カス女ハーレム   作:大豆亭きなこ

9 / 10
第九話:チャイナタウン

「紹興酒ってザラメ入れて飲むもんじゃないの?」

 

 僕は大麻のような模様が入った切子グラスに、琥珀色の液体がとくとくと注がれていく様子を見ながら尋ねた。

 

「いいや、それは安くて品質が疎らな紹興酒を飲むための苦肉の策だよ。この紹興酒みたいに古酒に片足突っ込んでるようないい奴は、そのまま飲むに限る」

 

 

 嵩を増す度に輝き方が変わるグラスから、南国のフルーツのような芳醇な香りが立ち上ってくる。それが、太腿が触れ合うくらい近くに座る水仙から香るジャスミンと合わさって、僕を安堵のような焦燥のような不思議な気分にさせた。

 

 僕は今、中華料理屋にいる。

 

 ミナミの大通りから三つほど筋が逸れた中国人街(チャイナタウン)。そこにある湖南料理屋の二階である。

 

 僕らの他に客はおらず、宴会用であろう大部屋はガランとしていた。

 鳥居のような赤を基調にした部屋で、天井には西洋風のシャンデリア、至る所に動物の透かし彫りがされている。店内BGMの類は掛かっておらず、部屋内は静謐に満たされていた。

 窓の外からは相も変わらず悲鳴と猛々しい雄叫びが聞こえてきてはいるが。

 

 濁った琥珀色の紹興酒が、グラスから零れそうになったので、口で迎えに行く。子供用シロップ薬のような不気味な甘さと酒精が僕の喉を焼く。吐き気がせり上がってきたので、目の前にある剁椒魚頭(魚の頭の唐辛子蒸し)をかっ喰らった。順番が逆である。

 ──が、これも辛さと酸味が強烈で咽てしまった。

 

「焦らなくていいよ。料理も酒もまだまだあるからね」

 

 龍とか亀とかが描かれた高級感のある黒い円卓の上には、明らかに二人では食べきれない量の豪華絢爛、満漢全席な料理達。そのほとんどに刻まれた緑と赤の唐辛子が入っており、電子回路みたいである。

 湖南料理は中国八大菜系の一つに数えられており、その中でも一等辛いらしい。あの四川を凌ぐほどである。

 

 外から銃声が聞こえだした。剣戟音も。

 

 水仙が物欲しそうな目でこちらを見てくるので、紹興酒の瓶を受け取り、こちらからも注いでやった。

 彼女は目の前の瀟湘豚足(豚足の唐辛子煮込み)をちまと摘み、上品に口に入れたのち、洗い流すかのように豪快に杯を呷った。

 

「──くぅ! うまい!」

 

 水仙が大満足とばかりに、円卓にグラスの底を叩きつける。

 

「辛いのには白酒(パイチュウ)じゃないのか?」

 

「もちろんそうだが、紹興酒の甘さも捨てがたい。それに一応仕事中だしね。酔い潰れるわけにはいかないよ」

 

 なるほど。紹興酒のアルコール度数は十六度前後、白酒は蒸留酒なので五十度を超える。そして仕事中という事は──

 

「やっぱり、外から聞こえるこの戦闘音は水仙が仕掛けたものなのか?」

 

 水仙が首を傾け、挑発的な笑みを浮かべる。

 

「もちろん」

 

「……中国人街(チャイナタウン)盗るのか」

 

「そういう事。まあ、どっちかっていうと九条組の慣らし運転に近いかな。この戦いは儀式(イニシエーション)。他に見せつけるためにやってるだけだしね。根回しはもう済んでる。現に──」水仙がばっと両手を広げた。「ここが貸し切り状態だ」

 

 正直、この湖南料理屋に呼ばれたときから嫌な予感はしていた。

 この間の報酬を渡すのとこれからのことを話したいからという名目で呼び出されていたのだが、道中街は騒がしいわ、案内役はピリついているわで、予感というより簡単な推理である。

 

 チャイナを盗ったってことは、フィリピンとベトナムを盗ったも同然なのだろう。

 それはアジア通りのほとんどを掌握したのと同義である。

 群れはどこに向かっているのだろうか。

 

「これからは美味い中国料理と美味い中国酒がいつでも食べ飲み放題だよ。……どう? うち入る気になった?」

 

 全くである。

 

「水仙、群れは何を目指してるんだ? 何故群れなんてのを作った? 孤児をまとめていた時はそうしないと生きていけないからだってのは分かるけど、これは違う。普通の人間集めて、集団心理で縛って、お前は何がしたいんだよ」

 

 水仙が手酌でお代わりを注ぎながら答えた。

 

「尊厳の回復のためって、前と同じように答えてもいいけど、それじゃあ芸がないね。んー、そうだなぁ……暇つぶしって言ったら納得する?」

 

「まさか」

 

「だよねー。じゃあこう答えよう。──打倒、資本主義! ……どうだい?」

 

「TOMASを解体するのか」

 

「最終的にはそうなるのかな。ほら、この街の歴史を思い出してみなよ。二代前、つまりボクたちのおじいちゃんの世代が規制規制の外にうんざりして、自治都市としてこの街を作った。極まりきって、行き詰っていた資本主義をもう一度初めからやり直そうってのもあったのだろうけどね。それから約四十年、この街はどうなった?」

 

「再び行き詰っている」

 

「そういうこと。企業の連中もヤクザの連中も子孫に美田を残しまくり、資本と暴力の格差社会だ。技術の発展は富めるものだけにさらに益をもたらし、ボクたち普通の人間はそれを仰ぎ見上げることしかできない。じゃあ、この街から逃げようたって、外、つまり日本の国籍すらない。この街で一生惨めに暮らすしかないのさ。何も生み出せず、何も成せず、それなりに幸福であるって信じながらね」

 

「…………」

 

「ボクがやらなくたって、多分誰かがやっていたね。ボクがやったのは破裂寸前の風船を針で突っついただけ。もしくは決壊寸前のダムの管理人。そんなとこだね」

 

「その後はどうなる。もし、お前らがこの街の支配者層になったとして、新たに生まれてくる普通の人間はどうする。社会主義でもやるつもりか」

 

「そんなわけないじゃないか。分かってるだろ、ハル君も。ボクらも彼らと同じように、自分たちの世代でこの世の春を謳歌して、子供たちには美田を残し、年を取ったら保守に回る。自分たち以外からは搾取しまくり、自分たち以外は迫害しまくり、自分たちのことだけしか考えない。資本主義の次が生まれるまでその繰り返しが続く。歴史と社会は革命すらも勘定にいれている」

 

 水仙がご清聴ありがとうとばかりに、軽く笑った。それから紹興酒でのどを潤す。

 空になったグラスでふらふらと僕を差し、

 

「ボクを否定してくれるかい? ハル君」

 

 僕が困ったような笑みを浮かべると、水仙は肩を竦めた。外の騒ぎが一層大きくなる。水仙はバルコニーを指差して言った。

 

「ちょっと外見に行こうぜ。そろそろ戦いの趨勢も決まりそうだ」

 

 外に出ると梅雨明けの爽やかな風が僕の髪を撫でた。

 

 それだけだと心地よいのだけれど、 悲鳴銃声叫声も引き続き鳴りっぱなしであったので、台無しである。

 目を細めながら転倒防止の柵にもたれかかる水仙に倣って、僕もその隣で柵に体重を預ける。

 

 水仙が懐からシガレットケースを取り出し、こちらに差しだしてきた。

 

「吸うかい?」

 

「……マリファナじゃねぇだろうな」

 

「あはは、違う違う。普通の紙巻きたばこ(シガレット)だよ。コカイン漬けでもヘロイン漬けでもない」

 

 それならばと僕はタバコを謹んで受け取り、気障に咥えて、火をつけてもらう。

 悪の煙で肺を満たし、カブトガニの血液のような色をした空に向かって吐き出す。水仙が再び物欲しそうな目で僕を見てきたので、ジッポーを奪い、彼女の煙草にも火をつけた。

 

 そのまま、ニコチンが神経伝達物質(アセチルコリン)の代替を果たすまで、吸っては吐いてを繰り返す。

 空で煙が交る。水仙が僕の手に絡みつく。

 

「酒だの煙草だの、水仙、嗜好品好きだよな」

 

「ん? まあ、そうだね。……というよりボクは人類が生み出した文化全部が好きだ。小説も映画も漫画もポルノも絵画も音楽も、なんだってね。うまい料理を食べて、気の合う友達と映画を見て感想を言い合って、酒で頭を馬鹿にして、ポルノ見て中てられて、気まぐれに交じり合うような、叶うならそんな人生が良いな」

 

「今からでもやればいい」

 

「うーん、無理だろうねぇ」

 

「なんでさ。……良心の呵責か? それとも悪の美学?」

 

「まさか。ボクがこの仕事をやる上でそんなもんに振り回されたことは一度もない。それこそ、分かっていると思うけど罪の意識みたいなのも全くない。悪いことだとは理性でわかるけど、映画で登場人物が人を殺しているのを見たからって現実のボクにはなんら影響がないのと同じで、どこまでいっても他人事だ」

 

 水仙が凹凸の激しいビルの稜線の向こうにある空を見る。

 そこには煙草の煙とは似ても似つかない、立体的で芸術的な雲が浮かんでいた。

 

「……才能は呪いだよ。ボクはこれがあるせいで、これ以外のことができなくなってしまった。可能性、夢、それを追う事、どんなにいいことなんだろう。想像もできないなぁ。それこそスクリーンの向こう側にある他人事のようだ」

 

 普通への憧れ。

 孤児からその身一つで成り上がってきた水仙にとって普通とは一番遠いものであったはずだ。それが今は普通の人間を率いて、非現実に叩き落しているのだから、皮肉である。

 彼女がボクに負けたがっているのも、普通に落ちることを期待してだろう。そんなことはありえないと彼女自身分かっているし、夢のまた夢だろうけど、それでも捨てきれていない。それでいて予定調和と退屈を何より嫌う。そんなアンビバレントが彼女が彼女たる理由である。

 

「さ、九条の連中が下の通りまで来たよ。サイバネヤクザが馬鹿を担いでやってきた。見ものだぜぇ」

 

 僕らはタバコの火を踏み消して、地上に視線を移した。

 

 北の角を曲がって表れたのは色とりどりのシャツに黒いスーツを身に纏った男たち。

 

 対するは南側で待ち構えている、服装はバラバラだが、一様に中国語で罵声らしき何かを発しているチャイニーズマフィアたち。

 

 北から現れた方の集団が、一人の男──多分、九条──を中心として、円を描くような陣形を作る。これが九条組と群れの同盟軍だろう。

 それが武術的な姿勢移動の元、サイバネでの身体能力強化を駆使しながら、サブマシンガンで弾幕を形成。中国人たちを蹴散らしていく。

 

 中国人たちは青龍刀を掲げ、突進を試みるが、銃弾の雨には為すすべなく、ただ徒に人員を減らしていく。

 それでもリロードの隙を縫って九条組に辿り着いたのもいたが、九条組はそれを日本刀で切り倒し、冷静に処理。

 

 ヤクザたちが乱れぬペースで歩みを進める。後に残るは血の海。圧倒的である。

 

 九条は室町時代の忍びにルーツを持つ、生粋の暗殺一家である。

 箕土路と同様、最新技術を貪欲に取り込んできたので、銃、サイバネの利用はお手の物なのだろう。それにしても──

 

「やけに技のキレが良いな」

 

 足運びが流麗である。刀の返し方が妙に美しい。この通りに辿り着くまでの時間も合わせて、かなりの時間戦っているはずだが、今だ軸のブレが見えない。

 ぱっと見、あそこにいる全員が師範代クラスのようだ。お嬢の復讐を受けて尚、あんなに残っていたのか。

 

「へぇ、君の目からもそう見えるんだ」

 

 水仙が含むように笑う。

 

「なんだよ、何かしたのか?」

 

「もちろん。あそこの奴らの顔、よく観察してみなよ」

 

 顔? 僕は目を細めて、九条組の面々の顔を見る。

 

 ──違和感。

 あそこにいる誰もが同じ顔をしている。

 目はギラギラとしていて、口には緩い笑み、鼻息が荒いのか鼻を中心に顔面が常にひくひくと動いている。まさか、

 

「……覚醒剤(シャブ)か」

 

「せいかーい。でもまだ五十点だね。もひとつあるよー」

 

 もう一つ? ドラッグ関連か? 短期間で技のキレをよくする、そんなドラッグは……いや、ある。だがこれはドラッグの効果ではなく──

 

「洗脳。……自己暗示」

 

「大正解! 花丸! 偉い! ご褒美にキスしていいぜぇ。今度は頬じゃなくて口に」

 

 それは遠慮するにして、そうか、水仙は九条の人間にアヤワスカセッションを行ったのか。

 神秘体験、瞑想効果。それを彼女が羊飼いとして誘導し、武術における自分という壁を乗り越えさせた。

 

「プラトー? って言うんだっけ。どれだけ練習しても上達しない期間ってやつ。九条の連中はずっと雌伏して、修行してたらしいんだけど、皆限界が来たらしくってね。それならばと、ボクが一肌脱いだわけさ。あ、実際に脱いだわけじゃないよ。比喩。勘違いしないでね」

 

 水仙らしい方法である。そして水仙にしかできない方法でもある。

 しかし、これが体系化して、誰でも扱えるようになると、困るな。燻ってる極道たちの解決法になりかねない。そうなると企業との力関係も変わるかもしれない。

 僕は現在の均衡状態を望んでいる。それがカス女たちの能力を最大化させるからだ。

 

「覚醒剤の方は、まだ暗示の不安定な効果を長続きさせるためと、単にバフ。恐怖心なくして、心を奮い立たせる魔法。碌なもんじゃないね」

 

「よく言うなぁ。群れでは大麻以外のドラッグ禁じてるくせに」

 

「当たり前だろぉ。……あ、ほら見て。大ボスが出てきた」

 

 死屍累々の中国人たちの奥から、頭一つ身長が高い男が出てきた。

 その男は腕が地面に付くくらい長く、ゴリラのように歩いている。──サイバネ。それも人間捨ててるタイプだ。

 

 九条組はサブマシンガンで応戦するが、銃弾は鋼鉄の皮膚に弾かれ、全く効いていない。皮膚硬化改造(スキンスーツ)よりかなり旧式だが、金属繊維を皮膚に練りこむのは今なお有効なサイバネである。その上、手首から先に新たな腕をくっつけている。

 

 九条組からは、若き組長──九条相雲(くじょうそううん)が一歩前に出る。

 歩きながら軽く柔軟をしている様子を見るにタイマンを張るらしい。

 

 そんな様子を歯牙にもかけずゴリラが全身に気を充足させながら、九条に近づく。

 

 お互い歩みを止めず、間合いが重なり合う。

 

 先に動いたのは相雲の方だった。袖から針を射出し、目を狙う。

 針はゴリラの長い腕に易く防がれるが、その時には後ろに回って、腰を足場に飛びあがり、首へと絡みついた。

 

 相雲がぐりんと関節技を極めるが、ゴリラはびくともしていない。

 それどころか相雲の腰のベルトを掴み、スライダーの要領で壁へと投げつけた。

 

 二つ折りの相雲が剛速球となって、地面に平行に飛ぶ。そのままビルの壁面にぶち当たり、がらがらと崩れる音が聞こえた。

 土煙が舞う。相雲の姿を隠す。

 

 九条組と中国人、どちらも身を前に乗り出し、結果次第で次の行動に移ろうとしていたが、煙が晴れると、崩れた壁だけがあって、相雲の姿はなかった。

 

 猿叫。

 

 二階の窓から、相雲が飛び出してくる。

 勢いの乗ったとび膝蹴りをゴリラの顎に正確にぶち当てる。

 ゴリラがうめき声をあげながら、よろめき二、三歩後ろに下がった。

 

 相雲が着地の衝撃を、膝のばねを使ってスタートダッシュに利用、さらなる攻撃に繋げようとしたところで、それは現れた。

 

「ちょっと、待ったァアアア‼」

 

 甲高く、耳に障る声。建物が揺れたんじゃないかって錯覚するほどの大音量。

 それは戦闘に水を差すには十分すぎるほどで、相雲ゴリラ含め、その場にいた誰もがその声の出所を探る。

 

「──なんだあいつ」

 

 水仙の視線を追うと、向かいの建物の屋上。避雷針の上に小柄な人影があった。

 

 フルフェイスヘルメットに、分厚いカーテンのような緑のマント。腰のあたりまである長い金髪と体型からするに女。

 それも多分、僕たちよりも年下である。中学生くらいであろうか。

 

 少女が腕を前方でクロスさせた奇妙な構えを取ると、彼女の輪郭が陽炎に歪んだ。

 

「……嘘だろ」

 

 僕は思わず声を漏らす。

 あの現象、見覚えがある。陽炎の発生は急激な体温の変化によるものだ。──まさか。

 

 少女の姿が消える。

 壁のひびと、飛び散る砂礫が彼女の軌跡を示す。

 

「喧嘩ァ! ──両成敗ッ!」

 

 その声と同時に、相雲とゴリラが地に伏した。

 倒れ方からするに、脳震盪。あの一瞬で二人の顎を一遍に砕いたのか。

 

 誰も動けないでいた。何が起こっているか、分からなかった。

 

「……下、行ってみようか」

 

 水仙の愉快そうな声に、僕は我に返った。急いで階段を降り地上へと向かう。

 

 あの速度、あの現象。──間違いなく『加速』だ。

 お嬢が使う、お嬢しか使えない、思考速度を上げ、一瞬を限りなく引き伸ばす技だ。

 胎児の段階で脳幹にデバイスを埋め込むことでしか使えないサイバネ技術であるはずだ。

 

 アンリさんのような第一世代では実装されず、お嬢たち第二世代でも、使いこなすことはできたのはお嬢ただ一人だった。

 

 先天的サイボーグ計画は僕の父の失脚と共に凍結、破棄されたはずである。それが今になって、何故。

 

「次はいないのかァ!」

 

 僕たちが地上に出ると、フルフェイス少女の周りには数人の人間が倒れていた。

 九条の人間も中国人も等しく倒れていたので、どうすればいいのかわからず向かって行って、返り討ちにされたのだろう。

 大勢の人間が彼女を中心に円を作り、彼女とは十分な距離を取っている。多分ほとんどが潜んでいた群れの人間。

 

 水仙が近くにいた群れの男に耳打ちをする。その男が口に手をあて、言った。

 

「だ、誰だ、お前はァ!」

 

 フルフェイス少女がぐりんと男の方を向いた。それから肩を震わせ、くつくつと笑った。

 

「よくぞ聞いてくれたなァ! 私はこのミナミの治安を守る、正義のヒーロー! 名前はないが、それが不便ならこう呼ぶがいい! 『粗忽者のベイカー』とォ!」

 

 粗忽者。おっちょこちょい。自分から名乗るか普通。……意味わかってなさそうだな。

 

 というか『ベイカー』と名乗ったのかコイツ。僕の頭に忘れかけていた──いや忘れようとしていた、嫌な単語がよぎった。

 

 ──スナーク狩り。

 こいつもその一員なのか。

 

 立花に話を聞いてから、僕もスナーク狩りについて少し調べてみた。スナーク狩りのメンバーは十人いて、その誰もがBから始まる名前なのである。

 

 ベルマン、靴磨き(ブーツ)帽子屋(ボンネットとフードの製造販売者)弁護士(バリスタ―)、ビリヤード・マーカー、銀行屋(バンカー)屠畜業者(ブッチャー)パン屋(ベイカー)仲買人(ブローカー)、そしてビーバーの十人である。

 

 なぜかは知らないがスナーク狩りになぞらえているのなら、そこの少女、ベイカーもスナーク狩りの一員だ。その上、先天的サイボーグ。めんどくさすぎる。

 

「これから、このミナミで喧嘩しようものなら私が飛んで行って、両成敗するからなっ! 分かったなら皆仲良く、平和に! 以上!」

 

 誰もが呆気に取られている中、少女は悠然と歩き去っていった。

 

「……どうします?」と九条組の人間が水仙に聞いた。

 

 水仙が手を叩き、注目を集める。

 

「最後は変なことになったが、兎に角ボクらの勝ちだ。撤収作業を進めよう。そこらに転がってるチャイニーズマフィア共は腐るまでさらし首。──はい、始め」

 

 集団が散っていく。各々が割り振られたであろう役割に戻っていく。

 

「なあ、水仙……」

 

 水仙はにんまりと笑って、

 

「いやあ、大変な(面白い)ことになっちゃったねぇ。でも勝ちは勝ちだ。これで色々動き出す。……なあ、ハル君、ボクらは近いうちにヤクザを一掃するぜ」

 

「!」

 

「そして、その前に聞こう。これが最後だと思ってくれてもいい」水仙が咳ばらいをして、僕の瞳をまっすぐに穿って言った「ハル君、群れ(うち)につかないか?」

 

 水仙はここで敵対するか、味方になるかを選べと言っているのだ。

 そしてどっちに転んだって面白い、そう思っている顔をしている。

 

「僕は中立──」

 

「そんなものはないよ、ハル君。選べるのはボクと共に楽しむか、ボクを楽しませるかだ。君はすでに当事者、台風の目。日和見なんて許されない」

 

 僕は水仙から目をそらす。

 

「……なら、僕は──」

 

 確かに水仙の言っていることは分かる。

 しかし、ここで群れについてしまったら最後、彼女に呑み込まれてしまう。かと言ってヤクザについてしまっても駄目だ。水仙との完全な敵対は避けなければならない。

 

 僕が答えを出そうとした瞬間、僕の口は水仙の口によって塞がれた。

 

 水風船のような感触が、僕の唇を侵す。一瞬にして永遠、そんな時間。宣戦布告なしの奇襲攻撃。呆気に取られる。

 

 名残惜しそうに、水仙が離れていく。唾液の橋が架かるが、すぐに崩落。

 

「あはは、やっぱり君の口からはっきりと答えは聞きたくないなぁ。それでもボクの側につく気はないということは分かった。好きに動くと良いよ。精々ボクを楽しませてくれ。そして願わくば、ボクをどん底まで突き落してくれ」

 

 気丈にふるまってはいるが、水仙の瞳の奥には少しの落胆が見られた。

 さっきのはいつものような軽口ではなく、本気。これは不味い。後でしっかりとフォローしておかないと。

 

「じゃあ、今日は以上だ。ご足労ありがとう。聞きたいことは聞けたし、見せたいものは見せた。車を出させるから、それに乗って帰ると良いよ……おおい!」

 

 水仙が群れの男を呼び寄せて、ボクを指差し、指示を出す。

 男が走り去っていったところで水仙は振り返って、

 

「そういえば、探偵事務所では何か、収穫はあったかい? ……例えば、箕土路蒼青の弱点とか」

 

 水仙がすべてを見透かしたような笑顔を浮かべる。

 ──平静を保て。動揺を見せるな。

 

「全く。ボウズだったよ」

 

「ふぅん、それは残念だったね。答え合わせしたかったのになぁ」

 

 水仙は残念そうにそう言って、僕に手をひらひらと振り、群れの中へと溶け込んでいった。

 

    ◇

 

 近いうち、と水仙は言った。

 

 今日大きめな戦闘があったことだし、その近いうちとは一か月後、最短でも二週間後くらいだと思っていた。

 

 だから、僕はその間に嚴禅会会長、藤代雅に群れの動きについてそれとなく警告し、実際の群れの行動から、逆算して力点を潰そうと考えていた。

 

 結論から言うと、僕のそれは論外だった。

 

 水仙がそんな甘えたことを許してくれるはずがなく、その日の深夜、藤代雅の屋敷から、火の手が上がった。




いつもお読みいただきありがとうございます。誤字報告も助かります。
今回は少し遅くなってしまってすいません。
これからは週に最低一回、できれば二回、更新していきます。
良ければ、評価、感想の方もよろしくお願いします。
我爱你。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。