カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

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第八話:調査

 カフェインの過剰摂取のせいで、心臓がバクバクと鳴っている。

 

 疲れか寝不足か、視界も端っこがぼやけていて、それ以前に意識に薄い膜が掛かっているような感じがする。チカチカキラキラと輝く周りの光景も相まって、どうにも現実感がない。

 

 改都の玄関である『大門』。

 そのお膝元にある非管理領域『ミナミ』に僕は来ていた。

 

 上を見ると空を覆うような高架道路。

 それは大門から中央街に直通するアウトバーンで、今でも外から運ばれてくる物資がたんまりと詰まったトラックの類がビュンビュンと飛び交っていることだろう。

 

 そのアウトバーンを支える、高層ビルくらい高く太い、いくつもの柱。このミナミという町は、その柱に群がるようにして建設された。

 

 ブルーシートとトタンで補修されまくった廃墟寸前の雑居ビル。裸の女が躍る映像が店頭で流れ続けるアダルトショップ。犬をさばき香辛料漬けにして串焼きにする屋台。戦場から拾ってきたであろう機械部品が山のように積まれたジャンクショップ。

 それらがごった返しになって縦に横にと並んでおり、それらの間を埋めるように大量の人々が行きかっている。

 

 いつだって薄暗く、ヘドロくさくて、気味が悪いそんな場所である。

 

 今も屈強な男に髪を引っ張られ、嗚咽をあげている女性が通り過ぎて行った。

 その反対側には錫杖をじゃらんじゃらん鳴らしながら、列をなし練り歩く、反サイバネ技術者(ラッダイト)共。それが、そのデモ行進もどきが企業を動かせるはずもないのに、彼はそれを義務のように続けている。

 

 僕だって、こんなところ、すき好んできたわけじゃない。

 

 僕は人ごみをかき分けて、通路のど真ん中で立ち止まった。迷惑そうな顔して僕を睨んでくるやつもいるが気にしない。僕は携帯を取り出し、電話をかけた。

 

 プルルルルと呼び出し音。

 一応繋がりはしそうだ。僕はスリにだけは注意しながら、往来で待つ。

 

 水仙の事務所を後にして、家に帰ると、探偵の所持品である携帯の解析が終わっていた。

 

 僕は今すぐにでもベッドに飛び込み、眠りにつきたい心境であったが、そんなことは許されない。自分を罰するように体に鞭を打ち、携帯のロックを外す。

 

 初期設定からほとんど弄られていないホーム画面、メッセージアプリの類もなく、使用された形跡があったのは通話のみ。

 

 その通話履歴だって、登録されている固有名はなく、数字の羅列ばかりであった。

 

 しかし、発信着信頻度が高い番号はいくつか見つかった。僕はそれを上から順に掛けていくことにした。人が多くかつ非管理領域に出向き、逆探知されないようにして。

 

『はい、仲介人(ブローカー)です』

 

 出た。そして僕は驚愕した。

 

『……ビーバーですよね? 定期連絡はどうしたのです? ……ビーバー? 聞こえていますか?』

 

 女の人の声である。しかもその声は聞き覚えがあった。

 

『ビーバー? 何かトラブルですか? ビーバ──』

 

 僕は通話を切った。

 

「…………」

 

 こんなことがあっていいのか。

 

 冷たい汗が、僕の背をつぅと伝う。雑踏と街の明かりが遠く感じる。

 

 ──声の主は、ノーベさんであった。

 

 リーナの秘書兼護衛の、あのノーベンバーである。

 

    ◇

 

 あの後、上から順に電話を掛けて行ったが大した収穫は得られなかった。

 

 電話に出てはいるのだが、無言でこちらの出方を待つ奴。しきりに誰何してくる奴。そもそも電話に出ない奴、など。探偵がどこかと繋がっていたことは分かったが、そのどこかが分からない。

 

 今わかっているのはビーバーに仲介人(ブローカー)という名前のみ。

 コードネームみたいなものなのだろうか。ならば組織立っているのか。その組織に僕のことを探っていた探偵と、リーナの秘書兼護衛のノーベさんが所属している。

 しかしコードネームに一貫性がない。相場は色とか数字とかだろう。

 

 ノーベさんから情報を聞き出すこともできようが、どんなに早くとも明日になる。そんな猶予、今はない。

 

 結局、足で調べるしかないのだ。

 

 水仙から貰った情報にあった『乃木探偵事務所』の住所。僕はそこに向かうため、こうして駅のホームまで来たはいいが、ベンチに腰を掛けたところで立ち上がれなくなってしまった。

 もうモノレールを三回ほど見逃してしまっている。

 

 全身に倦怠と憂慮が纏わりついていた。

 

 電話をかけたのだ。それも片っ端から。どれがその仮定組織の人間なのかは分からないが、少なくともノーベさんにはバレた。つまり向こうにも僕の存在、もしくは探偵に何かあったかもしれないという懸念を与えてしまっている。

 直ぐにでも事務所に向かって、パパッと調べ、すぐ帰る。それをしなければならない。

 

 それにもかかわらず僕の頭にはある考えが堂々巡りしていた。

 

 ──なんで僕がこんなことしなきゃならないんだ。

 

 理性ではわかる。納得はしてる。でも不思議と体と心が動かない。

 

 そもそも、僕は三人のカス女で手一杯なのだ。それ以上のことをしている暇も余裕もない。

 お嬢も余計なことしてくれた。殺すにしてももう少し、情報を引き出してからで良かっただろう。

 

 とまあ、考えても仕方ない事、もう過ぎてしまったことが、ぐるぐると僕の頭を巡りに巡る。

 

 ぐううと唸るようにお腹が鳴った。そういえば朝から何も食ってなかったな。

 

 四本目のモノレールが発車を知らせてくる。まだ足は動かない。

 

「よいしょと」

 

 僕の隣に誰かが座った。

 

 その誰かは紙袋をごそごそやって、包子(パオズ)を取り出し、僕の目の前に差しだしてきた。

 

「……食べます? 餡は肉味噌ですよ。下で買ったんでなんの肉かは分かんないですけど」

 

 ホカホカと湯気立つ包子(パオズ)。食欲をそそる味噌と酵母の甘い香り。

 僕は思わず生唾を呑み込んでしまい、喉がごくりと鳴った。

 

 僕の隣に座ったのは、立花であった。

 群れの幹部候補の立花。ちょろちょろと小うるさいが意外にも頭が回り、気の利く奴。

 僕のクラスメイトの立花涼音であった。

 

 立花はまるで放課後の買い食いのように、制服姿のままである。昼間と違うのは髪をかけた耳から覗いていた黒いピアスの有無だけだ。

 

「……なんでこんなところにいんの?」

 

 立花は紙袋から自分の分を取り出して、もぐもぐやりながら、

 

「尾けてきたんすよ。鮎川君のこと」

 

「はあ?」

 

「まあ、今は疑問は置いといて、まずは食べましょ。食べて頭に糖分回して、それから考えましょ」立花が僕のお腹を指差す。「私のとこまで聞こえてきましたよ、お腹の音」

 

 立花が僕の口に包子を押し付けてくる。

 僕は少し迷ったが、その包子にかぶりつくことにした。

 

 僕は二口で受け取った包子を食べきり、立花の紙袋の中に入っていた残り二つも奪い、同じようにして食べた。

 

「お、良い食べっぷり。流石男の子」

 

 そんな僕の様子に立花は文句も言わずへらへらと笑っていた。

 

 僕は立花がさらに差し出してきた、スチール缶入りの米漿(ミージャン)を一気に飲み干す。糖分と水分が僕の心身を潤す。頭が回り始め、気力が湧いてくる。僕は大きく深呼吸したのち、立花に向き直った。

 

「すまん、助かった」

 

 立花は包子の最後の一口をひょいと食べきると、片手を振って、

 

「いいってことよぉ」と笑った。

 

「……んで、本題。なに、尾けてきたって?」

 

「ああ、生徒会長に頼まれてるんですよ。時間の許す限り、鮎川君の後を尾けて何してるかを報告しろって」

 

「……いつから?」

 

「んー、二週間くらい前からですかね。ほら、露助からドラッグ買った日くらいから」

 

「まさか、昨日もか?」

 

「はい、ばっちりと。あ、ちなみに鮎川君が今持ってる探偵の資料、それ作ったのもあたしなんですよ。あたし尾行得意なんすよねー」

 

 随分と軽い調子で言ってるが、僕にとっては驚天動地である。

 

「探偵が死んだことを水仙が知っていたのも、君が報告したからというわけか」

 

 僕は立花に気取られないように、腰の物に手を掛けた。幸いここから非管理領域はすぐである。死体の遺棄にはそんなに苦労しないだろう。

 

「いや違いますよ。私虚偽報告しまくってますし。生徒会長があれ知っていたのは純粋な推理。……というかヤクザのお嬢様が生徒会長の目の前で人殺す~とか言ってたからでしょう?」

 

 それもそうだ。……というか今コイツ、虚偽報告とか言ったか。

 

 僕が考えを整理しようと眉間を揉みこんでいると、立花が立ち上がり、

 

「ほら、モノレール来ましたよ。元気が出たなら、とりあえず向かいながら話しましょう。探偵の事務所行くんでしょ」

 

 顔を上げると、枝を咥えた芋虫みたいな形のモノレールがぷしゅぷしゅ言いながら、ドアを開いていた。立花の言う事も一理ある。僕はお嬢とは違う。どういう選択をするにしても話を聞いてからでも遅くはない。僕らはモノレールに乗り込んだ。

 

 潰された空き缶をどけ、臙脂色のシートに横並びに座る。

 

 車内を見回すが、僕らに一番遠い対角線に一人男が座っているばかりで他に客はいない。フェンタニルによってエビぞりになりながら、よだれをたらしまくっている廃人を除けばだが。

 

「んで、なに? 虚偽報告? どういうことだ?」

 

「お、良いですね。調子が戻ってきましたね。んふふー」

 

「いいから」

 

「はーい。と言ってもまあ別に大したことないんですけどね。鮎川君に不都合がないように、辻褄合わせしてるだけなんですから。ほら、ヤクザのお嬢様とか、企業のお姫様とかとの逢瀬は知られたら不味いでしょ? 生徒会長もあれで嫉妬深いところありますからね」

 

「それが分からん。そんなことをしても立花にメリットがない。何が狙いだ」

 

 立花が僕に顔を近づけ、悪戯っぽく笑った。

 

「えー、わかんないんですかぁ?」

 

 僕は立花の肩を押して、ぐいと距離を取り、

 

「わからん」

 

「恋愛を武器にしてる割には鈍いんすねぇ。あたしの理由はただ一つ、とってもシンプル!」

 

 立花が僕の鼻先めがけて人差し指を突き付けてくる。

 

「あなたの好感度を稼ぐためですよっ!」

 

「…………」

 

 何を言ってるんだこの女。

 

「つまりですねぇ、あたしが事情を知った上で鮎川君の味方であれば、鮎川君は助かるわけでしょう? そうして鮎川君の役に立ち続けていけば、どんどん好感度が上がっていって、いずれはあたしに振り向いてくれるかもしれないじゃないですかぁ。現に今、あたしのこと好きになり始めているでしょう? コロッとき始めているわけでしょう? ときめきが止まんないでしょう?」

 

 こいつ、僕と同じようなことを、僕に対してやろうとしているのか。それよりも、

 

「立花お前、僕が何をしようとしているのか、知っているのか?」

 

「はい、えー、理由は分かんないですけど、三人の色んな意味でヤバい女たち惚れさせてハーレム作ろうとしてるんでしょ? 常軌を逸してますねっ」

 

 そこまで知られているのか。流石に殺すか。……いや二週間、僕は彼女の気配に気づかなかった。あのお嬢もである。群れでの活躍然り、能力が高いことはわかる。──味方。そういえば考えたことなかったな。しかし──

 

「怪しすぎる」

 

「えー!」

 

「というかなんで僕なんだ。そこまで分かってんのなら僕が修羅の道を行こうとしてんのは分かるだろ。もっと普通な……」

 

「それがいいんじゃないですかぁ。艱難辛苦を二人の力で乗り越えて、目的を達成する。そして二人は結ばれる。良いシナリオじゃないですかぁ」

 

「その目的がカス女ハーレムなんだよ。お前に付き合っている暇はない」

 

「まだ結末は分かんないですよ。そして今のあたしに結末のことなんかはどうだっていい」

 

「はぁ?」

 

「結末はどうであろうと、過程が楽しそうなのは変わりないじゃないですか。あんな化け物みたいな女たちを愛っていう首輪で括りつけるんでしょう。その上お互い喰い合わないように躾をする。すごい発想だ。楽しそうだ。面白そうだ。折角一度きりの人生、こんな楽しそうなことに首突っ込まないなんて嘘じゃないですか。好感度云々は別にしてもね」

 

 ──どんな場所でも、どんな状況でも楽しもうと思えば楽しめる。

 

 立花の言葉を聞いて、不意に兄からの手紙の文面が僕の頭を掠めた。

 

「というわけで、まずは初の共同作業、探偵事務所の調査。あたしの能力を嫌というほど示してやりますよ。文学少女の名に懸けて!」

 

「文学少女って柄かよ」

 

 そこで目的地に到着したので僕は立ち上がる。立花がちょろちょろと僕の後ろに続く。

 こうして僕は立花と行動を共にすることになった。

 

    ◇

 

 僕たちが降り立ったのは西地区である。

 

 この地区はビル型植物工場や都市警察の演習場などがあるだけの寂しい場所だが、それは管理領域の話で、駅から少し離れるとミナミすら追い出された本当の最下層の住人が住む集落がある。

 俗にいう『スラム』。

 

 この時間だと灯りはなく、崩れかけた灰色の建物が、物言わず佇んでいるのみである。

 そんな管理領域とスラムの中間に『乃木探偵事務所』はあった。ぎりぎり非管理領域である。公的な許可は取っていないのだろう。

 

「めちゃくちゃアパートですね」

 

「だな」

 

 他に誰も住民はいない、四階建ての鉄筋コンクリート造りのアパート。その二階、二〇三号室が探偵の事務所らしい。それを示すものは立花が調べた資料と、ドアに吊り下げられている看板の『乃木探偵事務所 お気軽にどうぞ』という手書きの文字だけである。

 

 僕は立花にも手袋を渡し、ドアノブをひねった。

 

「流石に開いてないか」

 

「鍵とか探します?」

 

「いや、裏に回ろう」

 

 僕らは一度外に出て、二人で協力しベランダに上った。

 

 そこから覗く室内は真っ暗である。それにぱっと見、荒らされた様子もない。まだ誰も来ていない。

 

 僕はカバンから養生テープを取り出し、鍵がある場所を中心に半円状に貼り付ける。それからその養生テープに沿って音を立てないようにハンマーで叩いた。

 僕の手元を覗きながら立花が、

 

「うわー、用意良いですねー」と愉快そうに驚いている。

 

 ガラスが外れたので、鍵を開け侵入する。

 

 室内を懐中電灯で照らすと、全容が把握できた。

 乃木のデスクであろう大きな机が窓際に寄せられるようにあって、応対用である机と椅子。そしていくつかのロッカーがある簡素な部屋だった。

 乃木の性格なのだろう、部屋はきちんと整理整頓されていた。

 

乃木鳳翔(のぎほうしょう)。年齢は二十七。職業は探偵。三年ほど前からこの探偵事務所を開業。それまでの経歴は一切の不明なので、外から来たと推測できる。趣味は喫茶店巡り、好物はコーヒーと紅茶……」

 

「資料読んだから知ってるよ」

 

「ああ、そう言えばそうでしたね。活躍しそびれました」

 

 僕はデスクのPCの電源を入れてみるが、パスワードが掛かっていた。流石にPCごと持って帰るわけにはいかない。

 

「それより、もっと情報はないのか? 秘密結社に所属しているとか」

 

「秘密結社ぁ? 私の調査できる範囲ではそんな組織との付き合いはなかったと思いますよ」

 

 僕はデスクの引き出しを片っ端から開けていくが、大したものは入っていない。白紙の契約書だとか、浮気調査、ペット捜索なんかの普通の探偵業関連の資料しか見つからない。

 

「これは私の経験則ですがねぇ、この探偵みたいな人種は、大事な情報は紙とかの外部媒体に残さずに、自分の頭にだけ留めておくタイプだと思いますよ」

 

「俺もそう思うが、ここ以外に取っ掛かりがない。なんでもいいから手掛かりが──」

 

 僕はそこで台所のカウンターテーブルの上にある青色のフォルダが目に入った。

 提出用なるメモが貼り付けられており、どこかに持ち出すためにいったんそこに置いたという無造作加減である。

 

「鮎川君を調べている組織がいるかもなんですよね。何でしたっけ、ビーバーに仲介人(ブローカー)ですっけ。……あれ、どっかで聞いたことあるような」

 

 ぶつぶつと立花が呟いているが、無視をする。フォルダの中を開くと、まず僕の顔写真が飛び込んできた。それから経歴、身長体重、能力などが書かれている。……僕が外で義勇軍に紛れ込んでいたことまで調べられているのか。それに僕の義賊活動や群れとの関りまで記載されている。

 

 その次のページにはお嬢のことが、続いて水仙、リーナのページまであった。

 最後のページ、備考と書かれた欄には赤字で大きく『要再検討』と殴り書かれていた。これはきちんと調べる必要があるな。僕がそのフォルダをカバンにしまおうとすると立花が神妙な顔して話しかけてきた。

 

「……鮎川君」

 

「なんだよ」

 

「誰か来ます」

 

「!」

 

 耳を澄ませるとまだ遠いが、足音が聞こえた。階段を上る音。このアパートには他に住人はなかった。そもそも使われている形跡もない。ここに向かってきている可能性が高い。

 

「隠れるぞ」

 

「はい、なら資料と携帯は預かりますよ」

 

「なぜ?」

 

「リスクヘッジです。ほら来ますよ」

 

 僕はデスクの下、立花は僕の鞄を持ってベランダの方へと隠れた。

 

 玄関のドアが開く。合鍵。……関係者か。

 

 足音からするに男。それもかなり大柄、もしくは長身な。

 男は注意深く、部屋を見回ると、電話をかけ始めた。

 

「こちら屠畜業者(ブッチャー)。もう遅かった。すでに人の手が入っている。……いや多分素人だ。借りを作ることになるが、本庁に問い合わせてみる。……そうだ、まだ死んだと決まったわけじゃない」

 

 屠畜業者(ブッチャー)。それもコードネームか。

 それにまだこいつらは乃木が死んだことを知らない。乃木が極度の秘密主義者なのか、組織自体がとても小さいのか。しかしこれは僥倖である。

 

 男が床を凝視し始める。足跡を見ているらしい。

 

「……まだ新しいな。ベランダからか」

 

 男が足跡をたどり、ベランダに向かう。不味いな。立花が持っているあのフォルダが見つかるのが多分一番まずい。僕は直観的にそう思い、立花の資料にあった乃木の行動から、僕自身のアリバイを組み立てる。

 

 あの提出用フォルダは多分その仮定組織に提出するようだったのだろう。アンリさんへの資料という線も考えられるが、それならアンリさんが色々知っていたのはおかしい。アンリさんへの依頼はすでに完遂したと考えていいだろう。

 

 つまり仮定組織は何らかの理由があって僕のことを乃木に探らせていたが、その結果を知らない。

 

 まだ色々不安点はあるが、兎に角ここはしのがなくてはならない。僕は意を決してデスクの下から出た。

 

 懐から探偵の名刺を取り出し、両手をあげる。大丈夫、ハッタリは得意なはずだ。

 

「あのー、すいません。どちら様でしょうか?」

 

 男がベランダに手を掛けたところで僕は声をかけた。男は機敏に僕の方へと振り返り、手をスーツの内側へと入れる。流石に拳銃は持ってるか。

 

「誰だ」

 

 男が懐中電灯で僕の顔を照らす。僕は眩しさに目を細めながら、

 

「それを聞いているのは僕なんですが」

 

「……鮎川晴臣、なぜここに」

 

 男が驚愕に眉を歪める。やはり知っていたか。

 

 男はネクタイをしていない紺のスーツを着た、若い男であった。年は多分乃木と同じくらいの二十代後半。短髪をきちんと整髪しており、生真面目がそのまま練りこまれたような顔つきをしていた。裏ではない、表の住人。

 

「なんで僕の名前を? 僕はここの探偵さんに、事務所を訪ねて来てくれと言われて、来たんですが……」僕は乃木の名刺を男が見えるように示す。「それで、あなたは?」

 

 男が怪訝な顔をして、僕の顔を見る。僕は不器用な笑みを浮かべる。男は懐から手帳を取り出して言った。

 

「私は武林、武林幸樹(たけばやしこうき)。都市警察捜査一課の刑事だ」

 

 刑事? しかし乃木の死は知らない。公的な捜査で来たわけではなさそうだ。

 

「ここ、非管理領域ですよね。刑事さんがこんなところに何の用で?」

 

 武林が痛いところをつかれたという顔をする。基本的に非管理領域は都市警察の管轄外、そもそもよっぽどのことがなければ立ち入ることすら禁止されていると聞く。

 

「私のことはいい。一応、身体検査をさせてもらう」

 

 武林は僕の体を弄った。なるほど、立花はこういうことを見越していたわけか。気が利くな。武林は僕の腰の物を取り上げ、僕の眼前へ掲げた。

 

「これは?」

 

「非管理領域に行くんで、一応護身用に……」

 

 武林は少し考えた後、グロックを僕に返してくれた。

 

「……乃木とはどこで知り合った?」

 

「昨日の夕方、友達と東の繁華街へご飯の買い出しに行ったとき、いきなり話しかけられて、名刺を渡してくると同時に、話があるから事務所に来てくれと」

 

「ふむ、他には?」

 

「何も言ってませんでした。気づいたら姿が消えていて……」

 

 武林が僕の瞳を覗く。

 瞳孔が瞬いていることからアイインプラントの類だと思われる。心拍数などから嘘を判別しているのだろうが、僕には効かない。日々、これ以上のプレッシャーがある中、平然と嘘をつき続けているからだ。

 

 武林が判別を終えたのか、僕に興味を失くし、再び部屋を調べ始めた。

 

「あの、さっき電話で言っていた、屠畜業者(ブッチャー)ってのは……」

 

 武林が足跡を検めながら、

 

「聞いていたのか。しかし今の君が気にすることではない。いずれ知ることになる」

 

 近いうちに仮定組織が僕に接触してくるという事だろうか。刑事に探偵に傭兵に、どういう組織なんだ。

 

「足跡が二つあるな。……部屋を荒したのは君か?」

 

「いえ、僕が来た時にはすでにこうなっていました」

 

「怪しい人物を見たか?」

 

「えーっと、玄関が空いてなくて僕も帰ろうとしたんですが、下からこの部屋を見た時、ベランダから何かが飛び降りてきて……多分その人が」

 

「なるほど、何か特徴は?」

 

「背は低かったと思います。それに素早かった。追い掛けようとしたんですが、すぐに撒かれてしまいました」

 

「そうか、わかった。ここに乃木はいない。君は帰っていい」

 

「え、そんな消化不良な。ここで何かが起こったんですよね。僕も手伝います」

 

 武林はけんもほろろに、

 

「いらない。君は学生だろう、早く帰れ」

 

 ラッキーである。僕は名残惜しそうに足摺りしながら玄関へと向かう。僕がノブに手を掛けたところで、再び声が掛かった。

 

「鮎川晴臣、君には近いうちに連絡する。今回の件も含め、だ」

 

    ◇

 

 駅までたどり着くと、立花が壁にもたれかかりながら待っていた。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

「いえいえー、好感度上がりました?」

 

「…………まあな」

 

「あ、デレた」

 

「うるさい」

 

 改札を通り抜け、僕らは並んでベンチに腰を掛けた。

 

「それで、なに話してたんです? ベランダからじゃ聞こえなくて」

 

「大したことは話してない。目的は立花から目をそらさせることだった。それでも分かったことはあったぞ。向こうは僕のことを知っていた。あの男の本業は刑事。仮定組織が近いうちに接触してくる。男の組織でのコードネームは屠畜業者(ブッチャー)。それにあのフォルダ。大収穫だよ」

 

「あ、返しておきますね」立花が僕にカバンを返してくれる。「それにしても屠畜業者(ブッチャー)ですか。ビーバー、ブローカー、ブッチャー……あっ!」

 

 立花が急に立ち上がる。

 

「スナーク狩り! そうだ、スナーク狩りのメンバーなんだ!」

 

「なんだそれ」

 

 立花が僕の顔に唾を飛ばしながら、興奮した様子で言う。

 

「スナーク狩りですよ! ルイスキャロルの書いたナンセンス詩!」

 

「ルイスキャロルって不思議の国のアリスのルイスキャロルか」

 

「そうです。あの変態ロリコン紳士。スナーク狩りってのは架空の生物スナークを捕まえに行く十人の話です。ビーバーも仲介人(ブローカー)屠畜業者(ブッチャー)も十人の中の一人なんですよ。うわ、どうりで聞き覚えがあると思ったんだ」

 

「なるほど。それでそのスナーク狩りってのはどんな内容なんだ? 何か彼らに関連は……」

 

「それがですね、全く分かんないんですよ。内容もずっと日本語じゃわかんないダジャレばっかで、話はあっちこっちに飛ぶしで、まさしくナンセンス! 私も昔読んだ時はあまりの意味不明さに吐き気すら覚えましたし」

 

「それじゃあ、意味ないじゃん。組織の名前分かったところで」

 

 立花が力なく座る。

 

「まあ、それはそうなんですが……」

 

「でも確実に前進はした。今日は本当に助かったよ。ありがとう」

 

「ええ、どういたしまして。また調査するときは呼んでくださいね」

 

「それはいいや」

 

「なんで⁉」

 

「だって今は向こうがアクション取ってくるまで待つしかないし、それにこのフォルダがこっちの手にあるうちは特に害はなさそうだし」

 

「じゃあ、普通にデートとかしましょうよぉ」

 

「やだよ。あの三人にばれたらどうなる。今日の分のお礼は別のものにしてくれ」

 

「お礼ぃ? お礼なんかいりませんよ、私が好きでやったことですから」

 

「いやそれじゃあバランスが悪い」

 

「じゃあこのバランスが悪い状態でいるのがお礼ってことで」

 

「…………」

 

「まあ、協力しますんで、いつでもお声がけください」

 

 立花が満面の笑みを浮かべた。

 

 その笑みに含まれている、交じりっ気のない光が、日陰者の僕にとっては、うらやましくもあり、煩わしくもあった。




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良ければ、評価、感想の方もよろしくお願いします。
あいらぶゆーべいべ。
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