カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十一話:幻視幻惑

 目覚めるとそこは……いや、これ目覚めてんのか?

 

 瞑想、幻想、神秘体験、もしくはトリップ。現状が把握できない。

 

 僕の周りに広がっている光景を描写すると、クレヨンで書かれたような木と地面と空があって、にっこり笑顔がついた太陽と雲があって、遠くにはやけに重厚な城が見える。

 子供の作った絵本みたいだ。

 

 そんな牧歌的? 幼稚的? な風景に反して天井(空は天幕のようなものだった。今気付いた)からは首吊り自殺用のロープが大量に釣り下がっていて、油断するとすぐにでも僕の首に絡みつこうとしている。魚から見る釣り糸ってこんな感じなのかなと、少し笑えた。

 

 それにしてもなんて清々しい気分なんだ。

 

 ポカポカ陽気と肌を撫でる心地よい風にセロトニンが分泌されているのだろう。多幸感に満ち満ちていた。こんな気分、ここ数年味わったことないっ!

 

 永遠にここにいよう。永住しよう。住めば都。都落ち。

 

 ていうかなんで僕はここにいるんだっけ? 夢? ……あ、そうか。そういえば水仙(ファーストキスの相手! ←重要。足にキスは例外)にLSDを摂取させられたんだっけ。

 

 じゃあこれ、セロトニンじゃないじゃん。偽セロトニンじゃん。

 

 リゼルギン酸ジエチルアミドが血液脳関門を突破してセロトニン受容体を刺激してるだけじゃん。

 

 なーんだ。がっかり。

 

 僕はがっかりとした。そしてぽっかりと空いた心を埋めるため、なにかうっとりするくらい良いものをおっもいうっかべ(※)ようとした。

 

【※発音遊び。やらない方がまし。一応説明しますと、がっかりとぽっかりとうっとりがあるから促音を重ねたら面白いんじゃないかと思ったのです。これは所謂ジョークの説明とカエルの解剖は同じってやつで、カエルを解剖したらカエルのことはよくわかるけどカエルは死ぬってやつです。分かりました? え、わかりにくいって? ……じゃあ一応説明するとこれはカエルとジョークを同一視しているわけですね。ジョークの説明をするとジョークのことはよくわかるけど、ジョーク自体は死ぬよって言ってるわけです。え、ジョークは生物じゃないからって死なないですって? いやまあそれはそうなんですが(以下永劫回帰なので割愛)】

 

 すると視界(僕の目の前という意味)に突如としてフラクタル構造が現れた。

 

 WOW! AMAZING!(管理人さんここはHG創英角ポップ体でお願いします)

 

 神がそこにいる。僕はそう確信した。

 

 え、神ってロマネスコに相似なん?(←似非関西弁。発音が違う。処すべき)

 

 その宙に浮いた──スイカ(メロンでも可)くらいのサイズの──メタリックロマネスコが僕に話しかけてきた。

 

 ──あなたは神の実在を信じますか。

 

 その声は泉の女神的なエコー掛かった荘厳な声だが、半笑いなので台無しである。

 

 ──あなたは、ぶふっ、神の実在を信じますか。

 

 吹き出しちゃってるし……。

 

 まあいいか、仕方ない。お約束通り僕はこう言った。

 

 お前は誰だ!

 

「じゃじゃーん、あたしでーす」

 

 現れたのは立花だった。

 それも近くの草むらから現れたのだった。

 

 え、じゃあこれは?(僕はロマネスコを指差しながら問う)

 

「なんですかこれ。知らないです。あっち行け」

 

 立花がしっしとロマネスコを追い払う。ロマネスコはどことなくさりげなくがっかりした様子でふよふよと去っていった。

 

 えぇ……。

 

 まあいいか、兎に角(←漢字にすると厳つい)今は聞かなければならないことがある。立花の格好についてだ!(だ、だ、だ、だ、だ←エコー)

 

 立花はいつものような制服姿ではなく、紫とピンクの横縞ニットを着ている。それに猫耳カチューシャ。……チェシャ猫?

 

「ほら、ここは鮎川君の内面世界ですよ。つまり不思議の国の案内役ってことで」

 

 不思議の国のアリスの案内役は兎だろ。あの時計持ってる奴。

 

「えー、それも違くないですか。でもまあいいか」

 

 立花がくるんと一回転すると衣装が変わった。次は白バニーであった。

 

 ……なにそれ。

 

「可愛くないですかぁ?」

 

 いっちょ前に谷間なんか作ってやがる。

 眼に毒だ。やめろ。

 

「えー、ひどいなぁ」

 

 立花がくすくす笑いながらもう一度回ると、今度は青のエプロンドレスに変わった。

 

「こんのぉ、ロリコン! ドジソン!」

 

 僕はロリコンではない。そもそも自身の性的嗜好を表明できるほど探求していない。

 

「じゃあドジソンの可能性もあるじゃないですかぁ」

 

 ドジソン(ルイスキャロル)先生をロリコンの代名詞にするな。ああもう。僕は話が進まないので話を進めることにした。

 

 話を進める!(←コマンドを選択した的な?)

 

「わお、強引。話を進めるも何も、ここに物語なんかはありませんよ。鮎川君の内面世界なんですから」

 

 あれ? そうなの? なんかあるんじゃないの? さっき神みたいなの出て来てたし、立花だって神の実在を聞いてきてたじゃないか。

 

「あれは雰囲気ですよ。アヤワスカってそういうイメージありません?」

 

 じゃあ自分との対話は? 別人格(オルターエゴ)が出てきて、本当の自分を知るとかは?

 

「本気で言ってます? あんたそんなん信じてないでしょうが。ここはあなたの世界。あなたの認識以上のことは起きませんよ。ほらLSDが脳にどんな影響を及ぼすのか言ってみてくださいよ」

 

 大脳新皮質第五層が活性化して、後帯状皮質が鎮静化する。前者は知覚に混線を生じさせ、後者は自我の消失による神秘体験を生じさせる。

 

「ほらみろ」

 

 なにが。

 

「LSDを科学でとらえている奴が、神秘体験を求めるなってことですよ!」

 

 矛盾してない?

 

「うるさーい! とにかく行きますよ。今から鮎川君の深層に潜っていくんですから!」

 

 嫌だ。行きたくない。

 

「なぜです?」

 

 どうせカス共が出てくんだろ。鬼とか悪魔とかの姿になって。分かってんだよ。今気分がいいからLSDが抜けるまでここにいる。わざわざトラウマと向き合いたくない。

 

「まあ別にそれでもいいですけど」

 

 立花が呆れながらも僕の隣に座ってくれる。なんかこいつには助けられてばっかりだな、なんて思いながら彼女の横顔を見ていると、

 

「なんですか? セックスでもします?」

 

 しない。

 

 だってお前、僕が作り出した幻影なんだろ? そんなんとセックスしたって、自慰と何が違うんだ。

 

「じゃあ、本物のあたしとは?」

 

 …………。

 

「顔真っ赤ぁー」

 

 立花がついついと僕の頬をついてくる。

 

「でもまあ、わかってると思いますけど、あっちに帰ったらすぐにでもできますよ」

 

 何を?

 

「性行為」

 

 誰と?

 

「かまととぶっちゃってぇ。もちろん生徒会長ですよ。鮎川君現在進行形で絶賛監禁中。会長ニヤニヤしながらトリップ中の顔覗いてますよ、ほら」

 

 立花が空を指差した。

 そこには大きなスクリーンが浮かんでおり、ドアップの水仙の顔が映っていた。

 

「現実の視界です」

 

 うわ。

 消せ消せ。逃避させろ。

 

「はーい」

 

 立花がウィンクすると空の様子が変わった。今度は人の顔がぎっしり詰まった空になる。悪趣味。

 

「鮎川君の罪悪感ですよ。はいこれ」

 

 立花が包子(パオズ)を渡してくれた。

 

「人の顔見ながら食べる包子も乙なもんですよ」

 

 僕たちはそのまま、包子を食べた。包子はいくら食べても無くならなかった。

 

 そのまま二億六千五百十三万年飛んで二十六秒もの時間が過ぎた。

 

 僕たちは今だ包子を食べきれないでいて、空は極彩色サイケデリックに染まっており、周囲の木々はお坊さんに代わっていて南無妙法蓮華経第三楽章『ハ長調:ビューティフルライフ』を唱えていた。

 

 その頃の僕は大学院生で、立花はカメだった。

 

「落ち着きました?」

 

 これ以上ないくらいに。

 

「じゃあ今から、厭世的で衒学的で思弁的で論理的で共産主義的でついでに性的な話しますけどお覚悟はよろしおす?」

 

 どんとこい。

 

「どっちです?」

 

 どっぷりたっぷり来ていいぜ。

 

「巨乳のメタファー?」

 

「まさか」

 

 わ、喋った。

 

「僕は人間だ。お喋りくらいできる」

 

「うそだぁ。あんたもう化け物ですよ、ほら」

 

 確かに僕は化け物に変わっていた。容姿がではない、心がだ。

 

「結構抜けてきましたね」

 

「垢が? ありがと」

 

「前言撤回」

 

「それでなんだよ、話って」

 

「ここはあなたの世界です。あなたが話したいからあたしを生み出した。そこまではOK?」

 

「おっけー」

 

「じゃあ話しましょう。あなたが一番、疑問に思っていることを。あなたが一番触れられたくない話題を」

 

 舞台が星降る夜に切り替わった。

 

「鮎川君は結局何がしたいんです?」

 

「……なんだって?」

 

「ずっと誤魔化してきたでしょう。自分も他人も」

 

「借金返して兄を助けて、カス女ども従えて、街のルールを塗り替える」

 

「何のために?」

 

「そりゃあ、誰からも奪われないためにだよ」

 

「誰があなたから、何を奪うって言うんですか」

 

「企業とか、ヤクザとか……とにかく他人がだよ。そいつらが資本だの、尊厳だのを奪いに来るんだ。僕はこの街の構造自体を変えて、奪う側に回らねばならないんだ」

 

「嘘つきぃ」

 

「本音だよ」

 

「ほんとはそんなことこれっぽっちも思ってないくせに」

 

「お前に何が分かるんだ」

 

「何でも。あたしはあなたが作り上げた立花涼音ですから」

 

「…………」

 

「黙るなよ。人間気取りやがって、ホントはお兄さんのことも街のことも、もっと言うと自分のことだってどうでもいいんでしょう。生きるために目的作ってるだけだ。いや、生きることだってどうでもいいんだ、あなたは。ただ、自分がどこまでできるのか試したがってる。あんたが持ってる素晴らしい武器が今のどん底の状況でどこまで通用するか知りたいだけだ。それにもっともらしい大義名分掲げて、不幸面して、足掻いて、さぞ楽しいでしょうね」

 

「違う……とは言い切れないな。お前の言うことも一面切り取ってみると正しい。しかしだぜ、それは負の側面ばかり見すぎだよ。穿ち過ぎだ。僕が兄の言葉に心動かされたのも確かだし、どん底から這い上がってやろうと奮起して生きているのも本当だ」

 

「開き直りですね。誤魔化しだ」

 

「しかし、それが人間だよ。言い訳拵えて、どうにか生きてる。生きねばならない」

 

「……まあ今はそれでいいとしましょう。それじゃあもう一つ聞きますが、あなたが本当にやりたいことは何ですか。例えばの話です。この街がこんなんじゃなかったとして、世界が平和だったとしての話です」

 

「……考えたことなかったな」

 

「考えてください」

 

「そうだなぁ、なら、普通に学校生活をしてみたいかも」

 

「というと?」

 

「僕はさ、恋愛というものを知るために結構な数のラブコメを読んだんだ。名作と言われる旧時代の奴。そこではさ、日本は分裂してないし、サイバネなんてのもないんだ」

 

「想像できませんね」

 

「お嬢はただの反抗期のヤンキーで、水仙はマゾっ気のあるただの生徒会長、リーナだって親が金持ちなだけのただの箱入り娘。どうだ、面白そうだろ」

 

「あたしは?」

 

「うーん、スクープを追う新聞部員ってとこかな」

 

「んふふ、そりゃあいいや。……それにしても普通ですか。生徒会長と同じこと言ってますね」

 

「あいつのはこの世界での普通の話だろ。僕のは平和な世界での話だ。お前がその仮定で話せって言ったんだろ」

 

「まあそうですが」

 

 そこで沈黙が虫唾のように走った。その虫唾は僕の全身を発射台に空まで飛んで行って、星空をガラスのように打ち砕いた。ガシャーンと痛快な音が響いた。その音は反響して、一つのコードになった。エフマイナーセブンス。エモく物悲しい響きである。

 

 破片が流星群のように降ってくる。空の外からは、無機質な部屋が覗いている。

 

「……んじゃ、そろそろですね」

 

 立花が立ち上がって(いつの間にか元の制服姿に戻っている)、スカートの土を払った。

 

「そろそろか」

 

 僕は名残惜しい気持ちを振り払って、立ち上がった。

 

「じゃあ、あっちでも元気で。現実のあたしが言ったように、気を強く持て、ですよ」

 

「ああ、わかってるよ」

 

「それと、楽しもうと思えばなんでも楽しめる、それも忘れてはいけません」

 

「うん」

 

「あと、恋のことも」

 

「多いな」

 

「自分を律する言葉は多ければ多いほどいいんです」

 

「物は言いようだ。他には?」

 

「じゃあ一つだけ。──グッドラックベイベッ!」

 

「助言じゃねえじゃん」

 

 

    ◇

 

 僕が目を覚ますと、そこはマンションの一室であった。

 

 八畳ほどのワンルーム。

 四方を囲む壁は冷たく乾いた打放しのコンクリートで、家具の類も最低限しかない。目立つのは窓側に面した机の上にあるディフューザーである。この部屋が妙に甘ったるいムスクのような香りに満たされているのは、あのこぽこぽ白い煙を吐き出す装置のせいだろう。

 

 僕が寝かされていたのは病院なんかにあるようなパイプベッドで、意外なことに拘束はされていなかった。

 

 妙にすっきりした目覚めである。病み上がりのような、サウナ明けのような、寝坊したときのような、そんな目覚め。

 

 窓にカーテンは取りつけられていなかったが、部屋は薄暗い。外の様子からも今が夜だってのは分かる。ぼんやりとした月光と侘しい街灯の明かりだけが僕の実在を証明してくれた。

 

 一日、もしくはそれ以上寝ていたのか。

 

 朝、学校前にしなければならなかった配達の仕事のこと考えると、頭が痛くなる。どうやって言い訳しようか。僕が頭を抱えていると、

 

「仕事ならうちでやっておいたよ」

 

 声の方向に振り返ると、女のシルエットが目に入った。

 

「……水仙」

 

 湯気の立つ二つのカップを持ちながら現れた水仙は、いつもの制服姿ではなく、ブラウスにスカートという、まるで年ごろの娘のような恰好であった。

 

 それが本当ならありがたい。あの配達はそれなりに危ない橋なのだ。

 

 水仙が僕にカップを渡してくれる。中身は黒い液体。香りからするに多分コーヒー。

 僕が疑った目で見ているのに気付いたのか、水仙は自分の分と僕の分のカップを取り換え、ずずと啜った。

 

 水仙が僕の隣に腰を掛けながら言った。

 

「流石に何も混ぜてないよ」

 

 どの口が言ってんだ。そんな言葉はコーヒーと一緒に呑み込んだ。

 

「どうだった? いい夢は見れたかい? いい旅だったかい? ハル君、最初の方はゲロ吐きまくってて大変だったけど、それが収まると、良い具合に落ち着いてたぜ」

 

 僕はトリップ中のことを思い出そうとしたが、それこそ夢のように不確かで、捕まえることができなかった。残るのは長い時間を過ごしたっていう喪失感と、何に由来するかわからない寂寞。

 ──旅。ドラッグによる体験をそう称したくなる気持ちが少しわかった。

 

「水仙はやったことあるのか?」

 

「もちろん」

 

「どうだった?」

 

 水仙は「そうだなぁ」を引き延ばして、少し考えこんだ後、

 

「一言で言うなら、悪くはない、かな。ボクの場合は、映画館に縛り付けられて、文脈も意味もない映像をひたすら見せられていた感じだった。調整もしてみたんだけど、どうやっても同じ感じ。それでも多幸感はあるから、悪くはないんだけど、あれやるなら大麻やって理性残したまま、普通に映画見るかなぁ」と照れたように笑いながら言った。

 

「……僕もそうだ。悪くはない。感想はそれに尽きるなぁ。人生全部やりつくして、何もやることなくなったらやってもいい、そんな感じ」

 

 数やれば変わるのかもしれないが、そんなことやっている暇はない。

 

 僕はコーヒーを飲み干して水仙に向き直った。

 

「それで、僕はここで何やらされんの? 監禁?」

 

 水仙は肩を竦めて、軽く笑った。

 

「まさか。そんな趣味、ボクにはないよ。君は自由にして、好きに動いてもらっていた方が面白いしね」

 

「僕が民間軍事会社(PMC)使ったらキレてたじゃん」

 

「PMCは問題じゃない。ハル君が、企業のお姫様に頼ったのが問題なんだ」

 

「違うな。これは蒼青を潰せなかったことに対する八つ当たりだ」

 

「うん、そうだよ。それもある」

 

「…………」

 

 断言されると何も言えない。

 

「バレてしまったのなら正直に言おう。君をここに連れてきた主な理由はその二つだ。もちろん、せっかく準備したのを、退屈に崩されたってのもあるけど、それだけじゃちと弱い。僕の怒りの根源は邪魔者を排除できなかったこと、そして君がこれからお姫様に支払うであろう対価のことだよ」

 

「対価ぁ?」

 

 僕はシラを切るように言った。これから水仙がしようとしていることが分かってしまったので現実逃避である。

 

「セックスするんだろう? あの女と」

 

 水仙の瞳がギラリと光った。その光に含まれる感情を読み取ろうとしたが、様々な情念が複雑に入り乱れていて、言葉にできない。

 

「……だったらなんだよ」

 

「だから、先にボクがやっちゃおうと思って」水仙が立ち上がる。「ここに呼んだのさ」

 

 そこで僕は違和感を覚えた。

 彼女の動作による香気成分の拡散。いつものようなジャスミンとローズマリーの冷涼な香りはせず、代わりに少し粉っぽい匂いがした。

 

 化粧。

 

 アイラインが引かれている。チークが塗られている。うっすらと紅が引かれている。

 

 引き算の美学。しっかりとした技術である。いやらしくなく品があって、格調高い。

 

「ああ、気づいたかい。これは群れにいるオシャレな娘にやってもらったんだ。メイクなんて初めてやったが、こんなにも変わるもんなんだね。それに服。これも見繕ってもらった」

 

 水仙が見せびらかすようにくるりと回る。

 

「もちろん、この下も」

 

 水仙がブラウスのボタンに手を掛けて、嫣然に笑う。

 僕はその顔に恐怖を感じた。要素だけで見れば恐ろしいことなど何もない。理由なき恐怖。まるで上位の捕食者に目を付けられたような、そんな感情。

 

 ぱち、ぱちと水仙がボタンを外しはじめる。心なしか息が荒い。頬が上気している。

 

 デコルテが覗く。綺麗な形をしたへそが存在を主張し始める。

 

 動けない。目を離すことができない。恐怖と本能、その二つによって。僕の思春期がじわと熱を持つ。遺伝子を次につなげと訴えかけてくる。

 

 ぱさりと、ブラウスが落ちた。

 すとんと、スカートが落ちた。

 

 下着姿。花や蝶の刺繍が入った、少し透けているブラジャー、ショーツ。ほっそりとした腰回りに、白く艶めかしい肢体。艶やか、艶やか、有り体に言ってエロい。

 

 水仙の輪郭が月光によって、強調される。女性的な膨らみ、女性的な凹み、華奢、肉付き。

 彼女は恥じらうように体をくねらせ、僕から目をそらした。

 

「そんなに、凝視されると困るな」

 

 性欲。それは僕が目標を定めてから、最も遠ざけようとしていたものである。嫌悪すらしていた。なぜこんなものがあるんだと、理性的に、論理的に、否定していた。

 

 それが今、否定された。

 

 渦巻く。激情が僕の中で渦巻き、下半身へと集まってくる。

 

 逃げなければ。ここには水仙が一人。窓だってそう大した強度じゃなさそうだ。六階以上の高さだろうが、僕ならばどうにかなる。彼女を今すぐにでも押しのけて、脱出しよう。そうだ、あの後どうなったかも気になる。後処理はうまくいったのだろうか。このままここにいるのが一番まずい。傍目からでも、群れがかなりの被害を受けたのは分かる。水仙ならばすぐに持ち直すのだろうが、今ならまだ大丈夫。しばらくはお嬢に匿ってもらおう。あの純情娘なら今のように手玉に取られることもない。早く、早く、早く、動かなければ!

 

 動けない。

 

「ハル君は、自分で脱がしたいタイプ?」

 

 僕が何も言わないことに、水仙はクスリと笑い、ブラのホックに手を掛けた。

 

 ぱさりと、ブラが落ちた。

 すとんと、ショーツが落ちた。

 

 残ったのは水仙の裸体。一切の瑕疵のない綺麗な裸体。小ぶりだがツンと張った乳房。ごくりと喉が鳴る。

 

 僕は歯を食いしばる。

 僕は内頬を噛む。

 僕は唇をかみしめる。

 僕は二の腕をつねる。

 

 ──煩悩が消えてくれない!

 

 水仙が一歩僕に近づいた。ひた。僕は逃れるようにのけぞった。

 

 水仙が悲しそうに言った。

 

「逃げるなよ……」

 

 彼女を悲しませてはいけない。

 いけないわけないだろ。逃げろよ、馬鹿野郎!

 

 水仙が更に僕に近づいてきて、僕の膝にまたがる。若い女性特有のラクトン様の香り、それに彼女の肌に染みついているのであろうジャスミンが少し混じる。部屋を満たすムスクも合わさって、大変なことである。

 

 吐息がかかる。鼻先をくすぐる。

 

 理性を呼び戻そうとするが、応答しない。

 

 僕の手が空を彷徨う。戸惑いと迷いがそこに表れている、情けない。

 

 水仙は僕を待っていた。僕の決意を、情欲を。

 

 そして、彼女はこの世で最も残酷な言葉を吐いた。

 

「押しのけてくれてもいい。ボクを押しのけて、逃げてもいいぜ。僕は追わないし、追わせない。君がどうしてもというなら、今日のことはなかったことにしてもいい。明日からはいつも通り、そのまんまの関係。さあ、どうする?」

 

 僕はカラカラに乾いた喉を酷使してどうにか発音を行った。

 

「……い、言い訳をくれよ。さっきみたいな」

 

「ダメだ。もう遅い。決断が遅すぎた。ボクにこれを言わせてしまった。だから、君は君の責任で、ボクを抱くんだ」

 

 水仙が僕に体重を預けてくる。彼女の生の感触が僕を苛む。

 

「ほら、抱けよ」

 

 水仙は勝ち誇った顔で言った。

 

 彼女に負けたんじゃない、僕が僕に負けたのだ。

 

 そうして、僕は水仙に呑まれた。呑み込まれた。呑み下された。呑み干された。

 

   ◇

 

「初めてにしてはなかなかうまくできたんじゃないか?」

 

 水仙が朝日に身を晒し、大麻を吸いながら言った。

 

 僕は灰皿に大麻の灰を落としながら言った。

 

「初めてだったのかよ、あんだけ乱れておいて」

 

「おっとぉ、情事の痴態を蒸し返すのは、マナー違反だぜぇ」

 

「お前が先に言い出したんだろ……」

 

 大麻に含有されるTHCがもたらす酩酊感と高揚感、そして多幸感が僕の罪悪感を軽くしてくれた。

 

 実際、セックス中の水仙は可愛らしいものであった。

 最初は存外しおらしく、きゅうきゅうと子猫のように鳴いていたが、最後の方は慣れてきたのか、これでもかってくらい声を出し、乱れに乱れていた。

 

 今日も学校だ。時間的にもそろそろ準備を始めなければならない。

 しかし、もう少しこの心地の良い疲労感にひたっておきたく、大麻の作用もあってか、立ち上がることができない。

 

 大麻を灰皿に押し当て、散らばっている衣服から必要な物だけを着用し、僕はベッドへと寝ころんだ。

 

「なんだ、サボるのか」

 

 水仙のその口調には責め立てようだなんて色は一切なく、彼女も僕と同じようにして、僕の隣へと寝転がった。僕の腕を枕にしようとしてきたので、引きはがす。

 

「けち臭いなぁ」

 

「うるせえ」

 

 そして、その日は一日水仙と過ごした。

 

 他愛もないことを喋り、彼女のおすすめの映画を見て感想を言い合ったり、ピザをデリバリーしてビールで流し込んだりした。そして、気まぐれに交じり合った。

 

 普通。これは彼女が望んだ一日だったのだろう。

 そしてそれは案外悪くないように思えた。

 思えてしまった。

 

 僕も易い男である。




いつもお読みいただきありがとうございます。
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なんかドラッグの話ばっかしてますね。
Te amo
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