カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十二話:自己嫌悪とスナーク狩り

 自己嫌悪。

 

 今の僕の感情を表すのにこれ以上の適した言葉は見つからない。

 

 音で言うとディミニッシュ、色で言うとアッシュグレー、香りで言うとペトリコール、そんな感じ。

 

 だから今日も学校を休みたかったのだけど、そうはいかない。このまま理由をつけ、ずるずるとサボっていったらそれこそ水仙の思うつぼである。僕は僕の意思で行動し、未来を選択する。

 

 それにしたって心と体のだるさは据え置きなんだけど。

 

 一時間目の情報科学と二時間目の電子工学の間の十分休み、ざわめきと雑踏をシャットアウトすべく、僕は机に突っ伏しながら考える。

 ヤクザ襲撃において僕が支払う、そしてすでに支払った代償のことだ。

 

 これから支払う代償。

 リーナのお願いのことである。

 彼女が言った『なんでもひとつ』は果てしなく重い。群れの襲撃から二日経った今でも、未だリーナから連絡がないことも僕の恐怖を大きくさせた。

 

 そして、僕がすでに支払った代償。

 水仙とのセックス。水仙が言うところの罰、もしくはご褒美である。

 僕にとってはそのどちらでもなかった。あえて言うなら劇薬と言ったところだろうか。

 

 僕に不可逆の変化をもたらした、劇薬。肉体上の快楽、童貞ではなくなったこと、彼女と繋がりを持ってしまったこと。

 

 ──繋がり。多分それが最も重要なのだ。

 

 肉体の繋がり、心の繋がり。

 いくら冷静に、理性的に生きていようが、ひとたび繋がりを持ってしまえば、容易に絶ち切ることはできない。実際僕は水仙のことを少し許し始めている。

 

 セックスとはすなわち、与え、与えられる行為である。そしてどちらも、与えられた(奪われた)と思う行為である。だから、金銭を解さないセックスは、それが強引なものでない限り、好意的に解釈せざるを得ない。

 

 それが、僕が今回のことで得た知見である。

 だとすれば、これは僕の新しい武器になりえるのではないのか。

 

 そんな考えが一瞬脳裏をよぎるが、具体性は帯びない。それをするためにはまだ経験が足りない。

 

 予鈴が鳴った。

 

 周囲がバタバタと忙しい。そういえば移動教室だったっけ。

 僕は体勢を変えずに、のろのろと腕だけ動かして、カバンの中の教科書を弄っていると、教室のドアが大きな音を立てて開いた。

 教室中が息を呑む。嫌な予感。そして、その下手人は真っすぐに僕の元に歩いてきている。

 

 ああ、三つ目だ。

 考えないようにしていた三つ目の代償が、音を立ててやってきた。やってきてしまった。ダダダダーン。

 

「晴臣ィ! オイコラボケェ‼ お前昨日どこに消えてやがったッ‼」

 

 耳をつんざく怒鳴り声。

 僕が顔を上げるよりも早く、首根っこを掴まれ、強制的に持ち上げられる。

 視界には、怒り心頭のお嬢のドアップ。

 

「起きたら藤代のおっさんの家が燃えてるし、ヤクザの幹部共は軒並死んでるし、お前が全部解決してるしィ! 何もわかんねぇ! 私が納得できるように説明しろ、晴臣ッ! できなきゃ殺す!」

 

 教室中が水を打ったように静まり返る。

 物音一つでも立てようものなら、すぐに殺されてしまう、それくらいの緊張感に満ちている。

 

 とす、と一番近くにいた女生徒が恐怖に顔を歪めながら、膝から崩れ落ちた。……ああ可哀想に。失禁している。お嬢の恫喝に慣れていないのなら、この反応は正しい。今日欠席が多いのが幸いである。

 

「何とか言えよ、晴臣ッ!」

 

 これはマジに怒っているな。下手な説明じゃ本気で殺されそうだ。

 

「お嬢、ちゃんと説明するから、まずは降ろして。そんで場所を変えよう」

 

 さらにお嬢の顔が近づく。怒りが限界突破して、むしろ冷たくなっている。

 

「そんなことできると思うか」

 

「思う。できなきゃ君は永遠に何も知らないままだ。もやもやしたまま今後の人生を送りたいなら、今ここで僕を殺せばいい」

 

 お嬢が値踏みするように僕の瞳を覗く。彼女の瞳孔に写るのは皮肉気な笑みを漏らした僕の顔。こうして見ると親猫に持ち運ばれた子猫みたいだ。

 

 正直、ここまで強く出るのは賭けだった。

 しかし、下手に出て機嫌を取りに行こうとする方が悪手である。

 僕はお嬢と対等、相棒。一歩でも引いた瞬間、僕とお嬢の間のバランスが崩れ、僕は殺される。失望されて殺される。下手な説明しても殺される。綱渡り。

 

 そんなことがしっかりと認識できていながら、僕はどうにも冷静だった。一線超えたせいか、一皮むけたせいか、それとも自棄なのか。いまいち自分でも判別がつかない。

 

「……チッ」

 

 お嬢が顔をそらしながら、僕を地面に投げた。

 僕は受け身を取って、そのまま立ち上がり、教室を出る。

 

 お嬢があちこちに当たり散らかすのを傍目に、僕らは屋上前の踊り場にある、机などが積み立てられた小スペースへと向かった。

 

 お嬢が僕を壁際に追い詰め、逃げられないようにするためか、壁ドンをしてくる。

 

「んで、なに。なにがあった」

 

「ああ、それは……」

 

 僕は脳内で彼女が納得できるような筋道を組み立てはじめる。──が、なんだかそれがとても面倒くさくなってしまった。

 

「…………」

 

 だって解決したのだろう。もう終わったことだろう。これはお嬢の納得の問題だ。この説明が彼女の好感度を上げることはない。マイナスになった機嫌が、フラットに戻るだけ。意味がない。めんどくさい。

 

「は? なんだよ。それは、の続きは」

 

 お嬢が眉間に皺を作り、メンチを切ってくる。

 

 急いできたのかうっすらと汗ばんだ、白磁のように白い肌。

 女性特有の桃のような香りに柔軟剤のローズが混ざっている。

 そして何より、胸。女性的な膨らみを帯びた、お嬢の胸が僕の胸に密着している。

 

 ……なんか、エロいな。

 

 一度、淫蕩に身をやつしてしまったせいか、やけに情欲がこみあげてくる。

 有り体に言って、むらむらする。

 

 目の前のお嬢は、黙りこけた僕に怒っているのか、またぎゃあぎゃあと喚き始めた。ほっそりとした喉を震わせて。柔らかそうな唇を揺らして。

 

 うるさいな。塞いでしまおう。

 

 僕はお嬢にキスをした。

 

「──ッ!」

 

 お嬢の驚嘆が、唇越しに伝わる。

 

 僕は彼女の後頭部と、背中に手をやって、さらに強く、さらに優しく、お嬢との接触を深める。

 

 拒絶はされていない。お嬢は死後硬直のように身を強張らしている。

 

 お嬢の香りが変わった。密着しているからわかる。

 お嬢の体温が上がった。密着しているからわかる。

 

 そのまま、固く閉じた彼女の唇を、按摩でもするかのように解きほぐし、侵入に成功する。戦勝地での略奪のように、僕は彼女の口腔内を蹂躙する。

 

 お嬢から力が抜ける。身を委ねてくれる。

 

 チャイムが鳴った。

 

 階下から微かに聞こえる椅子を引く音、号令、着席の音。

 

 お嬢がおねだりしてきたところで、僕は唇を離した。頃合いだろう。

 

「ぁ……」

 

 名残惜しそうな声を出すお嬢。その目はとろんとしていて、練乳のように濡れていた。

 

 僕はお嬢の肩を両手でしっかりと掴み、瞳に力を込めて言った。

 

「お嬢、いや蒼ちゃん。僕は君を愛してる。あの日、君が戦場に出たら、君は怪我をしていた。あれはそういう戦いだった。僕にはそんなこと耐えられない。だから君を起こさなかった。呼び出さなかった。昨日、一日姿を隠していたのは、その後処理のためだ。一言も声をかけなかったのはごめん。でも分かってくれ。全部君の為なんだ!」

 

 一息で言い切る。

 

 笑えてくるな。あまりにも軽薄で、白々しく、保身しか考えていない。こんな雑な言い訳に騙される人間はいない。愛だとか恋だとかに浮かれているバカ以外は。それこそうちの母親とか、そんな人間以外は。

 

 お嬢は顔を真っ赤にして、コクコクと小さく頷いている。

 あとでごちゃごちゃ言われたらいやだ、念押ししておこう。

 

「蒼ちゃん、理解してくれるね」

 

 顔を近づけて言う。彼女の顎を持ち上げ、がっしりと目線を合わせて言う。

 

「あ、え、うん。分かった。分かったから、その……さっきの、つづきを」

 

 万事解決。

 

 彼女たちがカス女なら僕はクズ男だ。

 そして水仙を抱いて、お嬢を抱かない道理はない。

 

 均衡、それを保つため。僕はそれをしっかりと自分に言い聞かせて、言い訳して、自己欺瞞を行って、お嬢の手を引いた。

 

 そのまま、僕らは学校を後にした。

 

    ◇

 

 自己嫌悪。

 

 今の僕の感情を表すのにこれ以上の適した言葉は見つからない。

 

 いや、言い換えることはできるな。

 つまり、賢者タイム。射精後、プロラクチンが分泌され、ドーパミンとテストステロンを抑制しているのだ。

 

 冷静とも虚脱とも違う、身体の倦怠を帯びた憂鬱。自己嫌悪に混じる後悔。

 

 天気で言うと曇り時々雨、味で言うとアンゴラチュラビターズ、文学で言うとドストエフスキー。いやそんな高尚なもんでもないか。

 

 そもそも、簡単に体を許すお嬢もお嬢なのだ。そしてセックス程度で解決する問題なんて、もともと大した問題ではない。

 なんて、責任転嫁してみても気分は全く晴れない。

 

 まあ、現実逃避である。

 ヤクザの呼び出しを再三無視して、街の被害状況も後始末も思考から追い出して、現状の維持のための言い訳を積み立てるための、セックス。肉体関係。

 

 最低である。

 最悪である。

 

 しかし、それでも僕は前に進まなければならない。

 過去を顧みるには、犠牲にしてきたものがあまりに多い。とにかく進むしかない。シャカリキ進むしかない。

 

 学校を早退してラブホテルに行っていたので、今はまだ昼。

 現状、当初のカス女ハーレム計画から遠くかけ離れたものになってしまった。だからその修正のための計画が必要である。今から寝るまではそのための時間にしよう。

 

 そういえば、いくらヤクザからの連絡を無視しているとはいえ、藤代会長が目を覚ましたらお見舞いには行かねばならない。失神前の意味深な一言、それに兄の手紙の件もある。

 そしてリーナのお願い事、あと細かい依頼もいくつか入っている。

 

 ああ、やることが多いな。

 

 そんなことを考えながら、ボロアパートに帰宅したのだが、

 

「…………うーわ」

 

 また、厄介ごとが来やがった。

 

 ボロアパートの前、近所のおばさんが無断で植木鉢を置きまくっている駐車場には、見慣れない旧式の車が止まっていた。

 

 所々サビている角ばった白のセダン。

 そこには神経質そうな顔の男が缶コーヒーを片手にもたれかかっており、明らかに僕に向かって手をあげている。

 

 この蒸し暑いのにくたびれた紺のスーツを着たその男は、都市警察の刑事、武林であった。

 

 武林が缶コーヒーを一気に飲み干し、助手席のドアを開ける。

 

「乗れ」

 

「嫌です」

 

 武林が一瞬フリーズした。それから心底不思議そうな顔で、

 

「なぜだ」

 

「まず、よく知りもしない人間の車に乗りたくない。そしてここは非管理領域だ、猶更嫌だ。それに僕は今からやらなければならないことがあります。それは何においても優先されるのです。だから僕に用があるなら後日改めて来てください。できればアポを取ってから」

 

「学校を早退したやつのセリフじゃないな」

 

 うるせえ、こいつ。

 

「別に君と敵対したいわけじゃない。ああいや、用件を先に言うべきだったな。……うちのボスが君に会いたがっている」

 

 正直、あまり興味はない。

 

 ボスと言えば、こいつらが所属している『スナーク狩り』とかいう秘密組織のまとめ役──多分そいつのコードネームはベルマン──なんだろうが、今はそんなもの相手にしている暇はない。

 

 そもそも何をする組織なのか、脅威度がどれくらいのかわからないのだ。現状では僕に危害を加えて来てもいない。優先度は低い。

 

 僕は武林を無視して、アパートの階段に足をかける。

 

「乃木が死んだ。探偵の乃木だ。それについて話がしたい」

 

 二階に辿り着く。そういえば、まだカップ麺のストックはあっただろうか。

 

「君の父が生み出した、先天的サイボーグ。その第三世代がうちの組織にいる」

 

 足が止まる。チャイナタウンに表れた『粗忽者のベイカー』とかいう少女のことだ。父の計画に第三世代が存在したなんて、僕は聞いていない。あれはお嬢たち第二世代で打ち止めだったはずだ。

 

「それに君に依頼がある。うちのボスは資産家だ。報酬は弾むぞ」

 

 天秤が傾いた。

 

 僕は踵を返し、階段を降りる。

 

 どうせここで断っても、顔と住所が割れているのだ。付き纏ってくるに違いない。受ける被害は最小限に。そしてリスクよりも得られる情報の方が大きそうだとの判断。

 

 僕は武林の車に乗り込んだ。……うわ、マニュアル車だ。

 

「現金な奴だな」

 

「計算高いと言ってください」

 

 武林はそれを鼻で笑い、車を発進させた。

 

    ◇

 

 一時間も車を走らせてたどり着いたのは『島』であった。

 

 中央街の北東に浮かぶ、人工島。

 管理領域の中でも最も治安レベルが高く、企業幹部たちの別荘が立ち並ぶ、改都唯一のリゾート地である。

 

 島は砂浜も含め、半透明のドームに覆われており、気象管理によって年中バカンスを楽しめるようになっている。

 

 僕も子供のころ、父の仕事の付き添いで何度か来たことがあった。そしてもう来ることはないと思っていた。

 

 ヴェネチアを思わせるようなカラフルなレンガ造りの街並み。遠くで偽物のカモメが鳴いている。日焼けしないように調整された人工太陽の光が僕を差す。

 

 僕は車を降りながら武林に聞いた。

 

「個体符号識別はどうしているんです?」

 

 この島に渡るための道は、中央街から直通の橋しかない。そこでは厳密なチェックを受けさせられるはずだ。この車がなんの障壁もなしに、ここまでたどり着けたのが不思議であった。

 

 武林は車に偽装処置を施しながら答えた。

 

「うちには電子的操作に長けたのがいる。君と同等……いや君以上の技術を持った奴がな」

 

 いちいち思わせぶりで鬱陶しい奴だな。

 

 ここまでの道中、僕が何を聞いたとしてもこの武林という男は『ボスから聞け』としか言わなかった。探偵事務所での邂逅の時の口ぶりからするに、この男は都市警察本庁から疎まれてそうであったが、このつっけんどんな態度こそ、その理由じゃないのか。

 

 僕は武林の後を黙って続く。

 

 階段が多く、道が狭い。通り抜ける風は心地いいが、それすらも人工的な物だと思うと、どうにも素直に喜べない。人工甘味料をふんだんに使った炭酸ジュースを飲んでいる気分だ。

 

 塀を超え、庭を突っ切り、梯子を下るなど、常軌を逸した複雑なルートを辿っていくと、やがてグリークリバイバル様式の白い洋館が見えてきた。

 黒人奴隷をふんだんに使って大農場を築き上げた資本家が住むような洋館である。

 

 周りは背の高い木々に囲まれていて、きちんとブラインドがなされている。地面には不自然な膨らみがあって、何かを隠していることが明らかだ。倉庫の方から臭ってくる微かな火薬臭も気になる。──なるほど、基地というわけか。

 

 車の跡などもない。

 徒歩、もしくは地下通路などがあるのだろうか。

 今後彼らとは何が起こるかわからない。せっかくの機会だ、細かいところまでしっかりと気に留めておこう。

 

「こっちだ」

 

 武林が手ずから両開き式の扉を開ける。

 まず見えたのは二階ぶち抜きの広いホール。左右対称のうねった階段。明りの類はついておらず、窓からの採光が穏やかに内装を照らしている。ほとんど無臭だが、すこし埃っぽい。居住はしていないのか。

 

 調度品の類は一切なく、どこにも生活の気配が見当たらない。

 長いこと訪れてなかった別荘に来た、そんな感じである。

 

 チン、と気高く甲高いベルの音が聞こえた。

 

「やあ、よく来てくれた」

 

 声の方向、階段の踊り場、巨大なステンドグラスの前に目を向けると、車いすに乗った少女がいた。

 

 彼女が右手のレバーを巧みに操って、僕に近づいてくる。

 左のひじ掛けにはクラシックな金色の呼び鈴が固定されており、車いすの振動に合わせて、チリチリ鳴いていた。

 

 年は十三か十四くらいだろうか。

 小学生には見えないし、高校生にも見えない。長く白い髪で片目を隠しており、華奢な体格と合わせてどこか儚い雰囲気があった。それでいて声に芯は通っており、年齢不相応に大人びている。

 東欧風のはっきりした顔立ちながら、どこか親しみやすい感じもある。ハーフ、もしくはクォーターだろうか。

 

 少女が僕の前に止まり、少女らしい微笑を浮かべながら、僕に右手を差し出してきた。

 断る理由もないので、応じることにする。ひたりと冷たい右手が僕の手を握った瞬間、少女の目がギラリと光った。

 

「隙ありぃいいいいい!」

 

 ぐいと、弱い力で僕の手が引かれる。僕はびくともしない。

 

「隙ありィ! すきあ……あれ? おかしいな。ちょっと待って。武林! 合気道ってどうやるんだっけ」

 

「ユーリアは車いすだからできない」

 

 少女がバタバタと腕を動かす。

 

「あ! 本名で呼んだな! 私のことはベルマンって呼べっていっつもいっつもぉ! それに差別だ! 足がすこーし不自由だからって合気道ができないなんて誰が言ったァ!」

 

「はいはい、二代目。もうみんな来てんだろ。早く自己紹介を済ませろ。待たせたら悪い」

 

「二代目とか関係ないだろ! 馬鹿! 仏頂面! そんなんだからみんなから嫌われるんだ!」

 

 武林が顎に手を当て、考える。

 

「………………それは、本当の話か」

 

 少女は息を整えた後、再び僕に向き直って、

 

「変なとこを見せたね。私の名前は白峰ユーリア。見ての通り美少女やっている。私のことはベルマンと呼んでくれ」ユーリアが景気よくベルを鳴らす。「あ、これも説明しなきゃならないな。ルイスキャロルのスナーク狩りって知ってる。──ああ、なら話は早い。我々の組織はスナーク狩りを名乗っているんだ。コードネームはそのメンバーに由来していてね。……というか、君体幹が強いな。なんかやってた? バリツとか」

 

「……おいユーリア、私が嫌われているというのは」

 

「うるさいなぁ、後にしろ! じゃあ鮎川晴臣君、私に続き給え。秘密基地に案内するよ」

 

「なあ、ユーリア……」

 

 華麗にターンを決めたユーリアの後を、へろへろと武林が追う。

 

 ……なんだこいつら。

 

    ◇

 

 冷蔵庫裏の隠し階段を下り、超音波スキャンを受けて拳銃を取り上げられ、重厚な鉄の扉をくぐると、二十畳ほどの空間が広がっていた。

 

 四方四面金属製で、真ん中には改都の全景がホログラム投影された大きな台がある。

 壁際にはPCなんかの装置類が敷き詰められており、正面には巨大なモニター。

 

 ユーリア、武林含めこの部屋には六人の人間が存在した。

 パイプ椅子を二つ並べて、寝転がりながら雑誌を読んでいる長い金髪の少女。彼女が第三世代サイボーグ、ベイカーだろう。よし、顔は覚えた。

 

 ノーベさんは見当たらない。

 乃木がいないことを加味してもスナーク狩りのメンバーには二人足りない。後から来るのだろうか。それともすでに殺されたのか。

 

 ユーリアがチン、チンとベルを二回鳴らす。

 

「はい、注目。定例会議を始めるよー。今日は色々残念なお知らせがある」

 

 部屋内の弛緩していた空気が一気に引き締まる。皆姿勢を正し、ユーリアに向き直る。僕が彼女の隣に立っていることに疑問を覚えていそうな人間は一人もいない。水仙のようなカリスマ、というよりは組織として機能的と言った方が近いだろう。

 

「まず一つ、帽子屋(ボンネット・メーカー)とはまだ連絡が取れない。誰か連絡取れた人はぁ……いないね。次、二日前から仲介人(ブローカー)とも連絡がつかなくなった」

 

 部屋中に動揺が広がった。

 ぼそりと誰かが「群れ」と呟く。

 

「うんそうだ、群れとヤクザの抗争の後からだ。じゃあ重要参考人の鮎川君、何か知らない?」

 

 いきなり水を向けられ、僕も少なからず動揺してしまった。

 六つの視線が僕を射抜く。これはあの日のことは知られているとして考えた方がよさそうだ。つまりあの日、あの場所に僕もいて、リーナにPMCの派兵を依頼したこと。これは調べたらすぐわかるので、知られて痛い情報ではない。あまり知られたくはないが。

 

 仲介人と言えば、ノーベさん。

 ならば僕と企業の関係性も調べられているとみていいだろう。それなら、

 

「まず仲介人って、誰だよ」

 

「ノーベンバー。鳶カタリナの護衛兼秘書のノーベンバーだ。君とも面識があったはず」

 

 僕は目を丸くさせ、驚いて見せた。

 

「い、いや知らない。そもそも僕はここに呼ばれた理由もわかっていない。先にその説明をしてくれよ。この場所なんだ。こいつらは誰だ。スナーク狩りとなんの関連がある」

 

「それは後だ。……武林」

 

「嘘はついていない」

 

「よし。じゃあ最後。ビーバー……乃木の死亡が正式に確定した。これについては後程詳しい資料を送る。各自確認してくれ。それでビーバーが殺された翌日の、彼の携帯からの着信。ビリー、特定はできたか?」

 

 隅っこでパソコンを弄っていた陰気そうな女が振り返って言った。

 

「場所はミナミで間違いないけど、個人の特定までは……。カメラ映像とかもさらってみたけど、人が多すぎて」

 

「よくわかった。……さて、このように我々はかなり厳しい状況にある。それでも配慮と希望を持っていこう。地図が白紙であったとしても進もう。スナークがブージャムであったとしても目的を遂行しよう。それに嬉しい知らせもある。この度、ここにいる墜ちた企業戦士の息子、鮎川晴臣君が長らく空席だった『靴磨き(ブーツ)』としてスナーク狩りに加入してくれることになった。彼は万能型(オールマイティ)、それに裏についても詳しい、頼りになるはずだ。それじゃあ、以上。各自持ち場に戻ってくれ」

 

 武林とユーリア以外の四人がぞろぞろと退室していく。

 ベイカーらしき少女が僕に一瞥をよこした気がするが、そこに含まれていた感情までは分からなかった。

 

 というより、聞き捨てならないことがあった。

 

「おい、どういうことだ。僕は加入するなんて言ってないし、聞いてないぞ。こんな目的もわからない、胡乱な組織──」

 

「目的は君と一緒さ。それに君がこの街に戻ってきたときから、君は『靴磨き(ブーツ)』だった」

 

「……はァ?」

 

「父親の失墜、それに伴って負わされた多額の借金、そして人質に取られたお兄さん。それらを解決するために君は今奔走している。違うかい?」

 

 ……知られている。

 いや違うな。多分、こいつらは肝心なところはまだ分かっていない。カス共との接触は知られているが、その目的までは知られていない。──なぜか。そのことは探偵の残したフォルダに記されていたからだ。あのフォルダが彼らに渡っていないのなら、知らないと考えていいだろう。

 

「そしてそのために、各組織の次代の重要人物たちにいい様に使われている」

 

 ほらみろ。

 乃木の死の件、探偵事務所での邂逅、チャイナタウンでのベイカーの襲撃。多分、このスナーク狩りって組織はそんなに大した組織じゃない。

 

 第三世代サイボーグといい、島に基地を用意できることといい、用心しておくに越したことはないが、それでも早急に対処しなければならないというほどでもない。メンバーの顔も覚えた。後手で対応しても遅くはないだろう。

 

 僕は苦い顔を作り、悔しがって見せる。

 

「そんなのはもう嫌だろう。そんなのは君の人生じゃないだろう。だからこれは取引だ。君の力を貸せ、そしたら我々も君を支援する」

 

「…………!」

 

 少し、心が揺れた。小石が僕の心に投げ込まれ、緩く波紋を作った。

 

 支援。彼女は僕の兄の件と借金の件を知った上で言っている。……解決できるのか。

 

 それならば──いや、待て違う。安易に飛びつくな。彼女の提案が魅力的に見えるのは、僕が水仙に敗北した直後だからだ。利用するにしても、もっとよく吟味してからだ。

 

「……それで、このスナーク狩りの目的ってのはなんなんだよ」

 

 ユーリアはくつくつと喉を震わせて、

 

「我々はこの歪な街をひっくり返す。この街の構造を変える。そのために動いている」

 

 本当に同じだ。目指すべき場所は近似している。

 

「……どうやって?」

 

「それはまだ言えないな。それを知るのは君がこの組織で実績を積んでからだ」

 

「手段が分からないのに、手段になれと? 馬鹿げている」

 

「組織とはそういうものだ」

 

「そこに対する言い訳すらも用意されていない組織には参加したくないな」

 

「…………武林ぃ」

 

 武林が嘆息しながら、ユーリアの前に出て言った。

 

「君の懸念もわかる。だから我々は、外部委託という形で君に参加してもらいたいと考えている。こちらから依頼を出す。それに応じて報酬を渡す」

 

「……なるほど。それなら納得できる。その依頼をこなしていくうちにおのずとあんたらの組織の手段とやらが見えてくるわけか」

 

 武林が首肯する。

 

「内容次第で依頼は受けるよ。それで、最初の依頼は?」

 

 ユーリアが咳ばらいを一つして、応えた。

 

「まずは、仲介人……ノーベンバーの捜索を依頼したい。連絡はないが、いくつか目撃情報はあった。そしてそれどれもが裏。つまり君の得意分野というわけだ」

 

「得意分野ってわけじゃない。というか、なぜ自分たちでやらないんだ」

 

「元々そういうのは帽子屋……裏に詳しい奴がやってたんだけど、二週間くらい前から行方不明だからなぁ。あ、そいつも君が良く知ってる奴だよ」

 

「……誰だ」

 

「藤代尊。嚴禅会現会長の一人息子だよ」




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