カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十五話:決着

 中点近くまで昇った太陽から、容赦なく照り付ける日差しに、舗装道路(オンロード)はまるで悲鳴でもあげるかのように陽炎を噴き上げていた。

 

 線となって高速で後ろに流れていく景色。

 等間隔に並んだ細長い道路照明灯、なだらかな山頂も持つ山々、そして頭だけ出すビル群と突き出た五つの摩天楼。汗と疲労、そして焦りによってゴーグル越しの視界は霞み、歪んでいた。

 

 現在、僕が疾走しているのは、西の工場地帯と東の住宅地域を繋ぐ、改都を横断した幹線道路であった。街はすでに目覚めている。ぱっちりと目が冴えている。だから、大型トラックに乗用車に消防車と、交通量が多い。

 中央にはドローン専用レーンがあって、各企業のロゴを背負った大型の宅配ドローンが蟻の行列のように連なっていた。

 

 (マシン)はお嬢から借りたロイヤルエンフィールドミリタリーモデル。単気筒空冷4ストロークの499CC。お嬢の好みによってエンジン回りは多少チューンナップされているが、それだけ。現在の状況には少し──いや、かなり頼りない。

 

 大質量の風が全身にぶち当たり、髪と衣服が後方に引っ張られる。分厚い空気の層を強引にかき分けているみたいだ。それはまさに水泳。高速で空気は液体と化す。

 

 エンジンはすでに音でなく、振動としてしか感じられない。ケツから上がってくる荒々しい振動。耳にはビュンビュンと風切り音。

 

 僕はハンドルを切って、ほとんど寝転んでいると言っても過言じゃない体勢で、三連式貨物トラックを掻い潜った。

 車線変更する軽と交差し、詰まった左車線を、縫って縫って追い越していく。

 

 僕のこの無茶な運転は、特殊ゴーグルが補助してくれていた。

 ルート、車種、予測される軌道を視覚情報として示してくれている。僕にはリーナやお嬢のように身体ソフトウェアの改造を受けていない。勿論ハードウェアも。──ナチュラル。だからこういったものに頼る必要がある。自身が劣っていると理解しているからこその、選択肢の広さ。僕にはいい意味でプライドがない。

 

 僕は振り返る。

 先ほどまで僕を追っていた小柄な人影が、見当たらない。心が安堵し、体が弛緩しかけるが、内頬を噛んで正気を取り戻す。そんなわけがない。こんな小手先の技で彼女を撒けるはずがない。

 

 ぐわん、と僕の隣を走行していたトラックの車体が揺れた。

 

 視線を移すと、そこには逆光に照らされ立つ、少女の姿。

 

 黒々輝くフルフェイスヘルメット、そこからはみ出す長い金髪、そして風にたなびく分厚い緑のマント──は輪郭の黒い穴が大小無数に開いていた。

 

 粗忽者のベイカー。第三世代ハイブリットサイボーグ。

 

 彼女は、幹線道路を走っていた車を伝って、僕を追いかけてきていた。

 何という驚くべき身体能力、見上げた反射神経、そして勇気。だが、それは想定内。それを見越しての作戦。

 

 しかし、正直ここまでの肉薄は想定外であった。

 この作戦は撒くためではない、お嬢の元に誘導するための作戦である。着かず離れずで追い掛けられ、お嬢がいる繁華街までバイクで逃げる。ベイカーを誘導する。そんな作戦。もちろん撒き切ることができるのが一番いいが、そんな甘えた考えは身を滅ぼすだけだ。万に一つ、出来たらいいなくらいで考えておくのが吉である。

 

 ただし、それはベイカーの身体的スペックが、お嬢と同じであるという仮定のもとに考案した作戦だった。ベイカーがサイボーグと遺伝子改造(デザイン)のハイブリットであり、純粋な身体スペックがお嬢を上回っていたことなんて予想していなかった。

 

 ベイカーが正面に僕を据え、ひざを曲げる。──不味い。

 

 すでにロイヤルエンフィールドは五速、アクセル全開である。これ以上のスピードは出ない。くそ、もっと排気量の大きいバイクを借りてくるべきだった!

 

 ベイカーが空気に溶け込むように跳躍する。

 僕はブレーキを踏み、急減速。体が前に取り残されそうになるが、バイクと体に勁を繋ぎ、どうにか姿勢を維持する。直ぐにクラッチペダルを踏み、三速まで落として、再加速。彼女の足場であったトラックを回り込み、歩道を走る。

 

 ベイカーは信じられない速さで足を回し、少しも速度を落とすことなく再び跳躍。乗用車のルーフへと着地した。

 そしてトラック後方に飛び移り、さらに再び貨物の上へと昇る。──パルクールやってんじゃないんだぞ!

 

 四速、五速。僕はバイクがトップスピードに戻ったことを確認したのち、再び道路の中心へ。細かく蛇行し、走行中の車を追い抜いていく。

 

 背後。因幡の白兎のように、車を跳んで跳んで、追いかけてくるベイカー。じりじりと距離を詰められる。

 

 ああ、クソ!

 

 これじゃあ追い付かれてしまう。どうする。僕は使えるものはないかと周囲に視線を移すと、前方にタンクローリーが見えた。注意表示のマークからするに、内容物はガソリン。

 

 足止めの方法が思いつく。思いつくが──マジで?

 

 懊悩。葛藤。呵責。

 

 そんなものは捨てる。そんなものは風に流して、消し去ってしまう。

 

 僕はガネイシャを構えた。バイクをタンクローリーに横付けし並走。前方左側のタイヤに照準を合わせる。

 

 慎重にタイミングを計れ。

 

 ベイカーがすぐ近くまで迫っている。

 彼女は軽トラの荷台にぶら下がりながら、見えざる視線で僕を穿っている。質量すら感じる感情の乗った視線だ。彼女の肩が規則正しく揺れる。カウント。そして彼女はぐっと全身に力を入れ、跳躍した。

 

 僕は息を止めた。

 

 ガォオン。──ばつん。

 

 タンクローリーが姿勢を崩す。首が折れ曲がり、道路を横切るように倒れていく。

 

 それはいくつもの車を巻き込み、塵を払う箒のように根こそぎさらっていった。

 そして炎天下のせいか、電装系が悪さをしたのか、何がきっかけなのかは知らないが、ガソリンに火が付いた。

 

 晴天にぼわんと立ち上る、爆炎。

 それはキノコの成長過程をタイムラプスで繋げたような軌跡をたどり、平和な幹線道路を地獄へ変えた。

 

 炎が飛び散る。連鎖的に車が衝突していく。小規模な爆炎が次々上がっていく。

 

 乾いた笑いが漏れた。否応なく口角がつり上がる。目じりがひくひくと動く。

 

 想像してしまう他人の痛み、生活。

 それを覆いつくすような達成感、カタルシス。

 今なら少しヤクザの気持ちが理解できた。つまり、暴力にはある種の爽快さが伴うってことだ。

 

 さあ、繁華街へと続くインターチェンジを示した青看板が見えた。重いカルマを背負ったおかげで、少しは時間が稼げたはずだ。

 

 しかし、それは全くの希望的観測であった。

 

 タンデムシートに、重く鈍い衝撃。

 

「鮎川晴臣ッ! 覚悟ォ‼」

 

 振り返るとベイカーがタンデムシートに立っていた。そして拳を振り上げていた。

 

「──ッ⁉」

 

 なぜだ。僕めがけて放たれる一撃必殺であろうベイカーの拳。スローモーション。視界がコマ送りになる。高速で巡る思考。僕はこれを知っている。

 タキサイキア現象、フロー、ゾーン。

 ベイカーやお嬢の『加速』は意図的にこの状態を作り出している。足場のない中、彼女はどうやってこの場所へ?

 

 ベイカーの背後、不自然にドローンが乱れている。

 ああ、なるほど。あそこを伝っていたのか。爆発を抜け、道路中央のドローンに飛び移り、その上を疾走。僕の元までたどり着いたという事だな。

 ……正気か⁉ 正気だったんだろうな。お嬢のように、彼女には常識が通用しない。彼女はやるべくしてやった。

 

 それが分かったからなんだ。タネが割れたとてなんだ。事態は好転しない。

 

 拳の位置が半分を超えた。

 どうする。かなり無理をすることにはなるが、この状態からでも彼女の拳を回避することはできる。ただ、回避するだけだ。というかすでに僕の体は動き出している。しかし、その後がない。無理な体制での回避、タンデムシートに立つベイカーの体重のせいで車体のバランスは崩れている。拳が振り抜かれたのち、確実にバイクは横転する。

 

 足なしでどうするんだ。ここは幹線道路。障害物も利用できる何かもない。あれだけ潤沢に用意してたセカンダリもすでに底を尽きている。この場所は地上からかなり高い場所にある。いくら下が繁華街だからって、飛び降りることなんて──いや待てよ。ベイカーの行動をヒントに僕に一つの考えが思い浮かんだ。

 

 しかし、確実性はない。僕に彼女ほどの身体能力はない。

 

 だが、やるしかない。

 

 ベイカーの拳が振り抜かれる。それは僕の頬を掠め、皮膚を食いちぎった。

 

 宙に舞った血液の先端がすでに遠い。視界が回る。景色が目まぐるしく変わる。僕は身体感覚だけを頼りに、衝撃を殺しながら、幹線道路の端まで転がる。

 

 膝のばねを使って跳ね起き、空と道路を区切る柵に背を付ける。

 頬を拭うとどろりと血が付いた。まるで鋭いナイフで切り裂かれたみたいな傷だ。視界の端では制御を失ったロイヤルエンフィールドが前方の車にぶち当たり、火を噴き出していた。ああ、お嬢になんて言おう……。

 

 正面、綺麗に着地したベイカーが、スタンディングスタートの構えを取っている。

 直ぐに仕掛けてこないのは、ここまでの間小手先でいなし続けてきたからだろう。次の一撃で決める、という静謐な緊張が伝わってくる。

 

 僕は柵に手を掛けた。風が強いらしく、僕の髪が逆立つ。

 

 ベイカーがじり、と軸足を動かした。僕は柵を乗り越え、空へと飛び降りた。

 

「──はっ⁉」

 

 ベイカーの驚嘆の声が遠ざかっていく。ざまみろ。

 

 全身が風を感じている。風の中に埋もれていっている。感じたことのない感覚に全身がうち震えている。風切り音が僕の全身を包む。服の端は上方へとぐいぐい引っ張り上げられ、目は開けていられないほどだ。

 

 恐怖、恐怖、恐怖! 

 そして、少しの高揚感、あるいは全能感。もしくはやけっぱち!

 

 しかし、このパラシュートなしスカイダイビングを楽しんでいる暇はない。僕は全身に感じる風の流れを勁力だと脳内で言い聞かせ、コントロールを試みる。多少、鈍く荒くはあったが読めないほどではない。手、腕、そしてジャケットを利用して風に乗る。

 

 緩い弧を描くように落下、幹線道路の下へと潜る。

 そこには磁力措置を受けて、ゆっくりと空中を進む貨物(コンテナ)ゴンドラ。細かい指定のない大型の貨物を運ぶためのゴンドラである。全自動、二十四時間が売りで、改都の流通を支えている。

 

 僕は両手を伸ばしてどうにかゴンドラの端を捉える。ぐわんと車両全体がたわみ、波打った。

 跳ねるように体を引っ張り上げて、上部へと着地。重力加速を殺すのに三回転半使う。無茶な体の使い方に、経絡が悲鳴を上げた。

 爪の隙間から血がにじむ、鼻血が噴き出る、胃の中が混ぜ返され、反吐が喉元まで上がってくる。

 

 僕はそれらを根性で覆い隠し、握り潰した。

 

 そのまま、ゴンドラの進行方向とは逆に走り、幹線道路を支える橋脚へとたどり着く。

 

 大円柱。

 広めの自然公園がすっぽり収まりそうなくらいの太さだ。僕はジャケットを両手に巻きつけ、備え付けられた梯子を滑るように下りた。

 

 摩擦熱が皮膚まで伝わってくる。梯子を掴む握力がすり減ってくる。

 

 横殴りの風に戦々恐々とし、ぎしぎし鳴る梯子のために祈る。

 

 最後は飛び降りるようにして、橋脚をぐるりと囲むプラットフォームへ。これでようやく半分。安っぽい鉄製格子状の床がカンカンと鳴る。

 

 かなり繁華街が近づいた。猥雑な通りと、そこを抜けていく人の流れが目で追えるようになる。

 

 僕は周囲を見回し、ドローン空域を探す。

 個人宅配用の自動制御小型ドローンの群れだ。磁力処置を受けた車と衝突しないように、空域が定められている。

 

 僕は思いっきり助走をつけて、そこに向かって跳躍した。

 

 再び空の中へ。再び重力の支配下へ。

 僕の軌道は放物線を描く。それにしては随分と悲惨に暴落しているが。

 

 落下、落下、落下。

 急速に地面が近づいてくる。僕は手を伸ばし、ドローンへと手を掛けた。

 

 ぐらり、とドローンがほとんど抵抗なしに急降下。

 エネルギーがなくなる前に次のドローンへと飛び移る。一つ、二つ、三つ。重力加速によって生じたエネルギーを殺していく。

 

 四つ、五つ、六つ。少し余裕が出てきた。僕はリストデバイスを起動、付近の電子的防壁がザルなドローンの制御を乗っ取り、僕の付近へと呼び集める。

 

 それらを平面的に並べ、クッションに。そこに飛び移って、緩やかに下降。お嬢の位置を確認しようと携帯を開いたところで気づいた。

 

 上方、まだ小さい点でしかないが、確実に彼女だ。

 ベイカーが僕と同じ軌跡を辿り、追ってきている。

 ここまでくると感動すら覚えるね。もちろん畏怖交じりではあるが。

 

 ビルの先端の位置まで高度が落ちた。

 見覚えのある風景が目に入り込んでくる。中国語に英語にロシア語に、多言語的で目に毒な代替ネオン看板。街のすべての窓は曇るか割れるかしており、すべての建物は薄汚れている。焼けた肉の匂いが、粉っぽい香水の匂いと混じり漂ってきた。

 

 僕が降り立った先は、繁華街のメインストリートであった。丁度お嬢との合流地点。

 僕が、僕を不信の目で見てくるギャラリーに視線で威嚇した後、お嬢の姿を探していると、

 

「おいおい、晴臣ィ。随分なご登場じゃねぇか」

 

 後ろから、女性にしては低い、芯の通ったハスキーな声が聞こえた。

 

「お嬢っ!」

 

 声に意図せぬ喜色が混じってしまった。

 

 僕が振り返ると、ダメージジーンズに手を突っ込んだ、いつもと変わらぬお嬢の姿。

 半分ボタンが開いた黒い半袖の柄シャツに、白いTシャツ。背中にはコントラバスでも入れてんのかってほど大きな楽器ケース。

 

「お、おぉ? なんかテンション高いなって……あァ?」

 

 お嬢が僕の顔を凝視する。眉根を寄せ、まるで睨みつけるように。

 

「晴臣、お前、その傷どうした?」

 

 僕は自身の頬を触る。ぬるり。まだ血が止まっていない。どうやって説明しようかと、頭を回していると、お嬢は一人納得した様子で、

 

「ああ、つまりお前は追われていた訳か。いきなり、本気で戦える準備して繁華街(ここ)に来いって言うんで、どういうことかと思っていたが、そういう事か。うん、よし、後は全部任せろ」

 

 ──ああ、これほど力強い言葉はない。

 と、心の底から思ってしまう自分に辟易してしまう。いかに疲弊し、切羽詰まっいたかが今、実感を伴って理解できた。

 

「それで、そいつは?」

 

「上だ、もう来るよ」

 

 ベイカーが、重力を無視したかのようにビルの側面を地面に、疾走していた。

 

「『加速』持ちの上、何らかのサイバネ、そして遺伝子改造(デザイン)を受けている。純粋なスペックは、多分、お嬢よりも上だ」

 

 お嬢は興味なさそうに、楽器ケースを地面に置きながら、

 

「そんなもんはどうだっていい。殺す。私の旦那様の大事な、だーいじな(かんばせ)に傷をつけたってんなら容赦はしない。まあ、久しぶりに全力でやれるんだ、楽しませてもらいはするけどな」

 

「うん、よろし…………え?」

 

 今、コイツなんて言った。

 

「おじょ──」

 

「逃げるなァ、臆病者ッ‼」

 

 ベイカーの声。

 ──正面、肩で息をしたベイカーがビルすら揺れるんじゃないかってくらいの大声で叫んでいた。

 

「……こいつが?」

 

 お嬢がベイカーを指差す。

 僕が頷くと、お嬢は楽器ケースから取り出した大太刀を腰に据え、一歩前に出た。

 

「仁義は省く、めんどくさいからなァ! だが、一応名乗ってはやろう、暫定好敵手! 私は箕土路流武術の二十九代目当主、箕土路蒼青! 情状酌量の余地なく殺すつもりだから、覚悟しろボケ‼」

 

 ベイカーが一歩後退。かなり戸惑った様子で、

 

「……み、みどろぉ? わ、私はそこの男、鮎川晴臣を正義の名のもとに罰するために来たんだっ! あんたと戦うつもりはない、どっか行け!」

 

 お嬢がからからと笑う。

 

「そうはいかねぇなぁ。私と晴臣は一心同体、晴臣を殺したいならまず私を殺しな。そんなことはさせんがな」

 

「卑怯だぞ! 情けないぞ、鮎川晴臣! 正々堂々私とサシで戦え!」

 

 こいつ、正々堂々と来たか。それならばと、僕は口を挟んだ。

 

「じゃあ、まず『加速』切れよ。そしたら考えてやる」

 

 僕がそう言うと、ベイカーは答えに窮す。

 

「んじゃ、まあそういう事で。正々堂々は私とやれ」

 

 お嬢がぬらりと大太刀を抜いた。

 白銀に輝くそれは、箕土路家の家宝『湖断ち』。諸事情により格付けには載っていないが、最上大業物に匹敵する刀工が造った名刀。

 

 お嬢が楽器ケースを蹴り、地面を滑らせる。それはベイカーの足元まで届いた。

 

「見たところ、素手らしい。そこに入ってる奴なんでも貸してやろう」

 

 ベイカーがお嬢の顔と楽器ケースを見比べる。

 

「い、いらない! 人を殺すために作られた道具など、私は使わない!」

 

「はァ? お前、『加速』使えんだよな。脳幹デバイス入ってんだよな。なら、お前がすでに人殺すために作られてんじゃねぇか」

 

「うるさい‼」

 

「ふっ、まあいいけどさ。……あとで文句言わないでくれよ」

 

 お嬢が太刀を担ぐように構えたかに思ったら、姿が消えた。

 

 三合──僕が認識できたのはそれだけだ──短く打ち合う音が聞こえたのち、人ごみがボウリングのピンのように割れ、壁に打ち据えられたベイカーが出現した。

 

「え、よわ」

 

 フルフェイスのバイザー部分がひび割れ、全身には鋭く走るいくつもの切り傷。不規則な震え方、鳩尾に残った靴跡、えずいている様子からするに、腹を蹴られたのだろう。

 

 お嬢が振り返って言った。

 

「晴臣ぃ、こいつマジで弱いんだけど。素人さんじゃん」

 

 僕は肩を竦める。お嬢はあきれた様子でベイカーに近寄り、フルフェイスを外した。まだあどけなさの残る少女が、口の端に血を滲ませていた。

 

「お前、どこの流派?」

 

 ベイカーがお嬢を睨んだ。お嬢は膝でベイカーの鼻を蹴った。

 

「ンぶっ」

 

 鼻血が噴き出る。お嬢がベイカーの髪を掴み、顔を上げさせる。

 

「お前、どこの流派?」

 

 少女の目から、ポロポロと涙がこぼれ始めた。表情が歪んでいき、遂には声をあげてわんわんと泣き始める。

 

「うわ。……晴臣ィ」

 

「何もやってなさそうだったよ。近接格闘術(CQC)はちょっとかじってたみたいだけど、それだけ」

 

「えぇ~、マジ? お前が私と対等に戦える相手見つけたって言ったから少しは期待してたんだぜぇ。雑魚もいいとこだ、こんなのは。武術のぶの字も知らない」

 

「いやでも『加速』だよ? スペックはお嬢より上だったでしょ?」

 

「そりゃあ、少しは速いかもしんないけどさ、んなもん問題でも何でもない」お嬢が肩を回す。「えー、どうしよ。素材は良さそうだし、鍛えようかな。なんか私もそろそろ教える側に回らなきゃダメな気がしてきた。どう思う晴臣?」

 

「──だ、れがお前なんかにィ!」

 

「お」

 

 ベイカーが目をこすりながら、ふらふらと立ち上がっていた。

 ぐっと全身に力を籠め、ファイティングポーズ。

 

「あ、でもお前晴臣に怪我させたんだったな。さっきのなし。やっぱ殺すわ。その上で、晴臣少し見といてくれ、速度落として戦う」

 

 二人が陽炎を纏う。それらが交じり合った瞬間、ベイカーの姿が消えた。

 

「よっ」

 

 お嬢の脇腹めがけて放たれたベイカーのブローは、お嬢の手のひらによって容易く受け止められていた。

 

「ギィィィ‼」

 

「そう叫ぶなって。で、ほら晴臣、これを──」

 

 お嬢が力を抜いて、ベイカーをつんのめらせる。

 

「ぐぅっ!」

 

 そのまま、お嬢の拳がベイカーの顔面に突き刺さろうとするが、ベイカーはすんででこれを回避。

 

「うら」

 

 お嬢がすらと足払いを行うと、いとも簡単にベイカーは倒れた。それも顔面から。

 

「へぶっ」

 

「と、まあ反応が速いだけで、こんな簡単なフェイントに引っかかる。その後の受け身も取れない。戦ってても甲斐がないわけ。つまんねぇ」

 

「う、うわあああああああ‼」

 

 ベイカー決死の突貫。

 お嬢の腰に掴みかかるが、びくともしない。お嬢は柄頭でベイカーの後頭部を殴る。倒れまいと踏ん張り、前方に転がるベイカー。全身が開かれる。お嬢は手を返し、ひらりと太刀を振るった。

 

 ベイカーの右腕が飛んだ。

 

 皮膚収縮により、出血が防がれる。──皮膚硬化改造(スキンスーツ)か。道理でオーバーヒートが起きないはずだ。

 

「ひへっ?」

 

 ベイカーが地面に落ちた右腕と、無くなってしまった箇所を見比べる。状況がいまいち理解できてないらしい。

 心持ち、多分彼女は生まれた頃から最強だったのだ。周囲では一番強かったのだ。敗北、挫折に対する対処が一切できていない。

 

 事情で言うとお嬢も同じようなもんだが、こっちはその慢心を武術で埋めている。

 

「おいおい、呆気ないなぁ。奥の手とかないのか?」

 

「あ、あぁ……わたっ私の、腕っ、うでぇ…っ!」

 

「なさそうだな」

 

 お嬢が大上段に太刀を振りかぶる。本当に呆気ない。正直ベイカーならかなり善戦できると思っていた。僕はお嬢のことをかなり過小評価していたみたいだ。これなら、あの日、水仙が街に火を放ったあの日も、お嬢ならどうにかしてしまったんじゃないだろうか。

 

 まあ、今更考えても詮無きことである。

 

 お嬢が太刀を振り下ろそうとした瞬間、彼女の視線が彼方へと飛んだ。それから顔を顰め、僕の方へと走り出した。

 

 腕に感触、そして衝撃。視界がブレる。

 風。爆発音。コンクリートが弾ける音。数多の悲鳴。火薬の匂い。

 

 気づいたら僕は、ビルの屋上にいた。お嬢に背負われた状態で。

 

「な、なにが?」

 

戦闘ヘリ(ガンシップ)だ。戦闘ヘリが、ミサイル撃って来やがった」

 

 眼下に広がる街並みは、非日常と化していた。破砕した建物、逃げる人々、上がる火の手。そして、地面スレスレをホバリングする、灰色の武装ヘリ(ガンシップ)

 僕は目を凝らして観察する。

 

「……スナーク狩りだ」

 

「あんだって?」

 

 ハッチから手を伸ばす、スーツの男。あれは武林だ。それにその奥、シートに縛り付けられた白く長い髪の少女、白峰ユーリアの姿も見えた。

 

 武林に手を引かれ、失意のベイカーが回収される。

 

「どうする?」

 

「お嬢、長物は持ってきた?」

 

「いや、ないけど」

 

「うーん、あれじゃガネイシャでも駄目そうだよね」

 

「試してみるか? それとも追いかけてやってもいいぜ」

 

「いや、いいや。どうせ顔は割れてる。基地の場所もわかる。後ででもいい」

 

 いくらお嬢がいれど、ここからガンシップとやりあう気力はない。

 

 ガンシップが騒音をまき散らしながら上昇していく。その際、ユーリアの怒り心頭な目と視線が合った気がした。

 

 ガンシップが小さな点となったことを確認したのち、僕は地面へとへたり込んだ。

 

 とても長い一日だった。死ぬかと思った。そして、結構殺した。直接的にも、間接的にも。脳が緩む。緊張からの解放、目じりが下がる。そういえば、立花は無事だろうか。後で確認しなくては。

 

「お疲れだな」

 

 お嬢が僕の隣に座り、密着してくる。

 

「汗臭いでしょ」

 

「気にしねぇよ」

 

 お嬢が僕の肩を掴み、体重を預けさせてくれる。

 彼女から香る微量の汗と、若い女性特有の桃の香り、そしてさりげないシトラスの香水が心地いい。

 

「あ、そうだ。お嬢、僕は君に謝らないといけないことがあるんだ」

 

「ん~?」

 

「借りてたロイヤルエンフィールド、壊しちゃった」

 

 お嬢の体がピクリと動く。

 

「ごめん。でもちゃんと弁償するから許してくれ」

 

「いや、いいよ。もう、私のもんは全部お前のもんだ。どう使ってくれても構わない」

 

「でも、あんなに気に入ってたじゃないか。どうにかして同じ車種を──」

 

「本当にいいんだ、晴臣。私が本当に欲しかったものはもう手に入った。それがあれば他には何もいらない」

 

 感動的なセリフだが、彼女の意味するところが分かり、僕の全身に悪寒が走った。

 

「そんでよ、晴臣。今日、私、役に立ったよな? 晴臣の助けになったよな」

 

 猫なで声。嫌な予感。いや、考えようによっては、悪くないのか?

 

「そうだね。ありがとう」

 

「そうだろ、そうだろっ! ……だからさ、ほら、リターンっていうか……な、わかるだろ?」

 

「シャワー浴びたら、お嬢の家に行くから準備しといて」

 

「…………うん」

 

 相も変わらず、太陽は僕を嫌がらせのように照り付けている。ただ、そんなことは些末事でしかない。僕は心の置き場に迷っていた。

 

 大事なものを失くしたような、大切なものを得たような、悲劇的な、喜劇的な、そんな気分。ぴたりとあてはまる言葉はない。

 

 ただ、すでに梅雨は開けていた。それだけは確かだった。




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犬耳を可愛らしく傾ける忠臣は、いつでも俺の隣にすり寄ってきてくれる。▼龍の少女の参謀は俺を宝と称して、愛らしく腕を取ってくる。▼俺のことを神とさえ慕ってくれる子もいる。▼ ▼愛していたキャラクターたちが、創り上げた組織が、すべて本物になった。▼みんなデレデレで、可愛らしく甘えてくれる。▼もちろん舞い上がった。▼ ▼でも、配信者も、攻略サイトでも言ってなかった…


総合評価:3353/評価:8.51/連載:55話/更新日時:2026年05月07日(木) 22:00 小説情報


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