憔悴した様子で胸に手を当て、少し息を整えた後、

 

「わかんねえ、いつもみたいに夜番してたら、急に白く光りだして、気づいたらあちこちに火が飛び散ってた。急いで消火しようとしたんだけど、消火器でも水でも全く消えねえ、見る見るうちに火が広がって──」

 

 白い光──テルミット反応か! 

 

 火が飛び散り、消えないっていうのは油脂をゼリー状にしているからだろう。──焼夷弾、それに近いものが使われたのだ。

 未だに状況を詳しく説明しようとしてる相川を手で制し、

 

「会長が刺されたってのは!」

 

 相川がコクコクと頷き「こっちだ!」と踵を返して走り出したのでそれに続く。

 

 不意に屋敷の方からドスの効いた罵声が聞こえ、銃声がワンマガジン分鳴った。

 僕がその方向に視線を向けていると、相川が振り返り言った。

 

「内藤だ。内藤が会長を刺したんだ」

 

 内藤、相川と共に会長の屋敷で部屋住みをしていた僕と同門の男だ。

 

「なぜ」

 

「わかんねえ、捕まえた時にはもうラりってた。そんで、俺はこの街の礎になるとかなんとか喚き散らして、奥歯に隠してた薬飲んで死んだ」

 

 となると、さっきの銃声は死体撃ちか。

 やるせないのは分かるが、そんなことをしている状況じゃないだろう。

 

「ラりってたって、覚醒剤か?」

 

「いや、多分違う。完全に理性を失ってた。中毒でもない。ただ、この世界にいないような、そんな感じがした」

 

 内藤はこの前『お前が組を引っ張っていってくれたらいいのに』と呟いていた男だ。

 少なからず今の組に不満を抱いていたのだろう。

 

 それを水仙に唆され、利用されたというわけか。

 そうなると使われたドラッグはアヤワスカ……いや、もっと即効性のあるLSDを主軸に置いたブレンドと見ていいだろう。

 

 すべてが用意周到。

 そして山津波のように唐突に、そして一息に押し寄せる。

 水仙の本領、真骨頂である。

 

 相川に案内された先はポンプ車の近くにある野戦ベッドであった。

 急ごしらえらしく、枕の位置が全くそろっておらず、雑多に並べられた魚市場のようである。

 

 そのうちの一つ、医療機器の類に最も近い位置にある野戦ベッド。

 その上に苦痛に顔面を歪めながらも、起き上がろうとしている藤代雅の姿があった。

 

 ヤクザにも医者にも体を押さえられているが、それらを何度も跳ね飛ばしている。腹には包帯が巻かれていて、赤黒い血が滲んでいた。

 

 会長が鬼の形相で、血と涎を飛ばしながら叫ぶ。

 

「ここで俺がへばっていてどうなる! ここまでコケにされて、俺が寝てましたじゃ今後のメンツが立たん! 俺は死んでも行く! 死んでも殺してやるッ‼」

 

 傍らにいた紫シャツのヤクザが必死の形相で応える。

 

「ダメですって、ここであんたが死んだらほんとに終わりだ! ここは俺たちに任せて、今は休んでください!」

 

「誰に任せるって言うんだ! 下田か⁉ 鮫島か⁉ 岩瀬かァ⁉ あんなもんじゃ無理だ! 器量も度量も頭も何もかもが足りん! そもそもナァ──」

 

 相川が決死の覚悟を滲ませ、その二人の間に入り、震える声で言った。

 

「か、会長! 晴臣連れてきました!」

 

「相川、でかした!」と紫シャツのヤクザが顔を綻ばせる。

 

 会長がばっと勢いよく僕の方を向いた。

 目が血走っている。荒い呼吸をどうにか鎮めようとしている。暫しの間そうしていたが、医者に肩を押され、野戦ベッドに座った。

 そのまま会長は渋面を作って腕を組んで黙り込み、何かを考え始める。

 

「お嬢はどうしたんですか。それに尊さんは……」

 

 会長は何も答えない。代わりに紫シャツが答えてくれる。

 

「蒼青は寝てたんだ。電話で起こしたのが気に障ったのか、話も聞かずに電源を切られた。今下のもんを家まで走らせているが、あの様子じゃ協力してくれないだろう。尊君はどこにいるかすらわからない。電話すら繋がらない。少し前から誰も顔を見てないんだ」

 

 それで僕が呼ばれたのか。

 お嬢をこの場に連れてきて、協力を取り付けるための仲介人として。

 お嬢の寝起きは死ぬほど悪いので、本来なら御免被りたいが、状況が状況である。仕方あるまい。しかし、そうなってくると聞かねばならないことがある。

 

「これは誰が仕掛けたんですか」

 

 答えはすでに分かっていた。しかし僕から言ってしまうのは良くない。

 

「……群れだよ。それに街のヤクザ連中、半グレも合わせて、三分の一以上が奴らにつきやがった。だからこれは抗争じゃない、反乱だよ」

 

 三分の一、予想以上だ。

 

 昼間の中国人街奪取を儀礼(イニシエーション)と言っていたのはこれか。

 あれは外人たちに力を見せつけるためでなく、裏切りを助長させるための作戦だったのだ。

 

「あちこちから火の手が上がっていましたけど、まさか」

 

「そうだ。嚴禅会の親分連中の家だよ。そいつらも自分とこで精いっぱいで助けは期待できない。このままだと終わりだ」

 

 本当に終わりである。戦争は始まる前に終わっている。準備段階ですでに八割以上が決している。それを地で行く、そんな奇襲。

 

 とにかくお嬢の元へ行こう。

 これから何をするにしてもお嬢を連れてこないと話が始まらない。

 

 そう思って、駆けだそうとした時だった。

 僕の両肩が掴まれる。重く、そして鈍い。万力のようにがっしりと掴まれており、ピクリとも動かすことができない。

 

 その下手人、藤代雅は僕に向かって口を開こうとした瞬間、吐血した。

 

 僕のシャツが赤く染まる。

 会長はせき込み、なおも血を吐き出している。

 前衛芸術のような模様が道路に描かれた。

 

「会長⁉」相川が瞠目して言った。

 

「うるせえ! 相川ァ! 残ってる幹部連中集めろォ!」

 

 相川の肩が跳ね、すぐに走り出す。

 会長が地面に膝をつきながら、顔だけを僕に向けた。

 

「無理しない方が……」

 

「晴臣ぃ、すまねえ。……後、任せていいか」

 

 会長が緩慢な動作で地面を這う。僕の裾を頼りにふらふらと立ち上がる。口周りが赤い。傷口が開いたのか、吐血の跳ね返りか、胸の包帯に白い部分は残っておらず、真っ赤だ。

 

「任せるって……何をですか」

 

 そんなつもりはなかったが、僕の声は震えていた。

 

「この状況だよ。ひっくり返してくれとは言わねぇ、でも、被害を最小に……」

 

 会長の力が抜けていくのがはっきりとわかる。ぜぇぜぇと息が苦しそうだ。

 

 僕は近くの人を呼び、会長を再び野戦ベッドに横たわらせた。

 

「……晴臣、俺はお前に、言わなきゃならねぇなことが……」

 

 会長は微睡のなかで、蚊の鳴くような声でそう言ったきり、目を閉じた。

 胸が大きく上下していることから死んではいないのだろう。

 

 さらに大きく、屋敷が傾いた。

 ざわめきが一層大きくなる。

 オレンジと赤が溢した水のように水平に広がる。

 

「…………」

 

 会長は僕に任せると言った。──無理である。

 

 そもそも僕は今来たばかりなのだ。現状の把握ができていない。それに相手があの水仙だぞ、この後手を踏んだ状態で、逆転できるはずがない。被害を最小限にと言っても、敗戦処理なのか、打って出るための戦力の確保なのかはっきりしない。

 

 僕は会長の戯言を聞かなかったことにして、お嬢の家に走り出したところで、最悪の予感が頭をよぎった。

 

『例えば、箕土路蒼青の弱点とか』『答え合わせしたかったのになぁ』

 

 別れ際の水仙の言葉。あれは確実にお嬢の弱点に気付いていた。

 

 火、火事、熱。

 陽炎。加速。脳幹デバイス。

 探偵乃木のフォルダ。

 

「…………!」

 

 僕はここから見える範囲の火事場の位置を確認する。そして風向きを確かめる。

 頭の中で地図を思い浮かべ、考えを整理する。急速に繋がっていく思考回路の中、嫌な予感が確信へと変わった。

 

 冷たい汗が、つぅと背中を伝う。

 

 不味い。

 

 お嬢をここに呼んじゃ駄目だ。

 

「晴臣、会長は!」

 

 相川が何人かの厳めしい顔つきの男たちを引き連れ帰ってきた。

 幹部連中であろう、彼らは皆一様に、次々やってくる若い衆に対し荒々しく指示を飛ばしながら駆けてきている。

 

「倒れた。多分血を流し過ぎたせいだ。生きてはいる」

 

「それで、なんて」

 

「ここいる連中で協力して、被害を最小限に抑えろと」

 

 幹部連中がお互いに顔を見合わせる。誰も口火を切ろうとしない。

 責任は取りたくないが話を先に進めないことにはどうにもならない。状況の把握がてら、情報を整理しよう。

 

「今、この場で一番上なのは──」

 

 僕は集まった四人の顔を見回した。──末松、遠藤、下田、毎熊。

 僕は心の中で舌打ちした。

 

 今集まったメンバーはそれなりに戦えはするが、誰も暴力をメインにのし上がってきた人間ではない。

 この状況をどうにかできる──それこそまとめることすら難しそうなメンバーである。

 年齢的には一番右側に立つ、末松さんが一番上だが、彼は裏方であった。

 

「荒事担当の人たちはどうしたんですか」

 

「若いの引き連れて行ってしまった。さっきから何度も連絡を取ろうとしているが、応えないことを思うに、多分もう……」

 

 どうしてそう短絡的なのだ。

 その自信を傲慢を、水仙は刈り取るのに、なにより長けているというのに。

 しかし仕方ないところもある。彼らは水仙を知らない。水仙の恐ろしさを知らない。

 

 末松さんが顎に手を当て言った。

 

「ハル坊、お前は早くお嬢を連れてこい。そうしたら──」

 

「無理です。それこそ罠ですよ。火をつけ回っているのも、襲撃も裏切りもミスリード。すべてお嬢を潰すための誘導です」

 

「なぜそんなことが言い切れる」

 

「お嬢のサイバネは使用に当たって、大量の熱を発する。脳幹デバイスの冷却のためです。今現在、火事によって温度が上がっている。長いこと戦うとオーバーヒートしてしまう。それに風向き、南から北に吹いてきているでしょう。火事の位置と風向きから、中央広場に追い立てるように設計されている。そこで待ち構えられてますよ。お嬢の弱点は開けた場所です。サイバネ、『加速』が使えない状況で飽和銃撃されたらお終いだ」

 

 はっきりと断言できる。水仙はこの状況を、お嬢を潰すためだけに仕掛けた。

 

「それじゃあ、どうする」

 

「指揮系統整え直して、待ち構えているであろう中央に陽動をかける。背後から奇襲で痛み分けを狙いましょう。向こうは素人、士気が高くても、本物の暴力には慣れていない」

 

「無理だ」

 

「なぜ」

 

「内藤の件といい、向こうさん、死兵がいる」

 

 その時、遠くで爆発音が鳴った。悲鳴が上がる。音からするにパイプ爆弾。

 

「…………っ」

 

 僕は何かを言おうとしたが、声にならない。もとより内容なんてない。

 

「これだ」

 

「……自爆」

 

「向こうさん、一般人なんだよ。誰が敵で、誰がそうじゃないかの判別ができない。やじ馬に紛れて近づいてきて」末松さんが握りこぶしを開く。「ドカンだ」

 

 判別のつかない死兵。

 これじゃあ、まとまった数での作戦行動がとれない。ただでさえヤクザは目立つのだ。その上サイバネで武装しているのだ。こちらからの判別は実質不可能、向こうからはすぐに見つかる。これじゃあ陽動の前に全滅だ。

 

 僕は感情を噛み殺して、大きく息を吐く。

 

「数。今こっちが動かせる数は」

 

 末松さんを中心に、幹部連中が言葉を交わす。

 

「……五十だ」

 

「は?」

 

「今、すぐに、それもまともに戦えるのが五十だ」

 

 少なすぎる。そんなの今の九条にすら勝てない。

 

 詰み。詰んでいる。投了。チェックメイト。

 

 頭が真っ白になる。思考が鈍い。冷や汗が止まらない。

 

 ここでヤクザが負けたらどうなる。

 あの水仙だ、幹部連中は生かしておかないだろう。反逆の目も完全に摘むだろう。

 

 兄は、海星はどうなる。

 兄が今いる場所を知っているのは、会長と一部の幹部連中だけなんだぞ。その幹部連中だって、今どれくらい生き残っているか。

 

 僕に何ができる。何をすればいい。

 

 均衡。

 水仙は今日に賭けてきている。お嬢を潰す手の内も割れた。裏切りと奇襲も、対策さえすれば、今日ほどのインパクトはない。だから今日さえ凌げば、時間はかかるが元の状態に戻る。均衡を取り戻せる。

 

 希望的観測である。しかし、その程度の希望も持たずに、何もできるはずがない。

 僕は顔を上げ、言った。

 

「何か、他に方法はッ!」

 

 全員が僕から目をそらした。

 

 何で? お前らの組だろ? なぜ頭を回さない。なぜ諦めている。

 

 相川がほとんど泣きそうな顔で言った。

 

「お前こそ、何かないのかよ」

 

 その声を皮切りに、全員の顔が、目が、僕を射抜いた。

 

 ぞわりと総毛立つ。

 

 期待、それに縋るような目つき。彼らは僕を見ていない。僕の父の影を見ている。

 

 ここにきても、親父かよ。クソッタレ。

 

「なあ、晴臣ぃ……」

 

 そんな情けない声を出すなよ相川。

 ヤクザだろ。面目を保てよ。メンツを守れよ!

 

 僕はヤクザの味方をするのか。水仙と敵対して。それならば、負け戦に加担するくらいならば、水仙の側についておけばよかったじゃないか!

 僕はチャンスを不意にした。

 

 視線が刺さる。

 視線が刺さる。

 どうにかしろと、五寸釘のような視線が僕に突き刺さる。

 

 過呼吸。吐き気。落涙。

 それらを押さえて、僕は手繰り寄せるように、言いたくない言葉を、どうにか、汲みだして──嫌だ──言った。

 

「……………………ないことは、ない」

 

 ああ、言ってしまった。

 

 もう取り消すことはできない。

 

 こいつらのことなのに、代償の支払いは全部僕に来るようなそんな方法を選択してしまった。

 

 結局ここでも僕は臆病なだけだ。未来の想像ができないので、何かあった未来が怖いので、現状の均衡に縋ってしまっている。崩れてしまった砂の城を、どうにか建て直そうとしている。不可逆なのに。不可能なのに。

 

 哀れだ、哀れ過ぎる。

 

 幹部連中の雰囲気が弛緩する。死ね。

 

 僕は、震える手で携帯を操作し、大きく深呼吸してから、リーナに電話をかけた。

 

    ◇

 

 暁に降った、梅雨の最後のひと絞りのような豪雨は、あれだけ燃え盛っていた街中の炎を、あっけなく消し去った。

 

 これも水仙の計算のうちだったのだろうか、今となっては考えても詮無きことである。

 

 僕は今、ゲロと血と薬莢と燃えカスが残った街を歩いている。

 今踏んだ液体が、血だまりなのか水たまりなのか判別がつかない。

 

黄金の矢を射る者(クリューセーラカトス)』。

 リーナが派兵してくれた部隊の名を、そう言うらしい。

 

 八眼式の暗視ゴーグル。黒曜石で出来た鎧のようなソリッドな戦術(タクティカル)ジャケット。背中に取り付けられた、機動バックパックからは四本の自在腕が生えており、全体的なシルエットは蜘蛛に近い。

 

 それが大型軍用ヘリから懸垂下降(ラぺリング)しているもんだから、蜘蛛というイメージに拍車をかけている。

 

 リーナ曰く、アルテミス・ディフェンス・サービスの実験部隊にして、リーサルウェポンらしい。最高峰のポテンシャルを持つ肉体を選抜し、サイバネによる強化、調整を施し、採算度外視の先鋭的装備を与えているという。

 

 実際、鎮圧作業は瞬く間に終わった。

 

 空からのピンポイント爆撃、降下、制圧。

 

 群れの荒事担当、九条組は持ち前のサイバネ武術を発揮する前に徹底された作戦行動に蹴散らされた。

 

 ヤクザが暴力のプロならば、奴らは戦闘のプロである。

 

 そして、僕が負ってしまった、代償もとてつもなく重いものとなってしまった。

 

 金で済めばそれでよかった。請求はヤクザにすればいいのだから。

 

 しかし、リーナが電話口で僕に要求したのは、もっと抽象的で、含みを持たせたものであった。

 

『じゃあ先輩、私のお願い、何でも一つ聞いてください』

 

 これの何たる恐ろしいことか。セックス程度で済んでくれと、切に思う。

 

 とにかく疲れた。空が白んできている。朝だ。もう朝だ。

 今からだと一時間程度しか眠れないだろうが、このまま一睡もしないよりもましである。

 

 繁華街からアパートに抜ける近道の路地裏。僕は壁に手をつきながらふらふらと歩く。

 

 前方に人影が見えた。

 

 小柄なシルエットが、壁にもたれながら、明らかに僕に向かって手を挙げた。

 

「……鮎川君」

 

 それは立花であった。

 

 一瞬、心が喜色に染まりかけるが、そんなことはありえない。

 朝焼けに照らされ、立花の表情が見えた。ひどく深刻そうな顔をしている。

 

「何も聞かずに今すぐ逃げてください」

 

 なんだって? 疲労と寝不足で頭が回らない。

 

「時間がありません。逃げてください」

 

「どこにだよ」

 

「できれば街の外。そうじゃなくてもなるべく人の多いとこ。生徒会長が──」

 

 立花の右ポケットが震えた。彼女が画面を確認すると、苦い顔をした。

 

「ダメだ。もう遅い。……すいません、あたしにはもうどうすることもできません。あたしから言えることは一つ。どうか心を強く持ってください」

 

 立花はそう言ってかぶりを振ると、するりと僕の隣を通り抜け、どこかへと去って行ってしまった。

 

「…………」

 

 今すぐ逃げろ。生徒会長。

 

 一気に目が冷めた。全身に恐怖が駆け巡る。

 

 水仙が、僕を、探しに来ているのか。

 

 もう遅い。もう遅い。もう遅い。

 立花の声が脳内で反響する。

 

 逃げなければ。立花が言うのだから、今からアクションを起こしても遅いのだろう。

 しかし、何もしないという事はできない。心がそれを許さない。

 

 僕が踵を返したところで、それはやってきた。

 

 足音。三つ。前方から。

 足音。四つ。後方から。

 

 囲まれている。

 ここは狭い路地。逃げ場はない。

 傍らにあったドアノブを回してみるか、錆びついていて動かない。

 

 そして唐突に香り立つ、冷涼なジャスミン。

 

「いやー、負けた負けた。なんだよあの特殊部隊。強すぎ。あはは、やられたなぁ」

 

 昼間の姿と一切変わらない水仙が姿を現した。

 生徒会長然とした制服姿、あちこちに跳ね返ったくせ毛をくるくる弄びながら現れた。

 

 無遠慮にカツカツとローファーを鳴らしながら、僕に近づいてくる。

 その後ろに控えるは薄汚れた群れの幹部。振り向くと同じような姿の四人の幹部。

 

 どうする。戦うか。

 グロックの模造品と箕土路流で、この人数なら。

 

 僕は腰に手を伸ばしたところで気づく。

 幹部の数人は先ほどの戦闘で使ったであろう長物を持っている。カービンにアンダーバレルショットガンが取り付けられた奴。リーナのとこの特殊部隊が使っていた奴だ。奪ってきたのか。

 

「おおっと、抵抗はしない方が良いぜ。別に殺そうってわけじゃないんだ、うん」

 

「じゃあ、なぜだ。なぜここに来た」

 

 水仙が自身の下唇に人差し指を当てて言った。

 

「腹の虫がおさまらないからさ」

 

「はぁ?」

 

「これでもボクは楽しみにしてたんだぜ。ハル君がこっちにつかないんだからさ、じゃあ敵対するわけだろ。ここまで結構準備したんだ。覆せるわけがない。それを君が奇策を講じて覆す。それを期待してたんだが、あれじゃあなぁ」水仙が肩を竦めた。「外に助けを求める。誰でも思いつく方法だよ。つまんないよ。くだんないよ。期待外れだ」

 

 水仙が僕の間合いに入る。彼女の身に纏う失望が僕を絡めとる。動けない。

 

「ん、やっちゃって」

 

 水仙が幹部連中に短く指示を出す。

 僕は後ろから迫ってきていた二人の幹部に羽交い締めにされる。

 腰を使って、重心をずらし、投げ飛ばそうとしたが、額に固く冷たい感触。

 

 水仙が拳銃を僕に突き立てていた。

 

「暴れないでよ」

 

 背後から伸びてきた手に、口を開かせられる。小さなアンプルが傾けられ、無色透明の液体が僕の口に入る。反射的に吐き出そうとしたが、口を手でふさがれ、呼吸を封じられた。

 

 僕は水仙を睨む。水仙は軽快に笑う。

 

 ごくりと、僕の喉が鳴った。

 

 解放され、自動的に僕の体が酸素を取り込む。僕は跪き、せき込んだ。飲んでしまった。水仙の何かを。

 

「なにを」

 

「リゼルギン酸ジエチルアミド。つまり──」

 

 LSD。

 

「そういうこと。色々混ぜものして、すぐ効くようにしてるけどね」

 

 水仙がニタニタ笑いながら、くるくると回る。

 

「罰さ。君がボクを失望させたことの罰。償いをしてもらう。あ、LSDを飲ませたことじゃないぜ。それは君を無抵抗で運ぶための手段さ。まあ最も君の受ける罰は、捉えようによってはご褒美かもしれないけどね」

 

 景色が歪み始める。

 視界の端からキノコが映えてきて、それが視界を極彩色に変えていく。

 思考が千々に乱れ、因果と論理が乖離していく。不気味な多幸感と吐き気が胃の奥から上がってきて、吐いてしまいたいような、留めておきたいような、兎に角、今は一刻も早く死にたい。

 

「じゃあね、ハル君。また後で会おう。今は暫しのいい夢を。そして良い旅を、楽しんで」

 

 そして、僕の世界が一変した。




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