カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十四話:狩り

 朝の魔法が解け始め、世界が夏本来の姿を取り戻してきた。

 

 汗がじんわりと全身に纏わりつく。

 防弾繊維の戦闘服にタクティカルベストまで着込んでいるので、熱が全く外に逃げない。暑い。これだから夏は嫌なのだ。

 

 現在の時刻は午前七時四十七分。

 僕は額の汗を拭いながら、インカムに向かって話しかけた。

 

「立花、動きは」

 

『全くです。鼠一匹逃げてやいませんよ』

 

「……それなんか使い方違くないか?」

 

 廃病院に女が一人潜んでいるのは昨日のうちに確認した。

 人間が二日も三日も完全に痕跡を消したまま、生きることはできない。王様以外の他の住人への裏取りや、逃がし屋からからの情報も含め、この廃病院にいるのはノーベさんであることは確定している。

 

 街の外へとつながる唯一といっていい逃げ道のごみ穴が開くのは週に一回、今日の午前八時だけである。三十分前には動き出してもいい時間なのだ。

 それなのに、まだ動きがないのはおかしい。街に用意した仕掛けを活用するためにも彼女から外に出てきてもらいたい。

 

 僕は正面玄関を、立花は裏口及び廃病院全体を俯瞰できる高い位置で監視していた。

 

『まさか、裏かかれたとかですかね』

 

「それこそまさかだろ」

 

 夜中から朝にかけてずっと赤外線ドローンで見張っていたし、僕たちだって朝五時からこの場所に詰めているのだ。病院に地下通路など、他の出入り口がないことも確認済みだ。

 

『じゃあ、どうします? まだ待ちますか?』

 

 それでもいいが、不安は尽きない。

 

「うーむ」

 

 では、こちらから仕掛けるか?

 手負いでも向こうは傭兵。戦闘のプロだ。潜伏期間中、廃病院から出ていないことからも、トラップの類が仕掛けられている可能性がある。

 

 じゃあ焙り出すか?

 それも避けたい。こちらは二人、それも一人は戦えない。何かあった時の対処ができない。

 

 様々な可能性を脳内でシミュレートをし、最適解を考える。

 

『鮎川君?』

 

 仕方ない。僕は覚悟を決めた。

 

「少し、見に行ってくる」

 

『わお、大胆』

 

「危なそうだったらすぐに逃げるよ。様子を見るだけだ。立花はごみ処理場が背にくる位置に移動して待機。直ぐに動ける準備はしとけよ」

 

『了解です』

 

「あと、何があってもそっちから話しかけてくるな。バックアップがいることを悟らせたくない」

 

『爆発しても?』

 

「爆発してもだ。情報が欲しいときはこちらから連絡する」

 

『分かりました。では鮎川君、ご武運を』

 

 僕は立花に一笑だけを返し、インカムを外した。

 

 廃病院は総合病院だったらしく、それなりの大きさがあった。

 五階建てのオフホワイトな外観には、無数のツタが張っており、汚れの濃淡が前衛芸術のような模様を為していた。

 

 ひびと落書きばかりの門を超え、荒れ放題の庭地を音を立てないように進む。ベレッタを構えながら、正面玄関を跨ぐ。

 お嬢お気に入りのガネイシャカスタムは超大口径で威力は申し分ないが、こういった隠密行動時には使えない。成金が好むような銀ピカなので、非常に目立つのだ。それを無頼に振りかざせるほど、僕は自信家ではない。

 

 清潔感と他人行儀が支配してたであろう空間は、現在では見るも無残に、ただ人間が雨風を凌ぐ住処として塗り替えられており、病院としての機能、尊厳が奪われていた。

 

 特殊ゴーグルを装着し、熱反応、金属反応を探す。

 見える範囲ではワイヤートラップ、クレイモア、熱光線交換反射(レーザーブラスト)など罠の類は見つからない。

 

 散乱した汚い毛布と、血で出来た足跡。仄かに漂う、獣のような臭い。物音一つせず、薄暗い。非常口を示す緑だけが、院内を不気味に照らす。

 

 血の跡と、まき散らされた埃から、痕跡を辿る。

 脳内で病院の間取りを確認しながら慎重にクリアリングし、足音に気を付けながらさらに進む。

 

 大理石で造られた床と円柱の群れ。

 二階ぶち抜きの広いロビーには、天井から吊り下げられたシャングリラがまるで自分が主役であると言わんばかりに存在を主張している。

 階段と案内板、そして『受け付けはこちら』と書かれた立て看板を横目に角を曲がる。

 

 そして、僕は発見した。

 

「…………鮎川、晴臣」

 

 口の動きを見てようやく意味が分かるくらいにか細い声。

 エレベーターホールと細い廊下の先、彼女は受付のカウンターにもたれかかり座っていた。

 

「…………」

 

 ノーベンバー。本名、レイン・イングスタッド。

 

 彼女は、すでに死の縁にあった。

 

 呼吸が弱い。周囲に乾いた血だまりができている。肌が青白く,生気がない。

 

 彼女の肩と太腿には赤黒い染みの滲んだ病衣が巻かれ、彼女が包まる大量の毛布には例外なく血がついていた。

 血を失い過ぎたのだろう、こんなに蒸し暑いのに、寒そうに震えている。そして最低限の傷の手当てすらできていない。

 

 医療道具を目当てに廃病院に隠れ潜んだのはいいものの、すでにもぬけの殻であり、そのまま気力が尽きて、現在に至る。その推察はそう間違っていないはずだ。

 

 精も根も尽き果てて、確定した死の目前にいる。

 それでも、彼女の僕を見るその瞳だけは、なによりも力強かった。

 

 ノーベさんが掠れた声で言った。

 

「今、何時ですか」

 

 僕は腕時計を確認して、答えた。

 

「もう八時は超えましたよ」

 

 嘘だ。あと十分はある。

 

「ああ、そうですか」

 

 ノーベさんは他人の寝坊の言い訳に辟易しているような声色で言った。

 

 さて、どうしよう。

 この様子だと殺すのに苦労はしなさそうだが、僕だって面と向かっての殺人は初めてである。死を切りだすときの会話なんて心得ていない。

 

 どうにか穏便な会話をひりだそうと難儀していると、ノーベさんが先に口を開いた。

 

「どっちです」

 

「……何がですか?」

 

「スナーク狩りと鳶カタリナ。あなたはどちらの依頼でここに来たのです」

 

 期待でもしているのかと、彼女の表情を見たが、どうやら違うらしい。表情がない。がらんどう。まるですでに死後の世界にいるかのような顔つきである。

 スナーク狩りとリーナ、どちらであっても心底どうでもよさそうだった。

 

「どっちだったら嬉しいですか」

 

「別に、どちらでも。どうせ助からないでしょうし」

 

 そこで僕は気付く。ノーベさんの血で汚れた顔に、二つの細い道が通っていることに。──涙の痕。もうすでに絶望の淵は超えたのだろう。

 

「……あなたのその口ぶりからするに、後者なのでしょうね」

 

「正確にはどちらからも、ですね」

 

「なるほど。そうですか。まあ、いいでしょう。もはや私には関係ないことです。自分の死後まで心配できるほど、私はできた人間じゃない。……ですが」

 

 ノーベさんの言葉に俄かに生気が帯びる。

 彼女が背後から注入器を取り出して、自身の肩口に打ちこんだ。

 

「──ッ!」

 

「私も一応傭兵ですから、矜持がある。スナーク狩りにも少なからず愛着があった。あなたを殺してから、死にます。それくらいはさせてもらいますよ」

 

 ノーベさんが、不自然に関節を曲げ、ぐらりと立ち上がった。──仮生薬か!

 

 僕はベレッタの照準を急いで合わせ、発砲。胴体を狙ったはずが、すでに弾道にはノーベさんがいない。彼女の背後にあった化粧板が弾ける。

 

 問答無用で殺しておくべきだった! 出会い頭に殺しておくべきだった!

 

 後悔が頭蓋内を駆け巡るが、今はそんな場合じゃない。目の前の出来事に集中しろ。焦るな。

 

 前方から金属が擦れる音。僕は大げさに頭を動かす。残された髪に、重い何かが振れた。発砲音と硝煙の匂いが同時にした。

 

 仮生薬は、痛みや体の拒否反応を誤魔化し、死にゆく身体に仮初の生を与えるものだ。精髄デバイスと、人工骨格のオーバードライブによって身体能力の底上げも行う。

 戦場で、負傷兵を利用価値のあるものに変えるために開発された薬である。効果時間は約十分。今の僕には無限に等しい時間である。

 

 どうする、逃げるか。──いや、開けた場所の方が危険だ。

 

 僕は動かした頭を重心に、斜めに回転。その勢いを利用して床を滑り、ロビーの円柱へと身を隠した。

 

 牽制の発砲。

 向こうも考えは同じなようで、僕の近くの柱に着弾。鼠にでもかじられたように大理石が砕ける。

 

 大きく息を吸う。

 リーナの情報によると、向こうはほとんど裸一貫で逃げ出している。武器も普段から携帯している、拳銃くらいしかないらしい。勿論油断はできないが、装備の面ではこちらが明らかに有利だろう。

 大きく息を吐く。

 

 これは、命燃え尽きる前の、最後の輝きである。

 

 死ぬなら戦いのさなかに死にたい。そういった類の思想である。生まれた頃から兵士であった彼女ならそう考えるだろう。実際、さっきのセリフも全く実感がこもっていなかった。──後付け、自分を納得させるための理由でしかない。

 

 つまり、名誉の死。彼女はそれを望んでいる。

 

 真っ当に付き合ってやる義理はない。甘さを捨てろ。お嬢を思い出せ。合理的に殺せ。これは戦いではない、手負いの獣に対するただの狩りだ。

 

 僕は発煙手榴弾(スモークグレネード)のピンを抜き、投げた。

 

 ぷしゅうと、ガスが放出された音が聞こえ、すぐさま紫の煙が噴き出してくる。僕は襟を押し上げ簡易キャニスターで口と鼻を塞ぐ。それから特殊ゴーグルの設定を切り替えた。

 

 弾道から推測するにノーベさんはロビーの裏に隠れている。

 煙を避けるために事務所まで下がった可能性もあるが、それでは次の行動に迅速に移れない。彼女には時間制限がある。捨て身で攻めてくるだろう。

 

 ゴーグル越しに、エアロゾルの流れが不自然に変わったのが分かった。

 僕はバックステップを踏む。案の定煙の中から手が伸びてきていた。

 

「シィ!」

 

 今度は足が飛んでくる。左腕を頭の位置に上げガード。

 

「っ!」

 

 人間の脛にしては硬質的過ぎる。義足か。

 

 僕は、僕と彼女の間に繋がった勁流(けいりゅう)を切り取って、反対側に流す。表面にいくらかダメージは残ったが、骨までは響いていない。

 反対側に流した勁力を右足に集めて軸にする。回転──からの腰を落として足払い。

 

 跳躍にて回避される。

 僕は地面から手を放して、肩を軸に回転をコントロールしながら、ベレッタの照準をノーベさんの着地の瞬間に定める。しかし、ノーベさんの空中での腰のひねりから繰り出されたつま先に手の甲を打たれ、暴発。天井に着弾する。

 

 ノーベさんが着地する。僕も転がりながら立ち上がる。

 

「箕土路流のウラ、ですか」

 

 脱力からの摺り足。

 銃術をメインに据えたいが、サイドが不十分なので、体術の延長しか選択できず、うまく『道』を歩めない。

 ノーベさんの銃口での誘導も無視できず、遊びを持たせるために『法』も規定できない。

 

「あなたも使えたのですね」

 

 僕は答えない。戦闘中に無駄話できるほど自信はないし、慢心もしていない。

 

 お互い構えを絶えず変化させることによって、相手の行動を誘い、抑制している。傍から見たら椅子の存在しない椅子取りゲームをしているように映るだろう。

 

 箕土路流にはオモテとウラがある。

 オモテは型、箕土路流で言うところの『術』『法』『理』『道』を重視する、相伝の武法。

 ウラはそれを補完するための、キレイごとだけではないツナギの武法だ。

 ウラだけだと殺人術として機能する。優劣はない、どちらも使えて一人前。お嬢はその上で、新たな道まで築いた。僕はウラの基礎しか使えない。

 

 ノーベさんがつま先を九十度に曲げ、ステップを踏む。それが現在の綱引きにおいてあまりに奇想天外な動きだったため、釣られて一歩踏み出してしまった。

 

 ──不味い!

 

「甘いッ!」

 

 蛇が這い寄るように、僕の首筋めがけて放たれた掌打は、キャニスターの位置を調整することによって防いだ。

 しかし、衝撃は残る。

 

「ゲほッ」

 

 咳き込み──反射的に目を閉じてしまう。

 

 眼を開くと視界にノーベさんがいない。僕は彼女の姿は探さずに予想する。

 

 ノーベさんの戦闘スタイルはサイバネを前提にした近接格闘術(CQC)だ。サイバネスペックは脊髄デバイスに人工骨格とシンプルにして洗練された選択である。

 僕らの距離は拳銃の間合い内だった。照準、発砲という動作の重さからも、拳銃の使用は考えられない。しかし装備差から僕の拳銃は奪っておきたいところだろう。

 ならば──

 

 僕はベレッタを手放して、強引にしゃがみ込む。

 

 小指の先に重い衝撃、そして蹴りこまれ吹っ飛んでいくベレッタ。予想通り彼女の行動は僕の死角からハイキックによる、拳銃の叩き落しだった。

 

 急いで足を戻し、バックステップを踏むノーベさん。

 煙に紛れ、再び体勢を立て直そうとしているのだろうが、そうはさせない。

 

 僕は脇腹のベルトキットからタクティカルナイフを抜く。

『者差』によって行動を規定。肘から先の軌道が定まる。

『理』を通す前に、勁を前面に押し出して、ナイフを投擲した。

 

 ずっ。

 

 ノーベさんが驚愕に顔を歪める。ナイフは吸い込まれるように彼女の右肩に刺さった。

 

 ぶくぶくと沸騰した血潮がぴゅうぴゅうと情けなく噴き出る。足りない血液を圧力によってカバーしていたのだろう。人工骨格の緊急措置によるものである。

 

 ノーベさんがゆらりと動いて、煙の中に姿を隠す。動き、推測。

 

 ──ガォオン。──ガォオン。

 

 常軌を逸した大口径の拳銃──ガネイシャの咆哮が二つ、広いロビーにこれでもかと反響した。そこに混じる微かな呻き。

 

「う」

 

 存在を隠そうともしない足音。どうした。ノーベさんの行動がおかしい。

 

「うぁああああああああ‼」

 

 何かをかき消すような裂帛の気合と共に、ノーベさんが再び躍りかかってくる。

 だが、鈍い。先ほどに比べキレがない。精彩を欠いている。

 僕は、眼前を通り抜ける手首を掴み、後方に腰をひねって、投げ飛ばす。

 

 彼女は力を受け流せずに、ビダンと強く床に背を打っていたが、獣じみた体勢制御で起き上がり、三度僕に立ち向かってきた。なんだ。今までの冷静さはどうした。声をあげるような人じゃないだろう。今になって死が怖くなったか。

 

 大振りのフック。ガネイシャによって放たれた650ニトロマグナムによってだろう、手首から先が千切れていて、骨が見えている。

 僕はスウェイバックで回避して、ノーベさんの腕を取り、勢いを利用して背負い投げ。

 

 そのまま巴投げに移行されたので、太腿をガネイシャで撃ち抜き、阻止。

 

 ノーベさんが横に転げるとともに、僕も横回転。

 それを利用して、立ち上がり彼女の眉間に照準を合わせる。

 

 お互いの動きが止まる。静寂、膠着──ではなく完全に僕が主導権(イニチアチブ)を握った。

 

「……ふぅ、ぶふぅ」

 

 ノーベさんの口の端に泡立った血が溜まっている。血走った眼は僕をまっすぐに穿っている。そこに宿る感情は、先ほどまでとは打って変わって、純粋な殺意、そして怒り。

 

「鮎川晴臣ィ‼」ノーベさんががなり、叫ぶ。「……お前が、お前がァ!」

 

 彼女の視線が、ガネイシャに移る。……ああ、なるほど。

 

「乃木を殺したのかッ‼」

 

 勝負はついた。答える義理はない。

 

 しかし、リーナのことでノーベさんには何度か世話になっている。

 それが彼女の仕事であったとしても、多少の恩があるのは事実。だから、ややこしいことは言わず、このまま僕を恨んだまま、憎んだまま、呪わせたまま、死なせてやろう。

 

「はい、そうですよ」

 

 ああ、安らかに。

 

 僕は引き金を引いた。

 乃木と同じようにノーベさんの頭は果物のように破裂し、ピンクの飛沫をまき散らしながら死んだ。

 

 残心は必要ないだろう。明らかに死んでいる。

 

 僕は肩を回す。全身に少々の倦怠、関節に一部しびれはあるが支障はない。

 

 深く、息を吐く。

 

 僕は、僕の感情を確かめる。

 

「…………」

 

 思っていたほど、罪悪感がないな。

 

 戦闘によるアドレナリン分泌のせいだろうか。まだ、戦闘の熱が冷めていないからだろうか。僕が、僕の手で人を殺したというのに罪悪感が湧かない。──しかも、全く。

 

 後悔が脳裏をかすめない。

 吐き気が胃からせり上がってこない。

 自己嫌悪が僕を襲わない。

 

 この分だと、用意していた精神安定剤(トランキライザー)は必要なさそうだな。

 

 僕はインカムを装着しながら踵を返し、立花に話しかけた。

 

「立花、終わったぞ。今からそちらに戻る」

 

 そこで、外しかけたゴーグルにエアロゾルの不自然な流れを警告する表示が写った。

 

『お疲れ様です。ですが緊急事態発生です。廃病院に誰かが侵入しました』

 

 僕の隣を質量を伴った風が通り抜ける。

 

「いつだ」

 

『数秒前です。性別は不明。影だけが見えました。小柄な、何かが──』

 

 後方、つまりノーベさんの死体がある場所から声がした。

 

「……帽子屋に呼ばれて来てみれば、お前がビーバーを……仲介人(ブローカー)を、殺したのか」

 

 僕は困惑と共に振り返る。

 そこには、ノーベさんの破裂した頭を丁重に抱え、力なく座り込む少女が出現していた。

 

 少女はフルフェイスヘルメットに、分厚いカーテンのような緑のマント、そして腰のあたりまである長い金髪であった。

 

 ──粗忽者のパン屋(ベイカー)。チャイナタウンに表れた、自身をヒーローと称するサイボーグ。

 

 なぜ、ここに。……待て、今彼女は「帽子屋に呼ばれて」と言った。帽子屋、藤代尊──無制限(アンリミテッド)! 

 最悪のタイミングだ。アンリさんにとっては、多分、最良の。くそったれ。ずっと図っていたのか。

 

「答えろッ! 鮎川晴臣ィ‼」

 

 周囲の温度が急速に上昇する。──不味い、『加速』を使われた。

 

 じり、と僕は後方に下がる。

 

 ごきり、と首を鳴らし、少女は立ち上がる。

 

「仲介人は、私の姉代わりだった」

 

 少女がこちらに向かってくる。ガネイシャを撃つが、首をひねるだけで容易に回避される。

 

「あの人は私に戦い方を、生き方を教えてくれた」

 

 少女が更に一歩踏み出した。

 ゴーグルの設定を切り替え、フラッシュバンを投擲。

 

「正義の名のもとに、お前を殺す!」

 

 耳をつんざく金切り音が鳴って、周囲が閃光に包まれた。

 

 聴覚が狂うが、関係ない。

 ゴーグルによる補助情報を頼りに、僕は走る、走る。

 

「うがァアアアアア‼」

 

 振り向くと、フラッシュバンをまともに喰らったベイカーが、闇雲に暴れている。

 今は混乱しているが、効果は十秒も続かない。それに向こうは『加速』持ち。十秒の差なんてすぐに埋められてしまう。

 その上、他にも能力、サイバネを持っている可能性がある。

 

 僕は、痕跡をあえて残しながら、閃光地雷をばら撒く。

 そして正面玄関をくぐりながら、インカムに向かって叫んだ。

 

「立花! 先にバイクに戻って、エンジンを温めておいてくれッ!」

 

 再び金切り音。閃光地雷が作動したのだ。僕はさらに発煙手榴弾を二つ投擲。緑と灰色の煙が放出され、混じる。目くらまし程度だが、数秒は稼げる。

 

 僕は濃煙の中に身を隠し、正門を目指す。

 

『了解です! 鮎川君はっ!』

 

「迂回して向かう! 直線で向かうとすぐに追いつかれてしまう! 街に仕掛けたトラップを使いながら行く!」

 

『ご武運を!』

 

 立花は余計なことを一切聞いてこなかった。有難い。

 

 さあ、ここからが問題だ。

 

 一先ずの目的地はバイクの停めてある場所。

 ここから走って五分ほどの位置である。街を迂回したら十分。その間ベイカーの攻撃をかわし続けなければならない。そして、バイクに辿り着いたとしても、ベイカーの追跡が止むことはないだろう。彼女がお嬢と同等の能力を有しているとしたら、バイクで撒き切ることもできない。

 

 つまり助けがいる。非常に情けないが。

 

 そしてこの状況を打開してくれる助っ人としての選択肢は一つ。

 

 だから、僕はこれから、ベイカーに追い付かれないようにしながら、その助っ人に電話をかけ、救援を要請し、その上でバイクで助っ人と合流できる位置まで移動しなければならない。

 

 大変だ。難儀だ。最悪だ。

 

 しかし、心のどこかではこの状況を楽しんでいる──否、楽しもうとしている自分がいた。

 

 立花がいるせいだろうか、昨日彼女の言葉を聞いたせいだろうか。

 もしくは自暴自棄。

 まあ、どちらでもいい。この最低最悪の状況に足を止めてしまうことがないのなら、上等である。

 

「鮎川晴臣ィイイイイ‼」

 

 正面玄関が蹴破られた。ガラスの破片が僕の頬を掠める。どんな威力の蹴りだよ。

 

 僕はリストデバイスを操作し、病院近くの家屋に潜ませておいた、二台のドローンを起動させる。バスケットボール位のサイズの球形探査ドローンと、電子レンジくらいのサイズの箱型戦闘ドローンである。

 

 僕は迷わず探査ドローンに特攻自爆命令。彼は伺うことなく僕の指示に従う。

 

 爆炎の花が咲いた。あえて言うなら、ヒナギク。

 

 戦闘ドローンを僕の頭上につけ、振り返らずに走る。爆発の衝撃が僕の背中を押す。

 

 僕はドローンの自動ターレット機能を最大距離に設定。ドローンはすぐさま発砲を開始。もう後方五十メートルの位置まで迫ってきているのか。

 

 銃撃の蛇行した軌道で彼女の位置がある程度推測できる。右に左に絶えず動いている。そして超高速で近づいてきている。

 

 不意に、ドローンの銃撃が止まった。振り返る。姿は見えない。立ち上る塵埃だけがベイカーの痕跡を示している。

 

 上方から風切り音。──上か!

 

 戦闘ドローンがかかと落としにて蹴り落され、機能停止。ベイカーが着地したかに思えば、刹那その輪郭がぶれ、姿が消える。

 

 脳内で浮かぶ反撃の選択肢をすべて棄却し、僕は口を開いた。

 

「待て! 全部誤解なんだ!」

 

 僕の顎の寸前、ほんと紙一重でベイカーの拳が止まる。風圧が僕の顔を襲い掛かってきたので、ベクトルを制御し、大げさに後方に吹っ飛ぶ。

 

 地面を回転。わざと情けなく見せる。

 僕はよろよろと立ち上がり、殴られかけた顎をさする。顔を上げれば、すぐさま飛び掛かれるように構えたベイカー。甘い。年相応。

 

「どういうことだ」

 

 じりじり、と僕は後ずさり、さりげなく距離を稼ぐ。

 

「その前に拳を下ろせ。銃口を突き付けられていたら、話せるものも話せないよ」

 

 彼女は構えを解かない。そこまで馬鹿じゃないという事か。

 しかし、あと二歩は前に進ませなければならない。

 

 さらに一歩、僕は下がる。

 追従するように彼女も一歩踏み出す。

 

「僕が依頼を受けたのは知っているな。僕が来た時にはすでに仲介人は死んでいた。君の姿を見た時、犯人かと思ったんだ。だから逃げた。思わず発砲してしまったのもそのせいだ。分かるね」

 

 ベイカーが動揺しているのが分かる。お人好しめ。流石正義の味方を名乗るだけある。僕の言葉を真摯に受け止め、精査しているのだろう。

 

「で、でも! 仲介人が撃たれた発砲音と、お前の拳銃の発砲音が同じだった!」

 

「たまたま、同じだったんだろう」

 

「そんなわけあるか‼」

 

 彼女がダンッと強く踏み出した。

 

「ほら、後ろを見てみろ。僕の無実を証明する男がやってきた。武林──屠畜業者(ブッチャー)が来てくれた。詳しい話はそっちに聞いてくれ」

 

「はっ⁉」

 

 僕がベイカーの後ろを指差すと、彼女は間抜けにも振り返った。

 僕は仕掛けておいた装置を起動。彼女の左右から、ワイヤーが射出される。

 

「なッ──⁉」

 

 ワイヤーはベイカーの体に巻き付き、彼女を雁字搦めにした。

 

 経験不足。知恵不足。想像力不足。

 

 いくら強い武器を持っていても、それを扱う者がこうも馬鹿じゃ意味がない。子供に銃を持たせせたって、人を殺すことはできるが、戦闘はできない。まともに戦うにもある程度、訓練が必要なのだ。

 

 僕は衝撃式信管手榴弾(インパクトグレネード)を二つ、左右に投げた。

 着弾と同時に比較的小規模な爆発が起こり、崩れかけの廃屋が雪崩を起こして、ベイカーを巻き込み完全に倒壊した。

 

 僕はそこに凝固油脂とマッチを投げ込む。炎が一気に立ち上り、付近を地獄に変えた。これで彼女の脳幹デバイスはオーバーヒートを起こす。『加速』の効果は低下する。王様並びに協力してくれたスラムの住人には不義理だが、まあ仕方あるまい。

 

 僕は最低限の装備を残して、タクティカルベストをパージ。身軽になって、再び走り出した。

 

    ◇

 

 全身を満遍なく焼く日差しにうんざりしながら必死に足を動かす。

 ブルーシートとトタンで補強された、辛うじて家の形を残した街並みを抜けていく。

 

 携帯での救援要請を終え、合流地点を設定。

 くの字に折れ曲がった道路標識を超えると、ようやくバイクを隠した廃屋が見えた。その陰から立花が、必死に手招きしている。

 

 僕の顔が否応なく弛緩した。自身のその反応によって、僕は僕の感情に気付く。そして蓋をした。意味がないから。

 

 速度を緩めようとしたその時、背後から雷鳴を思わせる轟音。

 瞬間、僕は前方に吹っ飛んでいた。

 

 顔面からの着地はどうにか避け、肩を使って衝撃を殺す。

 十メートルほど進んだ位置で、ようやく力の制御が可能になった。膝をばねに、跳ね、振り返りながら立ち上がる。

 

 背中に感じた衝撃、そして片足を前にして着地しているベイカーの姿から、飛び蹴りを喰らったのだと理解。

 

 もう追い付いてきたのか。流石に速すぎるだろ。

 

 僕はガネイシャをリロードし、腕をぶらんと下げ、半身を取る。

 経絡に『|澱柔理(でんじゅうり)』を通し、腰を落とした。

 反射的に化勁を行える、所謂、応受の構えである。

 

「ベイカー! 聞きたいことがある!」

 

「もうお前の言葉には耳を貸さないッ!」

 

 ベイカーの姿が消える。

 先ほどまでと変わらない速度。嘘だろ。彼女の衣服は所々焦げていた、火炎は被ったはずだ。オーバーヒートしているはずだ。

 

 背後で地面を踏みしめる、じゃりとした音。

 広背筋のあたりに彼女の拳が突き刺さる。力は自動的に地面を抜け、辺りに波紋を作るが、同時に『澱柔理』も解除される。

 

「なんだこいつッ! 攻撃がッ⁉」

 

 ベイカーが驚愕を全身に浮かべ、バックステップ。──素人。武術を知らない。経絡を辿れてない。しかし、速さ、そして拳の威力はお嬢のスペックを少しだけ上回っていた。

 

 はぁ⁉ 自分の分析に自分で驚く。

 

 お嬢よりも一世代、進化しているのか。いや親父の失脚と共にチームメンバーは全員殺されたんだぞ。ありえない。──他に、可能性は。

 

 僕は慎重に後方に下がりながら、歩法、視線誘導によって、罠の存在を匂わせる。

 リストデバイスを操作するふりをして、ベイカーを警戒させる。彼女はさらに後ろに下がった。

 

 間合い外である。この距離だとベイカーは一息に僕の元まで飛んでこれない。

 

「お前のその力──『加速』及びそれを制御する脳幹デバイスは僕の父、鮎川総一郎が作った! 僕の父を知っているか!」

 

 ベイカーがビクンと体を震わす。困惑しているのが分かる。

 彼女は力なくかぶりを振って、

 

「し、知らない! 私はずっと研究所にいた! 仲介人に助けられたんだ!」

 

「どこのだ!」

 

薛秦(せっしん)……薛秦義肢公司だ!」

 

 リーナの会社だ。かつては、鳶明彦の。

 

「…………!」

 

 まさか。最悪の考えが僕の頭に浮かんだ。

 

 そうだ、あの技術を再現できる人間はもう一人いる。

 親父の強化人間構想を葬った張本人、鳶明彦だ。

 

 だから、彼女──ベイカーはおそらくハイブリットなのだ。先天的サイボーグであり、操造子(デザイナーズチャイルド)なのだ。それならば説明がつく。合点がいく。

 

「だ、だから私はお前を殺す! 殺さなきゃならない!」

 

 意外な共通点が見つかったせいか、時間が経ったせいか、彼女の復讐心、憤りも大分落ち着いてきたようだ。声に戸惑いがある。良心の呵責。

 

 僕がそれを逆手に、彼女の罪悪感を煽ろうと口を開きかけた瞬間、視界の端に小さく、立花の姿が映った。

 彼女は口パクで、

 

『協力します』

 

 光明が見えた。

 

「おい、ベイカー! 正義の味方を名乗っておいて、人殺しとはヒーローの風上にも置けねぇなァ!」

 

 できる限り大声で叫ぶ。

 

「お前は殺人が仕事じゃないだろう! 暴力が仕事じゃないだろう! ならば、復讐心に駆られて僕を殺すよりかは、回れ右して人を助けろよ! 命を救えよ!」

 

「そ、それはお前が──」

 

「今まさにスラムの人間が、火事で困ってんじゃねぇのか⁉ ほら、あそこにも‼」

 

 僕が立花の方向を指差す。彼女は意地の悪い笑顔を浮かべ、僕に頷きを返してくれた。

 

「た、助けてェええええ!」

 

 迫真の叫び声。本当に大した奴である。

 

 ベイカーは急いで振り返るが、すぐさま僕にも顔を向ける。

 かなり迷った様子で、前後に何度も首を振り、地団太を一つ踏んで、僕から離れていった。

 

 ただの欺瞞。助ける人などどこにもいないことに彼女も直ぐに気付く。

 

 しかし、少なくともバイクにまたがる時間はできた。第一段階突破。要望通りエンジンも温まっている。

 

 さあ、向かうは繁華街──お嬢との合流地点。

 

 スナーク狩りには僕の裏切りがばれた。ならば懸念事項は潰しておくに限る。

 

 ここからは、ベイカーを殺すための行動に出よう。

 

 僕はクラッチを繋ぎ、ロイヤルエンフィールドを発進させた。




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~BIG LOVE~
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