カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第七話:前進

「あれぇ? 鮎川君、なんかお疲れですか?」

 

 四時間目終了のチャイムが鳴った後、昼食を取る気力もなく、机に臥せっていた僕に立花が声をかけてきた。

 

 立花は群れの幹部候補の立花である。

 ちょろちょろと小うるさい奴だが、意外と頭が回り、気の利く奴である。下の名前は確か、涼音。パーマのかかったボブをセンター分けにして、片方を耳にかけており、そこから覗くは黒いピアス。カス共に比べ身長が低く、可愛らしいといった雰囲気だが、おっとりとした目の奥には明らかな美が宿っている。

 

 僕が顔を上げると、立花は目をまん丸くさせて、

 

「うわ、凄いクマ!」と驚いて見せた。

 

 そんなことは自分が一番よく分かっている。

 昨日はほとんど寝ずに乃木とかいう探偵の持っていた携帯の解析を行っていたのだ。その甲斐もあって今日の夕方ごろにはロックが解除できるだろう。そしたらまた調査が始まる。そのことを思うととても気分が重かった。

 

 正直放って置いてほしいが、彼女が理由もなく僕に話しかけるわけがない。僕が視線で何か用かと尋ねると、立花は毛先を指でいじりながら、

 

「えっと、なんか上級生の方が『鮎川晴臣という男はいるか』と訪ねて来ていまして……」

 

 僕が教室のドアに目を向けると、眼鏡をかけた生真面目そうな男が立っていた。あの融通の利かなさそうさは恐らく企業の関係者だろう。エリートのがり勉君が何の用だ。

 

 僕が仕方ないなと立ち上がると、立花が僕を呼び止めて、

 

「それで、その、生徒会長も鮎川君のことを呼んでまして……放課後来てくれと」と申し訳なさそうに言った。

 

 何でこういう日に限って色々用事が舞い込むのだ。僕はため息を噛み殺して、

 

「どこ? また、生徒会準備室?」

 

「いえ、食堂の方です」

 

 この食堂とは学校の食堂を差しているのでなく、アーケードにある定食屋の二階の方──街に点在する群れの秘密基地の一つ──を差しているのだろう。めんどくさすぎる。

 

 僕が力なく頷くと、立花も気の毒そうに頷きを返してくれた。

 

 上級生の元に辿り着くと、彼は虫でも見るかのような目で僕を睨んだ。

 

「遅いぞ、鮎川晴臣。もう時間がない。案内するから付いて来い」

 

「いや、先要件言ってくださいよ。僕まだ飯も食ってないんですよ」

 

「そんなことは君の都合だ、私には関係がない」

 

 訪ねてきた人間の態度じゃなさすぎる。無礼には無礼を。僕が踵を返そうとすると、上級生は僕の手首を強くつかんだ。

 

「何すんだッ」

 

 僕が勢いよく振り返ると、そこには怒りと恐怖、そして少しの嫉妬がないまぜになった上級生の顔があった。

 

「カタリナ様が呼んでいる。いいから着いてくるんだ……っ!」

 

 そのあまりの気迫に、感情に、僕は何も言えなくなってしまった。

 腕をひかれるがままに廊下を歩く。親か本人かが鳶家に下った人間だな、コイツは。

 いくら将来の高収入が約束されてようが、年下の言いなりじゃあ、尊厳がない。まあ僕も半分同じようなものだが。

 

 昨日、お嬢に言ってしまったこともあり、リーナと水仙には近々会いに行くつもりだった。正直、今日は勘弁願いたかったが、仕方ない。この機会を有効活用することにしよう。

 

 関係を、一歩前に進めるのだ。

 

 今までは好意を受けてきても、ひらりはらりと躱し、濁してきた。これからは、それを昨日のお嬢にしてしまったように、少しずつ返していく。こちらからも好意を伝えていく。

 

 セリフと言動によって、こちらからアクションをかけてゆくのだ。

 

 ちなみに昨日の僕の言動はお嬢にとって効果てきめんだったようで、今日は朝から僕に会うなりしどろもどろになって顔を赤くしていた。

 構わずに話しかけ続けているとキャパオーバーになったのか、「頭冷やしてくる」と午前中には帰ってしまった。

 

「ここだ」

 

 連れてこられたのは、部室棟であった。

 二階建てのアパートのような造りをしたその場所は、文化系運動系問わず一緒くたに部室が詰められた建物であり、転校してきて間もないプラス部活動に所属していない僕にとって、馴染みのない場所であった。

 

 上級生は二階の一番端の部屋に行けと言った。何も言わずに去ろうとする彼の背中に僕は、

 

「あんた、さっきの態度リーナに言いつけるからな」

 

 上級生は可哀想なくらい顔を青くさせ、悔しそうに頭を下げて言った。

 

「か、勘弁してくれ」

 

 ──哀れだな、彼も僕も。

 

 部室棟自体の年季の入りようにしては真新しすぎる外付けのアルミ階段を上り、これまたチリ一つない廊下を歩く。部屋の前にいたノーベさんに会釈すると、会釈を返してくれた。その所作の丁寧さはいつも通りであったが、顔にどこか焦りと疲れが見られた。

 

「ノーベさん、疲れています?」

 

 ノーベさんが不意を衝かれたといった感じで、自身の顔をペタペタと触る。

 

「そういう風に見えましたか?」

 

 僕は首肯する。

 ノーベさんはひどく深刻そうな顔をして何かを考えた後、

 

「……晴臣様は何もお気になさらないでください。お嬢様が中でお待ちです」と心に壁を作られた。

 

 まあ、いいけど。

 

 僕は他の部屋とは違う、豪奢な作りの扉をノックする。

 

「はーい」

 

 いつも通り、白ゴス姿のリーナが出迎えてくれた。リーナが僕の手を引いて部屋に招き入れてくれる。そこで僕は瞠目した。

 

 そこには、リーナの部屋を部室サイズにミニチュア化した空間が広がっていた。

 白いカーテン、白いカーペット、白いティーテーブル。学校にあるものじゃなさすぎる。

 ベッドこそないがすぐにでも住めそうなくらいであった。

 

「……ここは、何部?」

 

「何部でもないですよ? 学校における私の部屋です。──というより避難場所ですかね」

 

「避難場所?」

 

「ああ、私には敵が多すぎるんです。数字にしても他人にしても場所にしても、敵ばかりです。四面楚歌です。だから、私にはこういう誰にも邪魔されない、自分だけの場所が必要で、どうしようもなくなったら逃げ込むんです」

 

 企業人特有のストレスへの対処法か。

 出世し、何もかも手に入れた人間には特殊な性癖がつきものだと言う。自分だけの場所、本当の自分とはリーナのキーワードかもしれない。

 

「この服装だって、私が好きっていうのもありますが、どちらかとしてば戦闘装束なのです。私は常時戦っているのです」

 

 リーナが偉いでしょうとばかりに胸を張った。

 

「それで、今日は何の用? 昼休み、もうあと三十分くらいしかないけど」

 

「ああ、そうですね」

 

 リーナがティーテーブルに腰を掛け、僕にもどうぞと手で示してきたので、遠慮なく座る。リーナが咳ばらいを一つ。

 

「ハル先輩、あなたの手を、私に下さい」

 

 また、突飛なこと言いだした。

 

 手? 下さいってことは、切り落とすという事か? いくら積まれたとしても流石にそれは勘弁願いたい。

 僕の怪訝な表情に気が付いたのか、リーナは両手をぶんぶんと振って、

 

「あ、あ、ちがいます。私にそんな特殊な性癖なわけじゃなくて……」

 

 特殊な性癖ではあるだろ。他人に父性を求め、あまつさえそれに性的興奮を覚えるという特殊な性癖が。

 

「あなたの手、それも右手だけでいいです。その所有権を、十五分だけ下さい。その十五分間はハル先輩の右手は私の物です。どんな使い方しても、文句はなしです」

 

 突飛な提案であることには変わりがない。

 

「一分間につき、一万円。合計十五万円出しますよ。……どうですか?」

 

 僕は二分ほど黙って熟考し、それから答えを出した。

 

「いいけど、一つだけ条件がある」

 

 リーナがコテンと首を傾ける。

 

「エロいことはなしだ。それなら、その依頼受けよう」

 

 リーナはポカンと口を開けた。それからみるみるうちに顔を真っ赤にして、

 

「し、しません! 私は純粋に……っ!」

 

 他人の手に所有権を求めるなんて不純以外の何物でもないと思うが、それを指摘しても詮無いので、僕は先を促すことなく、右手を無造作に机の上に放り出した。

 

「ほら、これでいいのか?」

 

 リーナの視線が僕の右手に刺さる。彼女の喉がごくりと鳴る。

 それからリーナはおずおずと僕の手を両手で包み込み、それを自身の頬にあてがった。

 

 リーナはこれ以上の幸福はないといったような満面の笑みを浮かべた。

 

「契約成立です」

 

 リーナは僕の右手に頬ずりをする。

 一切の瑕疵がないすべすべとした感触が僕の右手に走る。

 色っぽい吐息がかかる。熱っぽい鼻息がくすぐったい。

 

 リーナは幼い頃、本当の父親にもらえなかった愛を求めている。

 つまり無償の愛(アガペー)を、そして家族愛(ストルゲー)を。その二つの一部が、思春期情動によって変換され、性愛(エロス)となっている。

 

 先ほど僕が釘を刺しておいたのはそのためだ。

 彼女が人間であるために足りていない愛のすべてを性愛だと誤認し、僕に求められたら困る。

 

 リーナが僕の右手を自身の頭に乗せる。

 手首をつかんで無理やりに撫でさせてくる。

 光悦の呼吸。荒くなる鼻息。彼女の額にジワリと浮かぶ汗。熱気を帯びた彼女の体が甘ったるい香りを発している。

 

 リーナの恐怖とは、多分、愛の供給元がなくなることであろう。

 

 今はそれを得るために金銭という対価を支払っているが、それがなくても無条件に自分を愛してくれると確信したのならば、リーナの心は簡単に落ちる。

 

 だから、問題は時間ではなく、タイミングなのだ。

 

 僕の右手が、再び頬に戻りそのまま下降。

 肩、曲線描いて、二の腕。

 華奢である、少し力を込めたら壊れてしまいそうである。

 

 しかし、僕がここで感じたのは弱き者への慈しみや愛おしさなんかではなく、畏怖であった。

 まるで精巧な彫刻を見た時のような。彼女の体は女性としてあまりにも完成され過ぎている。

 

 少しの間、僕の右腕はリーナの二の腕を撫でさせられていた。すりすり、とシルクの滑らかな感触。その奥にある、女性的な柔らかさを帯びた二の腕。リーナが僕の右手を凝視する。

 迷いが見える。何かをするべきか迷っている。

 

 僕の手首をつかむ力が少し強まった。

 何かを決意したように思える。僕の右手が彼女の中央へと移動する。

 

 ふに。

 

「おい」

 

 言わんこっちゃない。

 

 リーナがしまったとばかりに、機敏な動きで僕の手を放す。

 

「あ、いや、ちがっ」リーナが部屋中に言い訳を探した。「あの、えっとぉ……お、おいたが過ぎましたかね……」

 

 リーナがえへえへと誤魔化すように笑いながら言った。

 

「終了ですか? 規約違反ですか?」

 

 リーナの潤んだ瞳が、僕の瞳を穿つ。おねだりをする子供のようであり、捨てられた子犬のようである。僕は時計を見やって言った。

 

「あと、五分ある。さっきみたいなのはなしだぞ」

 

 リーナが瞳を輝かせた後、急くように僕の右手を奪った。それから、遠慮がちに小さく手をあげる。

 

「……あの、これを舐めるってのは、性的ですか?」

 

 性的である。

 性的ではあるが、これを拒否したら、この間の足舐めも性的であったと認めてしまうことになる。だから僕は性的ではないと言わざるを得なかった。

 

 リーナが我が意を得たりと、僕の右手にキスをし始めた。

 

 最初は啄むような優しいキス。

 湿り気を帯びた柔らかい感触が絶え間なく僕を襲い掛かる。

 

 甲から平から手首から、僕の右手でリーナがキスをしたことがない場所がなくなったんじゃないかってくらい、満遍なくキスされた後、彼女はその口腔内に僕の指を収めるまでに至った。

 

 舐られる。僕の指にリーナの舌が絡みつく。

 

 ああ、あの時のリーナはこういう気持ちだったのか。

 

 これは確かに興奮する。興奮してしまう。

 

 というかこの前の足舐めの件といい、今回の十五分所有宣言といい、リーナはめちゃくちゃ気の長いポリネシアンセックスでもしているつもりなのか。

 

 リーナが僕の指をすべて舐め終えたところで、丁度予鈴が鳴った。時間である。

 

 まだ夢から覚めていないような表情をしたリーナの眼前で手を振ると、彼女ははっとして、立ち上がった。

 

「ありがとうございました、先輩。……また」

 

 リーナが頭をぺこりと下げる。

 

 僕が逃げるように部屋から出て行く際の、背後からの「先輩の心もお金で買えたらいいのに」という言葉は聞こえていないことにした。

 

    ◇

 

 夕暮れ時のアーケードは活気に満ちていた。

 晩御飯の買い出しをする主婦たちと、それ相手に安いことを喧伝する商売人。

 

 普通の人が普通に暮らしている。アーケードがあるこの地区はそういった場所である。

 摩天楼のある中央街に夢を見て、暴力的で猥雑なストリートを軽蔑するような、普通の人々が暮らしている地区である。

 

 ここには諦めと日常が蔓延している。それがどうにも僕の肌には合わなかった。

 

 アーケードの中程にある、年季の入った定食屋『角屋食堂』。

 アーケードが延伸して角ではなくなったが、角屋である。店前には全く似つかわしくない黒いセダンが止まっていた。

 

 夕焼けに照らされているガラスのショーケースに入った、ラーメンやらかつ丼やらを横目に、僕は階段を上る。

 

 二階、事務所と書かれた扉の前にはガタイの良い制服姿の男と、それよりもガタイの良いスーツ姿の男。

 スーツ姿の男は機械的な義眼をこちらに向け、ぎろりと睨む。

 

 群れではないな。しかもサイバネを隠していない。……ヤクザ? それも嚴禅会傘下でないタイプのヤクザだ。

 

 僕に気が付いた制服の男が口を開く。

 

「お待ちしていました、鮎川さん。どうぞこちらに」

 

 制服の男が軽くノックをして、扉を開いてくれる。

 

「鮎川ァ?」

 

 ドスの効いた声で言ったのはスーツの男。

 僕の名字に心当たりがあるらしい。彼は怪訝な顔をしていたが、それ以上何も言わなかった。

 

 また、何かややこしいことになりそうだ。

 

 事務所の中は人でいっぱいだった。狭い応接間に六人もの人がいる。

 

 まず上座、向かって左である。

 深緑のソファに水仙が余裕綽々で座っており、いつも通りニヤニヤとした笑みを浮かべている。その後ろにはこの間の準備室でも見た、精鋭であろう男が二人、後ろ手を組んで凛と佇んでいた。

 

 続いて下座。

 ソファに浅く腰を掛けているのは、柄シャツにジャケットを羽織った鋭い目つきの男。年はまだ若く、二十代前半といったところであろう。

 その後ろに控えるのは、頭の半分をサイバネに置き換えた丸太のような男。そして、今まで騙してきた人数がそのまま皺として刻まれたような、一筋縄ではいかなそうな初老の男。

 

 何らかの交渉が行われていたらしく、間に挟まる机には種々の資料、契約書。──水仙はヤクザと組むつもりなのか。

 

「じゃあ、九条さん。先ほどお伝えした通りの条件でいいですね」

 

 ──九条。僕はその名前に心当たりがあった。

 

「良い訳あるかボケェ! こんなもん協力やない、隷属やろがァ!」

 

「隷属だなんて、随分なお言葉。でも我々とあなた方が対等ってわけにはいかないでしょう? だってお金出すのはこっち、スポンサーの意向に従わない受益者がどこにいますか」

 

 九条がメンチを切りながら、どすを利かせた声でありったけ水仙に罵詈雑言を浴びせる。後ろの二人が動じていない様子を見るに、ポーズ兼駄々なんだろうな。水仙を学生だと舐めて威嚇でどうにかなるかもしれないと言う淡い期待もあるのだろう。

 

 水仙はどこ吹く風で、時間はありますからとばかりに、肩を竦めた。

 

 九条はひとしきりぎゃいぎゃいやった後、「考えるから少し待ってくれや」と眉間を揉み始めた。

 

 九条──九条組。

 かつては嚴禅会傘下にいた、嚴禅会きっての武闘派。積極的に武道にサイバネを取り組んだ急進派でありでありながらも、現在はミナミのごく一部にしかシマを持たない、落ち目の組である。

 それもそのはずで、お嬢の三十三人殺し、その被害者であるからだ。

 

 そこで、水仙が僕に向かってちょいちょいと手招きしていることに気付いた。

 僕が彼女の傍に行き、耳を寄せると、

 

「どう思う?」と小声で尋ねてきた。

 

「どうって、お前、ヤクザと組むのか? ヤクザにはならないって言ってなかったか?」

 

「ならない、ならないよハル君。それに組む気はなかった。でもなぁ、これから武力が必要になるからなぁ」

 

「なんで?」

 

「まあ、その話は後でしようじゃないか。それで、どう? この交渉も割と突貫だったから、情報を集めきれていなくてね。君の目から見て、彼らはどんなことを考えていると思う?」

 

 これが僕を呼び出した理由か。

 武力──まあ群れが強くなる分にはいいのか? 因果関係やメリットデメリットの計算は後でするにして、兎に角、今は頼られているんだから答えないわけにはいかない。

 僕は少し考えて、

 

「その前に一つ聞かせてくれ、上座下座は水仙が決めたのか?」

 

「まさか、向こうが勝手に座ったよ」

 

「ふむ」僕は九条が貧乏ゆすりしている姿を観察する。「……まずあの後ろの二人、あれは相談役と切り込み隊長だ。暴力と知略、万全の態勢でこの交渉に臨んできてる」

 

「やっぱそうなのか。……それで?」

 

「それでも何も、水仙がどんな条件付き付けたかは知らないが、多分全部受け入れる。……いや、待て、あれ三代目か。なら一旦持ち帰るな」

 

 ちらと九条に視線を寄こすと、あちらも耳打ちで会話していた。

 

「なんで?」

 

「そりゃあ、ここで判断できるだけの器量がないからだ。持ち帰って、数日たった後少し向こうに有利な条件を出してくる。その上でそれを棄却したって手を組むだろう」

 

「噂通り、腕っぷしだけか。それなら尚やりやすい。うん、ありがとう。ハル君あとは控えていていいよ」

 

 かくして、その場はお開きになった。ほとんど僕の言った通りになって。九条は荒々しい態度っていうオブラートに包んで、話を持ち帰ったし、それに動じる水仙ではない。

 

 今回の僕の仕事はこれだけかと、僕も帰ろうとすると、

 

「あ、ハル君は少し残ってくれ」と水仙からお声が掛かる。

 

 僕がげんなりとソファに腰を掛けていると、人払いをすませた水仙が僕の隣に座り、

 

「やっぱ裏のことは君に聞くに限るね」

 

「……よく言うよ。最後の一押しにだけ僕を使いやがって」

 

「その最後の一押しってやつが何より重要なのさ」

 

「んで、さっきの続き聞かせてくれよ。何でヤクザと組むんだ? 反目してなかったか?」

 

「ああ、もちろん群れのイデオロギーを変えたつもりはない。でもなぁ、それを捨ててまでやらなきゃならないことができたからね。ほら、清濁併せ吞んでこそだろう?」

 

「なんだよ、そのやらなきゃいけないことって……」

 

 そこまで言って、僕にぞわりと悪寒が走る。

 最悪の可能性を思いついてしまった。なぜこれをさっき思いつかなかった。

 それなら、もしそれが当たっているなら、僕は協力しなかったはずだ。水仙の問いに見当はずれなことを答えていたはずだ。

 

 水仙がまるで僕の思考をトレースしたかのように言った。

 

「対箕土路蒼青共同戦線をつくるんだ」

 

 ああ、最悪だ。

 

 九条組は四年前、嚴禅会を裏切り、当時の会長だったお嬢の父、箕土路黄寿(みどろおうじゅ)を殺した。そして、お嬢はその報復として、松山第三ビル三十三人殺しを行ったのだ。

 九条組の事務所があった松山第三ビルに単身で乗り込み、そこにいたすべての人間を殺した。それをもってして手打ち、九条組は嚴禅会を破門、今に至る。

 

 その日、事務所にいなかった人間は見逃されたというから、さっきの三人はあの日の生き残りであろう。

 

 あれからたかだか四年、多分恨みも怒りも消えていない。

 もしかしたら復讐の機会を虎視眈々と狙っていたのかもしれない。

 それでなくても九条組は落ち目、今絶好調な群れに対箕土路蒼青を持ちかけられたらぐらつくのもさもありなん。そしてそれは今日結実した。くそったれ。

 

「なんで箕土路蒼青と敵対する必要があるんだよ。別に、お前らと競合してるわけじゃないじゃん」

 

「ん? ああ、まあそうなんだけどさ。なんて言うか、つまんないじゃんかよ」

 

「……はい?」

 

「ヤクザのお嬢様、あんなもんバランスブレイカーが過ぎるだろ。昔は切り札程度の強さだったけど、今は場に出せば必ず勝てる、そんな強さだ。ボクと君がいつか対決するにしても、あれがいたんじゃ純粋に勝負を楽しめないからね。こっちも武力持って、メタ踏むことにした」

 

 多分きっかけはあの屋上の件だな。あっちを立てればこっちが立たず。これは僕がいまさら何を言ったところで覆らないだろう。

 

「……ずっと聞きたかんだけどさ、なんで僕と戦いたいの?」

 

「そりゃあ、全部うまくいっちゃあ張り合いがないからさ」

 

「張り合い?」

 

「そう、張り合いだ。こと集団の操り方、扇動の仕方、引っ張り方にボクは天賦の才があるからね。大体のことは上手くいく。だけどそれだけじゃつまらない、うまくいくだけの人生ほどつまらないものはない。だからボクはボクが作り上げたものを定期的にぶっ壊してほしいんだ。そしたらまた一から始められる。何だってそうだが、リソースが少ない初期にどうにかやりくりしているときが一番楽しいからね」

 

「それができるのが僕だと?」

 

「そうさ、現に一度やってくれたじゃないか」

 

「……じゃあこうやって定期的に僕を仕事に絡ませて、内情を明かすのは何のためだ」

 

 それまで勢いよく捲し立ててきた水仙が言い淀む。

 

「借金……いや、違うな」

 

 水仙が顎に手をやって考え込む。自分でもよく分かっていないみたいだった。

 

 あ、と水仙が小さく漏らしたかと思ったら、すぐさま彼女は体を寄せてきて、

 

「君と会う口実を作るため、そういった理由じゃ不服か?」と照れながら言った。

 

 不服である。

 特に今日なんかは。人の予定を考慮せずに勝手に呼び出すのはやめてほしい。

 しかしそんなことを口に出せるはずがないので、適当に「光栄だね」とかなんとか言っておく。

 

「まあ今はそれはいいんだよ。こっから本題」

 

 まだ本題があるのかよ。僕が倦怠感にまみれながら、水仙の方を見ると、彼女は思ったよりも真剣な顔して僕を見ていた。

 

「あの乃木って言う探偵、殺したの君たちだろう?」

 

 …………。

 

「なんの話だ?」

 

「別に誤魔化さなくていい。責めるつもりはないし、誰にも言わない。むしろ感謝したいくらいだね」

 

 水仙にここまで言わせるんだから、裏は取れているのだろう。

 開き直るべきかどうか考えていると、水仙はスクールバッグを漁りだした。

 

「ボクもあの探偵に嗅ぎまわれていてね、迷惑してたんだ。いつ折檻してやろうと考えていたところでこれだ。得した気分だよ」

 

 水仙が茶封筒を取り出して、僕の目の前に差しだした。

 

「これ、その探偵の情報。折檻のために集めておいたんだ。必要だろ? 欲しいだろう? 君さえよければ今日の報酬として渡してもいい、ボクにはもう必要のないものだからね」

 

 実害がないからもう自分には関係ないけど、なぜか嗅ぎまわられていたかは気になるから調査しろ、というわけか。

 僕は散々迷った末受け取ることにした。どうせ調査はしなければならないのだ。それなら情報は多い方が良い。

 

 僕が手を伸ばすと、水仙はそれをひょいと躱した。

 

「……君にはもう一つ選択肢がある。今日の報酬を現金でほしいなら、この情報の分は別の対価で支払うこともできる」

 

「なんだよ」

 

 水仙が口角を吊り上げる。そうして散々もったいぶった後、こう言った。

 

「ハル君、ボクにキス、しろよ」

 

 僕は水仙にキスをした。

 

 ガタン。

 

 水仙が椅子から転げ落ちる。

 彼女を覗き込むと、目を丸くさせ、頬を押さえていた。

 

 僕は水仙を助け起こすのと同時に、茶封筒を受け取った。

 

「じゃあな、報酬はまた受け取りに来るよ」

 

 水仙がまだ頬を押さえながら、僕を見ている。

 その目は明らかに不服を訴えているが、どこにキスするかは指定されていない。だから、これで契約は成立というわけだ。

 

 結局、水仙は予定調和を嫌っているだけだ。

 何でもできるからこそ、できないことに固執する。

 それが思い通りにならないボクという存在なわけで、彼女の好意を維持するためには、彼女の予想を超えてやればいい。それが難しいことこの上ないのだが、今日のは楽だった。

 

 僕は足取り軽く、その部屋を後にした。

 もちろん、対箕土路蒼青共同戦線なんて不穏なもののことは置いといて。

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