無惨地獄革命記   作:みそそ

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第一章「黎明の侵食」
解放


鼻腔を突くのは、絶え間なく焼き続けられる肉の脂が焦げる悪臭と、処理の追いつかぬ死骸が発する腐敗臭だ。地獄の空気は、それ自体が致死量の毒を孕んでいるかのように重く、熱い。

 

猗窩座は、自身の右腕が断たれる鈍い音を聞いた。数瞬後には再生が始まるが、その端からまた別の獄卒が振るう業火の鞭が、新しく生えた皮膚を容赦なく剥ぎ取っていく。

ここには「夜」という名の休息もなければ、「睡眠」という名の逃避も存在しない。

鬼であった頃、眠らずに済むことは強者の証であった。だが今、その特異な体質は、一秒の欠落もなく永遠に苦痛を享受し続けるための呪いへと成り果てている。

 

受ける罰の重さは、生前に屠った命の数に比例するという。

であれば、これだけの年月を焼かれ、刻まれ続けても、なお罪の残滓は消えぬのか。数えることをとうの昔に止めた「殺戮」の代償は、あまりに重く、長い。

 ――恋雪。

 

かつて、地獄の縁で自分を抱きしめてくれた少女の声を、不意に思い出す。

彼女のために。彼女との約束のために、この責め苦に耐え、罪を雪がねばならない。

そう自らに言い聞かせ、精神の形を保ってきたはずだった。

だが、その誓いさえも、今の猗窩座にとっては霧のように遠い。

焼かれ、削られ、再構築される肉体のサイクルが数百年を数える頃、高潔だったはずの意志は、泥のような生存本能に飲み込まれつつあった。

 

もう、どうでもいい。

約束も、贖罪も、至高の領域も。

 

思考を埋め尽くすのは、ただ一つ。ここから逃げ出したい。この永劫の繰り返しから、一刻も早く、どこへでもいいから逃げ出したい。

 

かつて弱者を「反吐が出る」と唾棄した男は今、その弱者よりも無様に、心の中で出口を求めて叫んでいた。

 

突如として、降り注いでいた鞭の音が止んだ。

肉を裂く衝撃の代わりに響いたのは、硬い何かが砕け、霧散する乾いた音だ。

 

「……誰だ」

 

顔を上げる気力も、斬られた足を再生させる気力もない。猗窩座は視界を塞ぐ血の隙間から、足元を見つめていた。そこには、先ほどまで自分を蹂躙していた獄卒の、無惨に砕かれた四肢が転がっている。

「……もう一度、私の軍門に降れ。猗窩座」

頭上から降ってきたのは、氷のように冷たく、それでいて聞き慣れた男の声だった。

その響きが記憶の奥底に眠る「呪い」を呼び起こす。猗窩座は激痛に震える腕で、這いつくばる地面を強く掴んだ。

顔を上げれば、そこにいた。

現世で自分を縛り、最後には見捨てた、すべての元凶。

 

「……舞、辻……!」

肺に溜まった血を吐き出しながら、憎悪が全身を駆け巡る。かつてこの男に植え付けられた恐怖よりも、今はただ、自分の人生を玩具のように弄んだことへの怒りが勝った。

 

猗窩座は渾身の力で床を蹴った。残された唯一の拳に全ての殺意を込め、その傲慢な顔面を目掛けて突き出す。

だが、その一撃が届くことはなかった。

 

酷使し、摩耗しきった肉体が悲鳴を上げる。

拳は空を切り、猗窩座の体は糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちた。視界が急速に遠のき、土の冷たさだけが頬に伝わる。

 

――また、この男に屈辱を味わわされるのか。

 

目を閉じ、終わりのない死を待つ。しかし、聞こえてきたのは追い打ちの罵倒ではなく、微かな「ため息」だった。

不意に、周囲の圧迫感が変わる。

無惨がその場に、わざわざ膝をついたのだ。かつては指先一つ触れさせることさえ嫌った男が、泥にまみれた猗窩座と同じ目線まで、その身を下げていた。

「無念か。お前の憤りは、私も共有している」

無惨の白い指が、猗窩座の顎を掬い上げる。

強制的に合わせられた視線の先で、無惨は静かに、そして完璧な「慈愛の微笑」を浮かべていた。

 

「お前が必要だ、猗窩座。こんなところで腐らせておくには、お前はあまりに惜しい」

その笑顔の奥には、温度のない闇が潜んでいる。

嘘だと分かっていた。だが、永劫の孤独と痛みの中にいた猗窩座にとって、その偽りの言葉は、地獄に垂らされた最悪の「救い」であった。

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