カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第十六話:軟禁、修羅場

 今日は朝から街の様子がおかしかった。

 

 繁華街にもアーケードにも人がまばらで、いつものような活気がない。

 たまに人を見かけたと思ったら、誰もがせわしなく動いており、雰囲気が剣呑だった。

 

 群れやヤクザがまた何かを企んでいるのかと思ったが、老若男女問わずにそうであったので、どうにも違うらしい。

 

 こういった違和感には、絶対に何か裏がある。

 違和感を生じさせる原因が絶対にある。だから、探さねばならない。調査し、解き明かさねばならない。そうしたら流れに置いていかれることなく、自分に有利な方につけるのだ。情報を持った状態で選択できるのだ。

 子供のころ、父にそう教わった。

 

 しかし、今はできない。

 リーナに依頼完遂の報告をしに来いと呼ばれているのだ。それも早急に。

 

 空は厚い雲に覆われており、気分の沈む鈍色に染まっている。風がびゅうびゅうと吹きすさんでいて、夏だというのに冷気を帯びている。

 

 心がざわつく。

 

 何かが起こる気がする。それも、飛び切り嫌なことが。

 

 あの日、父の凋落が決まった日もこんな天気だった。

 

 こういう時に何もしないのは落ち着かない。──ので手っ取り早く状況を知ろうと、立花に電話を掛けるが、いつまで待っても彼女は出なかった。

 

 中央広場を抜け、リーナから貰ったIDパスをかざし、中心街(セントラル)へと繋がるゲートを潜る。

 

 視界に映るのは陰樹林のようにエコシステムが確立されたビル群。

 その一角にある電子掲示板に映った現在の気温・湿度を見て、僕は思い出す。

 

 うんうん唸りながら寝返りを打つお嬢の横で、何気なくつけたテレビ──天気予報。

 

 そういえば、台風が迫ってきているのだ。

 

    ◇

 

 ついに降りだしてきたか。

 僕は窓にじんわり浮かぶ水滴を見ながらそう思った。

 

「こちらです」

 

 リーナの新しい秘書兼護衛であるディッセンバーがリーナの部屋を指し示してくれる。

 

 僕が今いるのは摩天楼の一つ、リーナがCEOを務める薛秦(せつしん)義肢公司の社屋であった。そこの居住フロアの最上階。ワンフロア丸々、鳶家の屋敷となっている。

 今はリーナただ一人の物だが。

 

 リーナの趣味なのか、故鳶明彦の趣味なのか、はたまた先々代の趣味なのかは知らないが、そのフロアは宮殿のような造りになっており、石造りの柱が林立している。

 中央には人工太陽に照らされた、庭園(ガーデン)があり、四方上部にはぐるりと液晶ディスプレイが囲んでいる。そこには現在、水墨画風の山々が映されていた。

 ちぐはぐだ。和洋が折衷していない。

 

 僕が歩いてきた廊下には点々と分厚い窓が備え付けられていて、改都を見下ろすことができた。

 暗雲垂れ込める、灰色に染まった街。

 梅雨が過ぎたと思ったら、次は台風が来る。つくづく思うが、日本列島ってのは気候のバリエーションが多すぎないか。

 

 ディセが恭しく頭を下げながら、両開きのドアを開けてくれた。

 道中彼女になぜ名前がディッセンバーなのかを聞いたが、答えてくれなかった。

 ノーベンバーの次だからなのだとは思うが、彼女は不服ではないのだろうか。ノーベさんは本名がレインなので、一応理解はできる。

 

「先輩っ!」

 

 僕が真っ白い部屋に足を踏み入れた瞬間、リーナが狙いすましたかのようなタイミングで飛び出してきた。

 ひし、と僕の腰に抱き着いてくる。両手でさするように背中が弄られる。むにゅむにゅと彼女の豊満な乳房が僕の腹辺りに当たる。

 

「…………」

 

 ああ、白々しい。

 

 リーナの寒々しい演技は、僕の乾ききった心に、何も響くものがない。

 

 すでに禁欲は解けたのだ。

 すでに童貞は失われたのだ。

 彼女の芳香に、艶姿に、痴態に心乱される僕ではない。そもそも、今朝もお嬢にせがまれて一度射精してしまっている。欠片も煩悩が湧かない。

 

「あ、ああっ! 先輩、本当に無事でよかった……っ!」

 

 傍から見た僕ってこんな感じなのかな。

 そしたらひどいな。クスリとも笑えない。

 

 リーナが抱擁の強度を上げてくる。

 彼女の胸の形が変わるのが分かるくらいに体を押し付けられている。そして、さりげなく僕の股間にも刺激を与えてきている。

 

 こいつは、僕に人を殺させた上に、あわよくばセックスまで狙ってんのか。

 見上げた助兵衛根性である。商人魂とも言い換えることができるか。

 

「心配したんです。ガンシップが出てきたと聞いて、私は気が気じゃなかったんですっ! 最後、馬鹿のヤクザ女が出しゃばってきたのには不満がありますが、とにかく無事で良かった!」

 

 こいつ、いけしゃあしゃあと。

 

 リーナから漂うバニラとシンナモンの香りを意識の外にやりながら、僕は言った。

 

「リーナ、依頼は達成した。これで僕らの間の貸し借りはなくなった。そういう認識でいいな」

 

 リーナが真っ白いドレスを翻しながら僕から離れ、涙を拭うふりをしながら答えた。

 

「はい、もちろんです。よくぞ成し遂げてくれましたね、先輩。これで我が社を脅かした狼藉者は排除されました」

 

 リーナがスカートの端を持ち上げ、カーテシーを行う。

 髪の隙間から覗く彼女のターコイズブルーの瞳がギラリと光った気がした。

 

 これは、まだ何かあるな。

 

 そもそもリーナが何もなく僕を呼びだすわけがない。報告くらいなら電話口でいい。

 

 まあ、今更である。足舐めでも、手舐めでも何でも来い。

 

 リーナがコホンと一息。

 いつになく真面目な表情を浮かべ、僕をまっすぐに穿つ。

 そして、流暢に、流麗に、透き通った声で言った。

 

「そして先輩、薛秦(せつしん)義肢公司の新CEO就任おめでとうございます」

 

 時が、止まった。

 

 現実が遠くなる。耳鳴り。視野が丸く狭まる。

 

 動悸。心臓の鼓動が早い。体の内部を伝ってはっきりと感じる。なら世界は進んでいる。止まっていない。

 

 それでもリーナは微笑を浮かべたまま動かず、僕も汗がにじみ出るばっかで一歩も動けない。少なくとも僕ら二人の時間は止まっている。

 

 雷鳴が、轟いた。

 

 ぴしゃり──光と音が同時だ。とても、近い。

 停滞した時間がジグザグに切り裂かれ、再び動き出す。

 

「……いま、なんて?」

 

 ようやく発声できた僕の声は、情けないくらい掠れていた。

 

「ですから、薛秦義肢公司のCEOですよ。Chief Executive Officer。最高経営責任者。うち風にいうと总经理(ヅォンヂィンリィー)。すでに役員会には承認させています。まあ、鳶明彦が裏切りなんて馬鹿なことしなかったら、いずれはこうなっていたことでしょうから、皆さん納得していましたよ。反対派は全員殺しましたし。プレリリースは週明けに行いますので、後でスピーチの練習しましょうね」

 

 ざあ、と雨足が強まった。

 リーナの背後にある大きな窓に、雨粒がこびりつき、不規則に流れ出す。ダメだ、現実逃避するな。ちゃんと見据えろ。外に逃げようとするな。

 

「お、お前は……リーナはどうするんだ」

 

「私ですか? 先輩……私のこと気にしてくれるなんて、嬉しいですっ。──私は補佐に回りますよ。役職としては相談役になりますかね。あ、実際の会社運営、経営の方は心配しなくて大丈夫です。今はほとんど子供たちがやっていますから。先輩はゆっくりと仕事を覚えながら、舵取りと意思決定だけやってくれればいいです。もう私も、会社も、資産も、このビルも、ぜーんぶあなたの物です。好きにしてくれたらいいですよ。あ、借金も返しておきました。いろんなところに散らばっていたので、少し骨が折れましたが、すっきりきっぱり返し終えておきました。これでもう先輩を縛るものは何もないのです。綺麗な体、新しい人生。さあ、今までの不足分を私と一緒に取り戻しましょう!」

 

 膝にぐらりと来た。

 

 情報が処理しきれない。

 

 また、ぴしゃりと雷が落ちた。

 リーナの輪郭が一瞬、白く輝く。

 

 何が。

 何がおかしい。

 どこからおかしくなった。

 

 僕とリーナは対等であると、彼女には言い聞かせてきたはずだ。借金の件は、彼女の行動を縛るための枷。彼女の女心をくすぐる舞台装置。それがなくなってしまった。

 

「な、ぜ……なぜだ。なんでそんなことをした。僕が望んだか。そんな、こと」

 

「さあ、知りません」リーナが表情を微笑みに固定したまま言う。「でもですね、先輩。私は思ったんですよ。私は考えたんですよっ」

 

 ぼたぼた降りしきる雨をバックに、リーナは妙に演技がかった所作で、部屋をぐるりと練り歩く。

 花瓶に飾られた花をチョンとさわり、ひらりとスカートを膨らませながら回転。それからベッドに腰を掛け、艶めかしく足を組む。

 こいつの頭ん中ではミュージカル映画でも再生されてんのか。

 

「何かが欲しかったら、まずは自分から先に与えるべきなんです。世の中、等価交換だけではないんです。恩とか義理とか人情とか、一見価値に換算できないものが、回りまわって利をもたらしてくれることがあるんです。そう、あなたがしてくれたようにっ! だから、まず私は私にできることを、私が与えられるものを全部、あなたに与えてみることにしました!」

 

 ……まじか、こいつ。最悪の論理帰結である。

 

 僕は開いた口がふさがらなかった。顎が外れてしまったんじゃないかって思うほどであった。あんぐり。今の僕はどんなに情けない顔をしているのだろう。

 

「ねえ、先輩。私は何も見返りは求めませんよ。あなたが何も返してくれなくたっていいんです。そりゃあ初めは、意味が分からなかったです。ただ、与えるだけなんて。損じゃないですか。でもね、先輩。今の私はこんなに満ち足りている。愛する人に尽くすのは、なんて気分が良いんでしょう!」

 

 リーナがばっと手を広げ、ぼすんとベッドに倒れこむ。

 

「んふふ、先輩。もう、先輩をお金で買うのは辞めます。諦めます。あはは」リーナがぬずっと起き上がり、立ち上がった。「その代わりに一生尽くします。だから、私をおそばに置いておいてくれませんか。役に立ちます。あなたの障害はすべて取り除きます。幸せにします。大事にします。ねえ、先輩。良いですよね?」

 

 僕はじりじりにじり寄ってくるリーナの肩を押し、距離を取った。

 それから大きく深呼吸。情報処理。現状認識。怪訝な目で僕を見てくるリーナ──を見なくて済むように目頭をキュッとつまんで、少し揉む。

 

 よし。

 

 衝撃発言に身体反応までは抑えきれなかったが、もう大丈夫。心をフラットに戻した。僕がこの街に帰ってきてから、どれだけ不測の事態に対処してきたか。結局最後は経験がものを言うのだ。流石に慣れた。

 

 分析。

 つまり、リーナは無償の愛(アガペー)家族愛(ストルゲ)が合体、誤認し生まれた性愛(エロス)を持て余し、支配的な母性と変化したのか。

 彼女の中の男性像(アニムス)が前進してんか、後退してんのか分かったもんじゃないな。

 

 さあ、落ち着けよ、僕。

 些事に、強い言葉に振り回されるな。冷静に判断しろ。僕にはそれができる。そうだろ。

 

 起こってしまったことはしょうがない。後悔は、反省は後にしろ。今やらなければならないことを考えろ。

 

 それならば、まず、確認しなければならないことがある。

 

「兄は……鮎川海星はどうなった」

 

 リーナの動きが止まり、瞳に一瞬、揺らぎが生じた。

 

「今、全力で探させています。改都の外でも動かすことのできるリソースのほとんどを費やしていますので、見つかるまで少々お待ちを」

 

 リーナがぺこりとお辞儀。

 僕は顎に手を当て、十分に間を取ってから言った。

 

「そうか。じゃあ辞退する」

 

「え」

 

「だからCEOは辞退するよ。借金の件はありがとう。だが、金額分はどうにか稼いでお前に返す。利子もちゃんと払う」

 

 リーナの瞳に動揺が浮かぶ。──独りよがり。

 僕のこういった反応を想定していなかったのだろう。情だとか奉仕だとかに目覚めても、所詮彼女の視界に映る世界には数字のみ。そう造られている。僕が翻訳し、彼女に伝えるしか、世界との接続方法がない。そもそもの認識自体がずれている。

 

「いや、先輩?」

 

「あのなぁ、リーナ、この際だから言わせてもらうが、お前全然わかってないよ」

 

「わかってますよ」

 

「いや、何もわかってないっ!」

 

 僕は壁をバンと叩いた。分かりやすいくらい表情、所作に怒りを滲ませながら。

 

 正直使いたくなかった切り札だが、ここで使わなければリーナに呑まれてしまう。

 

「ひっ」

 

 僕は大げさなぐらい音を立てて、リーナに一歩近づいた。それに合わせて、彼女は後ずさっていく。ベッドに突っかかって、へたりと座り込む。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この一言が重要である。

 

 これから行う切り札──つまり説教は精神が未熟なリーナに、ドンピシャに効くだろう。

 自分を受け入れてくれるはずの人間からの、怒声、説法。これ以上の恐怖は、彼女に存在しない。

 本来は成長の通過儀礼なはずだが、彼女はこれを経験していない。賢い彼女は一回でこれを克服してしまうだろうが、一回は無条件にこちらの主張を押し通せる。だから切り札。彼女の精神的な成長を促してしまうというデメリットがある、あまり切りたくはないカード。

 

 リーナが首を振って、いやいやする。

 

「い、いや。嫌です。怒らないでください、先輩。こ、怖い」

 

「駄目だ。怒る」

 

「やだぁ!」

 

 じたばたするリーナの肩を両手で抑え、逃げられないようにした。涙目だ。不意に胸がきゅんとする。こいつ、泣き顔の方が可愛いな。

 

「いいか、よく聞いてくれ。リーナ、お前がやろうとしていること、やっていることは、おかしいんだ」

 

「おかしくないです」

 

「黙って聞け!」

 

 リーナの体が強張る。きゅっと肩を寄せ、小さくなる。予想通り、効果てきめんだ。

 

「お前が言っているのは、自分があげた分の愛を、愛で返してくれと言っているんだ。それは奉仕ではない、強制だ。お金で物を買うように、時間でお金を稼ぐように、愛で愛を買っているんだ。資本主義的には正しいかもしれないが、ミクロの関係においてそれは成り立たない」

 

 リーナがしゅんと俯く。スカートの端を強く握っている。

 

「じゃあ、どうすれば……どうすれば先輩は私を愛してくれるんですか」

 

「結論から言うと、僕はすでにリーナのことは愛しているよ」

 

 論点のすり替え。

 

「ぇ」

 

 リーナが顔を上げた。ありえないといった表情で僕を見ている。

 

「妹のように、姉のように、母のように、娘のように、君を愛してる。昔からだ。初めて君と出会った時から、そうだ。それを恋人としての愛に変えるため、僕は今頑張っている。君と対等に渡り合えるように努力している最中だ。なあ、リーナ、それを君は邪魔したんだ。これでは君への気持ちが濁ってしまう」

 

「でも──」

 

 反論を許すな。押し通せ。

 

「でもじゃない。そりゃあリーナの気持ちは嬉しいが、それだけだ。次にはつながらない。いま、辛い思いをして、将来の幸福を掴む。な、わかるだろ?」

 

 僕はリーナを強く抱きしめた。

 

「だからもう少し待っていてくれ」

 

 とどめ。他愛ない。

 

「う、うぅ……」

 

 僕はリーナの頭をくしゃくしゃと撫でまわした。彼女はされるがままにして、唸っている。幼子のように、僕の服を強く握るので、それを優しく解きほぐしてやる。

 

「じゃあ、今日はもう帰るよ。リーナも一日頭を冷やせ。な」

 

 僕が立ち上がり、歩き出した時だった。

 

 リーナが、空気を切り裂くように、二つ、柏手を打った。

 

 すぐさま廊下から多数の足音が響いてくる。がちゃがちゃと金属音を伴っている。雰囲気が一気に塗り替わった。──嘘だろ。

 

 僕は扉を開こうとするが、動かない。向こうから押さえられている。

 

「……リーナ?」

 

 振り返ると、ぼろぼろと涙を溢しながら、悲しげな表情のリーナが僕を見ていた。

 

「先輩、私があなたを、ここから出すと、お思いですか?」

 

 ……そう、くるかぁ。

 

    ◇

 

 見くびっていた。それに尽きる。

 

 思った以上にリーナは精神的に成熟していたし、彼女の愛は思いのほか重かった。

 

 しっかりと二日間軟禁された上で、僕が出した結論がこれだった。

 

 そう、軟禁である。監禁ではない。手錠や足枷は付けられていないし、なにか行動に不自由を強いられるわけでもない。ただ、彼女の宣言通り、この居住フロアからは一歩たりとも出られなくなった。それだけだ。

 

 あの後、謝り僕に縋りつきながらも肉体関係を求めてくるリーナをあしらいつつも、彼女の説得を試みた。が、リーナの意思は非常に固く、僕が彼女の要求を呑むまで、ここから出してくれないらしい。

 頼みの綱の説教も、もう効かなくなってしまった。彼女は泣き、悲しみ、表面上は反省するが、芯の部分では絶対に曲がらないものがある。そういうところはお嬢以上に厄介だ。

 

 これじゃあ、たとえセックスを行ったとしても、あまり意味がないだろう。

 僕はこのビルをCEOにならないと出られない。あほか。

 

 だからといってリーナの要求に応じると、それは隷属に他ならない。

 精神的奴隷と化しては何の意味もない。

 

 作戦変更。

 ひとまずリーナは置いといて、フロア内を探索し、脱出の糸口を探るが、先手を打たれていた。分電盤も、換気ダクトも、排水管も、窓も扉も、隈なく人が配置されており、抜け出すことができそうにない。武力で強引に突破しようにも問題は数である。どこかで僕の体力が尽きることは目に見えている。そうなれば最後、軟禁は監禁となる。

 

 さらに作戦変更。

 リーナと僕の妥協点を探ることにする。──が、軟禁翌日から、日中はリーナの姿を見かけることがなくなってしまった。ディセに聞くと、急ぎの仕事が入ったという。街の様子といい、何かが起きていることは確かだが、僕には知るすべがない。携帯は取り上げられてしまったし、テレビも映画しか見せてもらえない。

 

 何も、打つ手がなくなってしまった。

 

 だから、僕はリーナの会社の資料を読みながら暇をつぶしていたが、それにも飽きてしまった。

 

 一面がガラス張りの部屋。雨が横殴りに降り続けている。もう夜更けだと言うのに、それがはっきりわかった。

 灰と紫紺にまみれた街並みには、輪郭が赤や白に点々と光る四つの摩天楼だけが存在を主張している。

 

「ディセ」

 

 僕は気まぐれに僕の世話係を任命されたディセを呼びつけた。

 

「どうかしましたか、旦那様」

 

 とてとてと慣れていない恭しい歩き方で彼女が近づいてくる。

 

「君は薛秦(せつしん)の研究所とやらの出身だろう。そこのことを詳しく教えてくれ」

 

 ディセは数秒苦い顔をして考えた後、答えた。

 

「……奥様より、口止めされています」

 

 なるほど。

 つまりリーナはスナーク狩りについて少なからず知っているわけだな。リーナの中で、すでに次期CEOな僕に会社のことで知らなくていいことなどないはずだ。それをわざわざ口止めしているくらいだから、僕とスナーク狩りの接触は察知しているのだろう。

 まあ、正直今となってはどうでもいいことだが。

 

「その研究所に『加速』持ちはいたか?」

 

「…………」

 

 ディセは答えない。

 だが、瞳に一瞬揺らぎが映ったのを僕は見逃さなかった。

 

「いたんだな。それは逃げ出した奴以外にも存在したか?」

 

 ディセの方がピクリと小さく跳ねた。逃げ出した奴、に心当たりがあるらしい。情緒抑制措置を受けて尚、この反応。親しかったとみてもいいだろう。

 暇つぶしのための問答であったが、当たりをひいたらしい。それならば──

 

「そいつ、死んじゃったんだよね。同じ加速持ちにやられて」

 

「…………っ」

 

「僕はそいつが参加していた秘密組織のメンバー候補で、彼女とはそれなりに親しくしていた。だから、とても悲しい。僕はこんなところで油を売っている暇はないんだ。一刻も早く犯人を捜して復讐しなければならない。だから教えてくれ、その研究所に、他の加速持ちはいたか」

 

 小さな反応も見逃すまいと、僕はディセを凝視したが、どうやらその必要はなかったらしい。彼女は唇をかみしめ、涙をこらえながら、細かく首を振っていた。

 

 よし、手間が減った。

 

 これであとはベイカーさえ殺しきれば、個でお嬢を脅かす可能性がある存在がいなくなる。そしてディセのこの様子じゃ、もう少し揺さぶりをかければ、脱出も手伝ってくれそうだな。

 しかしそれは最終手段。まずはリーナの好感度調整だ。

 

 お嬢も水仙も、思ったような道は辿れなかったが、現在はかなり望んだ関係となっている。僕への依存度が高く、僕抜きの生に恐怖を覚えるようになっている。リーナの場合、少し高くなり過ぎたが。

 

 すでにカス女ハーレム計画も佳境。

 後はリーナさえどうにかして、細かい調節の後、慎重に三人の顔合わせを済ますことができたなら、計画は完遂する。

 

 僕がうまい演出プランを練ろうとしたその時であった。ディセのインカムにノイズ交じりの通信が入った。

 

 ディセの表情が切り替わる。

 読唇によって会話内容を読み取ろうとしたが、ずんと部屋が激しく揺れた。

 

「──ッ!」

 

 地震か、とあたりを見回したが、それだったらどんなに良かったか。

 向かいのビル──摩天楼の一つが、砂塵を巻き上げながら倒壊を始めていた。

 

 あれは『McRsA(マックロックス・アナライジング)』の社屋だな。旧米国がルーツのシンクタンク。

 螺旋を描くように天へと伸びていた摩天楼は、おそらく爆発によって、中央当たりからぽっきりと折損していた。

 

 煙が吹きあがり雨と混じって、妙な軌道を描いている。

 火のついた破片が飛び散っては、すぐに消失する。

 

 さらに爆発が起きた。今度は根元から。一瞬、くの字を描いたかに思ったら、角度が深くなっていき、最後には完全に崩れた。衝撃波が遅れてやってきて、僕たちを揺らす。

 

「ディセ!」

 

「ストライキ──いや、デモ……テロ! テロが起きました! 企業(カンパニ)の下級社員と反サイバネ技術者(ラッダイト)が手を組んで、TOMASにテロを仕掛けています!」

 

 街の様子が変だったのは、これか!

 

 僕が軟禁されているにもかかわらず、リーナが仕事をしていたのにも合点がいく。このストライキの対応をしていたのだろう。それが今、分水嶺を超えて、爆発した。

 

「どうする!」

 

「今、うちから派兵が行われているそうです! 直ぐに、落ち着くは──」

 

 ディセが再びインカムに手を当てる。さらに表情が曇る。瞬間、部屋中が赤に染まった。遅れて警報音が鳴り響く。

 

「先輩ッ!」

 

 息を切らしたリーナが部屋に飛び込んできた。

 おいおい、尋常じゃないぞこれは。僕は彼女が額に汗をかいている所なんて見たことがない。

 

「どうした!」

 

「陽動です、これは! 本命はテロじゃない! 先輩、今すぐにでも地下に向かいましょう! そこで、これが落ち着くまで──」

 

 遅れてやってきた黒服に耳打ちを受けるリーナ。眉間が険しくなっていく。

 

「はァ⁉ 『黄金の矢を射る者(クリューセーラカトス)』が全滅⁉」

 

「鮎川さん‼」

 

 ディセが声を荒げた。視線は僕を通り越して、窓の方。振り返る。僕は振り返っている間に考える。テロ、軟禁、本命、全滅。──まさか。外が台風だからって油断していた。そうか、もう二日も連絡が取れていないのだ。()()が動き出すのも考慮すべきだった。

 いや、この場合、()()()()か。しかし、ストライキは事前に準備されていたものだろう。乗じて? だが、ここまでの大立ち回りができるのは、あの二人が手を組んだとしか考えられない。どうやって。誰が繋いだ。誰が二人を繋いだんだ。誰が僕がリーナにとらわれていることをリークした。そして、思考時間が全く足りないまま、その時がやってきた。

 

 ──ガシャァン!

 

 強化ガラスだというのに、この景気のいい割れっぷり。

 こんなことできるのは僕の知っている限り、一人しかいない。

 

「よォ、晴臣ィ。助けに来たぜ」

 

「──お嬢ッ!」

 

 箕土路蒼青が、そこにいた。

 吹き込んでくる雨風にものともせずに、そこにいた。

 

 体にぴっちり張り付いた黒装束。右手には冷たく輝く大太刀『湖斬り』、左手には銀光りするガネイシャカスタム。背中には機械の腕が生えたバックパック。腰元には手榴弾や苦無が巻き付けられており、足元は脚絆で縛りあげている。──フル装備。

 

「おい晴臣、もうお嬢って呼ぶなって言っただろ」

 

「……蒼ちゃん、これはまた随分なご登場だね」

 

 蒼青は満足そうに笑い、

 

「登場と花火は派手な方が良いって言うからな」

 

 聞いたことがない。

 

 さあ、どうしよう。

 助けてくれるのはありがたいが、今の状況だと迷惑千万である。リーナの調整が終わっていない。ここは、少しの抵抗を見せながら、お嬢に助けられて、リーナには後日埋め合わせをする。それしかないか。……本当にそれでいいのか? 不安が全くぬぐえない。

 

 蒼青がガネイシャの照準をリーナに合わせた。

 

「え、ちょ!」

 

 僕が止める間もなく、彼女は発砲。轟音が部屋中に響き渡る。

 

「お」

 

 弾丸はディセが腕で防いでいた。破れた衣服から、金属光沢のある腕が覗いている。

 

「警告なしで撃ってくる人間がどこにいますか! このバカ女ァ!」

 

「あぁ? 誰に向かって口きいてんだ、コラ」

 

 太刀を背負い、構えを取る蒼青に僕は言った。

 

「……蒼ちゃん、あれリーナだよ」

 

「リーナぁ?」蒼青が顎に拳銃を当て考える。「ん? あ! マジか! あの泣き虫リーナか!」

 

「……お久しぶりです、蒼さん。私の正体が分かったのなら、先輩は返してくれません? 先輩は責任を持って私が幸せにしますので。今すぐ帰ってくれるのなら、色々不問にしてあげますよ」

 

 蒼青が僕の腰に腕を回し、グイと引き寄せる。

 

「バーカ、誰が渡すかよ。あとこれは最初から私のもんだ。お前が入る隙間は一切ない」

 

「相変わらずですね。暴力でしか人と繋がれない、野蛮人。そのとてつもなく悪い頭でもわかるように言いますと、私と先輩はすでに愛し合っているのです。先輩が言ったのです、私を心から愛しているのだと。あなたにこそ、私たちに入り込む隙間はないのです」

 

 おっと、まずい。

 

 蒼青が目じりをひくひくさせながら、僕をねめつけてきたので、僕は彼女にしかわからないように、皮肉気な笑みを浮かべながら肩を竦めて見せた。

 

 蒼青が安堵の息を漏らす。

 

「だーれが騙されるかよ、お花畑野郎。こちらとなァ、すでに契交わしてんだよ、(しとね)を共にしてんだよ。これから結納すんだよ。神前式すんだよ。邪魔すんな、ボケ」

 

 聞いていない。何言ってんだこいつ。

 

「は? は? は?」

 

 なんでこっちは真に受けているんだ。

 

「先輩ッ! 私のこと騙したんですか!」

 

「違う、騙していない! 誤解がある!」

 

「なに、誤解ぃ? 誤解があるって何だ、晴臣」

 

 ああ、もう! なんだよこの状況!

 

 僕が事態の収拾を図るため(本当にできんのか⁉)、言葉を紡ごうとしたその時、やけに背の低い、銃を構えた特殊部隊が部屋になだれ込んできた。深い青の戦闘服(タクティカルスーツ)に頭をすっぽり覆う、ごつごつしたヘッドギア。肩からはその矮躯に全く釣り合っていない連動アサルトライフル(ハルマー)を下げている。

 

 ディセが蒸気を噴き上げながら手を振るうと、キィンと耳をつんざく電子音が生じた。部隊が一糸乱れぬ連携にて展開。三段構えによって弾幕が張られ、強襲役が四方八方から這い寄るように躍りかかってきた。

 

 蒼青が渦盾を展開し弾幕を弾く。近づいてきた分は、ガネイシャと湖断ちによって迎撃。ある種の美しさすら伴った、完璧な選択、姿勢移動によって最小限の動作で敵を打ち倒していく──が如何せん数が多い。それに、追加の人員が次々と部屋になだれ込んできている。

 

「チッ。キリがないな。癪だがいったん引くぞ、言い訳は後で聞いてやる」

 

 蒼青が僕を小脇に抱え、割れた窓に足をかける。

 

「先輩、行かないで!」

 

「奥様、下がってください!」

 

 僕らに近づいてこようとするリーナをディセが必死に抑えている。

 

「先輩、もう意味ないんです。ヤクザと仲良くする意味なんてもうないッ!」

 

 その言葉に、引っ掛かりを覚えた。

 

「どういうことだ!」

 

「晴臣、動くな。今から空飛ぶんだぞ」

 

「言うなら、もっと落ち着いてからと思って、秘密にしてたんです!」

 

 ああ、果てしなく嫌な予感がする。

 

「あなたのお兄さん、鮎川海星は──」

 

「晴臣、しっかり捕まっていろよ!」

 

 頬に冷たい雨が当たる。

 遠くでは機動ヘリが群れを成して現場へと向かっている。

 僕の心はリーナの言葉のその先を勝手に想像して、痛いくらいに軋んでいる。

 

「──すでに亡くなっているんです!」

 

 僕は深い闇の中に、落ちていった。




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